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第7章

月曜日のお昼過ぎ。

前触れもなく、一之瀬刑事が来店した。

久保刑事は何度もカフェ・ヴェルデに訪れていたが、

この先輩刑事が、しかも一人で来たのは初めてだったのでアヤカはびっくりした。

先週金曜日、深田エナと話したあと、

一之瀬刑事に電話すると、本人がすぐに飛んできたのだ。

あのハンカチは、今、警察が持っている。

アヤカが届けに行くと言ったのだが、

「いや、すぐ取りに行きます」

そう言って30分後にはやってきた。

拾った経緯、先ほど帰ったばかりの深田エナとの話をすると、

「鈴井さん、あなたは素人なんですよ。

あなたの行動で、捜査が混乱するかもしれないんですよ?」

案の定、注意、いや叱責しっせきを受けた。

それから音沙汰がなかったので、ちょうど話を聞きたいと思っていたところだ。

なんだったら、こちらから連絡しようとまで考えていた。

懲りてない?

あのハンカチから何かわかったことはあるのかしら?

深田エナには話を聞いたのかしら?

一之瀬刑事は、本日の珈琲とマロン・フィナンシェを注文した。

「その後の進展をお知りになりたいんじゃないかと思って寄ってみたんです」

席に座るやいなや、一之瀬刑事がぶっきらぼうに話し出した。

すると、みるみると顔が赤くなっていき、目がキョロキョロと泳いでいる。

なんだか落ち着かないようだ。

(緊張しているみたい)

アヤカは笑いたいのを堪え、早めの休憩時間を貰って一之瀬刑事の正面に座った。


アヤカがハンカチを渡したあと、警察は改めて深田エナに事情聴取したそうだ。

今度は任意でなかったが、意外と素直に応じてくれたようだ。

カフェ・ヴェルデで語ったように、

深田エナは池ノ上マイと小泉ココロの事件に関して、何も知らない、無関係だと話したらしい。

あのハンカチはアフタヌーンティーの日、

つまり、池ノ上マイが襲われた日に初めて卸したのは間違いないと言う。

「朝、家を出る前にバッグに入れて・・・ええ、一回も使いませんでした」

ただ、どこで失くしたかは本当にわからないらしい。

「公園ですか?行ってません!絶対に!!」

上田講師についても一之瀬刑事は教えてくれた。

「上田エイトにも事情聴取をしました。

28才、聖マリア女子大学、音楽部のバイオリン講師です。

都内の音大を経て、聖マリア女子大学には3年ほど前から勤務。

過去の逮捕歴は無し。

深田エナと上田講師と付き合っているというのは事実みたいですな。

半年くらい前かららしいですが。

深田エナのほうから積極的にアプローチしてきたと言っています」

上田エイトは東京の音大を卒業後、しばらくその大学に研究生として在籍していたらしい。

学生時代は大学内だけではなく、全国的にも一目おかれ、

国内コンクールで何度も賞を取っていた。

容姿の良さもあって固定のファンもいて、注目されていたみたいだが、

ひとたびプロの中に飛び込んでいけば、結局は実力がもの言う世界。

悲しいかな、井の中の蛙・・・だったらしい。

いつしか学生時代の栄光は薄れ、一講師として聖マリア女子大で教える日々だという。

「しかしあのルックスなので、女子生徒の間では人気が高く、

それはそれで満足した生活のようですね。

人当たりも良く、他の職員からの評判もいいようです」

なるほど。

女性ばかりの大学では、上田センセイのような若くハンサムな先生は少ないだろう。

誰だってチヤホヤされて悪い気はしない。

「あの・・・妹が聖マリア女子大で上田センセイはCDデビューするらしいって話を

聞いた話、本当だったんですか?」

「ああ、それですね。

その噂を調べてみたところ、深田エナの父親が重役を務めるレコード会社からの話だそうです」

「え!?そうなんですか?・・・あの、それって・・・」

一之瀬刑事が手を上げて制した。

「ああ、鈴井さんがおっしゃろうとしていることはわかります。

お金持ちのお嬢さん、しかもレコード会社の役員を父に持っている。

その、言い方は悪いですが、取り入るといいましょうか。

ま、想像の範疇を超えませんがね

あなたが言いたいことは、コネじゃないかってことでしょう?

・・・深田エナは上田エイトとはお互い愛し合っていると言っていますが、

もしかしたら・・・上田はそうで無いのかもしれませんな」

アヤカは小さく頷いた。

アヤカだってダテに三十ウン年生きてきたわけではない。

真っ直ぐで純粋な恋愛ばかりじゃないことも知っている。

だからこそ、深田エナが猪突猛進な恋に突き進み、

破滅を迎えるのではないかと心配なのだ。

お金持ちのお嬢様、音大生で美人となれば、

今まで挫折などを味わったことなどほぼ無いに違いない。

気が強い分、それが壊れたときの反動は大きい。

(これが私の推測だけで、二人が本当に愛し合っていればいいんだけど)

