45.忍耐の日の始まり
夜勤を終えて昼間に身体を休めたディルは、訓練終わりのアルトに声を掛けて一緒に夕食を摂っていた。
食事をしながら、アルトは今日あった出来事をほぼ全てディルに話す。
ヴィランは実は人間ではないのではとか、アルトに川に入るよう勧めた彼がルイツに怒られたとか。
自立すると言っても、あまり変わらないなと苦笑していると、彼女の口から予想外の希望が語られた。
「それで、休み中に魔物の勉強をしたいんですよね」
「……そうか」
アルトが砦に居続けるなら、それは必須になる。
彼女が自身で考えて望んだことだ。応援しなければならないのに止めたくなる気持ちが沸いて、ディルの返事が短くなった。
「街にも行きたいなって思ってたんですけど、今回は見送ろうかと」
「休みは一日じゃないし、息抜きも必要だと思うが……」
高い意欲を見せるアルトに、ディルは控えめに提案した。
彼女は恐らく身体を動かすのが好きな方で、休み中資料を読み続けることは難しそうだ。
「ディル様は行くんですか?」
「そうだな……」
「なら、ディル様が行くときに一緒に行ってもいいですか?」
どうしようかと思案する返答だったのだが、アルトは肯定と取ったようだ。
相変わらずの懐きようにうっかり手が出そうになることがあるが、ディルが十分気をつければ彼女の希望を叶えてあげられる。
それにディルと行かないとなると、彼女は一人か別の誰かと行くことになる。それはそれでまた複雑な気持ちだった。
「構わないが」
葛藤の末了承すると、アルトはほっとしたように息をついた。
そして甘えた事を申し訳なく思っているのか、言い訳のように続けた。
「何だかんだでまだちゃんと回れてないので……」
「そう言えばそうだったな」
ディルがアルトを案内すると言ったものの、初回は魔物が出て、その次はジーナに中断された。
そうと決まれば今回こそ楽しみたいと思ったものの、以前のように朝遅めに起きて出掛けると、街へ着くのはどうしても昼頃になる。今の時期で完全に日が落ちる前に砦に戻ることを考えると、ゆっくり回る時間はない。
アルトも同じことを思ったらしく、少し考える様子を見せた。
そしていい考えを思いついたように、ぽんと手を打った。
「そう言えば砦の隊員がよく使う宿があるって言ってましたね」
「お前の危機管理能力が向上するまで、その選択肢は絶対にない」
鈍すぎるアルトと外泊することを考えたくなかったディルは、街へ行く日はいつも通りの時間に起きて、早めに砦を出ることを提案した。
そんな彼の努力を嘲笑うかのような出来事が起こるとは、その時は思ってもいなかった。
次の日、アルトは資料室に籠って魔物に関する報告書を読み漁っていた。
元々文字を見つめ続けるのに慣れていないせいか、日が落ちてディルが声を掛ける頃にはかなり疲れたようでぼんやりとしていた。
早々に息抜きが必要だと判断したディルは、その時点でアルトを街へと誘うことになる。
そして翌朝。
(……降りてこないな……)
ディルは準備を済ませて部屋を出たのだが、珍しくアルトがいなかった。
寝坊しているらしく、予定時刻になっても出てこない。
疲れているのかと思うが、声を掛けずに寝かせておくと、アルトは遅れたことを気にして絶対に凹む。仕方なくディルは階段を上り、アルトの部屋の扉を叩いた。
「アルト? 起きてるか?」
ディルが声を掛けると、ややあって中から間延びした返事が聞こえてきた。
少しして扉が開くと、そこには信じられない光景があった。
獣の耳だ。
アルトは狼の獣族なので、獣姿で狼の耳が生えているのは普通だ。そんなことでは驚かない。
ディルが驚いたのは、それが人間の頭に生えていたからだ。
さらさらとした白銀の髪から、同色のふかふかとした狼の耳が生えている。
「おはよう…ございます……」
ぼんやりと目を擦りながら挨拶してくるが、ディルの耳には一切入ってこなかった。
