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最終章

カフェ・ヴェルデは水を打ったような静寂に包まれた。

あの柏原教授ですら、目を見開き、口をあんぐりと開けて

アヤカが見つめる視線の先の女性をじっと見つめていた。

しかしその注目の的となった水野アイカは

自分の名前が呼ばれたのにもかかわらずその冷静な態度を崩さなかった。

アヤカは舌を巻いた。

それまでアヤカは深田エナが、上田エイトが犯人であるかのように話していた。

それはこの事件を裏で操っていた真犯人を油断させるためのアヤカの作戦だったのだ。

やがて長い沈黙を破り、水野アイカが口を開いた。

「・・・だからなんだって言うの?」

水野アイカが髪をかき上げながら言った。

「忘れてるかもしれないけど・・・私と上田センセイは先生と生徒、

しかも直接教えを受ける師匠と弟子の関係よ?

会ってたって不思議じゃないわ」

一之瀬刑事が腕を組んだ。

「しかし二人が一緒だったのは午前1時の真夜中、しかも一人暮らしのあなたの家です。

私は古い人間ですが先生と生徒とはいえ、若い女性の家を訪問する時間ではありません。

それに上田センセイがあなたの家を出たのは明け方、日が昇る時間でした。

あまりにも非常識ではありませんかな?」

「それは練習に熱中し過ぎていたからよ。そういうことってよくあるから。

夢中になり過ぎて夜が明けちゃったんだわ」

一之瀬刑事が眉をひそめた。

「その他にも、あなたの家の周りや上田センセイのマンションの周りの防犯カメラを

片っ端から調べました。

過去に遡って・・・外でもかなり頻繁に会っていますね。

・・・ゴホン・・・繁華街のホテルなどからも・・・」

「・・・もうそれ以上はいいわ、刑事さん」

水野アイカはうっとうしいと言わんばかりに手をひらひらと振り、

大きなため息をついた。

「しょうがないわね・・・認めるわよ。

そうよ、私と上田センセイ・・・エイトさんとは恋人同士よ。どう?これでスッキリした?」

そして水野アイカは隣にいた深田エナに笑顔を向けた。

「そういう訳だから、エナ」

深田エナの声は震えていた。

「・・・嘘でしょ!?そんなことって・・・私と上田センセイが付き合ってたの、知ってたじゃない!

