15.いざこざ
日が昇り始め、照度の変化に気付いたアルトはうっすらと目を開いた。
倉庫だったアルトの部屋は、ルイツの指示で、昨日一日かけて寝台と戸棚が設置された。窓の上には木の棒を付け、布を通してカーテンもつけられている。さらにディルが床敷き、ルイツは椅子をお下がりとして置いてくれ、まだ少し慣れない場所でも見知った匂いがアルトを落ち着かせた。
かくしてアルトが訓練している間に、何もなかった空間はすっかり部屋らしくなり、昨夜は寝台を使って人型で眠ることができた。
身を起こし、寝台から足を下ろす。
狼の姿でいることが多いと、どうしても昼はぼんやりとし、夜に活動的になりがちだ。
だが、砦では日中に訓練を行う。今は人型で過ごす方が都合がいいだろう。
早起きにもそのうち慣れるはずだ、そう思いながらアルトは大きく伸びをした。
寝衣を脱いで、僅かな胸でも念のため晒を巻いてから見習いの隊服を着る。階下に降りて洗面を済ませ、ディルの部屋の前に座った。
近くの部屋から出てきた人が一瞬驚き、そしてああ、という顔になる。
待てができて偉いぞ、とアルトに声をかけ、洗面室に向かっていった。
確か、第二隊の隊長だったかと考えていると、ドアの向こうでディルの気配が動く。アルトはすぐにぴしっと背筋を伸ばし、出てきたディルに挨拶をした。
「おはようございます、ディル様」
「お……はよう。待ってたのか」
「はい! ディル様とご一緒したかったので」
「――っそうか」
ディルはアルトの後ろで尻尾が振られているのを見た――ような気がした。
気を取り直すように咳払いをしたディルは、アルトに体調を尋ねた。
「調子はどうだ?」
「はい。問題ないです」
「訓練はどうだ?」
「――大丈夫です。今日も頑張ります」
調子よく行なわれる確認中、アルトの反応が僅かに遅れた。
訓練内容に歯痒さを感じるのが正直なところだ。だが、そんなことは口が裂けても言えない。ルイツやディルが、アルトを受け入れるために尽力してくれているのだ。
問題ないと首を振ると、ディルが声を立てて笑った。
「そうだなぁ、剣が扱いきれないからな。ちょっとつまらないと思ってるだろ」
言葉にしなかった胸中を言い当てられ、アルトは目を丸くする。
「お前は顔に出やすいよ」
顔……と呟いて自身の頬に触れるアルトに、ディルは益々可笑しくなってわしわしとその頭を撫でた。
「明日からは時間があるときは、これの練習でもしてみるか?」
そう言ってディルが取り出したのはナイフだった。アルトが手を目一杯広げたよりも少し長いくらいで、諸刃のそれは近距離では刺突、遠隔においては投擲に使える。
「これなら、お前にも扱えるだろ?」
にっとアルトに笑いかけるディルは、知っているのか、いないのか。
呆然としたまま見つめるアルトに、ディルが困ったように手を下ろした。
「……だめか?」
「いえっ! やります! 頑張ります!」
焦って受け取り、アルトはその握り心地を確かめる。
気配を読むためにクレストと一対一をしていた頃は、短剣も使っていた記憶がある。最近は遠距離からの攻撃も出来るようにと投げナイフの練習もしていたが、実践では使い捨てになる。練習でも失くさないように、早く制御できるよう頑張ったことも思い出した。
(――あ)
不意に甦った記憶に、今まで見ないようにしてきた感情が波の様に押し寄せる。
「っ……」
駄目だ。
堪えるように俯いて目を閉じた。
こんな風に弱くなってはいけない。
掴んだ腕に爪を立て、『今』を強く意識する。
「アルト? 大丈夫か?」
様子の変わったアルトに、ディルが声をかける。
気持ちを落ち着けるように深く息を吐き、顔を上げる時には困った顔を作る。
「――大丈夫です。僕なんかで扱えるか、気になっちゃって」
「……そうか」
もしかすると何かを察しているのかもしれないが、ディルは大人しく引き下がってくれた。
それが今はアルトにとってありがたかった。
