34.気を失っていたようです
アルトがディルと共に夕食を摂っていると、久方ぶりに誰かが浴室に湯を張ったらしく、一人の隊員が知らせを持って食堂にとび込んできた。
それを聞いたディルは食後に浴室へと行ってしまい、アルトは夕食後の時間を一緒に過ごせず、少ししょんぼりしながら宿舎へと戻った。
「あ、リッツ。おかえりなさい。お疲れ様でした」
談話室に茶色の頭を見つけ、アルトは寂しさを紛らわすように声を掛けた。
ディルと同じ第一隊のリッツだ。
「ああ、アルト。一人でどうした? ディル様は一緒にいないのか?」
席を囲んでいた輪から離れ、リッツがアルトの傍まで来る。いつの間にか彼も過保護の仲間入りを果たしていた。
「ディル様は浴室を使う群れに混ざってしまいました」
「なるほどな。それじゃ仕方ない」
一緒に行かないのかと言わずにリッツが納得したことに、大した違和感を感じずアルトは話を続けた。
「リッツは、浴室に行かないんですか?」
「お前な……俺らなんか行ったら、絶対最後の最後で片づけをさせられる。何より、筋肉おやじ達の後だぞ。湯が汚い」
「ああ……そうですね……」
アルトとリッツが遠い目になっていると、輪から抜けたリッツを追ってきた隊員が声を掛けてきた。
「アルトじゃん。いいところに。なぁなぁ、お前も混ざれよ」
「何ですか?」
「今面白い話をしてるんだ」
そう誘われ、リッツと共に新人隊員達の輪に混ざると、アルトは早々に質問を投げられた。
「よし、アルト。お前は好きな奴いるのか? いや待て、女だぞ! 好きな女性はいるのかってことだ」
アルトがすぐに口を開きかけたのを見て、予測した返事を遮るように聞いてきた。
「女の人ですか……? そうですね、います」
「おおっ! 誰だ!?」
「ジーナさんって方です」
アルトが答えた瞬間、周囲にどよっとざわめきが広がった。
「まじかよ、あの美人だろ!?」
「並みの奴じゃ遊ばれて終わりだぜ」
好き勝手言う隊員達に、アルトは頬を膨らませて反論した。
「ジーナさんはそんな事しませんよ! 優しくて、お姉さんが出来たみたいなんですよっ」
アルトの発言に、色めき立っていた周囲は肩透かしをくらう。
「……姉……」
「忠犬には難しい話だったな……」
「なんですか、ちょっと馬鹿にしてません?」
むっとした表情のアルトに、リッツが仕方ないと言うように教えた。
「こういう時の好きっていうのはな、その……恋愛的な意味でだな」
「……はぁ」
気の抜けた返事をするアルトに、聞いていた隊員達からやれやれという空気が漂ってくる。
「じゃあ聞きますけど、皆さんはどうやって好きの種類を分けてるんですか?」
拗ねて訊ねると、妖精と渾名されるネライドが例を挙げた。
「一緒に居たいなーとか、触りたいなーとか思ったり?」
「触りたい……」
他にもこんな気持ちになれば、と周囲が盛り上がりを見せる中、アルトは考えた。
そして、直感的に思ったことを口に出す。
「ディル様になら触れて欲しいと思うんですけど……」
敢えて触りたいと思う人はいないですかね、と続けたアルトに、周りの隊員達はさぁっと青くなった。
「お、お前……やっぱり、そっちの気が……」
「そっち?」
首を捻るアルトを余所に、彼らの間には先程とは違う混乱が起きている。
そんな中、リッツは一人真剣な顔をしてアルトの肩を掴んだ。
「お前、それディル様には絶対言うなよ」
「駄目なんですか?」
「駄目だ。尊敬する上司が苦悩するのは見たくない」
リッツから必死さが伝わり、アルトは大人しく頷いた。
「分かりました。ディル様に良くない事なら言いません」
「ああ、そうしろ。絶対だぞ」
上司を思うリッツの行動に、周囲から拍手が巻き起こった。
そんな話をして暫く後。
その日のアルトはとても機嫌がよかった。
ディルが内勤務であり、ヴィランは用事があって彼との訓練がない。朝から夜までディルと一緒にいられる日だったからだ。
例のごとくディルと共に引き継ぎに向かい、午前は基礎訓練を行う。アルトは人間用では足りないため、すでに第一隊の他の獣族と一緒に別訓練を行うようになっていた。
午前訓練終了の合図が鳴り、アルトはともに訓練をしていた隊員に挨拶をする。
「お疲れさまでした!」
「お疲れさん。腹減ったなぁ」
先輩隊員達が代わる代わるアルトの頭を撫でた。今日も変わらない彼らに、少し前のことを思い出す。