「あ、アルト……か? その、耳が……」
「ふぇ?」
そう間の抜けた声を漏らし、アルトがこてんと首を傾げると緩い寝衣から白い首筋が曝された。
無防備な様子で見上げてくる彼女を見た瞬間、ディルは扉を閉めていた。
何か危ない生き物がいる。
もふもふとした獣耳を生やした可愛い――。
いや、落ち着け。自分の妄想が見せた幻覚かもしれない。
頭を振って気を取り直し、ディルはもう一度扉を開けた。
すると周囲を探るように伏せていた獣耳がぴんと立ち、ディルの姿を認めたアルトがぱっと笑った。
「ディルさまっ」
(…………あ)
気づけば小さな体を腕の中に閉じ込めていた。
アルトの頭に顔を乗せて薄着のままの柔らかい体を感じていると、もふもふの耳が触れる。それはぴくぴくと動いてディルを擽り、本物だと主張していた。
何故こんな事に、と思ってディルが何気なく室内に目をやると、脱ぎ捨てられた寝衣の下らしきズボンを見つけてしまった。
(…………)
このまま身体を離しても、下が見える。
恐る恐るアルトの背中を見下ろすと、幸いと言って良いか、上の寝衣は膝あたりまであった。裾から下はすらりとした素足が伸びていて、ふさふさとしたものが覗いている。
ディルの目には尻尾に見えた。
もしかすると毛量の多いそれが窮屈で無意識に脱いでしまったのかもしれない。
迂闊すぎる姿に頭痛を感じていると、腕の中の身体が徐々に寄りかかってきていることに気づいた。
「……アルト?」
声をかけるが反応がない。
ずるりと落ちていく身体を支えて窺うと、アルトは意識を飛ばしてぐったりとしていた。
「――――!」
慌てて膝裏を掬い上げ、咄嗟にディルが最も頼りにしている者の自室へと走る。
「ルイツ副長! すみません!」
朝から不敬だとも思いつつ、焦りながら扉を叩く。
獣族の性かルイツも朝は苦手らしいが、緊急事態にすぐに対応できるよう覚醒後の反応は良い。さほどかからず、きっちり覚醒したルイツが扉を開けた。
「朝からどうしました? ディル何か――」
そう言いかけたルイツが、ディルに抱えられたアルトを見た瞬間目を見開いた。
「おやおや、これはこれは」
そう呟いてアルトをまじまじと見つめてから、すっと手を伸ばしてその額に触れた。手が冷たかったのか、一瞬ぴくりと獣耳が動いたが、彼女が目を開く様子はみられない。
「ルイツ副長、アルトは一体――?」
「熱ですね」
「は?」
「熱が引けば、元通りに変化できるでしょう」
そう言って締め括るが、ディルには状況が理解できない。
そういえば体が熱い気がするが、そんなことが問題にならない位の異常があったので気づかなかった。
しかし熱があることと頭から獣耳が生えていることがどう関係するのか。
「おう、どうした?」
混乱していると、隣の部屋からヴィランが顔を覗かせた。相変わらず暑苦しいくらいの存在感と笑顔で、周囲の温度が上昇したように感じる。
「団長……おはようございます」
「おはよう。で、なんの集まりだ?」
「アルト君が熱を出したようで。……先日誰かが妙な案を出したせいかもしれませんね」
「待て待て、ちゃんと後で身体を拭かせた」
「割と浸かっていたようですけど」
ルイツが微笑みながら棘のある返答をし、ヴィランに突っかかる。喧嘩を始めそうな様子に、ディルはそれどころではないと割って入った。
「待って下さい副長。そんな事より、これはどうすれば……」
「おいおい、熱くらいで何狼狽えてんだ。ったく、お前本当に過保――……」
落ち着きを失くしたディルの様子に、ヴィランが溜息をついて近寄ってくる。そしてディルが腕に抱えたものを目にした瞬間、彼は言葉を途切れさせた。
ルイツがにこにことした笑顔で目を見開いて固まるヴィランを見ている。
「……ルイツ、今面白がってるだろ」
「いえいえ、滅相もない」
