一章 四号バンガローにて―2―
この地に宿泊した一組の男女が居たという。男の方はやけどをしたのか、顔に包帯を巻き、それを見られるのを恐れるかのように、つばの大きい帽子をかぶっていた。それに対し女の方は非の打ちどころのない美人であった。
二人は夫婦なのか、手を取り合ってやってきたという。それはしかし、全く不釣り合いな夫婦に思えたそうだ。まず会話がなかったという。かわす言葉が皆無というわけではないのだが、口から出てくるのは事務的な応対ばかりで、そこには愛情のようなものを感じることはなかったという。男は包帯から二つ覗いた目を、その度に迷惑そうに動かしていた。
しかし、無論それを声に出すことはない。
二人は一週間ほどこの四号バンガローに逗留していたという。昼になってもどこかに出かけるわけでもなく、ただバンガローの中に閉じこもったきり。地元の人は心中でもするのではないかと気をもんだという。
さらにそこに容易ならざる事態が持ち上がった。第三の人物が、この四号バンガローの様子をしきりにうかがっていたのだ。はじめは物珍しさにうろつく観光客だと地元の人も思ったそうだが、どうもその人物は四号バンガローに気があるようだった。建物の前をうろうろしていたかと思うと対岸に回り、双眼鏡を手にしてあたりを見回している。その実見ているのは四号バンガローであるのは、その方に双眼鏡を向ける頻度が高いのだからすぐにわかってしまう。それも一日のことではなく、その翌日も。そのまた翌日も。
当然噂はすぐに広まった。あれは離婚旅行ではないか。いやいや、不倫旅行なのだ。それを夫がかぎつけて妻の動向をうかがっているのだ。いいや、そうではあるまい。なんだってあの気味の悪い包帯の男とベッピンさんが一緒にいるというんだ。あれは脅迫されているのだよ、わけがあって包帯の男に脅迫された妻を追って夫が来ているのだよ。地元の住民は思い思いの説を立ててはこそこそと囁きあっていた。三日、四日と日がたつにつれてそのうわさは広がっていった。こんなことが長続きするはずない。いずれ破局が訪れるに違いない。いや、もう既に男の方は……。そういえばあれから男の姿を見ていない……。そう噂する者まで現れたという。
ある朝、まだ日も上がりきらぬ明け方。近所の老人が犬の散歩に橋を渡っていると、淵の中に浮き沈みする何かを見つけた。なんだろう。老人は橋の上から懐中電灯を当てた。さっき沈んだばかりの何かは、なかなか浮かんでこない。一瞬、二瞬。懐中電灯を握る手が汗ばんだ。そこにふわりと浮かび上がってきたのは人間の足だった。
はたして、破局は訪れた。
通報があって警察が駆け付けてみると、死体は丁度浮かんだところで、体には解けた包帯が絡み付き、ベールを脱いだ男の顔はやけどの跡も生々しく、水にふやけ、見るに堪えない肉塊であった。
あの女はどうしたのだ。警察はすぐに四号バンガローに乗り込んだ。しかしそこはただ一本の、血の付いた薪割りがある他、もぬけの殻も同然だった。凶器を残して美しき女は消え去った。そして不思議なことに、事件が発覚した日から、あの双眼鏡の男もぱったりと来るのをやめてしまったのだ。四号バンガローの鍵も持ち出されたきり、以来二人の行方は知れぬという。
田舎の人間というのは迷信深いもので、いつかどこからか、誰も泊っていないはずの晩に四号バンガローで灯りが見えた。あるいは、あの女、男の生き写しとしかおもえない人をバンガローの近くで見た。そういえば、あのバンガローで誰か男と女が夜の営みをしているらしい。そんな噂が立つようになった。
その男女は醜怪な包帯の男を殺して、このあたりに潜んで、今も時々、四号バンガローで逢瀬を愉しんでいるのではないか……。
やっぱり、四号バンガローはいわくつきのバンガローだったのだ。私はこれを読み終えた瞬間、誰かが背後にいるような感覚に襲われた。いったい、これほどのお膳立てがあるだろうか? 血の付いた薪割りを残し消えた男女。淵に浮かんだ死体。私の創作意欲は一気に高まったのだ。そうだ、この事件をベースにして作品を書こう。
私の脳内は論理の積み上げを試みていた。星と星をつなぎ合わせて星座を作るように、三人の男女の関係を空想していた。
「あの、すみません」
その幻想は一人の少女の登場によって破られることになる。