第5章
「ママ、来たの!?」
チカのすっとんきょうな声がカフェに響いた。
アヤカが声の方向に目をやると、
玄関で母のショウコが腰に片手を当てて堂々と立っていた。
アヤカは聖マリア女子大の捜査のあとユキコさんと駅で別れ、
カフェ・ヴェルデに戻っていた。
ちょうどお茶の時間と、テイクアウトのお客様で店は混んでいたので、
忙しく動き回っているミナとチカとは、
簡単な言葉だけしか交わすしかできなかった。
アヤカも急いで2階に上がり、
制服に着替えてミナと交代する形でカフェフロアの戦線に加わった。
一体、最初カフェ・ヴェルデを開こうとしたとき、
どうしてアヤカとミナの2人だけでやっていけると思っていたのか・・・。
ひとえにカフェ・ヴェルデが繁盛しているおかげだが、
今となっては、この3人だけでも精一杯だ。
サクラはお願いしていたメモをカウンターに残してくれていた。
アヤカはすぐにでもそのメモを読みたくてうずうずしていたが、
そんな暇もなかった。
チカからも直接話しを聞ける状態でもなく、
そんな中、母が店に襲来・・・もとい入ってきたのだ。
今日は午前中からお隣のヨウコさん家のお茶の稽古で、
朝から店の裏庭の駐車場に、車を停めていたのは知っていた。
「あら、もちろんよ・・・昨日、刑事さんに失礼してしまったしね。
ちゃんと謝罪しないと。
ついでにね、捜査会議を見学しようかしら。
・・・何よ、その目・・・大丈夫よ、口は挟まないわ」
それは嘘に決まってる。
黙っていたらきっと好奇心で爆発してしまうに違いない。
まもなく午後5時になる。
すでに刑事さんとの会談に備えて、一番奥の4人がけの席を確保してある。
「お昼はヨウコさん達と食事してたのよ。
知ってる?益戸氏役所近くにある美味しいハンバーグの店。
牛肉と鴨肉の合挽きを使っていてね、美味しかったわ。
そのあと、ちょっとデパートで買い物していたのよ。
ああ、もう喉が渇いちゃったわ。
あ、チカ、珈琲と何か甘いもの、お願いね」
アヤカはフロアの真ん中に立ちながら、苦笑いをしていた。
母の行動はある程度予測すべきだったのに。
まだまだ娘として甘かった。
「何笑ってるの?アヤカ。
ほら早く、どこに座ればいいの?あとでヨウコさん達も来るわよ」
母がアヤカを振り返って言った。
ヨウコさん・・・達?
ってことは・・・ヨウコさんの他に、
もしかしたら、キクさんとサクラさんも来るってこと?
しょうがない。
「一番奥の・・・その”リザーブ”ってカードが置いてある、
隣の4人席へどうぞ、母さん」
「ありがと」
そう言って女王然とフロアを歩いていく。
刑事さんには悪いが、私達が話す隣のテーブルに、
たまたま(!)、偶然に(ここ重要)、
母とヨウコさん達が座ってもかまわないだろう。
今日の母は黒の長めのタイトスカートに、
胸元にグレーのボウタイが付いた艶のあるブラウス、
ロングの白のカーディガンを肩がけし、
手にはヴ〇トンのクラッチバッグを持っている。
足元は黒のフェ〇ガモのローヒールパンプス。
耳にはおおぶりのパールのイヤリング。
母はいつもお洒落だ。
その血はどうやらアヤカではなく、チカに受け継がれている。
チカもいつもお洒落に見える。
高いものは着てないと言っているが、いつも素敵に見える。
カフェ・ヴェルデの制服もアヤカとチカは同じものを着ているのだが、
どうも着こなしに違いが出るらしい。
「姉さん、これ、ママに持ってって!