アヤカはそれを本気で願っていた。

しかし、上田センセイは深田エナ以外の女性との付き合いも”多少”あると認めたそうだ。

ただ、大人同士の付き合いということで、自分を支援してくれている”ファン”の女性達だと。

「大学時代からのファンというか、取り巻きみたいですね。

一緒に食事したりするだけの付き合いと言っていました。

まあ、50代から上の妙齢の女性が多いようですが」

本人は独身なんだから、恋愛は自由だろうけど。

それでもアヤカの心はムカついていた。

「それと、白井ユウコのアリバイは立証されました」

警察は、カフェ・ヴェルデを出たとされる3時から、

徒歩で白井ユウコの家まで行き、そこから自転車で『こばとの家』までの時間を計ったそうだ。

そして園長先生(やはりあの年配の白髪の女性だった)は、

白井ユウコはずっと『こばとの家』にいたことを証言してくれた

「まあ、その園長先生も身内といえば、身内ですが。

信頼出来そうな人でしたし、孤児院の近くにある防犯カメラからも、

白井ユウコが自転車に乗っている姿が確認されたので、ま、大丈夫でしょう」

良かった、彼女の疑いが晴れて。

アヤカは心のつかえが一つ取れたことにホッとした。

しかし・・・。

「でも一之瀬さん、そうすると、これで深田エナが犯人でないとすれば、

池ノ上マイの友人3人は、容疑から外れるわけですね」

一之瀬刑事が頷く。

「追加情報ですが、

水野アイカが音楽教室で小学生二人を教えていたとき、その保護者達が外で待っていたそうです。

一人は一度トイレに立って席を外したそうですが、もう一人はドアの横のソファにずっといて、

水野アイカが一歩も外に出ていないと保証してくれました。

これは鉄壁のアリバイですな」

確かに。あ、そういえば・・・・

「そういえば気になっていたんですけど、水野さんはどうしてアルバイトを?

その、音大生の人はお金持ちのお嬢さんが多いんでしょう?」

「ああ、それは珍しいことではないらしいですよ。

水野アイカの家もそれなりに裕福らしいですな。

親は弁護士ですし、金には困っていないようです。

音大生はそういう教室で音楽を教えたりすることで、勉強しているみたいです。

または、音楽会社に就職するときに有利みたいですな。

他の生徒も同じ教室でピアノなどを教えているそうですよ」

なるほど、就職か。

一之瀬刑事がなおも付け加える。

「他にも音楽ホールだったり、レコード会社などが就職先に多いようです」

「つまり、音楽一本でやっていくのは難しいってことですね」

「そうらしいですな。

運よくどこかのオーケストラに入ることもまれだそうです」

確かにオーケストラの席が空くことは珍しく、

それこそ限られたポジションを巡ってのイス取りゲームになるだろう。

だとしたら、海外留学なんて本当に千歳一隅のチャンス。

人を殺してでも・・・と考える人がいてもおかしくない。

あと関係者でいえば・・・

「あの、冬木教授のアリバイは・・・?」

「ふーむ・・・それが、曖昧なんですよ」

一之瀬刑事が胸の前で腕を組み、顔を曇らせた。

冬木教授改めてアリバイを聞いてみたところ、要領を得なかったらしい。

「確か、あの時は、事務所に行ってたんだか、それとも、庭を散歩していたんだったか・・・」

あまりハッキリしないらしい。

「そうは言っても、あの白髭の教授にどういった動機があるんだか・・・」

刑事が大きなため息をつく。

確かにあのもの静かそうな教授が、池ノ上マイを襲うところは想像出来ない。

もしかしたら、彼女のほうが力がありそうだ。

しかし、可能性はある。

担当教授なら、池ノ上マイは油断するだろう。

その隙を狙って・・・・ありうる。

アヤカが一之瀬刑事に考えをぶつけてみる。

「なるほど・・・それは確かに。

もう少し目撃者がいるかどうか、調べてみましょう。

それに確か、池ノ上マイの母親とも師弟関係でしたな。

そこらへんに何かあるかもしれません」

「そうですね。・・・あの、渡したハンカチのほうはどうですか?

柏原教授の言ったように、松ヤニでした?」

「ああ、そうでした。

あれから科研に持っていったところ、やはりあの教授が言ったように、松ヤニでした。

小泉ココロの首にあったものと成分が一致したそうです。

・・・一応、専門的なことに関しては鋭いですな、あの教授は。

しかし・・・なぜ我々があのハンカチを見落としたのか・・・」

一之瀬刑事の顔に悔しそうな表情が浮かぶ。

アヤカはしっかりと口を閉じていた。

アヤカだって本当に偶然だったのだ。

あんな所から母が侵入しようとしなければ、見つからなかったのかもしれない。

そう考えると母のお手柄ということになるのだろうか。

「松ヤニというと、弓を使う楽器、

バイオリンやチェロ、コントラバス奏者が使うものだそうですね」

「・・・そうですな。

関係者でいうとチェロの白井ユウコ、バイオリン奏者の水野アイカ、

それと上田もバイオリン講師ですね。

ちなみにこの二人は大学では師弟関係の間柄です」

「そうみたいですね、驚きました」

自分の師匠が友人と付き合っているというのは、

水野アイカはどういう気持ちなのだろうか。

アヤカが考え込んでいると、

「・・・何か、他にいい考えは思いつきませんかね、鈴井さん」

え?なんでそんなことを聞くの?

