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特殊砦で頑張りたい  作者: やなぎ いつみ
抱えた傷と分け合う痛み
37/93

閑話3.ある雨の日の攻防戦

閑話です。

お暇なときにどうぞ。

 晴れてはいたが朝から湿気の多い日で、雨が降るかもしれないとアルトは思っていた。

 意外に天気は持ち、午後のお茶を過ぎたくらいの時間だった。


「イスナさん、雨がきそうです」


 湿気の高まりを感じ、アルトは第二隊の副隊長であるイスナに声を掛けた。

 恐らく隊長に言うべきことなのだろうが、アルトは何となくイスナに親しみを感じており、つい声をかけてしまうのだ。


「うん、ありがとう。ゼクス隊長に伝えますね。そうしたらきっと、訓練は終わりになりますよ」


 イスナ自身も天候の変化には気づいていたようで、これから起こることを予期し苦笑して答えた。

 天気が下るのは早いもので、遠くで雷が鳴るのがアルトの耳に届く。

 そろそろ降り始めるなぁ、とアルトが空を見上げた瞬間。


「うわっ!」


 突然、桶をひっくり返したような雨が振り注いだ。

 比較的水に強い隊服だが、服の隙間から容赦なく雨が入り込み、あっという間に衣服は重さを増す。


「あわわ……!」


 隊員達が慌てて屋根のあるところへ避難し、アルトもそれに倣った。

 強い雨の音で、近くの人の話し声を聞き取るのがやっとだ。そんな状況の為か、伝言が回される。

 隣にいた隊員に肩を叩かれ、アルトは振り返った。


「訓練は終わりだってよ。各自風邪を引かないようさっさと着替えろってさ」

「分かりました」


 衣服が纏わりついて気持ち悪いためか、早速隊服を脱いでいる隊員もいる。

 アルトは脱ぐ訳にはいかないので、伝言を回して早々に宿舎へ向かって走り始めた。






 ぽたぽたと水を落としながら宿舎に着くと、アルトは入口でできるだけ水分を絞った。

 自室を汚すのはなるべく勘弁したい。

 扉を開けて中に入ると、談話室には早くも着替え終わった者もいて、火を入れて部屋を暖めようとしていた。

 温まるにしても取り敢えず自室に戻って着替えてからにしようと、アルトは階段に足を向ける。


「アルトー、お前も早く脱げよ。その上着だけでも外で絞っていけ」


 後ろから声を掛けられ、振り返ると上半身の服をすべて脱いだ中年隊員が体を拭いていた。


「はいっ、えと、僕は部屋へ戻ってからにしますねっ!」

「そのままだと部屋濡れるぞ?」


 そう言って首を捻る彼は、親切で言っているのだ。アルトは心の中でありがとうございます、でもごめんなさいと謝った。


「屋上でもできますので! それに服は部屋ですから」

「あー! 俺いいこと考えた!」


 アルトが断りの返事をした瞬間、リッツの友人であるネライドが声を上げた。

 ネライドは正真正銘男性だが、小柄で可愛い容姿をしている。その見た目に似合わず、人間にしてはかなりの怪力で、よく物を壊す。また悪戯が好きで、一部の隊員からは妖精と呼ばれていた。

 そんな彼の提案する『良い事』がロクなことではないのは、今までの彼の所業から明らかだった。


「新人の歓迎会の時、俺が着せられた服を貸してやるよ!」

「歓迎会……?」


 アルトが思わず問い返すと、周囲からおお、と歓声が上がる。


「確かに」

「見てみたい……」

「たまには良いこと思い付くじゃねぇか!」


 先輩の隊員達が乗っかり、ネライドは上機嫌になる。


「よーし、じゃあアルトは俺の部屋で着替えね!」

「ちょっ、待って下さい!」


 迫るネライドの手を避け、制止の声を上げた。

 しかしネライドに同調する隊員は次第に増えていく。ただ、全員が行動に移るというわけではなく、興味深そうに傍観している者や、関心がなさそうにしている者もいる。

 しかし数では不利なことに変わりはない。


 止まったら捕まる。


 アルトはそう確信し、周囲を汚すのも構わず、談話室を跳び回って逃げた。濡れた服が張り付いて動きづらいが、アルトはルイツとの約束を守るために必死だった。


「何の騒ぎだ?」


 後から戻ってきた隊員が、談話室の騒がしさに驚いて尋ねた。


「着替えついでに、アルトに女装させようって騒ぎだ」


(――女装!?)


 ネライドが着せられた服は女性のものということか。

 というか新人の歓迎会で何故、歓迎される側がそんなことをしなければならなかったのか。

 アルトですら、ジーナに着せられるまではスカートなど穿いたことがなかった。それなのに、就任早々にそれを着せられたネライド。

 彼が悪戯ばかりする理由が、アルトには何となく分かってしまった。


 ともかく、帰ってくる隊員が増える度、益々不味いことになってきている。

 アルトが退路を確認しようと目を向けると、階段の方には協力者と思しき隊員が立って道を塞いでいた。

 長椅子の背に跳び乗り、身を捻って向かってきた隊員の頭上を越える。突破方法は幾らでもあるが、相手に怪我を負わせる。

 しかし埒の明かない状態に、脅し代わりにアルトはナイフに手を掛けて叫んだ。


「あんまりしつこいと、手加減できませんよっ!」

「お、やるかっ!」


 しまった。血の気の多い隊員を刺激したようだ。


(うー! ディルさま、ルイツふくちょーっ!)