***
持久力と足の速さはあるものの、長剣は一朝一夕では上手く扱えない。
アルトは演習になるとディルからもらった武器を出し、他の隊員に手合わせを願い出てみたが、相手をしてくれる者は現れなかった。
『危ないから、もう少ししてからな』などと言ってアルトの頭を撫でるのだ。
ディルや第一隊副隊長のヘイスに頼んでみたものの、今は駄目なのだと、申し訳なさそうに断られるだけだった。
そんな日が続き、アルトが砦に来てから五日目、それは起こった。
「――お子様は今日も演習はお休みか」
「おい、やめとけリッツ。相手は子供だ」
すれ違いざま、アルトより少し年上くらいだろう、若い隊員が嘲るような言葉を投げてきた。
他の隊員が止めるが、リッツと呼ばれたは青年は不愉快そうにアルトを見ている。
住処を転々としていたアルトは、周囲の視線や空気に敏感だった。
敵意や、害意がないか。相手がこちらをどのように認識し、受け入れる気はあるか。
そんなことを常に警戒しており、ここ数日でよくない空気が次第に大きくなりつつあることは感じていた。
しかしこうしてはっきりとした悪意を向けられ、ぎゅっと心臓が掴まれたような感覚にアルトは胸を押さえた。
(――痛い)
今まで殆ど受けたことのない敵意に身体が震えた。
ルイツが言っていた、アルトを否定する人もいる。
これまではクレストやライカが馴染むために言葉を重ねていたが、今はアルトが一人で解決しないといけない。
何とか返答を返そうとしたとき、続けて放たれた言葉にアルトの中で小さな反発が生まれた。
「その程度じゃ、いつになったら戦えるのか見物だな」
そんなことはない。
今まで、クレストやライカと共に頑張ってきたのだ。
その全てを丸ごと否定された気がして、僅かに生まれた反抗心は怒りに変わり、アルトは叫んだ。
「違う!」
「何が違うんだ?」
リッツの見下すような態度は消えず、アルトは感情のままに訴えた。
「僕だって、戦える!」
「そんなに言うならやってみろよ!」
リッツが剣を抜き、アルトに向かって走りだす。
すぐに逃げても良かったが、アルトはリッツが剣を振り上げたところで避けた。そのまま横跳びに相手との距離をとる。
体を動かし始めると感情の渦は次第に収まり、アルトの頭は冷静に獲物を追い詰める算段をとり始めた。
アルトの持ち味は足と持久力だ。そのため足を痛めるとほとんど戦えなくなるのだが、それに気付かせないよう振舞う。
相手に接近して横凪に剣を振るわせる。それと同時に後ろに飛び退き再び距離をとり、リッツの反応速度を確かめた。
「逃げ回ってないで、攻撃したらどうだっ!」
アルトのナイフ程度で、長剣相手に正面からやり合うのは難度が高い。そもそも腕力も負けている。さらにナイフは投げても致命傷を与えるのが難しい。普通に考えて、アルトに勝機があるとすれば、相手が体力をなくしたときだろう。
リッツはそれを分かっていて、早めに決着を付けたいのだろうが、アルトは持久力があるだけではない。狼の持つ速さという武器を、舐めてもらっては困る。
一考し、アルトはリッツに向かって走りながらナイフを放った。
あえて剣で防ぎやすい位置に投げられたそれは、案の定リッツに弾かれる。構わず接近し、走りながらたて続けに二本のナイフを投げつけた。それと同時に跳躍し、身体を捻って相手の頭を飛び越える。
リッツが先程と同じく襲い来るナイフを防いでいるうちに、アルトは彼の後ろに着地した。
相手が振り返るより早く、抜いたナイフをその首筋に押し当てる。
「――っ!」
リッツが息を飲み、動きを止める。
成り行きを見守っていた周囲の隊員達は、予想外の結果に唖然として静まり返った。
「そこまでだ」
ディルの声が響く。
「私闘は禁止しているはずだ。――そんなに気力が有り余ってるなら俺が相手してやる。アルト、お前もだ。二人でかかってこいよ」
アルトが戸惑ってリッツを見ると、彼は今し方やられたばかりの相手との共闘に苦い顔をしていた。