・・・騙していたの?二人して!?」

「騙してたって・・・まあ、結果的にそういうことになるわね」

にこやかに笑う水野アイカ、怒りに身を震わせる深田エナ。

この対照的な二人の顔を白井ユウコがオロオロと交互に見ていた。

アヤカが言った。

「そうです。水野アイカさんと上田センセイは恋人同士でした。

そして、この二人が今回の2つの事件の犯人です」

上田エイトが立ち上がろうとした。

「何を証拠に言うんだ?それとこれとは関係ないだろ!?」

水野アイカが止めにはいった。

「待って。この人の話、もう少し聞きましょうよ・・・面白いじゃない?」

水野アイカの挑戦的な目がアヤカに向けられた。

その鋭い視線をアヤカは受けとめて、慎重に話しを切り出す。

「さっきお話しした通り、池ノ上アイカさん、そして小泉ココロさんの事件の犯人は

水野アイカさん、上田エイトさんです。

では、犯行はどういうことだったのか・・・。

事件の概要はこうだったと思います。

始まりは10月にこのカフェ・ヴェルデで開催されたアフタヌーンティーの時。

池ノ上マイさん、深田エナさん、水野アイカさん、白井ユウコさんの4人がいらっしゃいました。

その最中、池ノ上マイさんがスマホで防音室を予約しました。

これは私も聞きましたし、他の3人も聞いたことと思います」

白井ユウコと深田エナがためらいがちに首を縦に振った。

「これがキッカケでした。

水野さんは今が絶好のチャンスと思い、それまで温めていた計画を実効に移した。

深田エナさんのバッグからこっそりハンカチを抜き取り、

音楽教室のバイトに行く前に、連絡をとった上田センセイにどこかで渡したんです。

おそらく駅ででしょうね。

まさしく電光石火の決断でした。

それからハンカチを受け取った上田センセイは、防音室に一人でいた池ノ上マイさんを襲った。

マイさんはピアノに頭をぶつけ、気を失った。

上田センセイは流血したマイさんが死んだと思い、

深田さんに罪を被せるためにハンカチをそっと傍らに置いた。

そして犯行後、素早く上階の自分の部屋に戻ったんです」

上田センセイはそのハンサムな顔を歪めアヤカを睨みつけていた。

アヤカはその視線を無視した。

「二人の計画通りなら池ノ上マイさんは死体となって発見され、

落ちていたハンカチから深田エナさんが犯人として疑われ、

うまくいけば警察に連行されるか逮捕される予定でした。

・・・しかし、上田センセイはここでミスをした。

防音室を出て行くときに、小泉ココロさんにその姿を目撃されたんです」

水野アイカは腕を組み、ソファにもたれて余裕の笑みを浮かべていた。

「すごいわね、そこまで妄想出来るなんて。お店、そんなにヒマなのかしら?」

アヤカはかまわず話を続けた。

「小泉ココロさんは部屋からこっそり出てきた上田センセイの態度を不審に思い、

部屋に入ったんでしょう。

すると、そこには頭から血を流した池ノ上マイさんが倒れていた。

小泉さんが池ノ上マイさんが生きているかどうか確認したのかどうかはわかりませんが、

恐らく確認はしなかった。

出血が凄かったそうですから怖かったでしょうし、亡くなっていると思ったんでしょうね。

小泉さんはすぐ部屋を出ようとしたけれど、床に白いハンカチが落ちているのに気づいた。

そのハンカチには『E』というイニシャルが入っていました。

白いハンカチは、シンプルなもので女性のものとも男性のものとも見えます。

上田センセイを慕っていた小泉さんはもちろんセンセイのフルネームを知っていたでしょう。

上田センセイの名前は『エイト』、イニシャルは『E』、上田センセイの落とし物だと考えた。

だから小泉ココロはハンカチを拾って持ち出したんです。

淡い恋心を抱いていた上田センセイを庇うために。

そして池ノ上マイさんのお財布を持ち出し、外部の人間の仕業だと見せかけるため昇降口に捨てたんです」

「あの、ちょっといいかしら・・・」

ヨウコさんが静かに手を挙げた。

「もしそのお話通りなら、なんでわざわざこのお嬢さんに罪を被せるようことを?

何もハンカチを落とさなくても。

その殿方は、こちらの方ともお付き合いしていたんでしょう?」

そう言って、深田エナに手を向けた。

「それは・・・」

アヤカが言葉を濁す。

突然水野アイカが笑い声を上げて笑った。

「わかりません?