 いよいよ事態の収拾がつかなくなってきた時、雷に負けない大声が談話室に響いた。


「なんだ、楽しそうじゃねぇか!」


 大きな談話室にもかかわらず、端まで聞こえるその声は、どこから出ているのだろう。

 隊員一同動きを止め、苦い顔になったが、今のアルトにとっては救いの声だった。


「ヴィラン団長ー!」

「おお、アルト! 元気だな!」

「それどころじゃありませんっ!」


 猫の子のように談話室の棚の上に乗り、アルトはかつてない大声で叫んだ。


「お前らも、雨で訓練が中断になって、さぞ残念だろうと見に来てやったんだが……。そんなに体を動かしたかったんだな」

「ち、違います……!」

「俺達はただ、アルトが風邪を引かないように着替えさせてやろうと思って!」

「ほう?」


 面白いことを聞いたように、ヴィランの目が笑った。

 笑っていないで止めてくれ。

 アルトが念を送った。


「だ、団長もネライドの女装面白がってたでしょう? ほら、アルトもそれを着てみたら似合うかと……」

「なるほど」


 顎に手を当て、一考したヴィランは頷く。


「よし分かった!」


 そう言い、ヴィランはアルトの足元を囲んでいた隊員達に伸し掛かった。


「分かり切ったものより、新しいのを開拓するのもいいかもなぁ。意外と似合うかもしれんぞ?」

「――――!!」


 ヴィランの楽しそうな笑みに、肩を組まれた隊員達が一斉に顔を青くした。

 幸運にもヴィランから逃れた隊員は後退りし、ネライドはというと、それも楽しそうー!と邪気に満ち溢れた笑みを浮かべていた。

 隊員達がヴィランに気を取られている間に、アルトは音を立てないよう、そろりと棚から降りた。

 その時すっと忍び寄った人影に飛び上る。


「あっ、ごめんね。大丈夫ですから。今のうちにこちらから上に行きましょう」

「イスナさんっ」


 イスナに誘導され、アルトは混沌と化す談話室を後にした。






 流石に濡れたままでいると冷えてくる。

 階段を上りながら、アルトはくしゃみをした。それを見たイスナがすみません、と言い溜息をついた。


「うちの隊長は後のことをあんまり考えてないんです」


 第二隊の隊長ゼクスと副隊長のイスナは、ヴィランとルイツの関係によく似ていた。

 本人にはとても言えないが、ルイツから腹黒さを抜いたのがイスナだとよく言われていて、真面目な彼の苦労が忍ばれる。


「訓練が中止になって、隊員達が緩むだろうと思って団長に声をかけて、正解でした。こんなことになっているなんて……。もしものことを思うと、ルイツ副長とディル様に顔向けできません」


 そのもしものことは、確かにアルトにとってかなりの危機であった。

 しかしイスナが責任を感じる程かというと、そうでもない。アルトが女性だと知らないのなら、ただのじゃれ合いだ。


「……イスナさんのせいじゃありませんし、気にしないでください。むしろ助かりました。流石ですね」


 アルトは曖昧にしたまま、笑ってイスナに礼を述べた。


「……怖がらせただろうに、君はいい子ですね」

「あはは……最終狼姿になって逃げますから、大丈夫です」


 ヴィランやディル達の部屋がある階まで来たが、反対の階段から上ったため、アルトの部屋へ行くにはもう一方の階段まで行かなければならない。

 イスナも雨に濡れていたので、アルトはここまででいいと声をかけた。副隊長である彼の部屋はすぐそこだ。

 しかし、イスナは首を振って答えた。


「いや、念のため、俺も部屋の前まで一緒に行かせて下さい。先刻のことが衝撃すぎて心配だ……」

「えっと……」


 過保護だなぁと思ってアルトが言葉に詰まると、イスナが焦って手を振った。


「あっ、当たり前ですけど覗いたりしませんから!」

「えーっと……」


 そういう意味ではなかったのだが、勘違いしたらしい。

 そしてこの反応を見てしまえば、もう言い逃れできない。

 アルトが女性だと分かっていたのなら、寄って集って剥かれそうになっている光景は、確かに衝撃だっただろう。


「イスナさん、いつから――っくしゅ!」

「っと、また後で話しましょう。とにかくきちんと体を拭いて、着替えて下さい」


 そう言って階段を上り、部屋に押し込まれる。

 談話室と違って静まり返った部屋で、アルトは衣服を脱いだ。体を拭き、普段着に着替える。濡れた隊服はとりあえず掛けておき、後で洗濯することにした。

 体はすっかり冷え、身震いする。

 部屋を出て階段を下りると、同じく私服に着替えたイスナが待っていた。


「あの……」

「ああ、さっきの話ですね。……その、失礼なことを言うと思うんですけど……」

「気にしません」


 いつから、そして、何故知ったのか。

 とにかく理由が知りたくて、アルトは即答した。

 そこは気にした方がいいと思うのですが、と溜息をつき、イスナが話し始めた。


「会った時はルイツ副長と同じ匂いだったから、彼が面倒を見るという意思表示なのかと思ったんですけど……。えーっと……、訓練すると、汗ってかきますよね。その、それがこう……アルト君は周りと違うというか……」