あと、こっちはまだ大丈夫だから、
話があるなら、、話しておいたほうがいいわよ」
チカがカウンターからアヤカにトレーを渡した。
アヤカは急いで母のいるテーブルに向かった。
母がスマホで何やら操作している。
「お待たせ、母さん。珈琲とパンプキンタルトよ」
アヤカがトレーから珈琲マグとお皿をテーブルに置いた。
「ありがと・・・・まあ、いい匂いね」
スマホから顔を上げ、
タルトを手に取り、すーっと匂いを嗅ぎこんでから一口かじった。
「甘め控えめね・・・それにシナモン?がいい匂い。
うん、それにカボチャがしっとりとしていて美味しいわ」
「シナモンをけっこう効かせているみたい。今日のミナのオススメよ」
「珈琲は?今日は何?」
「今日は『小川珈琲』のモカよ」
小川珈琲は京都にある1952年創業の老舗の珈琲店だ。
高い技術を持ったマイスターが豆を選び、磨き上げられ、
長年、ずっと愛されている。
モカは酸味があるのが特徴だが、
ここのモカは酸味の中にマイルドな甘みが感じられる。
「あら、これもいいわね・・・アヤカ、この豆、もうないの?」
「欲しい?じゃあ、少し包んでおくわね」
「ありがと」
アヤカは母の正面に座り、今日の聖マリア女子大の調査の話をした。
「・・・ふーん、じゃあ、容疑者がまた増えたってことね?」
「そういうことに・・・なるわね。
まだ、チカの話は聞いていないんだけど。
どんどん怪しい人が増えていくばかりなの」
「でもそんな写真があるなんて、・・・気持ち悪いわね・・・」
そう言って母はまたスマホを操作しようとした。
母は60才近くなのに、こういった機器にとても強い。
歯科医院を経営しているため、若いスタッフが多いし、
医療関係機器にも精通していないといけないからかもしれないが。
ちなみに母も歯科医師免許は持っているが、今は経営のみに専念している。
母の父、つまりアヤカやチカにとっては祖父だが、
祖父は眼科医で、その前も代々続く眼科医だったのに、
なぜ母が歯科医師になったのか・・・・。
それは未だに謎である。
聞いてみたこともあるのだが、そのたびにはぐらかされた。
いつか解いてみたい謎だが、この母から真実を引き出すのは難しそうで、
永遠にわからないかもしれない。
「・・・ねえ、何やってるの?」
「あ、これ?見る?」
そう言って母はアヤカの前にスマホを差し出した。
「ウチの病院で10月から始めた診察予約のシステムよ。
来院したい日時と時刻を選んで、
ほらココに診察券カードの番号を入れるの。・・・すると」
画像が変わり、番号が表示された。
「これが予約番号になって、希望した時間帯に来院すればいいの。
そうすれば、ずっと待合室で待つことはないでしょ?」
なるほど・・・これは便利だ。
ふいにアヤカの頭の奥がチカチカしてきた。
あれ?どこかでこんな場面があったような・・・・。
とうとう5時になった。
やっと混雑した時間帯が終わり、チカも仕事を終える時間だ。
いつもチカはこのあとアンの幼稚園に迎えに行き、
そのまま家に帰るのが日課だ。
「チカ?そろそろ上がって・・・」
「あ、大丈夫。7時まで延長保育を申し込んでおいたから」
チカがニコニコと笑顔で答えた。
「店に戻る前に、アンにおやつも届けてきたから大丈夫よ」
うーむ、母といい、妹といい・・・。
「それより、姉さん、サクラさんのメモ見た?」
「まだ。そんなヒマなかったもん」
「実はね、姉さんから聞いたあの人・・・」
そのとき、来客を告げるベルが鳴った。
刑事さんかとアヤカが振り向くと、そこにはヨウコさん達ご一行様。
やっぱりキクさんとサクラさんも一緒にいた。
アヤカは母のショウコがいるテーブルに案内した。
