42.飴と鞭
アルトは伝えたかった事が言えたので満足し、遅くならないうちに自室に戻ろうと席を立つ。しかし、今度はディルから話があると引き止められた。
彼は気まずそうに視線を落とし、息をついてから口を開いた。
「……昨日の事、アルトは分かってない部分もあるからきちんと伝えておく。言葉じゃなく、行動の方」
そう言われて、アルトは再び思い返す。
距離を置こうとしていたディルをアルトが怒らせて、彼がもう一緒にいるべきではないと言って離れるよう脅した。
その際の方法が、咬もうとするというものだったはずだ。
「えっと、ディル様が僕の喉笛を咬み千切ろうとしたやつですか?」
「何でそんな物騒な変換になってるんだ……」
開口幅も小さく、牙のない人間には難しい。そもそもかなり抵抗のある方法で、首を狙うなら絞めるほうがよほど早い。
時々狼基準を持ち出すアルトに、ディルは溜息をついた。
「あれは、お前が触れられることから身を守れるようにと思って」
初め半分本気だったことは、ディルの心の奥に仕舞われている。アルトが戻ってきてしまった以上、二度と切れないよう改めて忍耐力を鍛えるつもりだ。
そんなディルの内心は露知らず、アルトは彼の言葉に拍子抜けした。
「えっと、そんなこと……?」
命の危機だと思っていたことが、ただの身体接触だった。
それにぽかんとして呟く彼女の様子に、ディルは眉間に皺を寄せた。
「そんなことって、お前な……。あのまま脱がされたり、嫌なところに触られたりしたらどうするんだ。男なんてみんなそんな事ばっかり考えてるんだぞ」
それは確かに嫌だが言い過ぎなのでは。
アルトはディルの発言に戸惑い、やんわりと否定を返した。
「あの、ここのひとはそんなに不真面目だと思わないんですけど……」
「世の中に絶対はない。昨日みたいに急に拘束されることだってあるかもしれない。特に、お前はそうやってすぐに人を信じるし許すから、付け込みやすいと思われるぞ」
「う……」
わざわざ自分のために身体を張ってくれた相手に言われると、反論するのが難しい。
それにディルの言うとおり、アルトは疑うのを好まない自覚がある。
意図は違うが、雨の日に女装させるという案が急に出た時も、確かにとても困った。
宣言されたから捕まる前に逃げようと思えたが、普段と変わらない状況で何も言われなければ捕まっていたかもしれない。
そうなると狼姿に頼ることになっていた。
「常に疑えとは言わない。そういうの苦手だろうから。とりあえず不自然にならないくらいに距離をとれ。簡単に触れさせるな。危険だと思ったら迷いなく反撃しろ。お前は女性で、人間姿では力で俺達に勝てないんだ」
ディルの忠告に、アルトはがっくりとして頷いた。
彼は指摘しなかったが、狼姿に変化できない状況や状態というのも勿論ある。
その場合は十中八九相手を傷つけることになる。
「分かりました……」
返事をすると共に、アルトは溜息をついた。
(女性、かぁ……)
何を語っても結局それに辿り着く。やはりそろそろ限界なのだ。
『アルト』でいることが。
砦に来た時も女性であること指摘されたが、結局は今まで通りを許された。
ジーナのところで女装した時は、彼女はアルトの在り方を否定することなく最後は元に戻してくれた。
そうして何とか避けて来られた。しかし、それが出来ない時がもう目前まで迫ってきている気がした。
「どうしてアルトじゃいられないんだろ……」
必ず向き合わなければならないと分かっている。
けれど『アルト』でなくなるなら、自分はどう在ればいいのか分からない。今までのことが全てひっくり返るような、何とも言えない感覚に囚われる。
そのままでいたい。何も失いたくない。
(――――あ、そっか……また怖がってるんだ……)
失うことを恐れていると自覚して、自分らしくあるために、自身の望みを持とうと思ったばかりだ。しかしこればかりは嫌だと言ってどうにかなると思えない。どうすればいいのだろうと考えに沈むアルトに、ディルの声が掛かった。
「……今何て?」
問い返されたことで、アルトははっとして思考を中断した。
誤魔化すように笑って、情けないんですけど、と前置きして別の言葉に言い換えた。
「自分が怖がりだなぁって、改めて思ってて」
「怖いと思うことは、自分だったり相手だったり、何かを大事にしようとしてることだから……。別に全てを否定することはないと思うが」
「……そ、そうですか……」
アルトはそれ以上の事を言えなかった。
相変わらず、ディルは息を吸うようにアルトを緩ませる発言をする。
気を引き締めつつ、自室へ帰るべきかもしれないと考えていると、ディルが溜息をついた。
「色々と抱え込みすぎだな……」
「え?」
「いや、お前が揺れていたのはそういう意味もあったんだと思って。……軽率に苦手な事を意識させて済まなかった」
「……な、にを」
動揺でアルトの声が震えた。
突然の謝罪が含む言葉に、自分の悩みがディルに見透かされているのだと気づいてしまう。
聞かない方がいい。
きっとまた、甘やかされる。
椅子ががたりと音を立てた。
立ち上がったアルトを、ディルの真っ直ぐな目が射抜く。
「俺は男で獣族でもないから、アルトの葛藤を分かってやれない」
「――っ」
そこまで求めていない。
何でも寄り添おうとしなくていい。
これはアルトの問題で、ディルの問題ではない。
アルトは何も言うなと首を振ったが、どう解釈したか、彼は口を開いた。
「だから、これだけ。女性だと分かって遠ざけようとしておいて、言う事じゃないかもしれないが……俺はアルトが女性で嬉しいと……本当は思ってる。お前が女性じゃなかったら、多分俺とは出会わなかったから」
ぐっと奥歯を噛み締めた。
「――っ、何でそういう事言っちゃうんですか! 甘やかさないでって言いましたよねっ」
「そうだな。ならこれで最後にするから。ちゃんと明日から頑張る」
「そういうこと言う人は、明日になったらまた『明日から』って言うんですよっ!」
アルトが訴えると、ディルは笑った。
「じゃあもう甘やかしついでにもう一つ」
「待っ、これ以上は――」
「アルトが訓練で積み重ねてきたものは、女性として過ごすことになれば失うものなのか? 副長や獣族の隊員達がお前を思う気持ちも、消えてなくなるのか?」
「――!」
失くならない。
それは、確かなことだ。
恐らく変わるものは沢山ある。でも何一つ変わらず、失われないものもきちんとあった。アルトの方が、勝手に消え去ると思い込んでいただけだ。
それらはアルトがどんな姿でも、自分らしくいるための力になってくれるだろう。
アルトがきちんと理解した事を察したのか、ディルは穏やかに微笑んだ。
その優しさを振り払うように、アルトはぎゅっと目を瞑って滲んだ涙を拭い去る。
そして理不尽なことと分かりつつ、彼女は初めてディルを罵るために口を開いた。
「――――もう、どうしてくれるんですか! 自立させる気あるんですかっ? 突き放したり優しくしたり、ディル様は実は僕を苛めたかっただけなんですか!?」
頑張ろうと思った矢先に完全に出鼻を挫かれた形となり、その夜、アルトの苦情はディルが謝るまで続いた。
お付き合いいただき有難うございます。<(_ _)>
結局いつも甘やかされて終わります。
変わり映えのしない展開で申し訳ない……。