上田センセイはね、エナのことなんてちっとも愛していないの。

だからエナを犯人とすることに躊躇しなかったのよ。

元々私とずっと付き合ってたし、それをあなたが途中からちょっかい出してきたのよ。

それにあなたのお父さんがレコード会社のおエライさんで、

お金もあるからしょうがなく付き合っていただけよ」

深田エナの顔が真っ青になった。

かまわずに水野アイカは続ける。

「そうよ。エナに魅力があったわけじゃない。

そうでなきゃ、あんたみたいなワガママなお嬢さんなんて相手にしないわ。

いつも自分が一番じゃないと気に入らなくって、リーダー気取りで出しゃばりで。

それにあなた、不満ばかり言ってたでしょ。

どうして私が留学選考に選ばれなかったのって。

自分の実力不足を省みず、そんな文句ばっかり言ってる女、

エイトさんが、ううん、男はみんなうんざりするのよ!」

残酷だ。

水野アイカの口から次々と言葉が流れ続けた。

その言葉は深田エナの心をえぐっていく。

深田エナの目から次々と涙が伝う。

「アイカ、もうやめて!」

白井ユウコが立ち上がり、深田エナの手をぐいっと引っ張り、

自分の右隣に座らせ肩を抱きしめた。

アヤカはエプロンのポケットから取り出したハンドタオルを深田エナにそっと差し出した。

「深田エナさん。

あなた、本気じゃないにせよ、

以前から上田センセイに、池ノ上マイさんのことを『死ねばいいのに』とか

『いなくなれば』とか、そんなことを話していたんじゃないですか?」

「・・・・!」

深田エナは震える手でアヤカから受け取り、ハンドタオルに顔を埋めた。

アヤカはその様子を見ながら言った。

「・・・あなたは留学選考会に漏れ、ただくやしいと思う気持ちを

恋人にグチを言っていただけかもしれない。

その気持ちはわかります。

でも二人はそんなあなたを利用したんです。

ハンカチを池ノ上マイさんの側に置いたのはあなたに罪を押し付ける為です」

深田エナはかすれた声を絞り出した。

「私・・・なんで・・・なんで私なの?」

「それはさっきの答えになりますが・・・

池ノ上マイさんがいなくなれば、次の留学候補者として挙がるのは

選考会二位の深田さん、あなただからです。

だからあなたに罪を押し付けようとしたんです。

そしてあなたがいなくなれば三番めの候補者が・・・」

白井ユウコが硬い声で言った。

「アイカってことなのね」

冬木教授が小さく呟いた。

「そうだ・・・確かに選考会の投票で水野くんは三番目だった」

「その結果は上田センセイももちろん聞いていたのでしょう。

上位二人がいなくなれば、自分が海外へ留学できる、チャンスを掴むことが出来ると考えた。

けど、そうして海外で勉強しても世界で活躍出来るのはほんの一握り、1%もいないそうですね。

それでも水野さんはこの千載一遇のチャンスをどうしてもモノにしたかった。

そこで今回の計画を考え、秘かに胸の内で温めていたのでしょう。

そしてあのアフタヌーンティーの日、チャンスが巡ってきた」


すでに時計は4時を過ぎ、部屋にはもう夜の闇が差し込んでいた。

静けさがカフェ・ヴェルデを覆っていた。

みんなそれぞれアヤカの話を頭の中で租借そしゃくしているのだろう。

水野アイカも上田エイトも何も言葉を発しなかった。

それでも静寂を破り、ショウ・ヤマテが小さく呟いた。

「なんてことだ・・・それで・・・それでマイを」

アヤカは大きなため息をついてカウンターに手を置いた。

「そして小泉ココロさんは・・・不運な目撃者でした。

そのまますぐに警察に報告すればこんなことにはならなかったはずです。

・・・上田センセイ」

上田エイトが顔を上げた。

「小泉さんは池ノ上マイさんの事件について、

あなたが関与しているのではないかとほのめかしてきたのでしょう?

恐らく証拠まで持っているとも。

それでなくてもお金が盗まれたり、外部犯人説になったり、

池ノ上マイさんがまだ生きていたという予想外の誤算ばかりあったのですから。

あなた達は思いもかけないことばかりであせっていた。

上田センセイは小泉ココロさんと月曜日の夜に会う約束をしました。

彼女にとってはデートのつもりだった。

小泉ココロさんは自宅を夜10時過ぎに出て、

近くに車を停めて待っていた上田センセイに会いに行った」

一之瀬さんが言った。

「追加情報ですが、小泉ココロさんの携帯に同じ番号から何度か着信がありました。

プリペイド携帯なので誰が掛けたかわかりませんでしたが、

上田センセイのマンション近くの電波局から発信があったことはわかっています。

・・・まあこれも偶然と言われれば偶然になるんでしょうけどね。

それと小泉さんのマンション近くの防犯カメラに車の映像が残っていました。

その映像を解析したところ、乗っていた人物はわかりませんでしたが、

車のナンバーは深田エナさん所有のベンツだということがわかりました。

確かこの車は上田センセイに貸していたということでしたよね?深田さん」

「私の車を?まさか・・・そんなことに?」

一之瀬刑事の話はさらに深田エナに絶望を与えたようだ。

しかし、上田センセイはとぼけたように上を向いた。

「ああそういえば。

・・・今、思い出したんだけど、刑事さん。

月曜日の夜、ふっとドライブしに行ったんだったっけ。

すっかり忘れていましたよ。

どこをどう走ったか覚えていないけど、その時じゃないですかね?映ったのは。

偶然ですよ、そんなの」

一之瀬さんが眉をひそめた。

「じゃあ、偶然、たまたま小泉ココロさんのマンション近くをドライブして、

停車していたということですか?」

「さあ・・・そうなんじゃないですかね?僕は彼女の家がどこかも知らない」

「・・・よくもそんなことを!」

いけしゃあしゃあと答える上田センセイに向かって深田エナが叫んだ。

上田エイトはこのままうやむやのまま、認めないつもりなのかしら?

アヤカはぐったりした様子で言った。

「・・・話を続けます。

上田センセイ、あなたは小泉ココロさんを車に乗せ、益戸中央公園に向かいました。

そうです、聖マリア女子大の目の前の公園です。

車を公園正面に停めなかったのは、人目につくことを避ける為です。

公園は大学の校門に近かったから、防犯カメラを意識したんでしょう?

あなたは学校職員だから、カメラの位置も知っていた。

・・・小泉ココロさんはあなたと出かけることをきっと喜んでいたでしょうね。

新しい服を買い、あなたとのデートを楽しみにしていた。

・・・けど、あなたは無惨にも小泉ココロさんの首を締めて殺した」

アヤカの目が細くなった。

「小泉ココロさんは一度車の中であなたにハンカチを見せたんでしょう。

その時、あなたの手に付いていた松ヤニがハンカチに移ったはずです。

もしその前に、例えば水野さんがバッグからハンカチを取った時や、

上田センセイが池ノ上さんの傍に置いたときだったら、

その汚れにあなたや水野さんが気づいていたでしょう?

真っ暗な車内だったから気づかなかったんです。

電気を点けるなんて危険は犯さないでしょう?上田センセイ。

あなたは彼女の首を絞めて殺したあとバッグや衣服からハンカチを探した。

けど、見つからなかった。

ものすごく焦ったでしょう?上田センセイ。

だってさっき見たはずのものが無くなっているんですもの。

あちこち探しましたか?

けどそれは公園の潅木の奥に隠されていました。

そして偶然ですが、そのハンカチは私が見つけてしまったんです。

誰が茂みに隠したか?