色々あって、他の獣族の隊員達が自身の性別に気付いてると知った翌日、アルトは彼らに頭を下げていた。
「あの、いつもありがとうございます。御厄介、おかけしています」
自分ですらどこか避けていることなのに、彼らは始めから今までずっと態度が変わらなかった。
初めてここに来た時にルイツが気にしていたように、性別一つで迷惑の掛け方がかなり変わる。それでも何も言わずにいてくれたことに、深い感謝の念を抱いたのだ。
何の脈絡もなく唐突に礼と謝罪を述べたアルトに、隊員達は驚いたように顔を見合わせ、事情を察したのか笑い合って答えた。
「団長や副長、ディル様達が決めたことだからな。それにお前はちゃんと頑張ってる」
「実力のある子を逃すのはもったいなくてねー」
「お前は役に立ってるよ、色々とな」
温かい言葉を掛けられ、アルトは目が熱くなって思わず俯いた。
(僕はこんななのに、すごく色んな人に支えてもらってるなぁ……)
もっと頑張りたい。
彼らが支えてくれたように、自分も彼らの役に立ちたい。
そう思って以降、アルトは益々訓練に打ち込んでいたのだった。
そんなことを思い返しつつ、アルトは優しい先輩隊員達との挨拶を終え、午後の演習も励もうと気合を入れてディルのもとへと走り出した。
「ディル様!」
「よしよし、昼食だな」
「はい!」
ディルに頭を撫でられ、アルトは嬉しくなって返事をした。
食堂へ行こうと踵を返したとき、視界の端に黒いものが映る。あれ、と思って目を凝らすと、執務棟の入り口に黒い箱が置かれていた。
「ディル様、あれ何でしょう?」
「うん?」
アルトが指を差すと、ディルも足を止めて目を向けた。
「落とし物でしょうか?」
「落としたら気づくだろ、あんなもの」
「じゃあ……不審物……?」
アルトは困ったような顔でディルを見上げた。
砦の出入りには十分な警戒体勢を敷いている。不審者の立ち入りや、不審物の持ち込みはそう簡単にできないと思いたいのだが。
アルトの視線を受け、ディルは苦い顔をしながら件の箱に近づいた。慌ててその後を追いかける。
近づいてみると、箱は縦横共にアルトが片手を一杯に広げたくらいの大きさだった。材質は木のようだが、黒く塗られていて異質な雰囲気が漂う。
アルトが警戒して匂いを嗅ぐと、薄くではあるが見知った香りを見つけた。
「あれ? この箱、団長の匂いがします」
「何? 本当か」
驚いて声に出すと、すぐさまディルが反応した。
「はい。団長の匂いと、あと何でしょう……ちょっといい匂いです」
「あの人なら置き忘れは十分あり得るな……。むしろ落としても気づかないかもしれない」
アルトが確信を持って答えると、ディルは警戒を解いて黒い箱を持ち上げた。
「軽いな……空箱か? 何でこんなものが……」
そう言いつつ、ディルが箱の蓋を持ち上げた。
その瞬間、甘いのに、どこか苦みのある匂いがアルトの鼻腔をくすぐった。
あ、と思った瞬間、アルトの体から力が抜けた。
次に気づいたとき、アルトは副長室の長椅子で横になっていた。
「……あれ……、僕、どうして……」
起き上がり頭に手を当てて思い出そうとするが、ここまで来た記憶が全くない。
薄手の掛物が掛けられているのに気づき、よく見れば上着が脱がされていた。
あれ、と思っていると、ルイツの声が聞こえ、アルトは顔を上げた。
「獣族の身体に良くない花の成分を吸ってしまって、倒れたんです。気分が悪かったりはしませんか?」
「はい、大丈夫です……。あ、ディル様はどちらに?」
アルトは視線を巡らせたが、何処にもいない。匂いを嗅いだが、近くにはいないようだということが分かった。
「ディルは今頃食堂か、部屋だと思いますよ」
「へ? ――えっ、今どれくらいですか!?」
ルイツの言葉を反芻し、窓の外が暗くなっていることに気づいたアルトは思わず声を上げた。
「半刻前くらいに引継ぎが終わったところです」
「――っ、すみません!」
「いえ、団長の不注意のせいですので、アルト君が謝ることはありませんよ」
慌てて頭を下げたアルトを、ルイツが宥めた。
「いえ、でも……」
皆が訓練をしたり働いたりしている傍で、ぐうたら寝ていたのだ。申し訳なくなってアルトは身を縮めた。
「こればかりは仕方ないんです。私もきりが良い所まで進めておけましたので、丁度良かった。そろそろ宿舎へ戻りましょうか」
促され、アルトは彼と共に宿舎へと戻った。
お読みいただきありがとうございます。
※投稿後に一部追記しました。




