36.いつもと違う事
朝、ぱちりと目を開けたアルトは着替えと洗面を済ませ、気合を入れてディルの部屋へと向かった。
昨日倒れて午後の訓練が出来なかった分、頑張らなければならない。
それにまだ昨日のことをディルに謝れていなかったのだ。本当は目覚めてすぐにディルのところへ行きたかったのだが、ルイツに明日にするよう言われたため今に至っている。
アルトはディルの部屋の前まで来ると、廊下にしゃがみ込んで彼が出てくるのを待った。
暫くして気配が動くのを感じ、アルトはさっと立ち上がる。扉が開いてディルと目が合うと、微笑んで挨拶をした。
「おはようございます。ディル様」
「ああ、おはよう」
珍しく、ディルは少し怠そうに挨拶を返した。
アルトはその様子が気になりつつ、先に言うべきことを口にした。
「それから、昨日はすみませんでした……」
「! 憶えて……」
ぺこりと頭を下げると、ディルが驚いたように返した。
「いえ、ディル様が箱を持ち上げてから全然記憶がなくて……絶対迷惑かけましたよね……」
「そうか……。まあ気にするな。あれは団長が悪い。それでこの話は終わりにしておこう」
アルトは申し訳ない気持ちで一杯だったのだが、ディルが早々に話を終わらせてしまい、それ以上の言葉が続かなくなる。
少し気持ちが萎れたが、謝罪はアルトの自己満足のようなものなので、本人が不要と言うなら大人しく引くことにした。
「ありがとうございます。……あの、少し元気ないみたいですけど、体調は大丈夫ですか?」
先程感じたことを尋ねながら、アルトはディルの顔を覗き込んだ。
するとディルは頭痛を堪えるように額に手を当て、首を振る。
「いや、大丈夫だ。少し考え事をしていて」
とても大丈夫そうには見えない。こんな調子で訓練に出たら怪我をする。
そう思ったアルトはディルの裾を引いて休息を勧めた。
「ディル様、調子が悪いなら休みましょう? 訓練とはいえ、危ないですよ」
「お前に言われるとはな。悪い。本当に体調には問題ないんだ」
なら何がとは思ったが、それきり切り替えられてしまうとアルトにはそれ以上追及できない。
「何かできることはないですか?」
「そうだな……もし俺が何か言うことがあれば、きちんと聞いてほしい」
「分かりました!」
心配で食い下がると珍しくディルから頼みごとをされ、アルトは喜んで頷いた。
いつも通り訓練を始め、午後の演習となった。
演習の時はそれぞれに責任者を置いた班に分かれ、その中で各々が希望で組む。ちなみに組み合わせは複数対複数、又は複数対一人でも構わない。
アルトは班に属さないので、その時々の隊長に誰と演習を行うかを確認し、指示に従っていた。
とはいえ砦に来た当初と違って、今では毎回のように誰かから指名を受けている。隊長たちもそれに反対したことはなく、もはやアルトの所在確認程度の意味しかなかった。
そんなアルトの本日の演習相手はアルディという栗鼠の獣族で、背は高く、穏やかな人柄が顔に出ているようないい人だった。
獣型では魔物と戦えず、人の姿の技術でそれを補おうとしているかなりの努力家だ。そのため助言が的確で人気があり、彼との演習は特に若い隊員達の中で競争率が高い。
突然相手の依頼を受けた理由はアルトには分からなかったが、動きを見てもらえるのは有難い。
「えっと、演習で組むのは初めてですね」
全員同時にはできないので、場所が空くまで他の隊員の演習を見学しつつ、アルトはアルディに話しかけた。
「そうだね」
「あの、手加減なしでよろしくお願いします」
獣族である彼はアルトの性別を知っている。それを踏まえて申し出ると、言いたいことが伝わったのかアルディは口元を緩めた。
「勿論」
その時、前の組が勝敗を決したようで場所が譲られ、アルトはアルディと向かい合って立った。
基礎訓練の様子を見ていると、アルディはアルトよりは素早さと持久力という点で劣る。しかし背も力もあるので、アルトが相手だと一撃の重さで押すことが出来る。競り合いが出来ないアルトは、アルディの剣をいなしていくしかない。
