40.一途な相談者
少し休めと言われ、アルトはカイルと共に医務室へ足を踏み入れた。
勤務が終わったはずのカイルが戻ってきたので、中にいた班員が目を向けたが、彼は手を振ってそれを流す。そしてアルトを医務室の一角に放り込み、ヴィランに会ってくると言って去ってしまった。
再び一人になり、アルトは溜息をついた。
夜起きていたので、確かに少し怠さはある。しかしこのまま寝てしまうと夜型に引き摺られやすくなるので、あまり休むつもりはない。
少し経って、そろそろ抜け出そうと考えたアルトはそろりとカーテンを開けた。その瞬間、戻ってきたカイルと目が合う。
そのまま自室へ帰って休むだろうと思っていたので、アルトは思わず顔を引き攣らせた。
「全く、そんな顔でふらふら出歩かないでよね」
そう言いながら、カイルはアルトを寝台へと押し戻す。
ただ寝不足で怠いだけだと思っていたアルトは、その言葉に、指摘されるような不調が顔に出ているのだろうかと首を傾げた。
「変な顔色でした?」
寝台に腰を掛け、カイルを見上げて訊ねる。すると不意に彼の手がアルトの頬に伸びた。
「うん。今なら美味しくいただけそうな顔」
「……つまり、弱っているのが丸わかりってことですね。気をつけます」
弱ったら仕留められるのが世の常だ。アルトが頷いて溜息をつくと、カイルが苦笑して呟くのが聞こえた。
「アルト君ってそういう時、割と思考が獣寄りだよね」
「そういう時?」
「うん、まあいいや」
獣族であれば、獣姿の思考に引き摺られることは少なからずある。
自身の狼姿をとても大事にしているアルトは、割とそれが強い方だと自覚がある。しかしそれが限定的な場で発揮されるとは思ったことはなく、詳細を求めて問い返したのだが、カイルにはさらりと流された。
「それで、そんなに寝不足になるまで何を悩んでるの? 第一隊が内勤務なのにアルト君が引き継ぎにくっついて行かないってことは、ディル様絡み?」
指摘された内容があまりにも的確で、アルトは軽く落ち込んだ。演習では手の内を読まれたりしていないはずなのだが。
「……察しが良すぎて、僕が何でも筒抜けの馬鹿みたいです……」
「君は嘘つきだけど、顔に出やすいからね。自虐してないで、僕が口を割らせる前に早く答えない?」
その問い方がすでに尋問なのだが、とアルトは思ったが、言葉でカイルに勝つ自信などない。それに今色々と刺さりやすいので、迂闊なことを言われると泣く。
何となく苛立っているような彼を逆撫でしないよう、でもはっきりと言うのは何となく抵抗があり、アルトは遠回しに答えた。
「……えーっと、ディル様に叱られたというか……」
「嫌われたと思ってるなら有り得ないから」
「えっ、ちょっ……!」
ぼかした事を直球で言い当てられた上、いきなり完全否定され、アルトは狼狽えた。
その一言で終わってしまったら、アルトのこの一晩は何だったのか。
それにカイルがいくらそうと思っていても、ディルが変わってしまった可能性は十分にある。
そのままそうかと納得して喜ぶには、昨夜の事はアルトにとって衝撃的過ぎた。
「ふぅん。僕の意見が不満なら、君がそう勘違いする理由を聞いてあげるよ」
中々同意せずにいると、カイルがぶれない態度で詳細を求めてくる。アルトは余計な足掻きを諦め、正直に話した。
「……ディル様、僕を傷つけるって言って……。今なら脅しだろうって分かりますけど、僕と離れたがってたのは多分本気です」
そう言った途端落ち込むアルトの様子に、カイルは現在進行形で傷ついていると溜息をついた。
ディルがそうしたかった気持ちは分かるが、もう少し上手くやれよと心の中で毒づいておく。
「あのさ、ディル様他に何か大事な事言ってたんじゃないの?」
その言葉に、アルトは詳細を思い出すと鬱々とする気持ちを抑えつつ、ディルの言葉を頭の中で繰り返した。
そしてある重要な事を思い出す。
「……あ、女だってばれました……」
「あぁ、やっぱりね。なら、君が女の子だって分かったから、砦に呼んだ責任を感じて、刷り込みみたいに懐かせてるのが申し訳なくなったんでしょ」
「刷り込みってそんな――」
カイルの明け透けに語った内容に、アルトはすぐに否定を返しかけ、はっとした。
夜中、気持ちが波立つのを感じてすぐにディルに頼ろうとした。そしてそれが出来なくて、一層不安定になった。
雛のようにディルを追い求めている自分がいないとは、とてもではないが言えなかった。
「でっ、でも、女だからって」
「男の子だったら弟みたいで済むけど、女の子だったら言い方は悪いけど、何か弱みに付け込んで連れ回してるようにしか見えない」
ディルが悪人にしか見えない構図に、アルトは衝撃を受けて叫んだ。
「ディル様はそんな人じゃありませんっ!」
「分かってるよ。でも、何も知らない人からするとそう見えてしまったりするんだ」
恋人でもない年頃の、しかも獣族の少女を、青年がどんな時も連れて歩いている。身内でないならどんな関係かと邪推されるのは想像に難くない。
カイルが示したものは悪意のある見方ではあるが、人は他人を貶める噂の方を好む傾向にある。
容赦なく突き付けられた現実に、アルトは言葉を失った。
性別一つで迷惑をかけると分かっていたが、身近で目の当たりにするととても辛い。