「私たち、大人しくしてますからね」
ヨウコさんが笑って約束してくれたが、どうだろう・・・。
彼女も母ほどあからさまではないが、好奇心旺盛な女性なのだ。
刑事さん達が来るまでに、母は今までの調査結果を3人に話している。
チカはヨウコさんたちの分も含め、秘密捜査会議に向けて、珈琲の用意をしていた。
そうするうちに再び玄関ドアが開き、今度こそ本当に一之瀬刑事が入ってきた。
後ろから続いて久保刑事も一緒だった。
アヤカが先導してリザーブ席に案内すると、
一之瀬刑事は足を止め、一瞬のけ反った。
しょうがない。
そこには昨日刑事さんにキックを放った母も、
以前の事件の関係者も笑顔で勢ぞろいしているのだから。
ほんの2秒ほど動きが止まっていたようだが、
諦めた様子で2人の刑事はしぶしぶ着席した。
アヤカは急いで玄関の外に出て、「クローズ」のプレートをかけた。
緊急事態のため、これから来店されるお客様には申し訳ないけど、
今日は早めに店を閉めることにしていた。
今フロアにいるお客様はあと2組だけ。
しかもこのテーブルからは離れているから、
話が聞こえる可能性はまずないだろう。
「では、始めましょう」
珈琲や軽食が並べられると、一之瀬刑事が一同をぐるりと見渡した。
テーブルには刑事2人、アヤカ、ミナが付き、
アヤカとミナの後ろにはチカが座っていた。
チカにはお客様が追加注文された場合に動いてもらうつもりだった。
「・・・こんなに集まって頂いて、恐縮です」
これはささやかな嫌味だろうか。
隣りのテーブルでは好奇心を隠そうともしないで、
女性4人がこちらをヒタと見つめていた。
「まず、池ノ上マイの件です・・・」
久保刑事が話し始めた。
驚いたことに、一之瀬さんはニュースでは発表されていない
かなり詳しいことも話してくれた。
例えば、何人かの容疑者がすでに上がっていること。
益戸の伊戸川に居を構えるブルーシートに住む住人や、
犯行時間に大学の近くをうろついていた怪しげな人物。
大学の正門の防犯カメラに映っていたそうだ。
そしてアフタヌーンティーに同席していた、
池ノ上マイの友人3人のアリバイも教えてくれた。
「主軸はゆきずりの犯行、不審者による犯行ということで捜査は進んでいます。
が、同時に、本当に池ノ上マイさんが狙われていた場合も想定して捜査しています」
「例の3人・・・まず深田エナ。
ピアノを専攻していて、直接的に池ノ上マイのライバルと言っていいようです。
池ノ上マイが襲われた時間、深田エナは益戸の駅ビルでショッピ・・、
いえ、買い物をしていたそうです。
何軒かの店に立ち寄っていて、目撃証言はありますが・・・
そこから大学までは5分ほどなので、抜け出した可能性はあります」
「深田エナはグレーゾーンってとこね」
そう言って母は珈琲を一口飲んだ。
ちょっと!大人しく聞いてるだけじゃなかったの?
「・・・えー、そして、バイオリン専攻の水野アイカ。
彼女はその時間、バイト先にいました。
バイト先は駅前の音楽教室。
そこで初心者の生徒に教えているそうです」
「ってことは聖マリア女子大に近いですよね?」
チカが手を軽く上げて言った。
「そうです。しかし、授業中、部屋から抜け出すことはなかったそうです。
授業を受けていた2人の生徒が証人です」
完璧なアリバイね。
ということは水野アイカはシロってことか。
「最後にチェロ専攻の白井ユウコ。
彼女はこの店を出たあと、まっすぐ自宅に帰ってます。
しかし・・・」
1拍置いて、久保刑事が話を続けた。
「家族、両親ですね、も出かけていて、
家にいたと証言できる人がいませんでした」
「その白井さんというお嬢さんの家はどこなんです?」
とうとうヨウコさんまで!
