35.泥酔事件
午前の訓練を終えてディルが昼食に向かおうとした時、例のごとく一緒にいたアルトが妙なものを見つけた。
近づいてみた黒い箱は、アルトの嗅覚によるとヴィランが関係しているらしい。
見た目禍々しい色に塗られた箱に、ディルは何故こんなものを、と軽い気持ちで蓋を持ち上げた。
その瞬間、隣にいたアルトが、糸が切れた人形のように地面へと崩れた。
「っアルト!? 大丈夫か?」
ディルは慌てて箱を脇に置き、座りこんだ身体を揺する。
「……大丈夫ですー」
すると顔を挙げたアルトは間延びした声で返事をし、へら、と笑った。
その様子に違和感を感じて眉を寄せたが、本人は意に介した様子はなく、ディルの脇に目を向けた。
「それ、すごくいい匂いですねー」
その視線の先には黒い箱。
見れば微かに開いた蓋の隙間から、潰れた花の蕾が見えていた。
(――――!)
ディルは内心冷や汗をかいた。
そこにあったのは、アルトの保護者となった時、ルイツから重々注意するようにと言われたものだ。
効果の高い薬草で、葉が貴重なのだが、花に問題がある。
花粉に含まれる成分が獣族を酔わせるらしいのだ。同じ植物は魔物の森以外にも生息しているが、それにはそのような作用はない。
扱いの難しい薬草らしく、ノーティスが来るまではこの砦にはなかった。彼の提案で魔物の森から採取してきたのだが、花が咲くと獣族が酔うことが分かった。
一時処分も検討されたのだが、数を減らして管理を徹底し、花が咲く前に蕾を摘み取って処分することで落ち着いた。
悪用を防ぐため、ヴィラン、ルイツ、ノーティスと各隊長及び砦内の獣族以外はその事を知らない。
アルトが近づこうとするのを見て、ディルはすぐさま箱を高く持ち上げた。
「これは駄目だ! お前の身体に良くないものだから」
「えぇ? でもいい匂いですよ?」
ディルが止めると、アルトは首を傾げて怪訝そうな顔をする。
「それでも駄目だっ」
繰り返しの制止に、アルトは少し考えるような素振りをし、頷いた。
「分かりました。それなら、代わりに……」
そう言ってアルトが近づいてくる。
息が掛かるほどの距離に、反射的に離れようとした瞬間、ディルの頬を温かいものが這った。
「――――」
「ふふ、ディル様いい匂い」
アルトが身を離し、満足そうに微笑んだ。
頬を舐め上げられたのだと気づいた時、ディルの頭が真っ白になり、持ち上げていた箱を取り落とした。
「あ」
アルトが声を上げた。
がたんという音に、ディルの意識が引き戻される。見れば辺りに花が散らばっていて、アルトの頭にも乗っていた。
「――!!」
不味い、と思った。
ディルはまず真っ先にアルトの頭の上の花を払い落とした。
早々に散った花を回収し、蓋を閉め、ヴィランに押し付けなくては。頭がすべきことを素早く弾き出す。
慌ててディルが花びらを拾おうとすると、不意に横から手を取られた。
振り向いた瞬間、ディルの指先がアルトの口の中に消える。
「――っ」
指がアルトの舌の動きを感じ、ぞくりと背筋が震えた。
離れ際、唇がちゅ、と指先に吸い付く。
激しい動揺と共に、戦う時とは別の意味でディルの鼓動が早まった。
手を振り払うことも出来ずに固まっていると、気づいたアルトが見上げてくる。
そのまま甘く微笑む様子に、眩暈がした。
(……酔っている……!)