それは、もちろん小泉ココロさんです。

あなたは車の中で言葉巧みにハンカチを奪い取ろうとしたんじゃないでしょうか?

小泉さんはそこで初めて不安にかられた。

もしかして自分がしていることは危ないことじゃないか、危険なことなんじゃないか、と。

だから、公園に入るときに、あなたの目を盗んで茂みの中に隠した。

もしものときの保険のつもりだったんでしょう」

上田センセイは黙ったまま、アヤカを睨んでいた。

イライラとしていることがわかる。

よく見ると、水野アイカが上田センセイの手首を掴んでいた。

アヤカが言った。

「なんて不運なんでしょうね、上田センセイ。

ハンカチは防音室から小泉ココロさんの手に、そして私に移動した。

そしてそれが今ここにあるなんて」

母が手を上げて質問した。

「ねえアヤカ、さっきから言ってる松ヤニって、何なの?」

「それは・・・」

「それは私が答えよう!」

アヤカをさえぎり、柏原教授が待っていましたとばかりに勢いよく立ち上がった。

その拍子にテーブルに足がぶつかり、珈琲がテーブルこぼれた。

秋元さんが慌ててティッシュで拭く。

「えー、松ヤニというのはですな・・・」

それから・・・柏原教授による松ヤニの説明が7分以上続いた。

「松の樹脂を・・・」

「・・・用途としては」

さっきまでの緊迫していた部屋の空気がだんだんと倦怠感を帯び始めた。

秋元さん只一人を抜かして、皆一様に、上田エイトや水野アイカまでげっそりとした表情をしている。

呆れたようにミナとチカは新しくいれた珈琲を各自に注いで回っていた。

ああ、このままだといつまでも終わらない。

しょうがない、アヤカが意を決して教授に声を掛けようとしたとき、

「・・・教授、そろそろ結論をお願いします」

ありがとう!准教授!!

「・・・というわけでですな、これは松ヤニということであります」

柏原教授は残念そうに話を締めくくった。

恐らくもっともっと話したかったのだろう。

見るからにがっかりしていた。

「あ、ありがとうございました、柏原教授。で、ですね・・・」

あれ、どこまで話したっけ?

「ハンカチに松ヤニ」

後ろにいたミナがこそっと耳打ちしてくれた。

「そう、ハンカチには松ヤニが付着していました」

ミナに感謝の目配せをしながら、アヤカは話を再開した。

「明るいところで見ればわかるかもしれませんが、

暗い車内ではハンカチに何か付いていたなんて気づかなかったでしょう。

自分の手にもね。

そして首を絞められた小泉ココロさんの首筋にも松ヤニが付いていたんです。

・・・一之瀬さん」

アヤカが呼びかけると、一之瀬刑事が前に進み出た。

「科捜研によると、被害者・・・小泉ココロさんに付着していた松ヤニと、

ハンカチに付いていた松ヤニは同じものと結論付けました。

採取する松によって、成分が違うそうです。

上田センセイ、あなたが普段バイオリンに使用している松ヤニを調べれば

同じものかどうかわかるんですよ?