「家は本郷寺にあります・・・高級住宅地ですね。
大学までは歩いて20分ほど・・・自転車を使えば10分もかかりません」
「じゃあ!その白井さんというお嬢さんも可能性があるってことですか?」
キクさんが興奮した様子で言った。
・・・もう。
「そうです。水野アイカ以外、確かなアリバイはありません」
「でも・・・もし池ノ上マイさんが本当に狙われていたとしたら、
犯人は防音室に池ノ上さんいることを知っていた人物ってことですよね?」
アヤカが聞いた。
「そうです。防音室はドアの上部にちいさな窓がありますが、
カーテンが掛けられ、室内の様子はわかりません。
だから、部屋にいたところを見て、襲ったとは考えられないのです」
そう言って、久保刑事はテーブルの上に紙を広げた。
「これを見てください。
音楽部の防音室というのは、予約制になっています。
学校のコンピューターで調べてもらって、
襲われた日の予定表を見せてもらいました」
隣りのテーブルも含めて全員が一斉に覗き込んだ。
母は大胆にも、自分たちとアヤカたちのテーブルとくっつけ、
真ん中に表をずらした。
こうすれば、全員で見られる。
左に時間が、上に防音室1号から15号までの数字が書いてあった。
それぞれ50分づつに時間が区切ってあり、名前が書かれていた。
50分なのは空いた10分で人が入れ替わるためだろう。
「ほら、ここです」
久保刑事が1点を指差す。
「ここ、”防音室2”に池ノ上さんの名前があります。
これを見れば、彼女がこの時間にいることがわかります。
池ノ上マイさんは3時半から4時20分まで予約していました」
防音室2というのは確か右手、
校門側の昇降口から2番目の部屋だったはず。
「じゃあ、これを見て池ノ上さんを襲ったと?」
ミナが久保刑事を見た。
「そうです。これは聖マリア女子の音楽部に在籍する生徒なら、
全員が見ることが出来ます。
もし、池ノ上マイさんが標的だとしたら
これで確認したんじゃないかと思われます」
「・・・これオカシイ・・」
小さな声で誰かがつぶやいた。
え?
今、誰が言ったの?
「刑事さん、これ、おかしいと思います。いつもと違います」
今度ははっきりと、サクラの声だと分かった。
みんなが一斉にサクラに注目した。
全員に見つめられ、サクラの顔がほんのり赤くなる。
「いつも?・・・どういうことですか?
あなたはこちらの方のお孫さんでしたよね?
聖マリア女子大の音楽部の生徒なんですか?」
それまで一言も発しなかった一之瀬刑事が口を開いた。
サクラがどぎまぎした様子で答える。
「あの・・・いつもの予約表とは違うので・・・。
それに私は児童学部です」
「違うってどういうことです?」
「予約表には名前が表示されないんです」
どういうこと?
「サクラさん、どういうことか始めから説明してくれる?」
アヤカが促した。
「はい・・・この刑事さんが持ってきた予定表では
名前・・・池ノ上さんとか他の生徒の名前が表示されていますけど、
本当は数字が表示されているんです」
「数字?」
久保刑事が聞き返した。
「はい、数字・・・学生番号です。
私たちが防音室を予約するときは、学生番号を入力するんです。
学生番号は一人一つだし、
同じ苗字の人がいるとわかんなくなっちゃうからだと思います」
「じゃあ、この表は・・・?」
「たぶん・・・事務の方で親切に名前表示で出してくれたんだと思います」
あ!そうだ!もしかして・・・。
”え、これから?部屋の予約取れたの?”
”うん、さっきスマホで予約した・・・”
今度こそアヤカの脳裏にあの時の光景がくっきりと蘇った。
「ねえ、サクラさん!」
「はい?」
いきなり大きな声で呼ばれ、サクラはびっくりした顔をアヤカに向けた。
「防音室ってもしかしてスマホででも予約できるんじゃないですか?」
「え?ええ・・・。そうです。
もちろん学校でも予約は出来るんですけど・・・ちょっと待って下さい・・・」
そう言ってサクラはバッグからスマホを手に取り出し、
操作し始めた。
その作業に刑事達を含め、サクラにみんなの注目が集まった。
「えーと・・・あ、コレです」
サクラは紙の予定表の上にスマホを置いた。
それはテーブルに広げた紙と同じ防音室のスケジュール表だった。
ただし、違うところが一箇所ある。
「ここに番号がありますよね?
これが今防音室を予約している人の生徒番号なんです。
一人で1回だけ予約できます。
それ以上使いたい人はまた改めて予約しないといけないんです。
そうしないと好きなだけ予約が取れちゃいますから」
「これは誰でも見られるの?」
アヤカが指指す。
「そうですね。
防音室を使う音楽学部と、児童学部の生徒でスマホを持ってる人は、
大体ダウンロードしていると思います。
これだと家にいるときでも予約できますし。
スマホを持っていない人は他の人から借りて予約したり、
学校のコンピュータで予約してますね」
あの時、アフタヌーンティーのときに池ノ上マイさんは、
何かを予約したって言っていた。
そうか!
スマホを使っての防音室の予約のことだったのね!