アヤカがびっくりして一之瀬さんを見返すと、その顔は真剣だった。

私の考えを聞いているのだろうか。

刑事さんが?私みたいな素人に?

アヤカは戸惑いながら、言った。

「あの、深田エナさんなんですけど、

ひょっとして上田センセイと共謀してたってことはないでしょうか?」

「というと?」

「池ノ上マイさんが襲われたとき、

深田エナは駅前で買い物をしていたっていうアリバイが一応あるんですよね?

恋人の上田センセイはどうなんですか?」

「・・・なるほど、そういう線ですか。

確かにあのセンセイなら池ノ上マイを襲うことは簡単でしょう。

それに上田センセイにはアリバイがありません。

池ノ上マイが襲われた時間、自分の部屋で仕事をしていたということでしたから」

一之瀬さんが警察手帳をめくる。

「上田講師の部屋は、ああ・・・4階ですね」

「じゃあ、マイさんを襲ったあと、階段を急いで昇って、自分の部屋に戻ったかもしれない」

「ありえますね」

「小泉ココロさんの時はどうなんです?」

「上田講師はマンションで一人暮らしですね。

場所は大学の近くで、その夜は一人で家に居たと言っています。

・・・防犯カメラをチェックしてみましょう」

「そうですね。

バイオリンのセンセイなら松ヤニも持っているはず。

ただ、条件は揃っているけど、動機が薄いですよね。

そこまでして殺人っていう危険を犯すでしょうか?

恋人のためっていうには、ちょっと・・・。

深田エナと、その、ずっと付き合っていればデビューできるはずですし、

そこまで危険なマネをする必要がありませんよね」

「そこなんですよ!」

一之瀬刑事がパンと大きな音をたてて、膝を叩いた。

「動機がある者にはアリバイがあり、動機が無い者は機会があった。

・・・正直なところ、捜査は行き詰っています。

捜査本部ではあの松ヤニの件で、不審者や通り魔による犯行の可能性はほぼ無くなりました。

やはり痴情のもつれ、被害者たちの親近者による可能性が高くなりました。

まったく、どうしたものですかね・・・」


40分ほどで一之瀬刑事は肩を落として帰っていった。

きっちりと珈琲とフィナンシェ代を置いて。

スタッフ用の珈琲だからお代はけっこうですとアヤカが言っても、頑固に固辞した。

あれから4日経つが、一之瀬刑事からも久保刑事からも何も連絡はない。

捜査が難航しているのだろうか。

それともアヤカ達に知らされないだけで、密かに進んでいるのだろうか。

こうしている間にも、池ノ上マイはずっと生死を彷徨っている。

苦しんでいるのは彼女だけじゃない。

容疑者と言われている人たちも、ずっと不安な気持ちを抱えたままだろう。

アヤカが自分の無力さが歯がゆかった。


「じゃあ、アヤカ、お先」

「うん、お疲れ~~」

夜6時半、ミナは仕事を終え、愛車のバイクに乗って帰って行った。

ミナを見送ったあと、厨房のドアをしっかり施錠した。

玄関の鍵もちゃんと閉まっていることを確認し、

アヤカは事務所兼スタッフ用控え室がある2階に珈琲マグを持って上って行った。

アヤカにはこれから溜まりに溜まっている書類仕事が待ち受けている。

(これがイヤなのよね)

大きくため息をついて、机の引き出しを開けた。

そこには目に付かないように入れておいた書類や領収書の束。

それを見るとげんなりしたが、これもオーナーの仕事だ。

(よしっ!やるぞ!)

机の上にドサッと出し、アヤカは気合を入れて取り掛かった。


やっと終わった。

アヤカはすっかり冷めてしまった珈琲をゴクッと飲んだ。

壁の年代モノの時計を見上げると、すでに8時近くになっていた。

書類仕事は嫌いだったが、アヤカは満足だった。

思っていたとおり、2日間のアフタヌーンティと千花大学のケイタリングは店に利益をもたらしていた。

カフェ・ヴェルデを開店してから約5ヶ月。

最初はどうなることかと思っていたけど、

常連のお客様もできてきたし、3人の仕事のローテーションも確立してきた。

ミナの焼き菓子は評判いいし、チカの仕事ぶりは成長著しい。

イベントだって対応できたじゃない。

(これなら、本当にアフタヌーンティは定期的にやってもいいわね・・・)

そう思ったその時。

ガシャーン!!

夜の静寂を破って、何かが割れるような音がした。

「キャーーー!!」

アヤカは椅子から転がるように降りて、しゃがみこんだ。

何?

不安にかられながら周りを見渡し、様子を伺う。

辺りは再び静かになった。

ガラスが割れたみたいな音だった。

階下から聞こえた気がするけど・・・ウチなの?

誰かがいたずらで石を投げ込んだとか?

