13.初めての砦の朝
ふと、目を覚ます。
朝だと思って目を開けたのになぜか辺りは真っ暗で、寝台ではなく床で毛布に包まっていた。
見れば狼姿になっていて、体を持ち上げると背中から毛布がずり落ちる。
辺りは嗅ぎなれない匂いで満ちていた。
近くに誰もいないことに気付き、目覚めたばかりのむき出しの心にひやりとした空気が入り込む。
――――とても、寒い。
外気のせいばかりでなく、徐々に冷たくなっていく体に震えた。
無意識に人型に変じて、身を守るように毛布に包まる。
それでも足りなくて、開いた心の隙間を埋めるようなものを探して視線を彷徨わせる。
その時、視界の端に白いものが映った。
震える手で引き寄せる。
「――――っ」
傍にいた大好きない人はもう、どこにもいない。その事実に押しつぶされそうになり、必死に繋がりを抱き締める。
弱ってはいけない。強くあるべきだからと自分に言い聞かせて目を閉じる。
零れた雫が真っ白な隊服を濡らした。
アルトは階段を上る足音で目を覚ました。
昨日散々砦の中を一緒に歩いたので、その足音が誰だかすぐにわかった。
ディルだ。
今日から訓練を始めると言われていたので、恐らく起こしに来てくれたのだろう。
毛布に包まりながら、優しいなぁと思い――起き上がろうとしてアルト自身、何も着ていないことに気付いた。
昨日はアルトが何処で夜を過ごすかでディルと揉めた。ルイツの取り成しで、漸くアルトは与えられた部屋で過ごすことを認められた。いざ夜になり、狼姿の方が床でも休みやすいからと変化して寝たのを思い出す。
(そういえば……何で人型になってるんだろ……?)
おや、と思うが足音は近くまで迫ってきており、明らかにアルトの部屋を目指している。慌てて飛び起き、下着をつけて晒を巻く。隊服を探して視線を巡らせると、きちんと畳んで置いていたはずだが、これまた知らないうちに毛布の中に引きずりこんでいたらしい。よほど気に入ったのだろうと自分を納得させ、急いでズボンを履く。
その間に、とうとうディルがアルトの扉の前に到着した。コンコンと扉が叩かれ、ディルが声をかけてくる。
「アルト、起きてるか?」
「おっ、おはようございます!! 起きてまふっ! ちょ、待ってくだっ」
「いや、慌てなくていい。寝にくかっただろう? 支度できてからで構わないから」
アルトが噛みながら挨拶をしつつ、隊服の上着を羽織っていると、宥めるような声が返ってきた。
ディルは慌てなくていいと言うが、彼も多忙だ。
「すみません、すぐ出ます!」
待たせるわけにはいかず、アルトはそう叫んで釦を留めながら鍵を外し、扉を開いた。
「ごめんなさい、ディル様! 僕、まだ顔も洗ってなくて!」
開けて早々頭を下げるアルトを、ディルは手を振って鎮めた。
「落ち着け、急かしている訳じゃないんだ。顔を洗いに行くなら一緒に下へ降りよう」
「は、はい。ありがとうございます」
穏やかな声にアルトは落ち着きを取り戻し、顔を上げた。
洗面に誘ってくれたが、きっちりと隊服を着こんだディルは、身支度をすっかり整えているようだ。彼より遅く起きたことが申し訳なくなり、アルトはがくりと項垂れた。しかしディルは何に気を取られたのか、アルトを見て目を丸くした。
ディルの手がアルトの頬に伸びる。
「アルト、お前――」
苦い表情で何かを言いかけ、言葉を止めた。
きょとんとしてアルトが首を傾げると、ディルは一瞬垣間見えた愁いを隠すように微笑んで頭を撫でた。
「今日から訓練に参加してもらうが、頑張れるか?」
「ディル様が指導してくださるんですよね? 頑張ります!」
やる気を込めて返事すると、今度はわしゃわしゃと髪を掻き混ぜられる。