自らの行いに全く問題を感じていないらしい。
先にこの危険物を何とかしなければ。
動揺する気持ちを宥めようと、アルトから距離をとるためそっと後ろへ身を引く。
しかしアルトは逃げる獲物に反応し、すぐさま距離を詰めてきた。真っ直ぐ見つめてくる真剣な瞳に、ディルはその場に縫い留められる。
彼がそれ以上逃げないと分かると、アルトは機嫌良さそうに目を細めた。
小さな体が膝の上に乗り、首筋に息がかかる。
その時。
「ディル!?」
自身の名を呼ぶ声にはっとして、思わず声の主に助けを求めた。
「――っヴィラン団長!」
「お前、これ……!」
ディルとアルト、散らばった花びらを見て、ヴィランが声を上げた。
元はと言えば彼がそんなものをここへ置いたせいなのだが。
ヴィランの声に反応したアルトが身を起こし、彼を見上げた。
「あ、だんちょー」
ディルに乗ったまま、ヴィランにふにゃりと微笑みかけるアルト。
そのいつもより緩んだ顔と体勢に、ヴィランが一歩引いた。
「……酔ってる、な?」
「酔ってます! 花集めて下さいっ。いつまで経っても戻りません!」
花の香りが漂う限り、アルトは酔ったままだ。無防備に笑顔を振りまき、思わせ振りな行動を繰り返すだろう。
現にヴィランに興味を失くしたアルトが、再びディルをじっと見つめていた。
ヴィランのお陰で少し冷静さを取り戻したディルは、アルトをそっと膝から下ろす。
心の中で犬がじゃれてきただけだと繰り返し、なぜ距離を詰めてきたアルトを避けなかったのか、ディルは深く考えないことにした。
手を拘束するように握り直し、ヴィランに苦情を漏らす。
「何でこんなところに置いたんですか」
「仕方ねぇだろ、火種忘れたんだから。持ち歩いて落としたら問題だろ」
「落とすかもしれないというなら、鍵でもつけておいて下さいよ……」
「言ってても始まらん。取り敢えずルイツの部屋へ連れて行け。俺は早々にこれを処分する」
ヴィランは花を集め、蓋を閉じた箱を持ち上げた。
「待って下さいっ。俺だけ怒られろって言うんですか!?」
「悪いな!」
ヴィランは笑顔でそう言い残し、走り去った。
アルトがこんなことになっているのを見れば、ルイツは確実に怒る。
その矛先を向けられるのは御免だが、これ以上アルトに咬まれる前に第三者に介入して貰った方がいい。
ディルは諦めて、アルトを連れて副長室へと向かった。
「ルイツふくちょー!」
副長室の扉を開けると、アルトが勢いよくルイツに飛び付いた。
どれだけ嬉しくとも、いつもはもう少し大人しい表現方法なのだが、今は酔っているせいか大胆だ。
つまり、アルトの内心はこんな感じらしい。
ルイツの腰にぎゅっとしがみつくアルトを見て、首根っこを掴んで引き離したくなる衝動に駆られる。
ディルが無意識に足を踏み出しかけたところで、ルイツがべりっと音がしそうなほど、勢いよくアルトを引き剥がした。
普段では想像できない行動に、ディルの動きが止まる。
「副長……?」
訝しむディルに構わず、ルイツは余裕のない表情で隊服の上着を脱ぎ、アルトに被せた。
突然のことに、黒い隊服の下から驚きの声が聞こえてくる。
「ディル、濡らした布を持ってきて下さい」
「へ?」
「早く!」
「は、はいっ!」
久しぶりに強い口調で命令され、ディルは部屋から飛び出した。
すぐに手近な部屋から布を借り、濡らして絞る。
急いで副長室へ戻ると、窓が開いていて、ルイツが布で口元を押さえて座っていた。
アルトはと言えば、長椅子に寝かされている。薄手の掛物が掛けられているのは、ルイツの優しさだろう。
白い隊服の上着と、先程アルトに被せていたルイツの上着が、扉の近くに纏めて置かれている。
「一体何が……」
この短時間で起きたことが掴めず、ディルは戸惑いながらルイツに聞いた。
「それはこちらの台詞です。しかし、まずはアルト君の髪を拭いてあげて下さい」
「髪?」
「付いてます、匂いが」
そう言われ、ディルはあの時かと思い出した。
その後のことが衝撃過ぎて忘れていたが、確かにアルトの頭に花が乗った。ヴィランが刈り取っただけあって、蕾は潰れていて、そこから花粉が漏れたのだろう。
ルイツの指示通り、ディルが濡れた布で白銀の髪を拭った。そのままだと風邪を引いてはいけないと思い、乾いた布で余計な水分を取った。
その間も、アルトは目覚めることなく眠っている。拭き終えて、ひと房だけ長い横髪は頬に沿うように整えた。
(…………小さいな……)
ディルの両手で包んでしまえるほど、アルトの顔は小さい。
ぼんやりと見詰めていたが、ルイツの声に顔を上げた。
「終わったら、その布と一緒に、アルト君と私の隊服を洗濯に出してきて下さい」
「分かりました。……それにしても、なぜ突然眠ったんです?」
先程までのアルトの行動は、かなりディルの心臓に悪い。収まったのは有難いのだが、ディルはアルトの体調が気になった。
「……隊服を被せたら、籠ってしまって、効きすぎたようで……」
咄嗟の事とはいえ、申し訳ないと思っているのだろう。ルイツが気まずそうに言った。
