19.優しいひと
ディルは屋上を出ていく小さな背中を見つめる。
(――――笑った)
雪解けに花がほころぶような、そんな笑顔だった。
それを目にして、ディルはアルトの笑った顔を見るのが初めてだったことに気がついた。
(あんな風に、笑うのか……)
アルトは感情がすぐ顔に出る。驚いたり、焦ったり、しょんぼりとしてみたりと、くるくると変わる表情を面白いと思っていた。
しかし、ほっとしたように空気を和らげることはあっても、笑ったのを見たことは一度もなかったのだ。
驚いて、気づけば手を伸ばしていて――すんでの所でいつものように頭を撫でたが、あのままだと危なかった。
(励ますとか、慰めるとかじゃなくて、可愛いと思ってというのは……)
ディルは自分がしそうになった行動に改めて衝撃を受け、頭を振る。
それでなくともアルト自身が誤解を招きかねない行動をとるのだ。
ルイツの科した罰について考えていた時、不意に頬にさらさらしたものが触れて目を向けると、アルトがディルの首筋に顔を寄せていた。
ディルの匂いは安心すると言い放ち、緊張を解く様子に激しく動揺したのは記憶に新しい。
(……、ただ懐いてるだけだ……)
そもそもあれは男だと繰り返し、ディルは頭を切り替えてアルトの言動に思いを巡らせた。
寂しい。
けれどそうと感じることは弱いことだとし、大切な人を思い出し求める自分自身を許さなかった。
長くこのままでいられないと言っていた理由は分からないが、もしかすると、頼ることをよしとしない考えからくる発言かもしれない。
(どこまで自分に厳しいんだ……)
芯が強いと言えば聞こえはいいが、自分自身を抑制しすぎている気がする。また一つ気づいたアルトの問題に、ディルは頭を抱えた。
(なのに、怒った――いや、怒らせたんだよな……)
それくらい、我慢できなかったのだろう。
『――リッツに怒ってしまったのは、今までが……両親が、否定されたみたいで』
アルトの発言を思い出し、ディルは顔を覆った。
それは怒りたくもなるはずだ。
今まで積み重ねた努力の結果を見もせず、何もできないと否定される――それだけでも十分悔しいだろうに、彼の大切なものを傷つけてしまった。
そういう意味に取れると思い至れなかった、ディルとルイツが悪い。
掃除といういらぬ苦労を掛けたのとは比べ物にならない罪悪感が、ディルを襲う。
『……ディル様にナイフを渡されたとき……今ではもう、懐かしいことを思い出しました』
ナイフを渡したとき、やる気に満ちたアルトの空気が一瞬凪いだ事を思い出す。
あの時感じた違和感を、きちんと気にしておいてやればよかった。そこから、アルトの気持ちは荒れていたのだ。
砦に来てからというもの、妙に元気なのも、やる気に満ち溢れているように見えたのも、本人の防衛反応だろう。元気だ、大丈夫だと振舞うことで自分を守っていたのだ。
(もっとちゃんと、見ていてやらないと……)
砦に来た日の翌朝、アルトの頬に涙の痕を見つけた。
夜に独りで泣いていたんだろう。そう思うとどうしようもなく、もどかしかった。
今日もディルが追わなければ、あの気持ちを飲み込むか、またディルの知らない所で泣くつもりだったんだろう。
それは、すごく嫌な気がした。
アルトと出会う前は、会う資格がないから、誰か支えてくれる人がいればいいと思っていた。
でも現実は出会わないと思っていたのにこうして出会い、ディルの事を追ってここまで来たのだ。
これ以上ないくらい辛い経験をしたのに、頑張って歩き出そうとしている。
望む道に進めるよう、支えてやりたいと思う。
守りたいとも、思う。
傷が癒えて世界が広がれば、アルトを助ける手も増えるだろう。
まずはこの事態を招いた責任を、もう一人にもとってもらわなくては。
「さて、一緒に泣かせた責任をとってくださいよ。ルイツ副長」