徐々に犬のような扱いになってきているが、ディルに撫でられているアルトは気づいていない。
「あ、そうだ」
ふと思い至って、アルトは白い隊服を着た姿を披露した。
「ディル様の隊服です。僕も似合いますか?」
「――っ」
よしよし良く似合っていると頭を撫でてもらえるかと思ったが、ディルははっとしたように目を瞠り、次いで視線を他所へ飛ばした。
「ディル様?」
「いや、心を落ち着けている」
強さを目指す男子に対し、あるまじき評価をしてしまったディルは、さらに見上げてくるアルトから全力で視線を逸らした。
「俺は他の隊員よりも少し早く起きないといけなくてな。今日は気になって声を掛けたが、起きられるなら明日からはもう少しゆっくりしてもいいんだぞ」
食堂に向かう道すがら、ディルがそう切り出した。しかしアルトの答えは決まっている。
「ディル様が起きるなら、僕も起きます」
「何となくそう言うような気がしていた……」
昨日一日で、ディルは朧気ながらアルトの言動が読めるようになってきていた。狼というよりは犬のように忠実なアルトに、ディルは溜息をつく。
食堂はまださほど混んでおらず、これからさらに増える需要に備えて調理班の班員が腕を振るっていた。いくつかの主菜や副菜から好みの物と量を選ぶ形式で、残ったものは姿を変えて昼食になるらしい。
アルトが真っ先に果物を選ぶと、ディルが横から具だくさんのスープと小さいパンを載せてきた。ディル自身はというと、肉類を主菜にして朝からしっかりと食べるようだった。
並んで席に着くと、丁度アルトの向かいに誰かが食事の載った盆を置いた。
「おはようございますーディル様。なんか可愛い子連れてますね?」
明るい声にアルトが顔を上げると、灰色の髪の優しそうな顔をした男性が立っていた。隊服は灰色で、昨日挨拶した医療班の班員だろう。ディルよりは若く、アルトと同じ年位に見える。背もアルトより頭一つ分と少し高い位で、さほど高くはない。
癖で、すん、と鼻を鳴らして匂いを嗅いでしまう。普通の人間でないことは気づいていたが、どうやら種族的に近いようだ。
アルトが見つめていると、人懐こい笑みが返された。
「カイルか。これは昨日砦に来た見習いのアルトだ。アルト、こっちはカイル。ノーティスと同じく医師でもあり、医療班所属の騎士だ」
ディルの紹介に、アルトは驚いた。カイルと呼ばれた青年はかなり優秀らしい。若く見えたが、アルトよりは年上になる。
「そうなんですね。アルトです。よろしくお願いします」
「ふふ。昨日は生憎と会えなかったんですけど、噂を聞いて見に来ちゃいました」
「カイルは確か……犬の獣族だったよな」
「そうです。まったくの同族でなくてごめんね。でもうちの砦で君と一番近いのは僕かな」
カイルの言葉に、アルトはふるふると頭を振った。
同族だと親しみが持ってしまうが、良い人ばかりとは限らない。逆に人間であってもディルのように良い人はいる。
「あとこいつはこう見えて、俺よりひとつ年上の23歳だ」
「ええっ」
「あ、僕が驚かせようと思ったんのに。ディル様ずるい」
年上だと思ってはいたが、ディルより上だとは思わなかった。アルトが驚きの声を上げると、カイルが膨れた様子を見せる。
「お前は……副長に似た性格だよな。アルト、気をつけろよ」
確かにカイルはルイツに似ていそうだとアルトは感じた。しかしなんだかんだでルイツは親切で、カイルも内側にいる者には優しい質なのだろう。
気をつける要素が分からず、アルトは首を傾げた。
「うわぁ、素直な反応ですね。ぜひそのままでいてもらった方が面白そう」
「おい本音が漏れてるぞ」
お越しいただきありがとうございます。
犬のような狼に対し、猫のような犬が現れました。