たくさん同じものが出回っているでしょうが、

一度あなたに容疑を絞れば、街中の監視カメラ、防音室の指紋、

公園の靴跡、いろんな証拠が挙がってくることでしょう。

・・・もうごまかすことはできませんよ」

上田エイトは反論しようと口を開きかけたが、そのまま口を閉じた。

水野アイカは、じっと前を見たまま動かない。

その目には何が映っているのだろうか。

二人以外のカフェ・ヴェルデにいる全員が息を潜めて次の展開を待っていた。

アヤカは天を仰いだ。

・・・あとは待つだけ。

どうかこれですべて終わりますように。

まるで、神の啓示を待つかのようにアヤカは祈った。


「・・・ふう」

静寂を破ったのはまたしても水野アイカだった。

その顔にはさっきまで見せていた怒りも憎しみも浮かんでいなかった。

ただ疲れたような表情だけが浮かんでいた。

「・・・これまでね。

まさか、エナのせいにするために盗んだハンカチから、

私たちにたどり着くなんて思いもよらなかったわ。

自分で自分の首を絞めたのも同然ね。

・・・ごめんね、エイトさん・・・巻き込んじゃって」

上田センセイも先ほどまでの険しい表情は潜め、穏やかな顔で水野アイカを見つめていた。

「いいんだ・・・俺も賛成したし、夢を見たかったんだ」

二人はお互いの目をジッと見つめ合った。

それはどこにでもいるような恋人同士のように見えた。

ただし、それは愛だけじゃなく罪で繋がれた二人だった。

「水野さん・・・全て、話してもらえますか?」

アヤカが促すと、水野アイカが頷いた。

「・・・大体、あなたがさっき話した通りよ。私が計画を立てて、エイトさんが実行してくれた」

「急に思いついたにしてはよくできた計画ですね」

「そうね。でも、急にじゃない、頭の中ではあれこれ考えていたことよ。

あの選考会の結果を聞いた日からずっと。

どうしたら自分が海外留学へ行けるか、マイとエナを排除できるかって。

そのチャンスがたまたまあの日だったってこと。

突然じゃない、私の中に潜んでいたドロドロとした醜い感情が噴出しただけのことよ」

「アイカ・・・ここからは俺が言うよ」

上田センセイは水野アイカの肩にそっと手を置いた。

「あの日・・・午後3時過ぎ、俺はアイカから連絡を受け益戸駅で落ち合った。

アイカからハンカチを受け取り急いで計画を聞いた。

俺は大学に戻り、4時頃そっと池ノ上マイがいる防音室に忍び込んだ。

部屋に鍵がかかっていないことはわかっていた。

一応学校の規則で、もし事故や火災があったときのために、

部屋に鍵をかけてはいけないことになっているからね。

池ノ上アイカは真面目にそれをしっかり守っていたよ。

鍵をかける生徒もいるようだが、そういう点では俺はラッキーだった。

俺は黒いパーカーを頭から被り、マスクをして池ノ上アイカの背後からこっそり近づいた。

池ノ上マイはピアノの前で練習に没頭していて、俺には全く気づかなかった。

俺は後ろから一気に彼女の口をふさいだ」

大きく息を吸い込む音が聞こえた。

ショウ・ヤマテだ。

自分の娘が襲われる様子は聞くに耐えないだろう。

しかし膝の上でこぶしを作り、強大な自制心で自分を制御していた。

上田エイトは話を続けた。

「最初は指だけをケガさせるつもりだったんだ。

できれば骨折とかに・・・とりあえず今回の選考から外れればと。

同じ音楽家として指が大事なことはわかっているからね。

大学は1月から留学させる予定になっていたから、

それに間に合わなければいいと思っていた。

いまさら信じてくれないだろうが・・・俺たちは彼女の命までとるつもりはなかった」

アヤカがやんわりと声をかけた。

「いえ、恐らくあなたの言った通りだと思います。

もし確実に池ノ上さんを殺そうとしていたら、

何か・・・例えばナイフとかロープとかを用意して部屋に入ったはずです」

アヤカの意外な擁護に驚きつつも、上田センセイはアヤカに感謝の眼差しを投げた。

「・・・ありがとう、信じてくれて。

俺は背後から彼女の口を塞ぎ、彼女の手首を取った。

そしてそのままピアノの角にぶつけるつもりだった。

だが、思ったより池ノ上マイの抵抗が強く、俺たちは組み合ったままバランスを崩し、

彼女はピアノに頭をぶつけて倒れてしまった。

・・・彼女はピクリとも動かなかった。

頭から血があふれ出て・・・ものすごい血の量で・・・俺は彼女が死んでしまったのかと思った。

自分のしたことに一瞬パニックになった。

だがもう引き返せない・・・どうすることもできなかった。

ただハンカチを置くことだけは忘れなかった。

そして俺はそのまま4階の自分の部屋に戻り、騒ぎが起きるのを待った」

「・・・それから?」

アヤカが続きを促す。

「それから次に部屋を使う生徒が池ノ上マイを発見し、

警察が来て・・・俺たち学校関係者も簡単な質問を受けた。

・・・その夜、俺の家でアイカと落ち合い、今後のことを話し合った。

アイカはすでに警察から尋問を受け、池ノ上マイの病院に行ったあとだった。

その時、池ノ上マイが意識不明になったというのを聞いた。