それとも・・・そう思いついた途端、アヤカの顔は青ざめた。

まさか・・・誰かがウチに入ってくるために?

大急ぎでその考えを打ち消そうとしたが、どんどん悪い方向へ向かうだけだった。

どうしよう、もしここに来たら!!

この部屋は階段を上がったら、遮るものは何もない!

誰かがここに来たら身を守るものもない・・。

足が震えて言うことをきかない。

床に座って動けないまま、じっと耳を澄ましてみた。

・・・何も聞こえない。

話し声も、階下を誰かが歩き回る音も。

でも、下に行って確かめるのは・・・怖い、できない。

アヤカは這うようにして、ソファに放り出してあったバッグからスマホを取り出した。

指が震える。

誰か!誰でもいい出て!!

「・・・はい?」

「あ・・・た・・・助けて・・・」

声がかすれて、自分が思ってた以上に声が出ない。

「え?鈴井さん?鈴井さんですよね?」

その声は庄治准教授!?

そうか!

明日ウチに来る予定だったから、昼に電話したばかり。

履歴の一番上にあったから、私ってばそれを押したのね!

「どうしたんです、鈴井さんですよね!?何かあったんですか!?」

准教授はアヤカの声から異変を察したようだった。

「あの、助けてください!・・・ウチに、店に誰か人がいるみたいで」

やっとまともに声が出た。

「店に!?・・・わかりました、すぐ行きます!今どこです?

二階?そこを動かないで!」

そう言って、電話が切れた。

アヤカはバッグを手に握り締め、ソファの影に身を潜めた。

もし誰かが階段を上ってきたら・・・このバッグを振り回して殴ってやる!

布製のトートバッグにさほど殺傷力があるとは思えないが、

パニックしているアヤカにはこれしかすがるものが考え付かなかった。

来るなら来い!

何もしないままやられないんだから!


電話を切ってから、どのくらいの時間が経っただろうか。

実際には5分も経っていないのだが、

アヤカには1時間にも無限にも感じられた。

2階は時計の秒針の音だけが響いていた。

胸をドキドキさせながら、アヤカが身を硬くしていると階下から物音が聞こえた。

ガラスを踏みしめるようなジャリっとした音。

まさか!

とうとう犯人が動き出した?

アヤカが一層力を入れてバッグを握り締めていると、

「・・・さん?鈴井さん?僕です、庄治です!」

准教授!来てくれた!