アヤカがこのことを説明すると、刑事たちの顔色が変わった。
「ということは、まず池ノ上マイの生徒番号を知っている人物ということか・・・。
知っていれば、彼女が部屋にいることがわかる」
一之瀬刑事が顎に手を当てた。
「しかし、普通は自分の番号以外、
たとえ友達の生徒番号なんて覚えているということはまずないと思います。
もし覚えていたとしたら、よっぽどのことでしょう」
顔を曇らせながら久保刑事が言った。
「でも、それだと変じゃないですか?
池ノ上マイの番号が表示するまで、
ずーっとこの予定表を見ていないといけないってことになりますよね?」
とチカが首を傾げた。
さすが、チカ!鋭い!
「そんなの変よね。だったら、密室になるとはいえ、
防音室じゃなく、別の場所で襲うほうがいいじゃない」
母が言う。
「それだと、予約表は関係なく、
その池ノ上さんという女生徒さんのあとをずっとつけていたってことね」
とヨウコさん。
「その生徒さんが予約したのを知っていた人物が犯人でしょうか?」
キクさんが興奮しながら言った。
「もしくは池ノ上さんから直接予約したことを聞いた人物」
ミナがメガネを押し上げた。
「その時間に予約したのを知っていた確実なのはあの3人・・・」
アヤカが言った。
「つまり、池ノ上マイさんが予約することを聞いたあのカルテットの3人か、
もしくはその3人の誰かから聞いた人物が犯人ってことね」
「あ、そうそう!みんなに報告したいことがあるの!」
いきなりチカがソファから立ち上がった。
「どうしたんです!?」
一之瀬刑事が警戒心を露にする。
「あ、すいません・・でも、今のうちに言っておきたくて。
ちょうど刑事さんたちもいるし・・・姉さん、まだメモ読んでないよね?」
「え、うん。ごめん、帰ってから忙しくて、あんたとも話せなかったわよね。
・・・ごめんなさい、サクラさんも。
せっかく調べてくれたことを書いておいてくれたのに」
申し訳ないことをした。
「それはいいんですけど・・・じゃあ、チカさん、話したら?」
サクラがチカを見上げた。
「ええ。実はね、
姉さんとミナちゃんが見た深田エナと一緒にいた男、
あれ、聖マリア女子大の先生だったのよ!」
「え!?」
あの、昨日病院の駐車場で深田エナと親密そうだった男性?
「センセイ」と呼ばれていて、
けっこうハンサムな感じだった人。
「深田エナ?なんの話です?」
一之瀬刑事がチカに鋭い目を向けた。
「ええと・・・・それは姉さんから話したら?」
チカから話をパスされ、アヤカは昨日の病院での出来事を話さざるをえなかった。
池ノ上マイの親戚だと言ったことなどはごまかしながら。
時々、刑事さんは上を向いて、アヤカの嘘から目を背けようとしてくれた。
「・・・ということなんです」
アヤカが話し終えたとたん、チカが後を引き継いだ。
「今日の昼、サクラさんと・・・その・・・大学へお昼を食べに行ったんです」
エライ!