俺は殺していなかったというホッとした気持ちと

もし意識が戻ったら俺のことを覚えているかもしれないという恐怖にさいなまれた。

しかしもう俺たちにできることは何もなかった。

とりあえず様子をみるしかないと。

ただあのハンカチがあれば、エナが犯人として警察から疑われる。

結果としては自分たちの考えた通りになったと思った。

ところが・・・・」

アヤカが口を挟んだ。

「小泉ココロさんがあなた達の前に現れた」

「そう・・・あれは事件の二日後の土曜日だった。

俺は大学の自分の部屋で仕事をしていた。

そこに突然訪ねてきたのが、小泉ココロだったんだ。

彼女とは面識が無かったし、恐らく校内でもすれ違ったことがある程度で、

俺は顔も覚えてもいなかった。

その小泉ココロが、いきなり池ノ上マイの部屋から出てきた俺を『見た』と言った。

驚いたが、平常心を保たなきゃならなかった。

俺は最初とぼけて話をかわそうとしたが、俺が部屋にいた証拠を持っていると言われた。

『あなたのハンカチを持っている』と」

アヤカが尋ねた。

「彼女はあなたにそれを見せたんですか?」

「いや、その場では見せてくれなかった。

俺もアイカもおかしいとは思っていたんだ。

池ノ上マイのことで警察から俺たち大学の職員は全員質問を受けたんだが、

ハンカチの話は全く出なかった。

怪しい人物を見なかったとか、そんなことだけだった。

アイカもハンカチの話は警察から出なかったと言っていた。

だから最初は警察がハンカチの情報を故意に隠しているのだと思っていた。

まさか誰かが・・・小泉ココロが持ち去っていたとは・・・思いもしなかった。

小泉ココロはハンカチが俺のものだと勘違いしていた。

俺はなんとかしてその場を納めようと、あれは自分のもので、

池ノ上マイが倒れているのを発見したが、気が動転していてハンカチを落とし、

一度自分の部屋に戻ったが、池ノ上マイのことはそのあと事務室に連絡をしたと言った。

小泉ココロはその説明で一応納得してくれたが、いつその嘘がばれるか。

僕とアイカは善後策を講じなければならなかった」

水野アイカは珈琲カップを取り上げた。

「それから私たちは、小泉ココロをどうにかしようと今度はじっくりと計画を作り上げたの。

・・・ふう、美味しいわね。

警察の捜査がどこまで進んでいるかどうかわからなかったけど、

エナに容疑が向いていないことで、小泉ココロが言ったように、

警察がハンカチの存在を知らないのは本当だと思ったわ。

私やユウコもハンカチのことを聞かれなかったものね。

それと、マイのお金が盗まれていたことにビックリしたわ。

誰がやったのかと・・・まさか小泉ココロがね。

警察は不審者が大学に入り込んで、マイを襲ったようだって言っていた。

・・・私たちは、警察が見当違いの方向を見ているのなら、

混乱している今、小泉ココロを消すチャンスだと考えたの」

アヤカが一之瀬さんをチラッと見ると、苦々しい表情を浮かべていた。

きっと裏をかかれたことを悔しく思っているのだろう。

「小泉ココロのことは気の毒だと思っているわ、本当よ。

でも、私たちを脅したりしなきゃあんなことにはならなかったのよ」

タンっと水野アイカがカップをテーブルに置いた。

アヤカが静かに言った。

「あなたはとても頭がいい人ですね。

そしてチャンスがあれば、すぐ動くことができる決断力と行動力にも優れている。

予想外のことばかり起こったのにあなたは冷静さを失わず、行動は完璧だった。

でも、ひとつだけあなたはミスを犯しました」

水野アイカが首を傾げる。

「ミス?・・・どれかしら?」

「この前、深田さん、白井さん、あなたの3人にこのハンカチを見せたとき、

あなた、『これ、エナの・・・』って小さい声でつぶやいたんです。

どこにでもありそうな、このありふれた白いハンカチをです。

じっくり見ないと白い糸で刺繍したイニシャルも見えないし、

しかも友達のハンカチなのに。

それなのにあなたはすぐ深田さんのだとわかった」

「・・・そうね、あまりにびっくりしたのね。

このハンカチがなぜここにって。

小泉ココロが持っているはずなのにって。

咄嗟とっさに言葉が出ちゃったみたい。失敗したわね」

上田エイトが言った。

「あとは、あんたの言ったとおりだよ、探偵さん。

俺の手に松ヤニが付いていたのは、小泉ココロに会いに行く前にバイオリンを弾いていたからだ。

・・・まったく気づかなかった」

ここで上田センセイが一呼吸置いてアヤカを見上げた。

その顔は苦しげだった。

「・・・僕は殺しのプロじゃない。

これからしなきゃいけないことが怖くてバイオリンを弾いて心を鎮めていた。

覚悟を決めるためにも。

これから殺しにいく小泉ココロへのはなむけのつもりでもあった。

選んだ曲はショパンの葬送行進曲レクイエム・・・相応しいだろう?

・・・そうだ思い出した」

上田エイトの視線が窓の外に向いた。

見つめる先は、庭を、空を見ているようで何も見ていないようだった。

自分が殺した小泉ココロの幻影が見えているのだろうか?