アヤカは弾けるように立ち上がり、

バッグを放り出して、転びそうになりながらも急いで階段を駆け下りた。

そこには庄治准教授がいた。

アヤカは思わず准教授に抱きついた。

そして、堰を切ったように泣き出してしまった。

准教授は驚いたようだったが、アヤカを優しく受け止めてくれた。

「怖かった・・・誰かが・・・」

「大丈夫です、もう大丈夫ですよ」

アヤカの頭上から降りかかる准教授の声は、優しく、腕の中はとても暖かかった。

ぬくぬくとしたこの中にいれば、安心な気がした。

世界中の何処よりも。

どれくらいそうしていただろうか。

アヤカははっと我に返った。

慌てて准教授から離れようとしたが、背中に回された手はほんの少しも緩まなかった。

「あ、あの・・・もう、大丈夫です」

「・・・ショック状態のようですね。さあ、座っていたほうがいい」

そう言って、准教授はやっと力を抜き、優しくソファに座らせてくれた。

アヤカの心臓はゴムマリのように跳ね回っていたが、やっと周りを見る余裕ができた。

イングリッシュガーデンを見渡す大きな窓が1枚割れていた。

そこから冷たい風が吹き込んでいる。

窓下のソファやテーブルの上にはガラスの欠片が散らばっている。

「これですね」

准教授の声のほうを見ると、床から大きな石を持ちあげたところだった。

それはなんの変哲もないゴツゴツした石だった。

直径は20センチはあるだろうか。

そこらへんの道に転がっているような大きさではない。

「これが窓ガラスを割ったようです。恐らく・・・」

准教授は床のガラスの破片をパリパリと踏みながら、

割れた窓に近づいていった。

「庭からこの窓に向かって思い切り叩きつけたんでしょう。

この石は・・・土手あたりに転がっていそうな石ですね」

そう言って、元の場所にそっと石を置いた。

「・・・いたずら、でしょうか?」

自分でも驚くほどか細い声が口から出た。

「そうですね・・・でも、違うかもしれません。

この間の教授会のあと、柏原教授から話は聞きました。

鈴井さん、また事件の調査をしているそうですね」

「・・・はい」

准教授はアヤカを無言で見つめてから、

着ていたジャケットの内側からスマホを取り出し、どこかへ電話し始めた。

「・・・はい、ええ、すぐに・・・・・・・わかりました。お待ちしてます」

電話を切ると、庄治准教授は着ていたジャケットを脱ぎ、アヤカの肩に掛けてくれた。

「僕ので我慢してくださいね。

今、一之瀬刑事に電話しました。

すぐここに来ます・・・水を持ってきますね」

准教授はカウンターを回り、作業台から水を汲んできてくれた。

アヤカの隣に座り、コップを差し出す。

アヤカは無言で受け取ると、震えながらコップに口を付けた。

最初はゆっくりと、そのあとはゴクゴクと水を飲み干した。

自分でも驚くほど喉が渇いていた。

この水のおかげで少し気力が戻ってきた。

「もう、大丈夫です」

「・・・びっくりしました。

ちょうど大学から帰る途中で、車で駅前を走っていたんです。

鈴井さんからの電話が鳴って、最初は何を言っているかわからなくて」

自分でも気が動転していたのはわかっていた。

変なことを口走っていないといいんだけど。

「・・・自分でも、誰にかけたのかわからなくて。

ご迷惑おかけしちゃってすいませんでした」

「いや、いいんです。

すぐ駆けつけられて良かったです。怖い思いをしましたね」

准教授が真剣な顔でアヤカを見つめた。

すぐ傍で見つめられて、アヤカは心臓が爆発しそうだった。

(こんな近くで・・・)

ドンドンドン!

玄関を激しくノックする音が聞こえた。

「鈴井さん!一之瀬です!!」

一之瀬さんの声が玄関からも、割れた窓からももれ聞こえてきた。

「僕が出ます」

庄治准教授が立ち上がり、玄関に向かう。

鍵を外すと、そこには一之瀬刑事が警官2人を従えて立っていた。

准教授が脇に退くと、入ってきた。

「鈴井さん、無事ですか!?」

アヤカの前に立ち、強張った顔で聞いた。

「はい、大丈夫です。でも・・・」

がっかりした気持ちを押し隠して、アヤカは窓に目を向けると、一之瀬刑事が頷いた。

「・・・派手にやられましたね。怪我は?」

「私・・・二階にいたんです。割れるような音を聞いて・・・」

アヤカは一人で仕事をしていたこと、

窓が割れた音がしたこと、庄治准教授に電話したことなどを話した。

一之瀬刑事は手帳に書き込みながら、質問を続けた。

警官の一人は割れた窓、床に散らばったガラスの破片、

投げ込まれた大きな石などの写真に撮っている。

もう一人の警官は、割れた窓や落ちていた石に白い粉を吹きつけている。

指紋採取をしているのだ。

以前の事件でアヤカも目にしていたので知っていた。

「ふむ」

一之瀬刑事はパタンと手帳を閉じると、玄関から出て庭に回ってきた。

アヤカが見ていると、しゃがんだり、うろうろと庭を歩き回っている。

「先生、ちょっと・・・」

3分ほどで戻ってくると、今度は准教授を呼び寄せた。

アヤカから少し離れたところで、二人はぼそぼそと話していた。

(何を話しているのかしら)

話は終わったようだ。

二人でアヤカの前に立つと、一之瀬刑事が話し出した。

「鈴井さん、残念ですが、店は明日1日閉めてもらいます。

・・・わかりますよね」

「・・・はい」

前のときと同じ。

警察の調査が入るのだろう。

前回の事件の時は店が閉められ、アヤカは怒り狂ったが、

今回、自分が危うい状況になってしまったので反対する気になれなかった。

それに、店の窓ガラスが割れてしまったのだ。

修繕しないと、店は営業出来ない。

明日は一番忙しい土曜日だったのだが・・・仕方がない。

「まあ、その代わりと言ってなんですが、

調査のあと片付けと、新しい窓ガラスはこちらで入れ替えておきます」

「え!?・・・あの、いいんですか?」

「ええ・・・まあ。

ガラス代はあとで請求しますが、あさって、いや、日曜日こちらは休みでしたね、

月曜日には営業再開できるようになるでしょう」

「ありがとうございます!助かります!」

「それとですな・・・」

一之瀬刑事がチラッと准教授を見た。

「今夜は、このままこちらの先生に家まで送ってもらったほうがいいでしょう」

「え、でも、私もう大丈夫です」

アヤカが断ろうとすると、一之瀬刑事が首を横に振った。

「いや駄目ですな。

車で来られているんでしょう?

このまま、一人で家まで帰す訳にはいきません。

ご自分ではわからないでしょうが、今、あなたはショック状態にあります。

先生も快く引き受けて頂きましたし」

すると庄治准教授も言った。

「鈴井さん、今、あなたは車を運転できる状態ではないと思います。

大丈夫です、ちゃんと安全運転で送ります」

いや、そうじゃなくて。

准教授と二人きりでドライブ!?

いや、送ってもらうだけだけど、なんで急にそんなことに!

それでなくてもさっきのことでアヤカは気まずかった。

「ぜひ、そうなさい。

さ、決まったら、すぐ帰る用意をしてください。荷物は?」

一之瀬刑事が急かすので、

アヤカは准教授の手を借りて、しぶしぶ2階にバッグを取りに行った。

「私も今夜はこれで引き上げます。

割れた窓にはブルーシートで目隠ししておきます。

庭に警官を一人見張りに付けますから、ご安心を。

朝から早速検証にかかります。

レジに現金は残っていますか?ない?じゃあ、行きましょう」

今日の売上金は二階の金庫から、バッグと一緒に持ってきた。

一之瀬刑事に追い出されるがごとく、

全員で外に出て、アヤカはドアの鍵を閉めた。

鍵はそのまま一之瀬さんに渡し、店の表に止めてあった

庄治准教授の黒の4WDの助手席にアヤカは乗り込んだ。

アヤカの車は恐らく月曜日まで裏庭に停めておくことになるだろう。

一之瀬刑事が寄ってきたので、アヤカは窓を下ろした。

「鈴井さん、家に着いたら戸締りをしっかりしてください。

脅すようですが・・・くれぐれも用心してください。

誰か人が来たら絶対チェーンは外さないこと。いいですね?

