閑かな水の街
俺は話した。昨日、路地でギルドメンバー狩りと会ったこと。敵対した末に敗れ、記憶を消されたこと。そして……その相手がクライスだったことを。
黙って話を聞いていた彼女が、最初に言ったのは
「何故、クライスがそんなことを……」
俺と同じ疑問だった。だが、その問いは俺がクライス本人にした。
「クライスは、アイヴィスの命令だって言ってた。けど結局、どうしてアイヴィスがそんな命令をしたのかは分からない」
「私にも分かりませんが……考えられるのは、半年前にこの屋敷を離れてウォルダムに帰ってから何かがあった、というところでしょうか」
「そうかもしれない。けど、ここで話してても結局は憶測で埒が明かない。真相を確かめるには本人に会って話を聞くしかない」
普段なら迷わずにそうするが、今回は問題がある。そして、そのことはレアにも分かっているらしい。
「それで、アイヴィスとクライスのしていることが悪だったとして、あなたに二人を傷付けることができますか?」
答えられない。それは答えが決まっているからだ。あの時、俺は明確な敵意を向けられたにも関わらず、クライスを傷付けることは出来なかった。何かの間違いであって欲しい。そんな気持ちを抱えたままで相手を出来るほどクライスは甘くはない。
「出来ないかもしれない……でも、このまま何もしないで見て見ぬふりをするなんて、もっと出来ない」
「何故ですか? 彼女は私達には手を出さないと言ったんですよね? もう少し様子を見ていればこのギルドメンバー狩りも終わるかもしれないじゃないですか」
レアの言い分ももっともだ。あの時、最後に言ったクライスの言葉に嘘があるとは思えない。恐らくこのまま傍観しているのが賢明だ。けど……
「……辛そうな顔をしてた。クライスはやりたくてこんなことをしてるわけじゃない。だから……放ってなんておけないよ」
自分でも荒唐無稽なことを言っていると思う。今、言ったこと全て俺の勝手な憶測だ。だがどうしても、最後に見た彼女の姿が頭から離れなかった。
「止めても無駄……なんでしょうね」
「あぁ、無駄だよ。レアは無駄なことするの嫌いだよな?」
レアは溜息をつくと、両手を前に出して光の地図を開く。
「仕方がないので、前向きに話を進めますか。まずは二人の居場所ですね」
「頼りになるよ。本当に」
俺はレアの隣へと腰掛け、その地図を眺める。いくつも光があってどれが誰なのかは俺が見ても分からない。
「アイヴィスは……当然ながらウォルダムの城に居ますね。えっとクライスは……。……? 彼女も城に……」
「どういうことだ? 昨日までこの街でギルドメンバー狩りをしてたのに、一晩で城に戻ったのか」
「恐らくイレギュラーがあったからですよ。避けていたあなたと遭遇してしまう、という」
「なるほどな。でも好都合だな。話を聞くなら二人一緒の方がいい」
少し事態が好転したように感じる。ウォルダムに行けば何か分かるかもしれない。
「明日、ウォルダムに行くよ。出来れば二人と話をしてくる」
「無駄足になる気もしますが……二人が素直に口を割るとは思えませんし……」
「そうかもしれない。けど、何もしないよりはいいに決まってる」
もう決めたことだ。悪いが何を言われても変わらないだろう。それを理解した彼女は再び溜息をつく。
「分かりました。どうしますか? 皆で行きますか?」
「いや、大人数で言っても逆効果だ。二人が素直に話してくれるとしたら俺だけだ」
「……それもそうですね。ですが、分かっているとは思いますが大事にはならないようにして下さい。下手をすると国同士の問題になりますよ」
「分かってるって。そこまで無茶するつもりはないよ」
そんな話をしたのも、もう昨晩の事だ。朝一に装備を整えて街を出た俺は、ウォルダムへと歩を進めている。以前に行ったこともあるので迷う心配はない。
前に来た時は道中で仮面を付けた謎の敵に襲われたんだっけ。後になって、国王が俺達の実力を試すためだったと分かったけど……国王?