それとも崩れ落ちた未来のカケラだろうか。

上田エイトがささやくような声で言った。

「・・・池ノ上マイが救急車で運ばれたあと、俺は庭に出たんだ。

まだ興奮していた気持ちを落ち着けたくて、冷たい外の空気に触れたかった。

そのとき、遠ざかっていくサイレンの音に混じって、

どこかで誰かが弾くピアノの音が聞こえてきたんだ。

・・・それがショパンの葬送行進曲レクイエムだった。

そうか、それで俺はその曲を無意識に選んでしまったのか・・・。

・・・皮肉なもんだ。

まさかそれが俺とアイカの葬送行進曲レクイエムになってしまったなんて」


「上田エイト、水野アイカ、両人、池ノ上マイ殺害未遂、そして小泉ココロ殺害容疑で緊急逮捕する」

残された一同が見守る中、一之瀬刑事と久保刑事が二人を促し玄関に向かう。

「・・・待ってくれ!」

突然声が響き、ショウ・ヤマテが4人にゆっくりと近づいていく。

「どうしても聞いておきたい。

君たちは本当に・・・キミは海外留学のためだけにマイを、そして小泉クンを手にかけたのか?」

「・・・・・」

水野アイカも上田もショウ・ヤマテに背を向けたまま、黙っている。

「答えろ!本当にそれだけのためか!?」

ショウ・ヤマテが声を荒げた。

怒りのあまりにその大きな身体が震えている。

部屋に緊張が走る。

水野アイカがポツリと言った。

「・・・そうです」

「僕はマイからキミのことも、他の2人のことも話を聞いていた。

友達だけど、刺激し合えるいいライバル同士だと。

キミ達がいたから、私も負けないように頑張らなきゃ、と。

僕が君たちにカルテットを組んでもらったのも、一人一人の実力も高く、

切磋琢磨するキミたちなら素晴らしいハーモニーを奏でられると思ったんだ。

その演奏は本当に素晴らしかった。

それなのに・・・なぜこんなことに・・・」

ショウ・ヤマテが膝から崩れ落ちた。

「・・・・・」

水野アイカは無表情のまま、真っ直ぐ前を見つめていた。

彼女の心にショウ・ヤマテの言葉はどう響いたのだろう。

それとも何も感じていないのだろうか。

その時、上田エイトがゆっくりと振り返った。

「その為だけ?・・・だけですか?・・・・あなたに何がわかるんです?」

「な・・に?」

ショウ・ヤマテが戸惑った顔を上げた。

その顔を上田エイトがにらみつけた。

「あなたにはわからない。

あなたには俺みたいな・・・俺やアイカの気持ちはわからないでしょう。

あなたみたいな才能がある人には」

上田エイトがショウ・ヤマテを見下ろす形になった。

「あなたは日本にいたときから注目され、海外でも成功した。

その天才的な才能で活躍し続けている方だ。

日本に帰ってくれば、リサイタル、雑誌やメディアにも注目され、

いつもスポットライトを浴び続けている。

影にずっと潜んでいる俺みたいな、いや俺だけじゃない、

一線から落ちていった大勢の人達の気持ちがわかりますか?

敗者の気持ちがわかりますか?」

上田エイトが一呼吸おいた。

「・・・俺だって注目されていたことがありました。

スポットライトを浴び、その光の中で演奏したものです。

拍手の中、俺はこのまま光の中を進むものだと思っていた。

しかし皆が注目したのは自分のこの・・・容姿だけだった。

俺の演奏じゃなかった。

メディアや世間は勝手に持ち上げ、すぐ飽きられ、勝手に落とされた。

そしてしがない大学の一講師に落ちた。

だからこのチャンスに俺たちは飛びついたんです。千にいや、万にひとつのチャンスに」

冬木教授が腰を浮かせかけた。

「な!?キミは何てことを・・・」

が、その前にツカツカと音をたてて、上田エイトに近づいた人物がいる。

バン!

鋭い音が店内に響いた。

「何言ってんのよ!勝手なことばかり言って!

才能なんて後からついて来るものでしょ!あんた、その前に努力したの?」

ユキコさん!?

上田エイトの頬を叩いたのはユキコさんだった。

背の高い上田センセイの正面に立ち、下から睨みつけている。

叩かれた上田エイトは驚きのあまり言葉も出ない。

一之瀬刑事と久保刑事も突然の出来事に呆気に取られていた。

「手を見せてみなさいよ!」

ユキコさんが左手で上田エイトの手首を強引に引っ張った。

上田エイトはその勢いでバランスを崩し、前のめりになった。

「なに、この綺麗な手は!これのどこが努力してるの!?

私はね、仕事柄いろんな演奏家やミュージシャンと会ってきたわ。

あなたね、これをごらんなさい!!」

ユキコさんはさらにぐいっと上田エイトを引き寄せ、

右手で床に手を付いていたショウ・ヤマテの手も掴んだ。

二人の手が並んだ。

ショウ・ヤマテの手は、手の甲はとても綺麗だった。

しかし、裏返してみると手の平と指先はマメがつぶれ、

さらにその上にできたマメもつぶれ、何層にも厚みが出来ている。

上田エイトは目を見開き、ショウ・ヤマテは驚いてユキコさんを見ていた。

「わかる?努力して努力して、さらに努力して実力をつけた人が、

初めて才能があるって言われるの。

あなたは何をどう努力したっていうの!?こんな綺麗な手をして!」

ユキコさんは顔を真っ赤にして怒鳴った。

「才能がない!?笑っちゃうわね!

生まれつき才能を持った人はいるわよ。

でもね、そんなの努力して磨かなければすぐ埋もれるのよ!