さすがに調査とは口に出さなかったわね。
「私たちは、お昼前に大学に着きました。お昼ご飯を食べようと、
食堂へ向かおうとしたら、姉さんに見せてもらった写真の男が廊下にいたんです。
しかも女生徒達に囲まれて」
チカがサクラと目を合わせ、二人でコクンと頷いた。
「食堂はいろんな学部の生徒、先生達、事務のスタッフの方々とか・・・
いろんな人が集まるんですけど・・・私も知らなかったんです。
別学部のセンセイなので」
サクラが言った。
アヤカは急いでポケットからスマホを取り出し、その写真を刑事達に見せた。
「それで、近くにいた女の子に聞いたら、
あれは音楽部の上田センセイだって教えてくれました。
バイオリンの講師だって。確かにハンサムだったわね」
「じゃあ、深田エナはその上田って人と付き合ってるってこと?」
アヤカが聞くと、チカが首を振った。
「ごめん、それはわからなかった。
でも噂によると、今度CDデビューする話があるみたい。
まだ講師らしいけど、あのルックスが受けたみたいね。
あと、これも噂だけど、いろんな女生徒に手を出してるタラシみたい」
CDデビュー・・・これも聞いたわね。
確かあの4人にもそんな話があったはず。
「上田・・・ですか。音楽学部の。
他の先生たちと同じように、一通り話は聞きましたが・・・。
そうですか・・・深田エナと関係しているとあれば、
詳しく調べてみる価値がありそうですね」
久保刑事がメモを取りながら呟く。
「あ、だったら、他のセンセイ達も調べたほうがいいかもしれないです」
アヤカが今日の調査・・・もとい、取材に行ったときのことを話した。
最初はアヤカやチカの行動に怒っているのか、
しかめ面で聞いていた一之瀬刑事だったが、
池ノ上マイの写真のくだりにくると、驚きの表情に変わった。
「確かにそれは妙ですね・・・なぜそんな写真が?」
「それがわからなくて。
ただ、そんな写真をショウ・ヤマテが持っているのは変だと思ったんです」
「ひょっとして・・・恋人同士とか?」
母、ショウコが首をかしげた。
「え!?ちょっと母さん、年が離れすぎているわよ!」
「あら、20才離れてるくらいなら何ともないわ。
もしかしたら、恋人だから、そのショウ・・・なんちゃらって人が
池ノ上マイを留学生に推したのかもしれないじゃない」
母は澄まし顔で珈琲を飲み干した。
アヤカは、急いで新しい珈琲ポットを取りに行った。
そろそろみんなの珈琲マグは空っぽになりかけていた。
一人客の女性のお客様がちょうど立ち上がり、帰ろうとしていた。
「ありがとうございました。またいらしてください」
アヤカは持ち上げかけたポットを置き、
いつも通りの言葉をかけ、お見送りした。
お客様がにっこり笑い、また来るわとお帰りになった。
それに続いて残り1組のご近所の常連のお客様が立ち上がった。
カウンターに来ると、テイクアウト用にバニラシフォンケーキを2つ、
お持ち帰りになられた。
「また来るわね。今度は孫を連れてこようかしら」
「ええ、ぜひ一緒にお越しください。お待ちしています」
こうしてカフェ・ヴェルデには、ホンモノの刑事と素人探偵団だけが残った。
スタッフ用の珈琲ポットを持って、席に戻ると、
サクラが聖マリア女子大における音楽部の特殊性について話していた。
「・・・でね、ウチの校風はのんびりした感じなんだけど、
音楽部だけは、お金持ちじゃないと入れないの。
でもね、表面上はお嬢様の集団のようなんだけど、
ホントは内部ではギスギスしてるみたい」
「友達同士とはいえ、音楽で成功するのはほんの一握り。
どうしてもライバルになってしまうものなのね」
ヨウコさんが手を頬に当てて、ため息をつく。
「しょうがないことなんでしょうね、奥様」
キクさんも追随する。
「あの・・そろそろ本題に戻しても・・・」
久保刑事がオロオロとしていた。
「あ、鈴井さん、さっきの続きを・・・」
アヤカが戻ってくると久保刑事が安堵の表情を浮かべた。
あ、あれ?どこまで話したっけ?
アヤカが慌てていると、ミナがぼそっと「写真」と言ってくれた。
サンキュー、ミナ。
「あ、その写真があったってことで、ショウ・ヤマテが怪しいと思ったんです。
でも、生徒に手を出す人とは思えなかったわ」
アヤカはみんなのカップにお代わりの珈琲を注いで回りながら、
ショウ・ヤマテの印象を話した。
「わからないわよ、そんなの」
母がぼそっと呟く。
留学させてもらう代わりに、男女の関係になる?
そいういう話はドラマだけかと思っていたけど、
でもまさか、あのショウ・ヤマテが?