屋上へ続く扉がある場所、今ではアルトの部屋がある上。この砦で最も高い所へ向かって、ディルが声をかけた。
すると、悪びれもなくルイツが姿を現す。
気配を消されすぎて分からなかったが、アルトが自室へ戻る時に僅かに動いたらしく、そこで気づいた。
立ち聞きすると嫌味を言うくせに、自分はいいらしい。
もちろん、そんなことを指摘すると倍返しになるので口が裂けても言わないが。
「心身の回復には、泣くことはいいそうですよ」
そう言ってルイツが足音も立てず飛び降りてくる。
「尤もらしいことを言って逃げないでください」
近くで騒ぐと耳のよいアルトが休む妨げになるため、ルイツを促して屋上の端へ移動する。
常に砦の全てを見ているルイツは、いつもと変わらない様子でこの場所から砦を見渡している。
しかし今ばかりは、彼の目には違うものが映っているようだった。
此処にいない存在へ、笑いかけるように話す。
「あの子は我慢しすぎですからね。たまには泣かせないと」
「……後半だけ聞いたら人でなしですよ、その台詞」
優しい表情とは真逆の言葉に思わず突っ込みつつ、それにしても、と思った。
「――本当に……泣かせるばかりで、礼を言われることなんて何も出来ていないのに」
ルイツが振り返った気配に、考えていただけのつもりが声に出していたことに気づいた。
そうしてディル自身、誰かに相談したかったのかもしれないと自覚する。
また揶揄われる、と苦い顔になったが、向き合って見たルイツはいつもの本心を見せない笑みを消していて、ディルは少し戸惑った。
「ディル、絶対に怪我をしないように」
「なんですか? 突然」
「分かってるでしょう? 貴方に何かあったら――今度こそアルト君が壊れる」
真剣な顔で告げられた内容に、息を飲む。
薄々、ディル自身も気づいていた事だ。アルトの危うさに、ルイツが気づかないはずがない。
「――アルトのためにせいぜい気を付けますよ」
その重さを逃すように、ディルは軽口を叩いた。
「私はあなたのことも十分心配していますよ。小さい頃からね」
真剣な表情を収め、邪気なく微笑むルイツは珍しく素直に本音を言っているらしい。
彼は誰よりも隊員思いなのに、いつも彼らを苛めては煙に巻くようにその本心を隠してしまう。
「きっ……急に素直……アルトの影響ですか?」
気恥ずかしさを隠すように言うと、ルイツは一瞬でいつもの綺麗な、毒を吐く笑顔に戻り反撃に転じた。
「………いい質問ですね、ディル。私からも一ついいですか? ――さっき手を伸ばして、迷って頭を撫でてましたけど、本当はどうするつもりだったんですか?」
「っ、あれは何も。そうするつもりだっただけですよ」
一瞬の動揺を隠したつもりだったが、ルイツは逃がさなかった。
「そうですか。てっきりアルト君が可愛くてうっかり抱き寄せそうになったのかと思いました」
ぐっと耐える。
ここでどんな反応をしてもルイツの思うつぼだからだ。
「因みに私は明日、よく頑張りましたねと言って頭を撫でて褒めてあげます。今までみたいに戸惑った顔ではなく、はにかんで笑ってくれると思いません? きっと可愛いでしょうね」
完全に揶揄われている。
大人げない発言に、これ以上話すと被害が増えると考え、ディルは踵を返した。
「ディル」
「まだ何かあるんですかっ」
笑いながら呼び止められ、誰のせいで不機嫌だと思っているんだと振り返る。
「何も出来ていないなんて、思ってませんよ。私も、あの子も。――アルト君が少しでも笑えるようになって、良かったですね」
最後の最後でいい人になるのだから、本当にやめて欲しいと思う。
お読みいただきありがとうございます!
少し話が落ち着きました。反動で作った次の19.5は登場人物紹介になります。(読まなくても問題なし)
自身で振ったジャンルが心配になってきました……。いつかそっと変わっているかもしれません……<(_ _;)>




