43.お仕置きと本当の名前
翌朝、アルトは今まで通りディルと共に出勤するべく、部屋の前で彼が出てくるのを待っていた。
ちょっとしたすれ違いがあったものの、ディルと居られる事に変わりはなく、アルトはゆるゆると頬を緩めた。
(……はっ。喜んでいたらだめなんだった)
無意識に彼を求めることがなくなるようにしなければならない。
しかしながら喜ばないというのは難しいなと思っていると、扉の向こうでディルの気配が動いたのを察知し、アルトは表情を引き締めた。
努めて気持ちを落ち着け、姿を現した彼に挨拶をする。
「おはようございます」
「ああ、おはよう。……これは続けるのか」
「今更止められなくて……」
ディルの突っ込みに対し、アルトは少しきまり悪くなって答えた。
作り上げた習慣を一度に崩してしまうのは彼女にとって少し難しかったのだ。
「急かせる気はないが、俺が離さなくなるってこともあるんだぞ。そうなったらアルトが自立した時困るだろ」
「そんな、むしろ嬉――いえ、なんでもないです」
言いかけて、アルトはディルを困らせる言葉しか出てこない口を閉じた。
しかし努力も空しく、続きを読み取ったらしいディルが溜息をついた。
「……お前なぁ、俺がついお前の頭を撫でたりしないよう我慢してるのに」
我慢しないで欲しい、と言いかけて黙る。
だめだ。
我慢するとディルへの甘えが溢れ出し過ぎて、もの凄く辛い。
無言を貫き心の中で渦巻く思いをやり過ごそうしていると、何を思ったかディルが突然とんでもない案を弾き出した。
「……分かった。お前が迂闊なことを言う度に何かお仕置きでも考えるか」
「えぇっ!?」
困らせている自覚はあるが、これでも耐えているのだ。そこまでして聞きたくないのかと思い、アルトは少し落ち込んだ。
一方で、ディルは彼女のその他の無自覚な言動も抑制出来るのではと考えた。思い付きで言ったことではあったが、自身の案に期待を抱き口の端を吊り上げる。
「少しは考えて話すようになるだろ。さて、何にするか……」
思案するディルを見て、アルトは項垂れつつも自身が受ける罰について考えた。
身体的に痛めつけられるのは勿論嫌だ。
しかしディルがそんなことでアルトに手を上げるとは思わないので、それは全く心配していない。
出来ればディルの役に立つ内容が良いのだが、自分自身を鍛える事でもいい。
「僕の希望としては強くなるための事か、ディル様に奉仕できるような内容がいいです」
「…………。……本人の希望を聞いたら罰にならないだろ」
僅かな間を置いて、ディルは頭痛を堪えながら突っ込んだ。
それに対し、アルトがそれもそうかと苦笑する。
全く反省していないらしい彼女を見て、ディルは改めて宣言した。
「もういい。嫌そうだなって思った事を絶対する。今日はとりあえず二回分」
「えっ、まさかさっきの言いかけたやつですか!? 我慢したのに! それにあともう一回はいつの!?」
「考えておく」
先日のようなディルの本気を感じ、アルトは冷や汗を流した。
***
「アルト、いつになく気合入ってるね」
演習の合間でアルトが息を整えていると、先日相手をしたアルディが声を掛けてきた。
「はい! ディル様から自立するって決めたので、心身ともに鍛えたいと思います!」
「……反抗期か?」
「リッツちょっと後で絞めますね」
横から入った不本意な意見に、アルトは笑顔で宣言した。
本日の演習は複数対複数で、リッツとアルトは味方同士で相手に挑んでいた。一番最初の共闘と違い、互いの意図を汲むのが上手くなってきている。
そんな若者たちを見ながら、アルディは少し考えてアルトに助言した。
「アルト、それあんまり大声で言わない方がいいかもしれないよ」
「そうなんですか?」
そこまで言いふらすつもりはないが、敢えて指摘されると疑問に思い、アルトは首を傾げて訊ねる。
