5.遠い村
その日の砦はいつもと同じ、変らない日常を送っていた。
内勤務に当たる騎士たちは訓練を行い、夜勤の者は軽い昼食を摂り、仮眠する。
だがそれは、日が傾き始めた空に、白い鳥が現れたことで破られた。
外壁で見張りをしていた騎士が、慌てて砦の鐘を打ち鳴らす。
村の壊滅を示唆する緊急召集に、砦内は一気に騒がしくなった。
鳩が自分の巣箱の近くに降り立てば、当番をしていた騎士が素早く要件を確認する。
鳩の足には2本の紐と鈴が括り付けられていた。紐はそれぞれの色で、どの村からの要請かということと、必要な応援の規模を示していた。
鈴は外勤務で平原を巡回している騎士が持つものだ。これがあるということは、一度彼らが白鳩と接触していることになる。
騎士達が訓練場へと集い始める中、団長であるヴィランも訓練場へと急いだ。
「よりにもよって、クレストのいるところかっ。 無茶するなよ……!」
「そう願うばかりです。第一隊の一部がすでに向かっているようですが……」
その後を追って走る副長がヴィランの呟きを拾いつつ、続く言葉を濁した。
「今からでも着くのは夜だな。――くそっ」
巡回は折り返して少し経ったくらいだろう。砦からは向かうよりは距離を稼いでいるが、それでもやはり遠い。
焦る気持ちを抑えつつ、ヴィランが訓練場へ着くと、外勤務の第一隊、休暇で砦を離れている者以外の砦の騎士が、全てその場に揃っていた。
ヴィランは彼らに向かって声を張り上げた。
「村からの応援要請だ! 第一隊の一部がすでに向かっている。夜勤のものは通常通り勤務に就き、その他は待機しろ! 明日朝までに第一隊からの報告がない場合、内勤務のものをさらに応援に向かわせる!」
団長の指示を受け、騎士達は気を張り詰める。
落ち着かない夜を過ごすことになりそうだった。
***
第一隊の隊長であるディルは、途中の街や村で交換しながら馬を走らせ、草原を駆けていた。
黄昏色の空が次第に闇を深めていく。
どれほど早く馬を走らせても遅く感じ、ディルの中で焦りが募っていった。
二刻半ほどすると、漸く村が見え始めた。
村が応援要請を飛ばしたであろう時刻から、すでに四刻は経っている。それほどまでに時間がかかるのだ。普通であればもはや村は手遅れだろう。
ディル達騎士皆が最悪の想定をして村に着くと、外周は見たところ何処にも損傷のない様子で、隊員達はほっと息をつく。
どうやら駐在の騎士で討伐できたようだと少し気を緩めた。
ディルは隊員達を村の外で待機させ、部下一人を連れて村に入った。
村は篝火が多く焚かれ、夜であるにも関わらず明るい。
逃げているだろうと思った村人達も大きな怪我をした様子もなく、あちらこちらで何か作業をしているようだった。
ただ、一様に空気が重い様子で、中には村内を歩くディル達に向かって厳しい視線を投げる者もいた。
一度緩んだ気が再び引き締まる。
この空気を、ディルはよく知っていた。
嫌な予感を覚えながら、村の広場に向かう。そこには村の男達だろう、男性が多くが集まっており、ディルに気付いて振り返った。
「あぁ、やっと来たのか。―――もう、手遅れだ」
代表して一人がディルに視線を向けて話すも、すぐに諦めたような目で俯いた。
ディルの身体から嫌な汗が吹き出し、慌てて広場の中心に目を向ける。すると人垣の間から、地面に敷かれた布の上に置かれた赤い何かが見えた。
「――っ」
ディルが駆け寄ると、気づいた村人達が道を開けた。
視界が開け、ディルの目にとび込んできたのは体が引き裂かれ、血塗れで倒れている騎士だった。その傍らには、茶色い毛皮を所々赤く染めた獣が横たわっている。
間違いなく、この村で駐在をしていた――――人間と獣族の、兄弟のように仲の良かった騎士達だ。
「そんな……」
後を追ってきた隊員が呆然と呟いた。
「――――後で、連れて帰ってやろう……。村を守ってくれたんだな……」
ディルには被害状況を確認し、対策と報告を行う義務がある。
自身の感情に振り回されている場合ではない。
彼は手を強く握りしめ、言い様のない思いを押さえつけた。
その後ディルは村の責任者を呼び、村長だという男の家で話を聞いた。
魔物は村の中に侵入する前に食い止められたため、村に損傷はなく、逃げていた村人達も戻ってきたとのことだった。
しかしそのために、駐在騎士2名と元騎士の夫婦が亡くなったとも聞かされる。
ディルは、団長が同期だと言っていた『クレスト』とその妻だろうと見当をつけた。
「魔物の襲撃と被害に、村人達は怯え、荒んでおります。ご足労戴きましたが、お戻りになる方がよろしいかもしれません」
「――気遣い、感謝する」
村長も、何故魔物の襲撃など受けなければならないのか、何故もっと早くに来れなかったのかと理不尽に思っているだろうに、ディル達騎士を気遣ってくれた。
ディル達は多くの戦力をもってこの村に来たにも関わらず、何も守れなかった。このまま長居すれば、村人の苦しみの矛先はディル達に向かうのが目に見えている。何故そんなに力を持っていながら、何も出来なかったのか、と。
「クレスト殿とライカ殿の御家族は――」
「残されたのは子供が一人です。今は家で居りますが……今やあの子にとっては村も憎むべき裏切り者でしょう。あの子の両親を犠牲にして逃げたのですから……」
村長が俯いて罪を告白するように答えた。
無力な村人にとって、危機的な状況で力あるものに縋るのは止められないことだ。何も守れなかったディルに、逃げるという判断をした村長を責めることはできなかった。
その子供が苛立ちでも悲しみでも、誰かに吐き出せた方が良いのだが、村長の様子ではそれも出来ていないようだ。
窺い知れない悲しみに沈んでいるであろうその子を思い、ディルは顔を曇らせた。
(『誰か』なんて……。その子には、誰も――)
残されていない。
だがどんなに思っても、ディルには顔を合わせる資格すらない。
「――済まなかった……」
「謝らないでください。世の中には、どうにもならないことがあるものです。あなたたちは全力で来てくださった。村の者達も、落ち着けばそれが分かるでしょうから」
穏やかな声音で言われ、ディルは余計に自らの無力さを感じた。
全力で対応しても結果が伴わなければ、村人にとっては何の存在価値もない。今のディルに出来ることといえば、暫くの間周囲を警戒するため、そして村人が落ち着くまで騎士を増やして対応することだけだ。
多すぎても村人の心を乱すと判断し、適当数の騎士を残し、早々に村から引き揚げた。
読んでいただき、感謝です。
馬って長距離を移動しようと思うと遅いですね。
そんなに都合よく交換できる馬がいるかという突っ込みが入りそうです。
……いっそ馬っぽい何かにしようかと思ってしまいました。