あの日から【表紙】
"女神に愛される"という言葉がある。それは幸運を表すものだが俺の場合は少し違う。いや、そっちの意味でも合ってはいるんだが……
俺の名前は四宮渉。訳ありで、以前に住んでいた世界ではなく、転生したこの世界で新しい人生を歩んでいる。
今、俺が横になっているのは分相応に広い部屋。そこに置かれたベッドの上。一人で使うには広すぎる部屋。そう、一人なら。
俺は体を起こすと、部屋を横断して反対側に置かれたもう一つのベッドへと近付く。静かに寝息を立てているのは銀色の髪の少女。その彼女の肩を軽く叩く。
「おーい、朝だぞ。そろそろ起きろよー」
僅かに眉をひそめる。彼女が朝に弱いのはいつものことで、一度で目が覚めることの方が少ない。この姿からはとても信じられないだろうが彼女、"レア"は女神だ。何故、女神がこんなところで寝ているのか。それは今ここで話すには少し長すぎる。
俺は踵を返して自分のベッドまで戻る。レアはあとでもう一度声を掛けるとして、先に着替えることにする。
着替えを終えてからベッドに腰掛け、今日の予定を考えていると、レアがのそのそと体を起こし、眠たそうに目を擦る。と、同時に部屋の扉をノックする音が聞こえる。応えると扉を開けてメイドが食事を運び入れる。どうして普通にメイドがいるのか。それはここがこの国の国王の屋敷で、そこに俺とレアは住まわせてもらっているからだ。数多くのメイドと使用人がいるがその中でも今、朝食を運んできてくれた彼女、"ナタリア"は特別で、俺の専属のメイドということになっている。
この屋敷には他にも俺と関係の深い人物も居るが、その紹介はまた今度、会った時でいいだろう。
並べられた食事を俺と机を挟んで向かい合って食べる。髪も整えず、寝ぼけ眼で料理を口に運ぶ彼女はどこをどう見ても女神には見えないよな。俺もそう思う。
食事を終えた俺達の次の予定は"ギルド"へ行くことだ。俺の方は既に準備を済ませているので、あとはレアを待つだけだ。手持ち無沙汰の俺は窓際へと歩いて行き、窓掛けを開けて外を眺める。
眼下に広がるのは広大な城下町。この地はかつて"アルスター帝国"と呼ばれていた。"かつて"と言ったからには現在はそう呼ばれていない。その理由については説明が必要だろう。
俺達が"あの日"……つまり闇の王を討ち倒した日。諸悪の根源が滅んだ、その事実を知った全ての人から俺達は賞賛された。しかし、混乱を避けるため、闇の王を倒した者について話すことは国王によって箝口令が敷かれた。
だが、人の口に戸は立てられない。「闇の王はこの地に住む勇者によって滅ぼされた」といった旨の、尾ひれの付いた噂は世界中に広がり、その噂を聞いた人が自然と集まっていった。人が集まれば住む場所を確保するため、土地を広げ、更に人が人を呼ぶ、の繰り返し。それに伴うように技術も発展を遂げ、この"アルストライア帝国"は一大国家となった。
と、まあ。大げさに言ってはいるがそれほど前と変わったようには感じない。いやそれとも、少しずつ変わっていったから気付いていないだけだろうか?
そう……一年前のあの日から。
整備された街道を俺とレアは歩いている。理由はもちろん、ギルドへと向かうためだ。通い慣れたこの道も、思い起こしてみればもっと荒れていて、土埃が舞うような道だった気がする。そう考えれば小綺麗になったものだ。俺は以前のような殺風景な景色も嫌いではなかったが。
街には以前より遥かに沢山の人が行き交っている。だが、「闇の王を倒した勇者」とかいう少し恥ずかしい呼称をされている俺達に関心を示す人はいない。それも無理からぬことで、噂は国外に漏れたが、その具体的な人物までは特定されていないからだ。もっとも、今さら持て囃されても困るが。
先程は話さなかったが、何故、闇の王を倒しただけでこれほど有名になるのか、と疑問に思うかもしれない。それにも理由がある。闇の王、奴の行動原理は世界征服というありがちな理由ではなく、世界中の宝を集める、といったものだった。なぜそうしたかったのかは今では知るすべがなくなってしまったが、そのことに世界中の人間、種族が迷惑していた。そして、俺達が必要としていた宝もその中に含まれていたため事を構えることになった。
結果的に討ち滅ぼして宝を取り返したが、その他の宝はどうなったか? 流石にそれを全て俺達の物にするほど強欲じゃない。"大天使"と縁のあった俺達は彼女に頼み、全ての宝を元の場所へと返してもらった。その一事を人は讃えたというわけだ。
……ここで終われば英雄譚として語られて終わり。だったのかもしれない。
世界に点在していたありとあらゆる貴重な物。それを宝……宝具……神器……呼び方は人それぞれだ。そして、それらを全て独占することなど許されるはずがない。誰もがそう思うだろう。
……だが本当にそうだろうか? 人智を超えた力を宿すその宝が、一人の者の手に収まっていたことによって、ある種の秩序が保たれていたこともまた事実。
既に、持ち主のいなくなった宝はあるべき場所に返された。
……だがもし、それ一つで、万の軍勢よりも強大な力を身に宿す、悪魔の宝をその手に収めたとしたら……
人は狂わずにいられるのだろうか。
結局のところ、あの日、俺達のしたことは"人"からは賞賛されたが、それが正しかったのかは神のみぞ……いや、"神"ですら分からないのかもしれない。