56.負傷
怪我人は引っ込んでろと声を上げたヴィランに、アルトは邪魔にならないよう大人しく後退した。
持ち前の怪力で、共に来た隊員達と共に魔物を駆逐していく様子に、アルトの肩から力が抜ける。
(――もう、大丈夫だ……)
気を緩めると、改めて傷がずきずきと強い痛みを訴えてきた。
濡れそぼった毛皮は重く、もはやそれが自分の血か魔物のものか分からない。
座り込むと立てなくなるかもしれないと思い立ち尽くしていると、ディルの声がアルトの耳に届いた。
「アルト!!」
『ディルさま、――!?』
今度こそ駆け寄ってきたディルに応えようとした瞬間、後脚から力が抜けた。咄嗟に前脚で身体を支えたが、その所為で体幹が伸びて脇腹の傷が大きく開く。
『ぅあ……っ!』
耐えがたい激痛が全身を貫き、アルトは呻いて地面を転がった。生理的な涙が滲み出し、きつく閉ざした目から零れて毛皮を濡らす。
浅い呼吸を繰り返し、増した痛みが慣れるのをひたすら待つ。
そうしていると不意に四肢にぴりぴりとした痺れを感じた。
過呼吸かと思ったが、それより厄介な可能性が一つ、ある。
(毒か……っ)
同じく負傷しているものの、近くに膝をついたディルはアルトよりも遥かにしっかりとした様子だ。元々毒を受けていなかったのか、それとも解毒薬が効いているのかアルトには分からない。言えるとすれば、この一言に尽きた。
(……良かった……)
次々と自身の身に起こる症状を感じつつ、アルトはそれがディルに生じていないことに安堵していた。
だが見上げた彼は苦しげな、どこか泣き出しそうな表情を浮かべ、アルトの身体に手を伸ばした。
「止血、を……っ」
『……待っ、て……先に、くすりを……』
傷を探るディルに、アルトは切れ切れになりながらも自らの状態を伝えようとした。
ディルが持っているはずの解毒薬を貰わないと危険だ。
そしてそれを摂取しても、恐らくもう自力で砦へは帰れない。
迷惑をかけるな、とアルトが苦い顔になった瞬間、動いてもいないのに視界が回り、不快感に思わず目を閉じた。
(……っ、不味い……)
徐々に意識状態が悪化しているのを察する。
閉ざした視界の向こう側でディルが息を飲んだのが分かった。次いで慌てて持ち物を探る気配がする。
言葉が伝わった事を感じて、アルトは別の事柄へと意識を切り替えた。
成功する可能性は限りなく低かったが、試す価値はある。
アルトには死ぬ気など全くない。
生存率を上げるには身体の消耗を減らし、迅速に砦まで運んでもらわなければならないのだ。そのためには小さく軽い方が都合がいい。
拍動と共に痛みが主張を繰り返し、アルトの思惑を妨げる。落ち着いて呼吸をすることに集中し、何度目かの吐く息に合わせて身体を変えた。
「……!」
ディルの動揺が伝わる。
それと同時にひんやりとした空気が素肌に触れ、成功したのだと理解した。
酷い格好だろうが、気にしていられない。
ゆるりと目を開き、解毒薬を受け取ろうと慎重に頭を起こした時だった。
アルトの身が何かで包まれ、強い力で引き上げられる。
「――っ!!」
その拍子に傷が擦れて痛みが増し、アルトの口から悲鳴が漏れた。顔を顰めて歯を食いしばり、刺激しないように慎重に息を吐きだす。
(大丈夫、耐えろ、耐えろ……っ!)
そう言い聞かせ、アルトは泣き叫びそうになる自分を必死で抑え込んだ。
痛みが再び規則的なものになった時、強張った身体を少しずつ緩めて浅い呼吸を繰り返す。
こんな調子で、薬など飲めるだろうか。
動くたび増す痛みに怯え、一瞬、もういいかという考えが頭をよぎった。
(――っだめだ)
抗うと約束したのだ。
気弱な思考を振り払い、再びディルを呼ぼうと息を吸う。その瞬間、ぐっと顎が持ち上げられ、唐突にアルトの口の中に苦みが広がった。
流し込まれたそれを反射的に嚥下し、吸った息を吐き出せば薬とディルの匂いが鼻に抜けた。
(…………、ディルさま……)
ディルの声がする。
アルトの名を繰り返すそれは、呼ぶというよりは叫んでいるようだ。
あまりにも悲痛なそれに、彼が深く傷ついていることを知り、アルトは何とかして応えたいと願った。
しかし――。
(……あぁ……、ごめん、なさい……)
指先一つ、動かすことが出来なかった。
気づけばあれほど強かった痛みが鈍くなりつつあり、自分の手足がどこにあるのか分からなくなっていた。
徐々に、周囲の音が遠退いていく。
(お願い……どうか……)
自分を責めたりしないで――。
お読みいただき有難うございます。
若干無理がある流れかと思いつつも、そのままだとアルト君はバリカンで毛刈りされます。
ハゲを作るくらいなら裸の方がいいかなぁ、と思いこんなことに。




