18.弱さの肯定
どれくらいそうしていただろう。
少し落ち着きを取り戻したアルトは、暗闇の中で顔を上げた。
まだ揺れてはいるが、嵐のような気持ちは収まりつつある。
ふとディルは部屋に戻っただろうかと思い、扉に視線を向けた瞬間、どきりとした。
気配が残っている。
(……うそ)
返事もせず部屋に閉じ籠って、どれくらい経ったかアルトには分からない。
いないはずだ。この気配はきっと気のせいだと、自らに言い聞かせる。
恐る恐る近づいて、扉を叩いてみた。
すぐに、コンコンと返される。
(――――っ、なんで)
逃げたのに。
返事なんて返さなかったのに。
それなのに――ディルはアルトを、待っていた。
(――……あぁ、もう……だめだ)
嫌だと思いながら、堪えていたはずの気持ちが溢れだす。
苦しいのに抗えなくて、アルトはそっと扉を開けた。
見ればディルが壁に凭れて座っており、顔を上げた彼と目が合った。
「やっと出てきたか。ちょっと来い」
そう言って屈託なく笑い、アルトの髪を掻き混ぜた。言葉は荒っぽいのに、頭を撫でる手はやはり優しかった。
日中は温かいが、日が沈むと寒いくらいの季節になってきた。
広い屋上に出ると、アルトは少し気まずさを感じてディルから距離をとる。
「アルト」
「はい……」
「……今日は珍しく怒ってたな」
ぴくり、とアルトの肩が揺れる。
「すみま、せん……少し、不安定で」
どういうつもりでディルがその話から始めたのか分からないが、彼が聞くのであれば答えなければならない。アルトは気持ちを抑えるように腕を握って、つかえながらも話し始めた。
「……リッツに怒ってしまったのは、……今までが……りょ、両親が、否定されたみたいで……」
クレストから指導を受けていて、実際に戦ったこともある。否定されたという気持ちがどうしようもなく怒りを招いてしまったが、一方でやはり力不足だということも思い知った。敵わないものを相手にした時、仲間がいなければ足止めも攪乱も、ただ逃げるためだけの手段だ。
アルトは強くなりたくてこの砦に来た。こんなに弱く、不安定になっている場合ではないのに、と悄然として俯く。
「ディル様にナイフを渡されたとき……今ではもう、懐かしいことを思い出して…………。それでなくても……まだ、弱いのに、思い出したらどんどん自分が弱くなっていくみたいで……。駄目だと思ってもどうしたらいいか分からなくて……」
荒れた気持ちを何とか言葉にしようとしていると、ディルがアルトの頭に手を乗せた。
突然のことに驚いて肩が跳ねたが、初めに会った時のように撫でられ、アルトの気持ちが次第に落ち着いていく。
「なぁ、アルト。寂しくないなんて、思えなくていいんだ。大事なものを失くした事はそうそう過去の事にはならない。だから、思うままに振舞っていいんだ。嘘だって言って泣き叫べ。嘘つきって言って怒ったらいい。泣いて、落ち込んで、誰かに引っ張り上げてもらって。そして、歩く。俺だってそうした」
ディルが宥めるように、穏やかにアルトに微笑みかけた。
「だから、弱くてもいい。また、歩けるようになったら歩けばいいんだから」
「――――」
早く、早く強くならないと、と思っていたアルトには思ってもみない言葉だった。
驚いて見開いた目からぽろりと涙が零れる。
「――でも、長くこのままでいられないんです。寂しがったり、弱くなったりしてる場合じゃないんです。強くならなきゃ」
「だったら、そう居られなくなった時に考えればいい。その頃になったら、意外と悩むほどでもなかったりするもんだ」
からりと笑うディルに呆気にとられた。
次いでその笑みにつられて、泣きそうになりながらもアルトの口の端が上がる。
「そんな、適当な……」
泣きたいのか笑いたいのかわからない。でも、本当に根拠のない適当なことなのに、ディルが言うならそうなのかもと思えてくる。
「じゃあ、適当言った責任取って、お前がいいって言うまで傍にいてやるよ」
ぐしゃぐしゃと頭を撫でる大きな手。アルトのための優しい約束も、手の暖かさも出会った時と同じ。
「―――っう、」
その日、村を出てから初めて大声をあげて泣いた。
暫くして涙が止まり、泣き疲れたアルトはぼんやりとしながら座っていた。ディルは変わらずアルトの傍に居て、時折慰めるようにその頭を撫でていた。
目を閉じてディルが頭を撫でる手に意識をゆだねると、次第に悲しさや弱さ、そして焦りが混ざった気持ちが解れて流れていく。寂しさがなくなったわけではない。でも、すっきりとした気持ちだ。
ディルがいるなら、今の自分を肯定できる。ゆっくりでも強くなっていける。そう思えた。
「なんで……待っててくれたんですか……? なんで、ディル様はそんなに優しいんですか?」
アルトにはディルに返せるものなど何もない。
それなのに、ディルはいつもアルトに欲しいものをくれる。
「どうしてだろうな……。お前が、頑張ろうとしてるから、かな? それに怪我してるのに、動こうとするやつがいたら手を出したくなるだろ?」
「僕は、怪我人ですか?」
「そうだな。……痕は残るだろう。でもきっと乗り越えられる。アルトならな」
ディルが微笑んで、再びアルトの頭をくしゃりと撫でた。
それだけで、この心は落ち着きを取り戻す。
緊張して強張った身体が解れ、アルトに安らぎを与えることができる。
そんなことができるのは、ディルしかいない。
「やっぱり……、ディル様は特別です」
万感の思いを込めて、伝える。
ひと言では足りないかもしれない。けれど、どうか伝わってほしい。
「――ありがとうございます。ディル様」
あなたがいてくれて、よかったと。
僅かに目を瞠ったディルが再び手を伸ばし、またアルトの頭をひと撫でした。
「……ああ。もう遅い。そろそろ休め」
「はい」
アルトは微笑んで、頷いた。
お付き合いいただきありがとうございます。
アルト君の依存度が上がった!




