白狗の少女【挿絵】
俺が外を出歩くことは珍しいことではないが、今日は少し違う。それは
「あと何か買う物あったっけか?」
「ちょっと待って下さい。確認するので」
隣でメモ紙を確認するのは、用事が無ければいつも部屋でグータラしている女神。二人で一緒に歩くなんていつ以来だろうか。
勿論、何も理由が無ければ誘っても来るわけがないが、今回は買う物が多くて持ちきれないからという理由で頼み込んで付いて来てもらった。なんていうのは建前で、俺がレアと一緒に出掛けたかったのに無理やり理由を付けただけだ。
「大丈夫そうです。では、帰りましょうか」
俺が持ちきれない分の買い物袋を持った彼女は素っ気ない。そりゃ一緒に買い物をするのが目的ではないのだから仕方がないのかもしれないが、少し寂しい。そんなことを口に出したら誂われるので言いはしないが。
「うーん、そうだなぁ」
曖昧な返事をして、どうにかこの時間を伸ばそうと画策する。が、特に何も思い浮かばないので諦めようとしたその時
「オラ! 邪魔だ! どけどけ!」
後ろから男の怒声が聞こえて来る。俺達が振り向いた時には、街道を行く人々を突き飛ばしながら走る、物盗りと見られる男が背後まで迫っていた。
俺達の間を割って入るように男は駆け抜けていく。不意に体を突き飛ばされた俺は転びこそしなかったが、山のように持っていた買い物袋は地面へと落ちてしまった。だが、そんなことよりも……
「レア! 大丈夫か!?」
女神であるとはいえ、外見上は普通の女の子である彼女は男に突き飛ばされ、道端に尻餅をついていた。
「痛たた……」
彼女は眉をひそめてはいるが、目立った外傷も無さそうだ。だが……
「あの野郎……」
俺は短剣へと手を掛けると同時に、体の周囲を風が包む。
「あっ、ちょっと!」
レアの返事を待たずに、遥か遠くに見える男の背へと駆け出す。彼女は大量の買い物袋とともにその場に取り残される。
「……どうするんですかこの荷物……」
風に乗ったこの体は羽のように軽い。地を走るただの人間相手なら競走にもならない。みるみるうちに男の背は近づき、もはや手の届く距離だ。掴み倒すか? いや、問答無用で一発ぶち込んで……
「ん?」
視界の端に白い物が映る。男のものではない。それが人であることを認識したのは、鈍い音を立てて互いに頭をぶつけ合ってからだった。
「ひゃあっ!?」
その声で女の子だとは分かったが、何故急に俺の元に飛び込んで来たのかは分からないまま、一緒に男の背へと体当たりする形になった。
「うおっ!?」
男は、背後からの衝撃に地面へと勢い良く倒れ込む。俺はどうにか体勢を立て直して地面へと着地した。
「痛っつ……なんだお前? その物盗りの仲間か?」
自分で問うておいてなんだが、少女の外観を見て絶対に違うと分かった。なぜなら……
「あなたこそなんなのですか! 公務を妨害するというならこの男と同罪ですよ!」
白い団服に身を包み、ぶつけた頭を擦る少女。白狗の子か。どうやら同じ男を追っていて鉢合わせたらしい。
正直、レアに怪我を負わせそうになったこの男に、一発くらい見舞ってやりたかったが、下手なことを言って誤解されるのも面倒だ。この子に任せてしまおう。
「白狗だったのか。邪魔して悪かった」
「誰が白狗ですか。私にはエリアスという名前があります!」
何故か怒り出す少女。白狗というのは通称なんだが、名前で呼ばれないと嫌なのだろうか? 今までそんな白狗はいなかったが。
「悪かったよ、エリアス。じゃあ後は……」
俺の目線はエリアスと名乗った少女ではなく、その後ろで音もなくゆっくりと立ち上がった男へと向けられる。彼女は気が付いていないのか?
男は棍棒のような武器を振り上げる。まずい。声を掛けたんじゃ間に合わない。
「てめえらゴチャゴチャくっちゃべってんじゃねーぞ!」
「えっ……」
鈍い音と共に砕け散ったのは、男の振り下ろした棍棒。彼女と男の間に展開された、白緑色の盾を形どった精霊魔法により、それは防がれた。
俺は、咄嗟のことに呆ける男の元へ駆けると、その手へと短剣を突き立てる。
男が呻き声を上げて地に伏せたのを見下ろしてから、少女の方へと向き直る。
「ったく……武器持ってる相手から目を離すなよ」
「あっ……あ、あなたに助けてもらわなくても自分でどうにか出来ました!」
呆然と立ち尽くしていた彼女は、我に返ったように捲し立てる。
「へいへい……そうですか。そりゃ余計なことを」
俺はそう言い残して立ち去ろうとしたが、彼女は気に入らなかったらしく、肩を掴まれる。
「まだ話は終わっていません! あなた、名前は?」
正直、絶対に面倒くさいことになりそうなので名乗りたくない。けど、このまま帰してくれそうにないしな……
「ワタルだけど……」
「ワタルさん、いいですか? 今回たまたま私を助けたからといって恩を売った気になるのはやめて下さい」
「別にそんなこと思ってないって。けど、お礼くらい言ってくれてもいいんじゃないか?」
とはいえ、お礼を言って欲しいわけじゃない。彼女は一方的に助けられたままというのが気に入らないようだからだ。
「それはその……ありがとうございました」
意外に素直な彼女の姿勢に少し可笑しくなってしまう。
「どういたしまして。はい、それじゃこれでチャラってことで。俺ちょっと急いでるんだ。行ってもいいか?」
「あっ、はい……」
肩を掴む力を徐々に弱め、放したところで俺は一歩前に出る。
「それじゃそいつのことは任せた。よろしくな」
俺は手を振って言い残し、今度こそ歩き出す。彼女は何か言いたげな様子だったが結局は何も言わずに見送る。
つい衝動的に男を追いかけてこんなところまで来てしまったが、レアを置いて来てしまったあの場所へすぐに戻らなくては。