「でも、冬木教授が・・・あ、池ノ上マイの担当教授なんですけど、
山手教授は留学選考会には加わらなかったって言ってました。
だから、関係ないと思います」
「冬木教授ですか・・・その先生はどうでした?」
一之瀬刑事が聞く。
アヤカは冬木教授との会談内容を話した。
「・・・じゃあ、お見舞いに行った冬木教授には写真を撮るチャンスがあったと。
しかも、池ノ上マイの母親とも関わりがあったとは・・・」
「あら、刑事さん、知らなかったんですか?」
チカが得意そうに一之瀬刑事を見た。
「ええ・・・まあ」
もうチカってば。
刑事さんのメンツを潰すようなこと言っちゃって。
ほら、機嫌を損ねちゃったみたい。
「あ、でも、そんなこと関係ないですよね?」
アヤカが笑っても、一之瀬刑事は難しい顔のままだ。
「関係ないかもしれませんが・・・いや、、ひょっとして何かあるかもしれません。
いい情報を頂きました」
一之瀬刑事が頭を下げた。
これにはチカもびっくりしたようだ。
「あと、ひとつ思ったんですが・・・」
それまで黙っていたミナが言った。
「何です?」
一之瀬刑事が顔を上げた。
「昇降口に財布が落ちていたって言ってましたよね?」
「ええ、池ノ上マイのですよね」
「そうです。それって、庭側の昇降口っておっしゃってましたよね?」
「ええと・・・そうですね。札は抜き取られて、財布だけが放り出された状態でした。
長財布で、色は・・・」
久保刑事が警察手帳をめくりながら答えた。
「それは、犯人が庭のほうへ逃げたっていう印象を与えるために、
そこに捨てたんじゃないでしょうか?
どうせ逃げるんなら、反対側の昇降口のほうが校門に近い・・・んだったわよね?アヤカ」
「そう・・・確かそうよ」
「もしかして・・・犯人は学校の外に逃げず、
そのまま学校内に留まったとは考えられないでしょうか。
これだけ、学内に怪しい人物が多いのなら、ひょっとして・・・」
確かに。
庭側に逃げたとしたら、目撃される可能性は低いけど、
追い詰められたら一貫の終わりだ。
もし、ミナの言うように、学校内の人が犯人だとしたら、
池ノ上マイを襲ったあと、廊下を渡って事務棟に逃げる。
もしくは階段を上がって、2階や3階へ行けば、
何も知らない顔をして、他の人達に紛れこむことができる。
ひょっとしたら、5階のショウ・ヤマテや冬木教授達がいる階へ逃げたのかもしれない。
「可能性はありますね」
一之瀬警部補が重々しく言った。
「では次に、昨日、益戸中央公園で発見された小泉ココロさんについてです」
久保刑事が一口紅茶を飲んだ。
「ということは、池ノ上マイさんと小泉ココロさんの事件、関連があるということですか?」
アヤカが聞いた。
「今の段階では五分五分です。
ただ、同じ大学の生徒が続けて事件に巻き込まれたということで、平行して調べています」
なるほど。
全く無視は出来ないということね。
「友人、家族関係は良好。他にもトラブルを抱えていたという情報はありませんでした」
久保刑事は、今まで新聞やニュースで発表された情報に加えて、
新しい事実も教えてくれた。
「小泉ココロさんが夜10時前にマンションを出ていくのを、
エントランスの防犯カメラが捉えていました。
服装は発見されたものと同じものです。
マンションを出たあとの目撃情報は今のところありません」
「じゃあ、やっぱり車で公園まで来たってこと?」
母が聞く。
「どうやら、そのようですね。
残念ながら、公園近くの防犯カメラには映っていませんでした。
あの公園はいろんなところに入り口がありますからね。
今のところ、犯人に繋がる証拠も発見されていません。ただ・・・」
「ただ?」
全員が声を揃えた。
「ただ・・・これは本当は外部に漏らしてはいけないのですが、
小泉ココロさんが首には、茶色い付着物がありました。
科研・・・ええと、警察の科学捜査部門に回しているんですが、
まだ判明出来ていません」
「泥とかじゃなく?揉み合っているうちに・・・とか」
アヤカが首を傾げる。
「どうも違うようです。どうやら何かの塗料かインキかと」
茶色いインキ?何だろ、犯人は塗装業とか?
