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四号バンガロー  作者: 裃白沙
四号バンガローにて
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一章 四号バンガローにて―1―

――1――

 旅というのは、人間にとって最も身近な現実逃避だろう。色々なものに追われる毎日から逃げ出して、勝手気ままな旅をする。ただ一つ、泊る所だけは決めて、日々のらりくらりと過ごす。私はそんな旅に、常に憧れていた。どこかから帰ってきては仕事に従事し、それが終わっては再び旅の空となる。それがこの上も無く楽しくなっていた。

 仕事、私の仕事というのは小説を書く事であった。それだから旅という現実逃避。刺激は実にいい影響をその作品たちに与えていた。旅先で一言、「小説を書いているんです」と言えば、逗留先の宿主はその土地の面白い話をしてくれる。奇怪な話、伝承を話してくれる老人も少なくない。時にはもっと興味深そうに、どんな話を書いているのか尋ねてくる人もいる。しかしそんな時、私は戸惑いながら旅の小説と答えていた。

 嘘でもないが、真実でもない。というのも、私が書いているのは、さも当然であるかのように人の死んでゆく、推理小説であった。旅で思いついた話は、そこを舞台にして記した。だから旅の小説というのは間違っていないのだが、如何せん人が死ぬ。人が死ぬ話となると、気味悪がられる。いつしか私は推理作家だと名乗らず、旅記作家として旅をするようになっていた。

 そんなある日のこと、私は珍しく推理作家となった。それは四国のある清流のほとりに宿を置いた、九月の夜のことであった。

 虫はさんざめき、川は流れ、月は出ず、星はひかり、この夏にしては珍しく過ごしやすい夜になっていた。もうすぐ夏が終わる。そんな象徴のような夜。私は土手に腰を下ろして星めぐりをしていた。

 こんな夜でもこの清流のほとりに位置するこのバンガローに宿泊客はいて、眼下に見える河原ではバーベキューをしているのか、肉の焼ける、食欲をそそる匂いと共に女子たちのキャッキャという声が、おりからの撫でるようなそよ風にのって私の頬をくすぐっていた。


 バンガローでの夜はこの旅で一番の楽しみだった。このあたりで宿泊しようと思うと、丁度ここのバンガローが安く取れると知った。チェックインの時間が夕方しかないから、早めにつくと荷物を置いて清流ぞいにぶらぶらと散策をした。このあたりの橋は皆、沈下橋という。欄干も何も無く、ただ白線だけ引いてある簡素なコンクリート橋である。ダムなどといった治水設備がないこの川では、時折川の流れが増す。そういったときに欄干のある橋は流木によって破壊されやすいのだそうだ。自然に流されるまま。路面もただ橋脚に乗せているだけなのか、もういくらか上流には路面が川に落ちたきり渡れなくなっている橋も散見された。その沈下橋のうえには学校帰りの小学生がたむろしていて、次々と度胸試しに川へと飛び込んでいた。

 秋の空はつるべ落とし。

 日も暮れてバンガローに戻ると、あらためてその内部の探索に勤しんだ。こうやってバンガローに安く泊まれるのは珍しい。ぜひ小説の舞台にしようと思っていたのだ。

 いったいどうしてこのバンガローが格安なのか。私は旅に出るまえから疑問でしょうがなかった。予約サイトの情報によると室数が限られている。ワケありとあった。何か居てはいけないものが出るのだとしたら……。それは恐ろしいが小説家冥利に尽きるではないか。何よりも、ワケありという恐怖はバンガローという珍しい宿泊施設への興味の前においては無に等しかった。とにかく興味深い。私はすぐさま予約を取ったのだ。

 それが今更のようになって、心に引っかかっていた。なるほど、たしかにこのバンガローは他のバンガローと比べて管理棟から離れている。管理棟の対岸に位置するのだ。トイレやシャワーは管理棟にあるものだから、いざトイレに行きたくなると不便である。でも川を渡る橋はすぐ近くに存在する。それに長さもあまりない。だからちょっと暗いのを我慢すればそれだけでいい。そんなことだけで他のバンガローの半額になっているとは、やはり別に何かいわくがあるのだろう。

 ああ、四号バンガロー。私の泊まったそのワケありのバンガローは、日本人にとって忌番とされる四の数字を掲げていた。

 バンガローの中はくすんだ赤色のカーペットが敷かれている。コンセントがいくつかあり、携帯電話の充電にも困らない。冷蔵庫が一つ、電気ストーブが一つ、それと小卓に布団一式。扉の横には少し大きな鏡付きの洗面台。と、最低限のものしかなかった。天井からは電球と、虫除け用の薬剤がぶら下がっている。扉の反対側には木造りのベランダもあり、すぐ下には清流がほとばしっている。

 何か事件を起こすには恰好の建築であった。

 布団を敷いて少しの間寝転がっていると、冷蔵庫の上になにかが乗っているのに気がついた。体を起こすのも億劫に、手を伸ばしてみると、それは一冊のノートだった。

 宿によっては宿泊者が旅の思い出をつづるノートというのが置いてあるのだが、このノートはそういった類のものにしては至極わかりにくいところに置かれていた。それだからこのノートに思い出を記したものも少なく、ノートのはじまりは三年ほど前になっているのだが、まだあと半分ほど空白のページが残っていた。


 私は今、そのノートに書いてあったことに思いをはせている。そのノートには私の興味をそそるに十分な逸話が記されていた。それはいつの話だか分からない。ノートのはじめの方に書かれているのだが、それも伝聞形式だから、このノートの始まった三年前よりも昔の話なのだろう。ここにその逸話を記しておこうと思う。

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