「声に出してなくても目が笑ってんだ、この狐が! ……それで、これは何だ?」
ヴィランがディルの抱えたアルトを指差す。
「熱を出したアルト君です」
分かっていて敢えてそう言っているであろうルイツに、ヴィランは溜息をついて返した。
「この耳は」
「そうですね……あまり広めないで頂きたいのですが、我々獣族は体が弱っていると変化に失敗してしまうことがあるんです。その時の状態がこれです。忌むべき混ざり者の姿として隠しているので、本当はこの姿で人間の前に出ることはほとんどないんですよ」
そう解説しながら、ルイツは団長であるヴィランが見たことがなかったのが意外だと続けた。それを聞き流しつつ、ディルは以前アルディから聞いた話を思い起こす。
「……こんな変わり方だとは言っていなかったはずですが……」
「隠しているのですから真面目に答えるはずがないでしょう」
気をつけないと駄目ですよ、と届かないであろう忠告をアルトにしながら、ルイツが獣耳をつんつんとつついた。するとぴくぴくと耳が動き、ディルの腕の中でアルトが身じろぎする。
「う、ん……あれ? ルイツふくちょー……」
「はい、アルト君。おはようございます」
「おはよーございます」
ふにゃりと笑うアルトに、ルイツが困った子だというように微笑んで、よしよしとその頭を撫でた。すると彼女は気持ちよさそうに目を細め、ふかふかの獣耳をぺたりと伏せた。
何だそれは。可愛すぎる。
自分も抱き締めて撫でまわしたい。
しかし悲しいことにディルの両手は塞がっていて、已む無く我慢を強いられる。そんなディルを尻目に、ヴィランが大きな手でアルトの頭をわしわしと撫で、ついでとばかりにその柔らかな獣耳に触れた。
「あぅ、そこはちょっとくすぐった……」
ぴくりと体を震わせ、くすぐったそうに首を竦めて、抵抗にもならない抗議の声を上げるアルト。
――むしろ煽っているとしか思えない。
すぐさま手を離したヴィランが、まるで危険物にでも対応するかのように深刻な顔をする。
「…………これは、飼いたくなる馬鹿が出るのも頷ける」
「でしょう? 魔物などと言って排除したがる輩も未だ残っていますが、今の時代隠すのはむしろそちらの理由だと思います。甚振って弱らせれば、この姿になるのですから」
その言葉に、ディルは思わず苦い顔になる。どちらの理由にしても、気持ちのいい話ではない。
今まで無事で良かったと心から思った。ずっと男として育て、住まいを変えて、アルトを守ってきた彼女の両親に感謝する。
「多分寝ぼけて狼姿に変わろうとして、失敗したのでしょうね。それ程怖い夢でも見たのでしょうか……」
「そんなことあるんですか」
ルイツが心配そうに呟いた言葉に、ディルは寝ぼける事もあるのかと思って驚いた。
「面倒なことになりますけどね。さて、取り敢えず診てもらった方がいいでしょう。医療班は職業柄この姿の事はちゃんと把握してますので」
「……分かりました。朝からすみません」
「いえ。――ああ、そうだ」
ルイツは思い出したように一度部屋へと戻り、出てくるとアルトに帽子を被せた。
「きちんと隠しておきましょうね」
「……ありがとうございます」
アルトは自分の姿に自覚がないのか、ぶかぶかの帽子に不思議そうな顔をしており、ディルが代わりに礼を述べた。
昨日ぼんやりとしていたのも、今となっては熱のせいだったのかもしれないと思う。もっと気を付けておいてやれば良かったと悔やまれたが、反省をしている場合ではない。
アルト自身がこのような調子では、ディルがその姿の事も含め彼女を守るしかないのだ。
「ディル、今日は頑張って下さいね」
「はい」
「襲うなよ」
「考えさせないで下さい……」
絶対に危険人物になるわけにはいかない。
忍耐の日だと理解した。
お読みいただき感謝です。
とうとうケモ耳出しちゃいました。
因みに面倒な事=寝衣を破損