そしてそれがディルと言うのがさらにアルトを苦しませた。
彼がそんな風に誤解されることは我慢できない。
それに彼がした事の目的がカイルの言う通りだとすると、あそこまでさせておいて、アルトが何も努力しないなど考えられない。
優しいディルの事だから、彼自身も傷つきながらアルトを傷つける言葉を使ったのだろうと思うと、胸が痛んだ。
「すぐ自立しなきゃ……」
ぎゅっと手を握り締め、アルトは為すべきことを呟いた。
「誰のために? どうやって?」
「ディル様のためですっ! とにかく僕がディル様から離れて、付きまとわないようにすれば――」
「やめなよ」
「っ!」
質問に対して追い詰められたように答えるアルトを、カイルが鋭く制止した。
その声の冷たさに、アルトは息を飲んで言葉を止める。
普段軽口ばかり叩いている彼とは違うこと、考えを否定されたことで、どうしてよいか分からなくなる。
心を揺らす事象の連続に堰が切れそうになり、奥歯を噛み締めて堪えた。
滲んだ視界を隠すように俯くと、カイルが溜息をついて再び口を開いた。
「相変わらず自分のために動けない子だよね。そんなに怖がらなくても、君の事を見捨てたりしない。少なくとも――」
途切れた言葉にアルトが戸惑って顔を上げると、カイルの苦い表情が目に入る。
珍しい様子に不安を感じながら見ていると、不意に視線が逸らされる。
「ディル様も、もっと気づかせないようにするつもりだったと思うけど……」
カイルが続けた言葉は先ほどの流れと関係ないものだったが、アルトはそちらの内容に意識が向いた。
そしてここ数日ディルがアルトの頭を撫でなかったことを思い出す。
急に避けてアルトが落ち込んだりしないよう注意しながら、少しずつ距離を取ろうとしていたのだと分かり、そこで自分の失態に気づいた。
「僕のせいだ……。ディル様の気も知らないでずっと一緒にいたいなんて言ったから……。だからディル様怒ったんだ」
「……まあ、それはちょっとキツイかな。流せなかったディル様も悪いけど」
カイルの言葉に、ディルは悪くないのだと首を振った。
「どうしよう、僕……」
「ディル様は君のために自立させようとしてるんだ。それをきちんと分かって、君は、君のために自立するんだ。ちゃんと自分を大事にして、自分でこの先の事を選べるように」
「……はい……」
申し訳なさ過ぎて中々そんな気にはなれないが、カイルの言う事は正しく、アルトは大人しく頷いた。
「まぁ、今までディル様がいないと不安も吐き出せなかった君が、自立しようと思っただけでも進歩なんだから。ゆっくりやろうよ。そんなに急に怪我は治ったりしないからさ」
カイルは微笑んで、アルトの頭を撫でた。
彼は意地悪でアルトを揶揄うことが多くて、普段は落ち着くような相手ではない。
しかし今のアルトは医務室に来る前よりも安定していた。
カイルが宿直明けにもかかわらず、根気よく話を聞いてくれたからだ。
「……カイルさんが、優しい……」
「あんまり本気で落ち込まれてると遊べないし」
何故そう混ぜ返すのか。
素直ではないなとアルトは少しだけ笑った。
「……ありがとうございます。取り敢えず、またディル様に謝ります。あと、気にしてもらったこと、お礼を言います」
「流石忠犬。放り出しても帰って来て、ディル様びっくりだろうね」
いつも通りの意地悪そうな笑みに戻り、カイルが言った。
その渾名はアルトにとっては不本意なものだ。しかも犬から犬と言われるのは――たとえ相談に乗ってもらった相手からだとしても――アルトとしてはかなり複雑だった。
「えっと……、犬扱い止めて貰えたらと思わなくもないのですが……」
「やだよ。犬に見えなくなっちゃったら大変だもん」
「そんなはっきり……」
遠回しな希望をばっさりと切り捨てられ、アルトは渋面になった。
そんな様子を笑いつつ、カイルが休息を促す。
「解決したなら、まずは休みなよ」
「いえ、カイルさんのお陰で落ち着きましたし、僕も訓練に出ようかな」
「隈作っといて何言ってるの? ……そうだ。そんなに眠る気がないなら、僕のとっておきのお話を聞かせてあげようか。――あれは僕が宿直だった夜――」
少しでも身体を動かしたくてカイルの指示に意見すると、彼は意味深に微笑んで何かを話し始めた。
その始まり方に、アルトは絶対に聞いてはいけない類ものだと直感的に悟る。
聞いたらそれこそ夜に一人で眠れなくなるかもしれない。
咄嗟に耳を塞いでみても、良すぎる聴力が彼の話の続きを拾ってしまい、これ以上聞いてしまわないよう叫んでそれを遮った。
「分かりましたすみません止めて下さいぃっ」
「まだ始まったばかりだよ?」
「もう十分ですっ。大体、宿直明けなんですからカイルさんこそ寝てください」
首を振って撥ね付けると、カイルは微笑んで別の案を持ち掛けた。
「あぁ、そうだね。折角だから一緒に寝ようか。アルト君の毛皮気持ちよさそうだよね」
「ひとを寝台代わりにしないでください……」
狼姿の毛皮は確かにアルトの自慢だが、そんな使われ方をするのは非常に不本意だ。
アルトはがっくりとしつつそれも拒否しておいた。
いつもと違う状況で始まったカイルとの会話は、いつも通り揶揄われて終わった。
お読みいただきありがとうございます。
そういう時=色んな意味で危機を察した時




