30.怪我をしました
カイルの傍で採取を続け、目的の植物を見つけたアルトは根を傷つけないように広めに地面を掘り、引き抜いた。
「よし、5本とったぁ」
初めは匂いが合っていても不安で、カイルの言う通りに花を目印にしていたが、徐々に慣れて花が咲いていない株も採取した。
アルトは地面に置いていた残りを纏める。
(あれ、そういえばどれくらい経ったんだっけ……?)
そう思いながら、カイルに声を掛けようと振り返った。
その時、不意に辺りが真っ暗になり何も見えなくなる。
「――え」
森の中とは言え、ある程度は明るいはずだが、今は目を閉じた時の様に真っ暗だ。
瞬きを繰り返し、間違いなく自身の目が開いていることを確認する。
「カイルさん?」
呼びかけるが返事はない。
これが限界か、と遅まきながら気づき、アルトはどうしたものかと悩んだ。
その時。
『―――……、ルト』
突然アルトの耳に届いた声に、心臓が大きく音を立てた。
この、声は。
聞き間違えるはずはない。
しかし、そんなことは有り得ない。
どきどきと早まる鼓動を宥め、警戒して辺りを見回す。
しかしアルトの目には黒以外の何も映らないままだ。
『……アルト……』
今度ははっきりと聞こえたその声に、アルトの体が震えた。
ずっと聞きたかった、大好きな人の声。
息をするのが苦しいほど胸が一杯になって、思うままに呼ばれた方へと走り出したくなる。
しかしそれと同時に、頭のどこか理性的な部分がそれを強く否定した。
違う。
これは、違うんだ。
これ以上は危険だと頭は警鐘を鳴らすのに、もう一度でいいからと心が叫ぶ。
引き絞られるような胸の痛みと相反する思いに振り回され、今までディルの存在で保ってきた安寧が崩されそうになっている。
頭が割れそうに痛み、歯を食いしばったアルトの口から悲鳴が漏れた。
狂いそうだった。
『アルト』
「――――止めてぇっ!」
近くで囁くように聞こえた声に耐えられず、咄嗟に抜いたナイフで腕を切る。
爪を立てるより、はっきりとした鋭い痛みがアルトの頭を覚醒させた。
その瞬間闇が裂け、周囲に光が戻る。
アルトの目に森の景色が映った。
(――――もどれ、た?)
そう認識した瞬間、どっと疲れがアルトを襲い、握ったナイフを取り落とした。
地面に両手をついて俯き、荒い息を繰り返す。心臓は早鐘を打ち、手は嫌な汗でじっとりと湿っていた。
意識して呼吸を落ち着け、強張った体から力を抜くが、手は震えたままで中々思うように動かない。
落ち着かなければ、と思っていると不意に後ろから誰かに肩を掴まれた。
「――――アルト君! 何やってるの!?」
「あ、カイルさん……。どうやら限界みたいなので、僕も戻りますね」
焦った表情で詰め寄るカイルに、アルトはへらりと笑って終了する旨を伝えた。
「さらっと言ってる場合じゃないでしょ! その腕!」
「ああ……、こうでもしないと引き摺られそうで……」
そう言って苦笑いしているアルトを、カイルは無言で睨んだ。
採取用にはめていた手袋を外し、腰につけた鞄から包帯を取り出す。微かに震えているアルトの手には見ない振りをし、彼は血の滲み始めている袖を捲った。
「――っ」
服が擦れて痛み、アルトの口から微かに悲鳴が漏れる。
考えることなどできず力任せに切ったが、見てみれば思ったより傷は浅かった。
左前腕部に斜めに走った切り傷からは血が垂れている。
そこにカイルが当て布をし、手際よく包帯を巻いて縛った。ぎゅっと強く縛られ、アルトが短く呻くと、苦い顔を向けられる。
「……その手じゃ押さえられないでしょ。応急処置だから。帰ったらすぐ医務室」
止血のためだと分かり、アルトは力の入らない右手を見つめた。
少し落ち着いてきたのだが、思った以上に影響が残っている。
「初回からご迷惑をかけてすみません」
アルトが口癖のように謝ると、カイルがアルトの額に手刀を落とした。
「そういう問題じゃないの。分かったらとりあえず砦に帰るよ。今日はここまでにするから」
「はい」
そう言って、立ち上がったカイルが手を差し出した。アルトは負傷していない方の腕を持ち上げ、カイルの力を借りて立ち上がる。
カイルの後を追って歩き始め、じくじくと痛む腕に、改めて切れているのだと実感した。
「――――……あぁっ!」
「今度は何!?」
突然叫んだアルトに、カイルが驚いて振り返った。咄嗟に周囲を警戒するところが騎士らしい。
しかしアルトが声を上げた理由は全く別にある。
「隊服がっ!」
「はぁ!?」
「隊服切っちゃいましたっ! ルイツ副長、高いって言ってたのに……!」
貴重な材料で作った高価な見習いの隊服。それすらざっくりと切ってしまったことに気づいたのだ。
アルトがそう叫んだ瞬間、カイルの纏う空気が氷点下に達する。
「……アルト君、副長に怒られて」
「ひっ」
「僕知らないから。今のちゃんと、ルイツ副長に言っておくから。きっと怒られるよ」
絶対零度の笑みを向けるカイルに、アルトは項垂れた。
お読みいただきありがとうございます。
状況的に破傷風とか気になる……。