「来ないなら、こっちから行くぞ」
そう、ディルの言葉が聞こえた瞬間、アルトの毛がぶわりと逆立つ。反射的にその場から飛び退けば、今までアルトがいた場所にディルの剣が横薙ぎに走った。
退かなければ、あの剣が胴に叩き込まれていたかもしれない。
(――ディル様、本気だ)
ぴりりとした緊張感が走り、怖いと思う一方で、応えなければという思いが沸き上がる。
繰り出されるディルの剣筋を、紙一重で避けて距離をとる。リッツなどよりも遥かに早く鋭い剣捌きに、アルトは逃げる一方となる。
「おい、一撃も当たらないぞ……」
「速い……」
気配に敏感に動くアルトに、観戦していた隊員達は驚きを隠せず呟いた。
そうこうしている間に、立ち直ったリッツがディルに向かう。アルトは何とか、上司にあしらわれる彼を支援をしようと試みた。
けれど。
(――やり辛いっ)
そもそもリッツ自身、連携しようなどとは微塵も思っていないようで、こちらの動きを全く見ようとしないのだ。何とか隙を見て回収できたナイフを投げたが、ディルが彼を蹴り飛ばし、危うく当たりそうになった。
「なんでこっちを巻き込むんだ!」
「なんで隙を作ろうと思ってくれないんですか!」
「……お前ら……!」
勢いよく迫ったディルがリッツの剣を弾き飛ばし、その胴に剣を叩きこむ。地面を転がったリッツを見ている間に、ディルがアルトに接近した。
慌てて飛び退き距離を取り、逃げながら打開策を考える。
(今残りの手持ちは2本……逃げ続けず仕留めるなら無駄にできない……けど)
魔物の相手は基本一人で行わない。アルトが一人で戦ったのは小物や普通の獣で、自分の実力以上の敵を一人で相手にしたことなどない。クレストとの一対一では、アルトなどが敵うことはなく、基本的には防御と逃げ切るための訓練だった。
考えた末にディルの背後に回り、その足をめがけてナイフを投げる。
走りながらのことで、さほど音も立てなかったはずなのに、剣で弾き飛ばされた。異常なほどの勘のよさと動体視力に、後ろに目がついているのかと思うくらいだ。
「足なんか狙ってどうする!」
「――っ」
本気で相手を倒すなら、どこを狙うか。クレストが昔教えてくれた。
成功する保証はない。失敗しても、今は誰も助けてくれないのだ。
補助するべき相手がいなくなるというのは、こういうことなのだと実感する。だから、クレストはまず気配を読むこと、逃げる事をアルトに教えたのだと気づいた。
アルトが逡巡していると、ディルから冷たい言葉が投げられた。
「そんな事だから、魔物にやられるんだ」
「――!」
かっと体が熱くなり、アルトの手からナイフが放たれる。
息をのんだ音は誰のものだったか。
金属のぶつかり合う音が聞こえ、ナイフが地面に転がった。
「……やるじゃないか」
冷静な声に、我に返る。その瞬間、自身がとった行動に衝撃を受けた。
「――あ……っ! ディル様っ……!」
後悔に顔を歪めるアルトに、ディルは苦笑して答えた。
「気にするな。挑発したのは俺だ」
「でも、僕……!」
一瞬、我を失ってアルトが狙ったのはディルの頭。およそ生物の急所だと教わったところだ。
あれだけの言葉で自分を見失っていては、この先思いやられる。
よりにもよって投げた相手がディルだということが、さらにアルトを落ち込ませた。
「落ち込んでる暇はないぞ、アルト。リッツ、起きろ」
ディルがぽこりと転がったままのリッツの頭を叩いた。
「ったく。アルトが無能だと判断したお前のその洞察力をどう鍛えるか、俺は頭が痛い。もっと周りを見ろ、リッツ。それからアルト、お前は逆に気にしすぎだ」
「うぅ」
身体が痛むのか、ディルの指摘が身に染みるのか、呻きながらリッツが起き上がった。
「それぞれ、副長に報告して規則を破った罰を受けてもらう」
お読みいただきありがとうございます! m(__)m
剣とかナイフとか、種類も扱いも難しい……
そしてよくよく見るとアルト君がリッツ氏を小物扱いしている事実……