ディルとしては、彼にまで酔われる訳にはいかないので、仕方ないというしかない。早々に原因を片付けようと、洗濯へ出すために部屋を出た。
副長室から出てしまうと、ディルはこの先のことが憂鬱になった。
部屋へ戻ればルイツの尋問が待っている。しかし逃げる方が悪化するので、結局は逆らわずに大人しく戻った。
部屋を換気したためか、ディルが副長室へ戻った頃には、ルイツはすっかり調子を取り戻していた。
弱っていると楽なのだが。
「それで、何故団長が採って処分しているはずの花の匂いが、アルト君からしたんです?」
早速ルイツが切り出した。笑みを浮かべてはいるが、それが安全なものではないことは、長い付き合いのディルにはよく分かった。
「執務棟の入り口に黒い箱が置かれていて、不審物かと思い確認のため近づきました。するとアルトが団長の匂いがすると言ったので、忘れ物かと思い……」
「思い?」
「……軽い気持ちで蓋を開けたら、アルトが酔いました」
ディルは詳しいことは避けて、アルトが酔うに至った経緯を伝えた。
しかしそれで逃すルイツではない。
「貴方にはあの花のことは教えていましたよね? 何故それでアルト君の髪に付いたのでしょう?」
「………………不注意で、落としてしまい」
その一連の流れを思い出し、ディルは努めて平静を保とうとした。手の方は既に洗ったのに、アルトに舐められた頬と指を意識してしまう。
視線が泳いだディルを見て、ルイツが呆れたような声を出した。
「どうせ咬まれて動揺したんでしょう」
「う……」
咬まれるなどという優しいものではなかった。いっそ咬み千切るくらいの方が抵抗できたのだが。
「はぁ、元はと言えば団長の不注意ですからね……。ノーティスならこんなことにはならなかったでしょうに」
溜息をつきながら、ルイツが眠ったままのアルトに目を向けた。それにつられ、ディルもその姿を見下ろした。
眠っているアルトは初めて見る。
あまりにもあどけなく、無防備だ。
聞きたかったことが、ディルの口をついて出る。
「ルイツ副長……アルトは本当に、男ですか?」
掴んだ手も、乗ってきた身体も、アルトを形作る全てが16の男にしては小さすぎる。幼い頃のディルの隊服が着られてしまうほどに。
それは、何度も疑問に思っては打ち消してきたことだ。なのに疑念はいつの間にか、ディルの意志に反して徐々に大きくなっていた。
一方疑いをぶつけられたルイツは、ディルの質問に表情を変えず、逆に問いを投げ掛けた。
「本人に聞いてはどうです? ――お前は本当に男なのか、と」
ルイツに真っ直ぐ見つめられ、ディルは逃げるように視線を彷徨わせた。
「そ、れは……」
言葉に詰まった。
それを聞いてしまうと、アルトを悲しませてしまうような気がする。
そして、どんな答えであっても、何かが変わってしまう気がして、どうしても聞けなかったのだ。
そのことに気づき、ディルは答えを出すことをどこかで怖がっていた自分を自覚した。
しかしもう、ルイツの返答によりディルの疑問は確信に変わってしまった。
ずしりと重いものを飲んだように心が重くなり、やはりという思いと何故という気持ちが沸き起こる。
なぜ黙っていたんだ。
どうしてルイツはここにいる事を許したんだ。
なぜ自分は――気づいてやれなかったんだ。
砦は危険だ。
女性であればなおのこと、手を離してやらなければならない。
だが一方で、それは他の誰かに彼女を支える役目を譲るということだ。
それに気づいた途端、自分から手を離すというのに、取られるという理不尽な考えと言い様のない不快な感情が顔を出す。
それが独占欲だと気づくのに、僅かな時間もかからない。
愕然とした。
気づかなかったんじゃない。気づきたくなかったんだ。
疑う機会は何度もあった。
気づくことも何度もできた。
でもそれを避けたのは、気づいてしまえばここに――ディルの傍に置いておけなくなるからだ。
最低だ。
ディルの想いがアルトを危険な場所へと縛り付けている。
アルトの笑顔が胸をよぎり、離したくないと望む心と、ここは危険だと告げる理性がせめぎ合った。
(どう、すれば……)
明らかに戸惑い答えが出せずにいるディルを見て、ルイツは溜息をつく。
判断が遅い。
そう思って出した声は、ルイツ自身が思ったより冷たくなっているのを感じた。
「決められないなら、貴方がとやかく言うことは何もないのでは? この子の生い立ちも、獣族のことも、何も知らない貴方が」
「――――っ」
ディルは何の反論も返せず、拳を握りしめた。
中途半端にこれ以上踏み込むな。そう言われた気がした。
「そろそろ休憩も終わりですね。アルト君は見ておきますので、早く食事を済ませて訓練に戻っては如何ですか?」
ルイツが勧めたが、声には有無を言わせぬ響きが宿っている。
自身の内を整理できていないディルは、静かに踵を返すしかなかった。
お読みいただき感謝です!
アルト君暴走
こんな流れで申し訳ないのですが、更新が不定期になります……。
どうか忘れないでやって頂けると嬉しいです。(*- -)(*_ _)ペコリ