アルディに向かって走り出したアルトは、間近に迫った刃をナイフで受け流し、繰り出される蹴りを跳んで避けた。そのままアルディの肩に手をついて飛び越え、身体を捻りながら彼の背中に向かってナイフを投げる。アルトの着地を狙って、振りきざまに切り上げる攻撃を防ぐためだ。
金属音がして、ナイフが弾かれたことを察するが、それを見送ることなくアルトは次のナイフを手にアルディに迫った。懐に忍び込もうとするのを後ろへ下がって避けられ、攻撃の手が宙を掻く。
その瞬間にアルディが接近して剣を薙ぎ、咄嗟に構えたナイフが嫌な音を立てて彼の剣の軌道を変えた。
無理な体勢で防いだことで腕に負荷がかかり、アルトは続く攻撃を避けて姿勢を整えるため、大きく後ろへ飛び退き距離を取った。
やはりこちらの望むように長くは攻めさせてもらえない。
アルトが次の一手を考えて睨んでいると、ふとアルディが笑った。
「接近戦、上手くなってきたね」
「本当ですか!?」
一度も相手をしたことがないのにはっきりと言われて嬉しくなり、アルトの声が弾んだ。
「うん。始めの頃の速さ押しでなくて、きちんと考えて動けてると思うよ」
「わぁ、アルディさんすごいですね。団長よりまともな意見が貰えます」
「あの人は習うより慣れろだからね……。頑張って」
「はい!頑張ります」
頷くと再びアルディが真剣な顔に戻り、アルトは気を引き締めた。
最終的にはやはりアルトが負けたが、アルディとの演習は充実したものとなった。
「ありがとうございましたっ」
「どういたしまして」
息を整えながら礼すると、アルディは頬を緩めてアルトの頭を撫でた。
その感覚に、ふと気づく。
「……あ、今日初です」
「何が?」
「そう言えば頭撫でられてなかったなぁって」
「あぁ、ディル様触ってない気がするね」
身長差の問題なのか、アルトはとにかく頭を撫でられることが多い。
特にディルはアルトが砦に来た日から事あるごとにしていて、それがなかったのは恐らく初めてだ。彼は夜勤の日でも、昼頃に一度出てきてアルトに構ってから仮眠する。
アルディですら気づくことに、アルトは改めて気になった。
「まさか触りたくないくらい汚いとか……」
嫌な想定をして咄嗟に横髪を掴んで匂いを嗅ぐ。動いた後なので汗臭さはあり、アルトは軽く落ち込んだ。
アルディはその様子を見て噴き出し、笑いながら否定を返した。
「大丈夫。それはないかな」
「本当ですか? 遠慮なく言ってください」
自分の匂いが分からないなど、重度の問題だ。
アルトが不安に思って再び確認すると、アルディはうーんと唸った。
「そうだなぁ。アルト、ディル様好き?」
「勿論です」
唐突の話題の変化にも関わらず、アルトは即答を返した。
アルディはそれに笑みだけ返して少し考えた。
ディルが何となく距離を取ろうとしていることに気付いていたからだ。
(やっと気づいたんだなぁ。匂いが分からないって大変だ。……でもこれは、多少の事じゃ離れないな)
アルディとしては、日々の訓練の様子と今日の手合わせで戦力としては問題ないと考えた。
アルトが来て隊員達の喧嘩も減ったし、頑張り屋で守りたくなる子が目の前にいるものだから、皆今までよりも訓練に励んでいる。
女性にとっては別の危険もあるだろうが、守れるものが気にしていけば良いし、本人が注意して望むのならばいてもいいと思う。
しかし呼んでしまったディルからすると複雑な思いだろう。
かつこの誘惑に耐えつつ見守らないといけないところが、とてもむごい。
(でも、本人に内緒はずるいかな)
アルディは自己の中で解決し、アルトに返事をした。
「そっか、じゃあ頑張ろうね」
「はい!」
犬のような返事に、再びアルディがアルトの頭を撫でた。
お読みいただきありがとうございます。m(__)m
お久しぶりなのに、覚えていてくださった方には本当に感謝です。
ここから次の閑話までの流れは深く考えずに読んで下さい……
もう悩むのを止めました……orz