では先生、お願いします」

お休みなさいと庄治准教授が答えると、車をスタートさせた。

益戸駅前を通り過ぎると、准教授が言った。

「どちらに向かえばいいですか?」

「あ、この通りを香椎かしい方面に真っ直ぐです」

アヤカが答えると、その後は沈黙が車内を支配した。

金曜日の夜は、週末もあって、道沿いの店も賑わっていた。

車も多く流れていた。

車中のその後は、左へ、そこを曲がりますという会話だけ。

(どうしよう、やっぱり気まずい・・・)

アヤカの気分は落ち込んでいた。

咄嗟とはいえ、さっきの抱きついてしまったのは事故ってことで、

そう、大人なんだし・・・あれくらい何でもないこと。

アヤカは後ろに流れる車窓を見ながら、自分の行動を後悔していた。

「・・・着きました、ここですか?」

15分ほどでアヤカのマンションに着き、アヤカにとって最悪のドライブは終わった。

准教授が先に車を降り、助手席の扉を開けてくれた。

「部屋の前まで送ります」

准教授が先頭になって、2人で階段を昇っていく。

3階の部屋に着き、アヤカは鍵を開けた。

「一応、部屋の中を点検したほうがいいんじゃないでしょうか?

僕はここで待っていますから」

准教授の提案に、アヤカは電気を点け、玄関から台所、リビング、

お風呂場からトイレ、ベッドルーム、ベッドの下まで全て見て回った。

良かった、異常なし。

ほっとした気持ちで玄関に戻り、准教授に報告した。

「大丈夫でした。・・・あの、よかったら、珈琲でも・・・」

アヤカがおずおずと切り出した。

「いえ、すぐ帰ります」

「でも、助けてもらって何も・・・」

「女性の部屋を訪ねるにしては遅いですし・・・その・・・鈴井さん」

「はい?」

玄関の灯の下で准教授の顔が赤くなったのは気のせい?

「誰か・・連絡して傍にいてもらったほうがいいと思います。

家族とか・・・恋人とか・・」

ここで恋人はいませんというのも、35才の乙女(?)には厳しい答えに違いない。

さっきのことといい、痛手が強すぎる。

けど、誤解(?)と解くためにアヤカは正直に言った。

「いません。恋人とかは」

「そう・・・ですか。

でも、僕みたいな訳がわからない男を部屋に上げるのは、無用心です。

もっと注意を払わないと。今日危険なことがあったわけですから」

力説する准教授に、アヤカは思わず吹き出してしまった。

「もう、准教授は訳わからない人じゃないじゃありませんか。

知り合ってから、もう1年以上お世話になっていますし。

ホントに・・・その、上がって行ってください。

美味しい珈琲がありますから」

そう言いながらもアヤカは頭の中をフル回転させていた。

部屋は日曜日に掃除したきりだけど、お風呂場に洗濯ものも干してなかった。

よし!

あ、でも台所に朝の食器がそのまま!

まずいかな?

「いや、本当にここで失礼します。

鈴井さんも先ほどのことで疲れているでしょう。

僕が出たら、すぐドアに鍵をかけてくださいね」

「わかりました。あの・・・本当にありがとうございました」

「お休みなさい」

「・・・お休みなさい」

がっかりしたような、ホッとしたような。

乙女の心中を知らず、准教授は帰って行った。

アヤカは准教授が階段下に消えるまで見届けたあと、

急いでドアを閉め、鍵とチェーンをしっかりかけた。

ハッとべランダまで飛んで行く。

よかった、ちゃんと施錠してあった、一安心。

しかしカーテンを引いた途端、体の力が抜け、アヤカはペタンと座り込んでしまった。

家はアヤカの城だった。

安心できる私のささやかな城、ここにいれば怖いことはない。


5分後、アヤカはミナとチカに連絡した。

今夜の出来事を話し、明日の土曜日の営業は中止することになったと。

帰るとき、ドアに『クローズド』の札を忘れずに掛けておいたし。

ミナはこっちに来ようかとも言ってくれたが、心配ないからと言った。

母には・・・黙っておこう、とりあえず今夜は。

連絡を終えると、アヤカは一気に空腹を思い出した。

時計を見ると、もう10時。

アヤカは部屋着に着替え、冷蔵庫の中を点検した。

冷凍室にクロワッサンがあった。

2個取り出し、レンジで解凍する。

保存食を置いてある戸棚に”キャンベル”のマッシュルームスープがあった。

鍋に入れ、牛乳で溶いていく。

あとはトマトを切ってサラダにしよう。

準備完了、すべてをリビングテーブルに運ぶ。

そしてノートパソコンを開いた。

「・・・大変申し訳ありませんが・・・明日はお休みさせて頂き・・・」

カフェ・ヴェルデのホームページに、明日の臨時休業のお知らせを載せた。

(ついでにあと他に直すところはあるかしら)