「ねえ、恋人関係とかはどうなの?」
母さんてば。
「友人や家族に聞いたところ、
付き合っている特定の男性はいなかったようです。
・・・普通なら、恋愛関係に興味があっていい年頃だと思うんですが、
音楽学部というのは毎日練習ばかりで恋人を作る余裕も無いとか。
周りすべてがライバルのようなもので気が抜けないって」
「私がいる児童学部とは全然違うんだ・・・」
サクラがぼそっと呟いた。
「じゃあ、小泉ココロさんがデートに出かけたっていうのは、
私達の勘違いだったのかしらね・・・」
母が残念そうに言う。
「いえ、それが、そうとも言えないんです」
そう言って久保刑事が黒い手帳をめくる。
「実は月曜日、小泉ココロは友人と益戸の駅ビルで新しく服を購入しているんです。
それが死体発見時に着ていたものです。
部屋を捜索したときに、ゴミ箱からそのレシートが見つかりました。
それに買い物のときに、友人に明日出かける用と言っていたんです」
「それで相手が誰か言ったの!?」
母が久保刑事に詰めよった。
「い、いえ。
しかし、小泉ココロの普段の服装はパンツが多かったようです。
スカート、しかも花ガラの服を身につけることは無かったようなので、
友人が驚いていたそうです」
「じゃあ、やっぱり特別な外出ってことだったのね。
ほら、やっぱり昨日私が言ったとおりじゃない!アヤカ」
うう。
それを先に指摘したのは私・・・なんて反論してもきっと無駄だわ。
ここは得意満面の母に譲ろう。
「そうね、母さんの言った通りだったわ」
アヤカがそう言うと、一ノ瀬刑事がアヤカと母を面白そうに交互に見た。
「相手が誰かはまだわかりませんが、
小泉ココロは、ひとつ興味あることを友人に言っていました」
「どんな?」
アヤカが聞くと、全員が久保刑事に視線が集中された。
「小泉ココロは、ひょっとして自分が留学生に選ばれるかもしれない、チャンスを拾った、と」
え!?
小泉ココロは留学生選考候補には全然挙がっていなかったはず。
それがどうして?
みんなも同じ疑問を持ったようだった。
「どうしてそんなことを言ったんでしょうか?」
ミナが代表して久保刑事に疑問をぶつけた。
「その理由は言わなかったようです。聞いても答えてくれなかったと。
ただ・・・推測することはできます」
そう言って、久保刑事がさきほどの防音室予約表の一箇所を指差した。
「ココを見てください」
あ!
全員の顔に驚きが走った。
久保刑事が指差したところには”小泉”と書かれていた。
小泉ココロが池ノ上マイが襲われたときと同じ時刻、
防音室4を予約していた。
「先週金曜日、池ノ上マイの2つ隣りの部屋に同時刻、
小泉ココロも予約を入れていました。
今となってはわかりませんが、
おそらくこの予約通りに防音室4を使っていたのでしょう。
2つ隣りの部屋ですが、防音のため、争う物音が聞こえたとは思えません。
とすると・・・」
「何らかのタイミングで、犯人を目撃した可能性があります」
一之瀬刑事の重々しい声。
「部屋のドアから布をめくってたまたま、
何かを目撃したのか・・・、
もしくは部屋を出ていたのか。
小泉ココロが殺される要因がこれ以外には今のところ無いんです。
ですから、もしその犯人が大学の教授、
しかも留学生選考に関わっている人物であれば・・・」
「その人を脅して、自分を推薦してもらうことができる」
アヤカが言った。
「けど、返り討ちにあった」
と、ミナ。
「犯人は男?」
チカが腕を組んで首を傾げた。
「小泉ココロさんの格好からするとそうでしょうね」
母が言う。
「警戒心はなかったのかしら」
ヨウコさんが眉をひそめた。
「油断してもいい相手ってことでしょうか?」
と、キクさん。
「じゃあ、やっぱりウチの大学の・・・音楽部のセンセイ?」
サクラの顔は怒っていた。
「今までの話をまとめるとそうなるでしょう。
・・・今回、非公式の捜査会議を行わせて頂きましたが、
かなり有効な意見交換をすることができました。
まだ推測の域は出ませんが、捜査の参考にさせて頂くかもしれません。
恐らく言っても聞いてくれないとは思いますが、
もし、これからも調査を続けられるのなら・・・気をつけてください。
まだ犯人はそこらへんをウロついている可能性がありますから・・・」
一之瀬刑事が話を締めくくり、会はお開きとなった。
みんなの頭にさまざまな疑問だけを残して。