そういえば、ウォルダムの国王はどうしているのだろう。クライスはアイヴィスに命令されたからと言っていたが、そんなことをしているのを国王が知らないということもないだろう。なら、このことを容認しているのか? もしそうなら、本当に国同士の問題になるが……
初めて来た時は、先の見えない道のりに辟易していたが、今回はそれほど大変にも感じずに、ウォルダムが見えてきた。念の為、そろそろ気を引き締めておいた方が良さそうだ。
城下町の入口で、遠くに見える城を見上げる。一年前とあまり変わっていないように感じる。だが、どこか違和感を感じる。まるで風景画を見ているかのような感覚……そうか、人がいないからだ。
街を血管のように走る川を、水が流れる音が静かに響く。以前は、街行く人や露店などでもっと人が居たはずだが、今はその気配すらない。
どこからか音が聞こえてくる。それが、徐々にこちらに近付く足音であることに気が付く。路地から姿を現したのは甲冑に身を包んだ兵士らしき人。
「こんな時間に何を出歩いている!」
俺を視認するや、怒号を飛ばす兵士。
「こんな時間って……まだ朝だろ?」
「なんだと……? お前、この街の住人ではないな。怪しい奴め」
会話が成り立たない。どうしてこんなにいきり立っているのだろう。
「俺はアルストライアから来たんだ。一応、この国の国王様と面識があるんだけど、ちょっと話がしたいんだ。城まで案内してくれるか?」
「馬鹿も休み休み言え。お前のような素性も知れない者を城へ入れさせるわけがないだろう」
「そっか……じゃあ自分で行くよ」
そこで話を終わらせて歩き出そうとしたが、行く先に回り込まれる。
「待て! 行かせるわけにはいかんな」
正直なところ面倒だ。どう説明したところで納得しそうにない。紹介状を持ってきたわけでもないし、埒が明かないな。仕方ない……
俺は風を纏うと、勢い良く飛び出し、兵士の頭を飛び越える。
「悪いけど急いでるんだ! じゃあな!」
そのまま背を向けて走り出す。兵士は追いかけようとしていたが、甲冑を身に着けたまま追いつけるはずもない。
ゆっくり歩いていて別の兵士に絡まれても面倒だ。このまま風に乗って城まで行ってしまおう。
「ん?」
気を抜いていたわけではないが、この人の気配のしない街角から人が出てくるとは思わず、避ける間もなくぶつかる。巻き込むようにして街道へと転がった。
「痛てて……悪い、ちょっと急いでたから」
相手はゆっくりと体を起こす。兵士ではないようだが街の住人か?
「この時間の外出は禁止なのを知らないのか!? 兵士に見られでもしたらどうする……」
俺達は互いに顔を見合わせ、思わず沈黙する。それは互いに見知った顔だったからだ。初めてウォルダムに来た時に出会った少女。名前は確か……
「おぉ、久しぶりだな。ルトラだよな? こんなところで何して……」
言い終える前に、口を押さえられ、路地へと体を引っ張り込まれる。
「静かに」
小声でそう言いながら、口に指を当てる。理由はすぐに分かった。俺達が身を隠した路地のそばを、兵士が走り去ったからだ。けど、俺はともかくルトラが隠れる必要はあるんだろうか?
「助かったよ。なんかここの兵士ってやたらいきり立ってるよな。何かあったのか?」
答えはなく、沈黙が流れる。
「ワタル。お前、何も知らないんだな。ここはもうお前の知ってるウォルダムじゃないよ」
「……? どういう意味だ?」
ルトラは溜息をつくと、何から話そうか考えているようだ。しばらくして、無造作に置かれた箱の上に腰掛ける。
「噂で聞いたけど、ここの国王と王女と……警備団長も、アルストライアに行ってたんだろ?」
「そうだよ。半年くらい前までかな」
「そうだ。半年前、国王と王女がウォルダムに戻って来てからは今までと変わらなかった。おかしくなったのはそれから二ヶ月後くらいからだ。今、この国に国王が居ないのは知ってるか?」
「いや、知らない。居ないのか?」
「あぁ、ついでに言えば王妃も居ない。国王と二人で用事があって国を離れてて、いつ戻ってくるのかは分からない」
「国王も王妃も居ない……? じゃあ誰がこの国を統治してるんだ?」
「アイヴィス様……つまり、王女だよ。国王が国を離れる時に、将来、王女が女王になるための経験としてこの国を任せて行ったんだ。だから、今この国の全権は王女が握ってる」
アイヴィスがこの国を統治してる……将来、女王になるために努力をしていた彼女なら、上手く国を治めることが出来る気がするが、この国で生活しているルトラは不満なようだ。
「王女が国を統治するようになってしばらくは今までと何も変わらない生活が続いてた。けどある日、突然、その王女から勅令が出された。内容は、納税を強制するとかそんな感じのだったな。その時は、みんな疑問には思ってたけど必要があってそうしてるんだと思って黙って従ってた。けど、それから定期的に下される勅令の内容はどんどん生活の自由を奪っていった。今じゃ自由に外を出歩くことも許されてない」
「アイヴィスがそんなこと……何かの間違いだろ。それにそんな命令に街の人が黙ってないだろ?」
「そりゃみんな最初は反発したさ。けど分かるだろ? 氷の警備団長様に斬り伏せられて終わり。それ以来、誰も逆らえない。街から出て行くのも禁止されて、もうどうすりゃいいんだよって話」
この街の現状は、俺が思っていたより遥かに酷い状態だった。しかもそれはアイヴィスとクライスのせいだなんて……
「これで分かっただろ? だから早いとこ、この街から出た方がいいぞ」
「いや……余計に帰れなくなったよ。ちゃんと二人と話さないとな」
「っ!? 馬鹿かお前! 殺されるぞ!」
「心配してくれてるのか? 優しくなったな、ルトラ」
「冗談で言ってるんじゃないぞ。本当に……」
必死で止めようとしてくれている彼女の口元へと、今度は俺が手を添える。
「俺のことなら大丈夫だ。それに……そんな生活を強いられてる街の人達を放っていけないよ。絶対に何とかしてみせる」
決意を秘めた瞳に、彼女は静かに微笑む。
「ワタル……変わってないな、お前」
「褒め言葉として受け取っとくよ」