するとアルディが理由を述べた。
「いやー、代わりに保護者になりたいとか言われたら面倒かなと」
「ディル様に代わりはいないので、大丈夫です!」
受け入れる気など全くなさそうなアルトに、アルディが苦笑を漏らした。
「ぶれないなぁ。本当に大好きだね」
「はい! 大好きです」
本人に言うと罰が加算されるが、他人に言う分には問題ない。
アルトはこれはいいかもしれないと思いながら、アルディに微笑み返した。
するとリッツがアルディに身を寄せる。
「……本当に自立できると思います?」
「うーん、俺には何とも」
「聞こえてますよ、リッツ」
耳打ちしているが、聴力のよいアルトに聞こえないはずがない。
アルディが無難な返答をしたが、アルトとしてはそこは応援して欲しいところだった。
これ程やる気に満ち溢れているというのに、疑いの目を向けられるのは心外だ。
その後も熱意に燃えるアルトの訓練は充実した。勿論リッツのことは宣言通り立ち上がれなくなるくらいまで追い詰めた。
***
その夜、夕食を終えてディルと共に宿舎に戻る道中、アルトは彼から一つの質問を受けた。
「聞くべきか迷ったんだが……、聞いても良いか?」
「何をですか?」
少し緊張したようなディルを不思議に思いながら、アルトは具体的ではないその問いに対し、何気ない気持ちで詳細を求めた。
「――『アルト』ではない別の名前を」
「うっ」
アルトは思わず呻いた。
やはりディルは、彼女がうっかり零した呟きを聞いていて、覚えていたのだ。
『アルト』というのは基本は男性名で、性別を知ると確かに違和感がある。
そんな中で『アルトじゃいられない』などという発言を聞いてしまえば、それでは何なのかと考えるのは自然な流れだ。
迂闊なアルトが悪いのであって、疑問に思うディルを責めることはできない。
「その……」
口を開いたものの、アルトの言葉が躊躇うように小さく消える。
『アルト』を捨てるのが嫌だった、もう一つの理由がそれだった。
思い出す度痛みを伴う名前など、再び使うことができるだろうか、と。
ライカの最期に呼ばれたそれを、その記憶ごと消してしまいたいと何度も思った。
しかし、アルトにはどうしても捨てることができなかった。
だからせめて強くなるまでは向き合わないでおこうと、砦へ行くと決めた時に封じてしまったのだ。
複雑な表情を浮かべて言い澱むアルトを見て、ディルは静かに引く事を選んだ。
「言いたくないなら聞かない。お前はそのままでいい」
断ち切るような言葉だったが、声には深い労りが滲んでいる。
アルトはそれを敏感に感じ取り、相変わらずディルは狡いと思った。
嫌がる事をすると言っておいて、アルトが本当に辛いと思うことは絶対にしないのだ。
(あぁ、だめだ。自立しなきゃって思うのに、このままでもいいかなって思っちゃう……)
どうしてこの人と離れられるだろう。
古い言葉で、たった一つでも美しく響く歌を意味するその名前には、一人でも強く生きられるようにとの願いが込められている。
本当は大事にしたいのに、今は痛みばかりが胸を占める。
けれど彼が呼ぶのなら、その名を名乗る勇気を持てるかもしれない。
全てを失ったアルトに新しい道を与えたように、その名に新しい意味をくれる気がする。
相も変わらず頼っていることを自覚しながら、変わらないのは甘やかしてばかりのディルも同じかと思い直す。そうして、アルトは口を開いた。
「いえ、大丈夫です。僕の名前は――――」
お読みいただきありがとうございます。
何故か変な関係になりました。
アルト君にお仕置きをすると後悔することになるのは多分ディルです。
アルト君の隠し事もあと一つになりましたが、次回閑話の後更新が延びます……。
すみません。




