53.夜の戦い①
砦内から一歩外に出ると、篝火は高い塀に遮られ一気に暗くなる。砦から遠く離れるほど光は霞み、月明りがないと人間には先どころか足元も覚束なくなる。
しかしアルトにとって暗闇は敵ではない。夜目を利かせ、遠くに聞こえる喧騒と匂いを頼りにただひたすら駆けた。
途中で先に発った第2隊に追い付いたが、ゼクスに促されアルトは再び速度を上げて彼らの列を離れた。
(あと少しのはずなのに――)
耳に届く音は次第に大きくなっていて、近づいている実感はあるのだが、まだ姿が見えてこない。
目指す場所はおよそ人の徒歩で半刻程度のもので、狼姿の彼女にはほんの僅かな時間である。だがそれがやけに遠く、長く感じて歯噛みした。
そうして走り続け、漸く闇の中を蠢くものを見つけた時、アルトは思わず息を飲んだ。
(この、状況は……!)
数が多いとは聞いていたが、改めて目にすると異様だった。
獅子のような外見に鋭い爪、獲物を狙って動く太くて長い尾。体高は成人男性の頭二つ分を超え、ぎゃあぎゃあと喚きながら群れて牙を剥く。
隊員達は防戦を敷きながら、その魔物の進行を防ぐように攻撃を仕掛けていた。その度に魔物は苛立ったように前脚を薙ぎ、尾を地面に叩きつける。
目の前に襲うべき人間がいるのに、魔物がそれを置いて別の動きを見せるのは珍しい。常にない状況でそれでも連携を崩さずにいられるのは、全体を見ることが出来る人間がいるからだ。
だが、多勢に無勢であることも事実である。
(不味いな……)
ところどころ、茂みや土地の隆起の陰に人の気配を感じ、負傷したのであろう隊員が居ることが分かった。
鉄錆の匂いが濃く、ずいぶん血を流している者がいるようだ。
時間が経てば経つほど戦える人数が減り、残された隊員は動けなくなった者を庇うだけで限界になっていく。
戦況は悪化する一方だ。
不意にアルトの近くにいた魔物が前脚で隊員を薙ぎ倒し、脇から剣を振るおうとしていた者に向かって牙を剥く。間一髪でそれを避けた隊員の後ろから、別の魔物が接近して鋭い爪を振り上げた。
(――っ!)
アルトは必至で駆け寄り、そのままの勢いで彼を突き飛ばした。
魔物の前脚が彼女の背中を掠める。
ちりっとした痛みを感じながらも、受け身を取って姿勢を整えていると、視界の端で魔物の長い尾が動いた。
それは先程薙ぎ倒されたままの隊員に巻き付き締め上げて、その身を高く持ち上げる。
このまま叩きつけられれば無事では済まない。
すぐさま地を蹴って飛び上がり、尾の根本近くに咬み付いて力を込めた。鈍い弾力に牙を突き立てれば、ほどなくして肉を断つ嫌な感触と共に口の中に血の味が広がる。
その瞬間、拘束されていた隊員がどさりと地に落ち、同時に尾を失った魔物が痛みで絶叫した。
着地したアルトが血を吐き出している間に、近くにいた隊員が攻撃の手が緩んだ隙を逃さず脇から止めを刺す。
正確に急所を貫かれた魔物は僅かに痙攣し、その姿を徐々に灰へと変えていく。
(まだだ……!)
上がる息を整えつつ、アルトは攻撃を続ける他の個体に目を向けた。
完全な不意打ちで成功したが、今後はそうはいかない。
一体倒しただけで緩みそうになる気を引き締めて、唸り声を上げた。
一方、隊員たちは突然現れた獣に驚いた。月明りを浴びて輝く毛並みは息を呑むほど美しいのに、その体から発せられる気迫が凄まじい。
助けられた隊員が、怯みつつもその狼に声をかけた。
「お前……まさかアルト、か?」
『はい。他の応援も間もなく到着します。先行が僕ですみません』
「……いや、助かった」
半信半疑だったのだが、声を掛けられた獣は先程までの様子を霧散させ、申し訳なさそうな、控えめな態度を見せた。
そこにいつものアルトを見つけて、隊員は警戒を解く。
しかしそれも一瞬のことで、彼女はすぐに厳しい表情に戻り、再び前を見据えて駆け出した。
(何が起こっているんだろうっ)
魔物の動きを追えば追うほど、戸惑いを覚える。
この距離に出た魔物は砦に引き寄せられるようになっているのだが、魔物が目指すのはそこではないようだ。
ならばと思うが、それを考える余裕はない。同じように攪乱し、隙を作り、応戦する隊員達の支援を行う。
ディルの姿はやはりなく、主に指揮しているのは第一隊の副隊長だ。隊を分割しているのだとは気づいたが、この場を捨てることなど出来はしない。
「アルトっ。お前なら匂いで追えるだろ! ディル様達のところへっ!」
『ですが!』
「混ざり過ぎなんだ! そっちの方が手がいる!」
『――!』
その意味するところに、アルトは衝撃を受けた。魔物の姿が複雑なほど強く、そして厄介だ。
逡巡する彼女の耳に、複数の人の足音が聞こえた。漸く応援が追い付いてきたのだと察し、アルトは隊員の指示を聞き入れようと決めた。
『っ分かりました! どうか無事でっ』
叫んで答えたアルトは、魔物の背を蹴って跳躍し、混戦の場から抜け出した。
残された隊員は、駆ける狼を追おうとする魔物の隙をついて攻撃を仕掛ける。
急所へと突き立てられた剣により、その姿は荒くれながらも灰へと変わっていった。
「頼んだ、アルト――」
見えなくなった見習いの姿を思い、彼はそう呟いた。
アルトはもう、守られなければならない子供ではない。
共に戦う仲間として、彼女をここへ送り出した上司達と、アルト自身を信じたいと思った。
お読みいただき感謝です!
魔物の尻尾を食い千切る部分、具体的に想像するととてもスプラッタな感じになりました。
今後しばらく血みどろのままかと思うと、絵的にまずいです。