アヤカはクロワッサンにかじりつきながら、画面のバーを下げた。

アフタヌーンティーの日の記事があった。

メニューの写真や、お客様の写真もある。

あの日は盛況だったわ。

次々と写真を見ていく・・・いた。

あの4人組だ・・・どの顔も笑っていた。

アヤカはジッとその写真を見つめた。

深田エナは、池ノ上マイを憎んでいた。

池ノ上マイはこの数時間後に重体で発見された。

白井ユウコは自分の出自のことで悩んでいた。

水野アイカは・・・彼女だけは今のところ何もない。

アヤカは食べ終わった食器を台所に運び、そのままベッドに潜り込んだ。

体に毛布を巻きつけ目を閉じたが、まったく眠気が訪れない。

遠くでサイレンの音が聞こえ、パッと目を開けた。

ぎゅっと毛布を掴み、体が強張らせた。

が、サイレンは遠くなっていき、そのまま消えていった。

(もう、ばかね)

アヤカは力を抜き、体の向きを変えた。

なんか・・・疲れちゃった。

事件はまだ全然謎だらけだし、危ない目にあったし、店も破壊された。

でも・・・。

アヤカは准教授に抱きついたことを思い出していた。

考えるだけで、顔が熱くなる。

准教授はそのことについて何も言わなかったけど、どう思ってるんだろう。

アヤカの気が動転していただけだと思うのだろうか。

まあ、半分はそうなんだけど・・・。

ここまで送ってくれたし、私のこと、そんなに嫌がってなかった・・・よね?

ちょっとは・・・期待してもいいのかな。

ほんの少しだけ幸せな気持ちになり、アヤカはカクンッと眠りに落ちた。


翌朝の土曜日。

アヤカは10時過ぎに目を覚ました。

いつもなら朝7時に起き、8時には家を出て仕事に行っている。

目覚ましはとっくに切れていた。

昨日の出来事の反動のせいか、ぐっすり眠り込んでいたらしい。

ベッドに横になったまま、脇に放っておいたバッグからスマホを取り出すと、着信が何件もあった。

8時にミナ、8時40分にチカ、9時10分に母(!)、11分母、13分母・・・。

数えてみると母からの着信は7件もあった。

恐らく、チカから母に連絡がいったのだろう。

9時半過ぎに、一之瀬さん、そして10時少し前に・・・庄治准教授!

アヤカの眠気が一気に吹き飛んだ。

すぐ電話しなきゃ!

あ、でもこんな格好で・・・ううん、電話の相手にこっちが見えるわけはないんだけど。

・・・とりあえず気持ちを落ち着けるためにも珈琲を入れよう。

10分後、リビングのソファに淹れたての珈琲と一緒に座り、准教授に電話してみた。

胸がどきどきしている。

昨日のせいで、何度も電話したことがあるのに緊張が高まっている。

「・・・はい」

出た!

「あ、あの、鈴井です」

「ああ、鈴井さん。気分はいかがですか?

昨日の夜は大丈夫でしたか?」

電話口を通して庄治准教授の声が耳に流れ込んできた。

「はい!ぐっすり眠れました」

「そうですか、それは良かった。

もしかして、眠れなかったんじゃないかと思って」

ハッ!

ここは怖くて眠れなかったと言うべきだったかも。

しかし後の祭り、うう。

「はい・・・・でも、なかなか寝付けなくって・・・」

ちょっと補足してみた。

「やっぱりそうでしたか。

実は鈴井さんの都合がよろしければ、お昼頃伺ってもいいかお聞きしたくて電話したんです。

気分転換に外に出ませんか?」

「え、あ、はい!大丈夫です」

「さっき、一之瀬さんにも許可を頂きました。

それじゃあ、12時半頃に伺いますが、いかがですか?

部屋まで迎えに行きますから、それまで外には出ないでくださいね、じゃあ」

電話が切れても、アヤカは動けなかった。

これって、デートのお誘いかしら?まさか、准教授と?

どうしよう!

時計を見ると、あと2時間くらいしかない。

とりあえずシャワーを浴びて、あ、服はどうしよう!

それに他の人に電話しなきゃ!


よかった、間に合った!

もう、母さんとの電話が長かったせいだわ。


ミナとの話は5分で終わった。

とりあえず、私が無事だったかどうかを確かめたかったらしい。

准教授と会うことを話すと、

「うまくいくといいわね」と言ってくれた。

「ミナは今日どうするの?」

「そうね、気になっていた店に行ってみようと思うの・・・新しいレシピの参考に」

ミナは真面目だ。

アヤカは浮かれている自分が少し恥ずかしくなった。

電話を切ると、次にチカに掛けた。

チカはママ友と一緒にファミレスにいた。

「うん、こんな機会めったに無いから。

こういうときにママ友と仲良くしとかないとね。

なんかのときに、頼れるし。

今日は半日だから、あとでアンを幼稚園に迎えに行って、一緒に出かけるつもり」

ミナの後ろからザワザワした賑やかな声が聞こえてくる。

チカにも准教授とのことを話すと、

「えーやったじゃん!いい、服装は派手過ぎず、地味過ぎずよ!