「……なんと……」


 言いにくそうに顔を逸らすイスナが語った内容に、アルトは衝撃を受けた。

 ということは、会ったその日の終わりにはすでに気づいていたということだろう。折角ルイツが獣族対策を用意してくれたのだが、効果がなかったとは。

 何よりその話でいくと、獣族の隊員はほとんど知っていることになる。

 アルトが言葉を失っていると、イスナが違う方向から擁護した。


「あの、別に嫌な匂いというわけではないので……」

「そこは言わなくていいです……」


 何となく居たたまれないと言っていた、ディルの気持ちが分かってしまった。

 あまり言葉に出さないようにしよう。

 匂いを嗅ぐのを止める気はないアルトはそう反省した。






 イスナと共に階下に下りると、そこにはとんでもない光景が広がっていた。

 アルトが立ち尽くしていると、傍にいたイスナが笑ってヴィランに話しかけた。


「やりましたね、団長」

「お、イスナにアルト。どうだ? 中々の仕上がりだろ?」

「普段は見られない貴重な姿が見られて、俺は有難く思いますね」


 自慢げなヴィランに対し、無難な返事を返すイスナ。

 ヴィランの横に座らされているのは、スカートを穿いた、体格の大きな人達。鬘であろう長い髪が顔の印象を変えている。しかし繊細なレースで装飾された袖から覗く隆々とした腕と足が、その衣装が似合わぬ存在なのだと主張していた。

 燃え尽きたように項垂れ、または疲れたように長椅子に凭れる隊員達に、相当ヴィランに弄られたのだと想像する。


「――ふっ」


 彼らの姿に、衝撃から覚めたアルトの口許が緩む。


「ふふっ、あははは!」


 堪え切れない笑いがこみ上げ、アルトは声をあげて笑った。

 その珍しい姿に、周囲は呆気にとられる。


「面白いだろう?」


 お腹を抱えるアルトを見て、ヴィランが楽しそうに同意を求めてきた。


「すみませ……っ!」


 笑ってはいけないと思いつつも、どうしても止められず、つかえながら謝罪する。

 ヴィランに手招きされ、何かと思って近づいてみると、耳元で一つの提案を受けた。


「お姉さんって呼んでやれ」


 半分笑いながら言われた言葉にアルトは無言で了承し、消沈した女装隊員を覗き込む。


「……お姉ちゃん?」


 真面目な顔を作ったつもりだったが、アルトは堪えられず笑みが漏れているのを自覚した。

 呼び掛けられた隊員はカッと目を見開いて、アルトに向かって腕を伸ばしてきたが、ひらりと避けて距離をとった。

 足幅を考えずに行動した隊員はスカートに足を取られて姿勢を崩す。そのまま蹲って中々起き上がらない様子に、アルトは心配になって声を掛けた。


「大丈夫ですか……?」

「もう嫌だ……」

「ははは、いい勉強になったな!」


 項垂れる彼らに、ヴィランが笑った。

 アルトは鬘を被った頭に手を置いた。ごわごわとした髪を撫で、蹲った隊員を慰める。


「お姉ちゃんでもお兄ちゃんでも、頼りになる先輩に変わりはないですよ。元気出してください」

「アルトぉ……っ!」


 がばりと顔を上げた隊員を見て、ヴィランが呆れたように突っ込む。


「……立ち直り早いな……。それにしても、アルトの甘さときたら」

「ですね。副長の耳に入ったら、正直こんなものでは済まないと思いますが」


 ヴィランとイスナが囁き合う。

 常々、アルトは受けた仕打ちに対して、相手を許すのが早い。

 心配される理由はそういう所にもあるのだが、本人はきちんと人を見ているつもりだと主張し、不本意そうだ。


「あの地獄耳に隠しはできないだろ。穏便になるように言っとくわ」

「すみません、団長」

「まぁ、あのアルトが声を上げて笑ったんだ。それを聞いたらルイツも多少気を鎮めるだろ」


 そう言ってヴィランは笑った。

 気を遣うのは苦手だが、人を笑わせるのは好きだ。

 普段声を上げたりしない相手なら、なおさら嬉しい。もっと笑えるといいと思う。

 日々魔物を警戒する砦の仕事は、気を張るものだ。明日がどうなっているかも分からない。

 こうして笑って過ごした時間は、誰にとっても何より大事な力になるはずだから。






お付き合い頂きありがとうございます。


閑話は別名女装シリーズと呼ぼうかと思うくらいネタが被ってしまいました。

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