償い【挿絵】
その日は、もう日が暮れているということもあり、城に泊めてもらうことになった。連絡を取る手段がないので心配させてしまうかもしれないが、レアには俺の居場所は分かるし、一晩くらいなら平気だろう。
俺は、不必要なほどに広い部屋でベッドに横たわっていた。夕食はこの部屋で一人で食べた。流石にあんなことがあった、さっきの今で二人と、前と変わらないように食卓を囲むというのは難しい。少し時間を置くことも必要だ。
とはいえ、慣れない場所で一人でいるというのも退屈なものだ。少し早いがもう寝てしまおうか。そう考えて灯りを小さくする。
ちょうどその時、扉を小さく叩く音がした。
「少し用事がある。入っても構わないか?」
扉越しでは分かりにくいがこの声は……クライス? 俺が体を起こして応えると、彼女は部屋へと入り静かに扉を閉める。
「すまない。もう休むところだったか?」
部屋の暗さを見て彼女は問う。
「大丈夫だよ。それで、用事って?」
扉の前に佇む彼女から、答えは直ぐに返って来ない。口に出すのを憚っているようにも見える。
「……今回の一件では貴様に迷惑を掛けたな」
「迷惑って……そりゃ全く迷惑しなかったって言えば嘘になるけどさ」
「本当にすまなかった。そして、アイヴィス様を救ってくれたことに改めて礼を言う」
深々と頭を下げるクライス。本来なら有り得ないことだ。
「そんな、いいって。頭を上げてくれよ」
「……そういうわけにはいかない。命令されてとはいえ、貴様に対して刃を向けたことに変わりはない……。とても謝って済む問題ではない。だから……」
不意に足を踏みし、一歩また一歩と俺の元へと近付く。ベッドの縁で彼女は小さく息を吐き出すと
「この躰を以て詫びることにしよう」
「えっ……」
聞き返す間もなく、ベッド上へと乗り出した彼女によって体を押し倒される。
「ちょ……お詫びってその……」
自分の服に手を掛け、肌を晒していく彼女から目を逸らせない。
「……私のような女らしくない体では不服だろうが許して欲しい。それに、こういった経験がないので拙いかもしれない」
今まで見たことがないような彼女の汐らしい振舞いに思わず息を呑む。けど……
「……違うよ」
俺の服へと手を掛けた彼女の腕を掴む。
「……クライスはずっと、心の闇に染まっていくアイヴィスの一番近くに居た。それを見ていてクライスが何も思わなかったわけない。こんなアイヴィスは間違ってるって分かっていて、それでもアイヴィスの言葉は裏切れなくて、心を痛めながら命令に従ってた。確かにクライスは街の人を、ギルドメンバーを傷付けた。でも、皆が怪我で済んでるのは、誰も命を落としていないのは、クライス……お前がそうならないように必死に相手のことを気にかけていたからなんだろ?」
彼女は答えない。肯定しようが否定しようが自分に嘘を付くことになるからだ。でも、「そうだ」と言って欲しかった。
俺は一気に体を起こすと、迷いを浮かべた彼女の体を逆にベッドへと押し倒し、その両腕を押さえ付ける。
「俺と戦った時だってそうだ。クライスは、どう倒すかじゃなくてどうすれば傷付けずに済むかをずっと考えてた。……これが全部俺の妄想だって言うなら、あれが全力だったって言うなら仕方ない。お前が、一緒に時間を過ごした仲間を本気で傷付けようとするような奴なら、望み通り、躰で償ってもらうことにするよ」
悲痛を浮かべる俺を、彼女は瞬き一つせず見つめていたが、やがて諦めたかのように瞳を閉じると
「……貴様の言う通りだ。私はどうしても本気で戦えなかった。……貴様を傷付けたくなかったからだ。それを悟らせないようにしていたつもりだったが、まるで無意味だったようだな……私が間違っていた。……手を放してくれるか?」
「あ……あぁ、悪い」
力なく言った彼女に、慌てて手を放す。彼女はゆっくりと体を起こすと
「すまなかった……結局、気を使わせてしまったな。今宵のことは忘れてくれ。……だが、代わりに約束しよう。貴様が本当に困った時には力を貸すと」
差し出した小指に、俺も指を絡める。
「あぁ、約束だ」
解いた指を放す。なんだか気恥ずかしくてお互いにはにかむ。
「……そういえば、もう一つ間違いがあったな」
「……? なんだ?」
「……今のクライスを見て女の子らしくないなんて言う男はいないよ」
「っ!」
みるみるうちに顔を真っ赤に染め上げ、自分の体をその手で隠す。こんな彼女が"氷の警備団長"と呼ばれているなんて、俺にはどうしても信じられなかった。
翌日、俺は城の入口でアイヴィスとクライスに見送りを受けていた。
「泊めてくれてありがとな。また今度、顔を出すよ」
「お礼なんて結構ですわ。それに、日を改めてこちらからギルドの方に謝罪に参りますわ」
「えっと……そのことなんだけど」
「……?」
「一晩考えてたんだけど、今回のことは俺達三人だけの秘密ってことにしておかないか?」
「ワタルがそう仰るなら……けれど、何故ですの?」
「今回の一件は誰かに仕組まれたものじゃないかって思うんだ。誰がいつどこでどうやってかは分からないけど、アイヴィスの小さな蟠り程度の心の闇を大きくしたのは、人為的なものだと俺は思ってる。それで、その結果として国と国とが争うことになるってことまで見越してた、そんな気がする。その辺、心当たりはないか?」
俺の言葉に二人は顔を見合わせて考える。
「具体的に思い当たるわけではないが、アイヴィス様が往来の場に出ることも少なくはない。当然、その身に触れるような輩を近付けさせることはないが、触れずともそんなことが出来るとしたら、絶対に無かったとは言い切れないな」
「私もですわ。ですが、自分の心に歯止めが効かなくなり始めたのは……お父様に国を任されたその時期頃だった……かもしれませんわ」
二人の話では朧だが、この一件の裏に影の存在があることは感じた。解決に向かったわけではないが仕方がない。もっとも、具体的な心当たりがあれば二人で解決していただろうから当然といえば当然だが。
「うん、やっぱり今回のことはこれ以上大事にしないでおこう。被害が増えなかったら自然と収まるよ。だから今度また会う時は、前と変わらない俺達でいよう」
差し出した手をアイヴィス、そしてクライスが順に握手を交わす。
「昨夜の約束は覚えているか?」
「あぁ、もちろんだよ」
「……ならいい」
昨夜のことから、クライスとの距離が近くなったような気がする。もっとも、アイヴィスの前でそんな素振りを見せたりはしない。
だが、その変化を敏感に感じ取ったアイヴィスは、俺とクライスのやり取りをどこか不満気な顔をして見ていた。
二人と別れた俺はウォルダムからアルストライアへの帰路につく。
考えるのは今回の一件をどう説明しようか、ということ。レアには正直に話すとして、サリアとメイルも俺が一日いなかったことを疑問に思っているはずだ。けど、話すわけにもいかない。まあ、レアと口裏を合わせればなんとかなるだろう。
二国を結ぶ道を歩く俺は、ウォルダムへと向かう時とは違って、気楽なものだった。アイヴィスとクライスと敵対することにはなったが、結果的に丸くは収まったし、二人が悪いわけではないことも分かって安心した。
だが代わりに、その裏で蠢く存在を知ることになった。今回のことは一端に過ぎない。根拠はないが、そんな胸騒ぎがした。