さりげなく、女性らしさが出るのにしてね。

そうね・・・ワンピースだと頑張り過ぎだから、デニムに綺麗なブラウスとかニットとか、どう?

じゃ、姉さん、頑張ってね!」

う~ん、チカのアドバイスは参考になる。

私だったら、デート=スカートかワンピースになっていた。

次は・・・一之瀬さんにしよう。

きっと昨日の件ね。

ところが、電話しても出なかったので、気が進まなかったがしょうがなく先に母に電話した。

「もう、アヤカったら、昨日どうしてすぐ電話しないの!

さっきチカから聞いて、ママ、びっくりしたわよ!」

ほうら、来た。

母の小言が続きそうだったので、アヤカはスマホをスピーカーにし、テーブルに置いた。

その間、ゆっくりと珈琲を味わう。

母の声が止め処なく流れている。

「・・・で、どうなの?」

やっと話が始まったので、慌ててスマホを耳に当てた。

「どうって・・・さっき一之瀬さんに連絡してみたんだけど

出なかったから、先に母さんに電話したのよ」

「そうじゃなくて、アヤカはその石を投げ込んだのは、

イタズラだと思う?それとも・・・この事件の犯人だと思う?」

「どう・・・かな。

でもわざわざ大きい石を持ってくるってあたり、イタズラにしては大がかりよね。

2階の明かりは見えたはずだから、店に誰かいるってわかってたはず」

「じゃあ、やっぱり警告なんだわ」

「母さんもそう思う?」

たまには親子で意見が合うときがある。

アヤカもそれは考えていた。

犯人が本気で誰かに危害を加えようとしていたら、割れた窓ガラスから店に入り、

アヤカを殺すことだって可能だった。

それを考えると改めてゾッとする。

「・・・とにかく気をつけるのよ。何か武器は持ってる?」

「ないわよ!そんなもの」

「あら、持っておきなさい!ナイフとか包丁とか」

「その前に私が捕まるわ・・・」

やっとのことで母との親子会話が終わった。

アヤカはため息をついた。

もう、母さんってば、話が長いんだから!

やだ、もう11時20分。

早く一之瀬さんに電話しなきゃ。


「ええ、店内の調査は終わりました。

鑑識によるとあの石は伊戸川の河川敷がら持ってきたもののようです。

石にはそのあたりのコケや泥が付着していました」

一之瀬刑事は益戸警察署にいた。

「近所にも聞き込んでみたんですが、ガラスが割れた音は何軒かで確認できました。

が、目撃者は今のところありません」

なんだ、がっかり。

ただ、いいニュースも一之瀬刑事はもたらしてくれた。

すでに新しい窓ガラスを入れてくれ、散らばっていた破片も片付けくれていた。

しかもガラス代もいらないという。

「ありがとうございます、一之瀬さん」

「サービスです」

ぶっきらぼうな言い方だったが、少し照れているようだった。

もう一度お礼を言い、これから准教授と外出することを報告した。

「ええ、朝方あのセンセイから電話を頂いて、その案に賛成しました。

いいじゃないですか。

昨日のことを考えれば、家にいたほうが安全ですが、

閉じこもっていると気持ちが沈みがちになってしまいますからね。

ただし、周囲には十分気をつけてください。

真昼間からまさか襲ってくるヤツはいないとは思いますが・・・。

あのセンセイの傍を離れないこと、それとあまり遅くならないこと、いいですね」

一之瀬刑事が念押しする電話を切ると・・・11時40分。

さあ、ホントに急いで準備しないと!


そして12時20分、予定時間の10分前。

あれから15分で急いでシャワーを浴び、髪を乾かし、

いつもより化粧水を多めに肌に叩き込んだ。

メイクはナチュラルに。

服はチカのアドバイスに従って、少し濃いめのインディゴデニムを選び、

トップスは、ベージュ地にネイビードットのふんわりとしたブラウス、

白のカーディガンを肩から掛けることにした。

足下は・・・そうね、先が少し尖った黒のエナメルのバレエシューズにしようかな。

バッグは『ケイト・スペード』の黒のショルダーバッグ。

あまりモノは入らないけど、デート(?)のときは小さいバッグがいいって、チカが前に言ってたっけ。

「武器は?」

ふと母の言葉が頭に浮かんだ。

そんなモノあるわけないじゃない!

心の中で反抗してみたが、少し考えてワインオープナーをバッグに忍ばせた。

いざという時どれだけ力になるかわからないけど、無いよりはマシかも。

持っているだけで少しは心強い気がする。

あとは准教授が来るのを待つだけ。

昨日あれだけのことがあったのに、アヤカの気持ちは浮き立っていた。


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