成功してきた人は必ず努力している、絶対ね!

あんた、その王子様のような見かけで人気があったんでしょ?

なんで利用しなかったの?なぜその時に努力しなかったの?

周りにちやほやされて調子に乗ってただけでしょ?

見かけだけしか賞賛されない?

それがどうしたっていうのよ!

そんなの実力をつけて演奏で黙らせればよかったのよ!!」

ユキコさんははあはあと肩で息を切らせていた。

上田エイトもショウ・ヤマテもユキコさんの行動に呆気にとられていた。

水野アイカもユキコさんを目を大きくして見つめていた。

ユキコさんの言葉は上田センセイにどう響いたのだろうか。

そして、水野アイカには。

そのとき、空気を引き裂くように一之瀬刑事の携帯音が店に響き渡った。

一之瀬さんがためらいがちにゆっくりと電話に出る。

「・・・はい・・・何、・・・そうか、わかった」

短い会話だった。

一之瀬刑事が部屋にいる全員をぐるりと見渡した。

「今、病院から連絡がありました。たった今、池ノ上マイさんの・・・」

部屋中に緊張が走る。

アヤカはごくりと唾を飲み込んだ。

「・・・意識が戻ったそうです」

わあ!

喜びが弾けた。

ミナとチカは目を合わせ微笑んでいた。

白井ユウコは今にも泣き出しそうになっている。

深田エナは呆然ぼうぜんとしている。

冬木教授は手を組んで、天井を仰いでいた。

母はアヤカを見て微笑んでいた。

「・・・よかった」

アヤカは振り返った。

その声は水野アイカから発せられたのだろうか。

あまりに小さな声だったので、傍にいたアヤカにしか聞こえなかったかもしれない。

でもどうか・・・その言葉は本心であって欲しい。

アヤカはそう願わずにはいられなかった。


【エピローグ】


翌日の日曜日午後6時、アヤカたちは『20世紀の森音楽ホール』にいた。

紅葉が深まり、20世紀の森の園内は美しいオレンジ模様に彩られている。

夕闇の外灯に照らされ、さらにロマンチックな雰囲気が漂っていた。

入り口には”ショウ・ヤマテ ソロコンサート~秋の夕べ~”の立て看板があった。

今朝、ショウ・ヤマテから連絡があり、

彼の計らいで、アヤカたちはこのコンサートに招待されていた。

「どうかいらしてください。お友達も、何人でも」

というわけでアヤカは、ミナ、チカの家族、母、ヨウコさん、キクさん、サクラさん、

柏原教授、秋元さん、そして、庄治准教授の大勢で会場に訪れていた。

ユキコさんは元々このコンサートに取材に来る予定のはずだ。


アヤカ達はロビーにいた。

コンサートに相応しいように、アヤカは黒のレースの膝丈のスカート、

ボルドーの袖がふわっと広がったシフォンのブラウス、

そして足元には久しぶりに履く黒のエナメルヒール靴を身につけていた。

髪は首元でひとつにまとめ、

耳には金のゆれるイヤリング、そして華奢なブレスレットを付け、

そして以前母にプレゼントされたディオールの小さなバッグで、

腕にはグレーのノーカラーコートを掛けていた。

このコンサートのために急遽選んだコーデだが、ふむ、なかなかじゃない?

アンがじーっとアヤカを見上げていた。

「アヤカちゃん、今日すっごいキレイ!」

「あら、アンもとても可愛いわよ」

あれ?じゃあいつもはイマイチなのかしら。

「ホント?アン、お姫様みたい?」

そう言って、アヤカの目の前でピンクのワンピース姿でクルッと回って見せた。

(まあいいか)

アヤカはその可愛い姿を見て微笑んだ。

「ねえアヤカ・・・彼、来るかしら」

隣に立っているミナは黒のドレッシーなパンツスーツに身を包み、

花柄のダークグリーンのレースのブラウス、スエードのパンプスを履いていた。

メガネを外してコンタクトに替え、

耳元には大きなパールのピアスが揺らし、そして珍しく化粧をしている。

元々美人のミナだが、今日は一層人目を引き、

通りすがる男女、しかも特に多くの男性の視線を集めていた。

しかしミナはそんな視線を気にすることもなく、

そわそわしながら不安気な表情を浮かべている。

それは・・・。

「・・・大丈夫だと思うけど・・・あ、来たわよ!」

アヤカが指差した玄関から小走りに入ってきたのは久保刑事。

「お待たせして申し訳ありません!」

いつも通り、ピシっと折り目正しいネイビーのスーツに、

今日は紺と赤の明るいストライプのネクタイをしている。

手には黒いトレンチコートを持っていた。

ミナの頬がほんのり赤く染まった。

「・・・まだ取り調べ中なんですが、僕だけでも行って来いと警部補がおっしゃってくれたので・・

あ、平原さん、今夜はコンタクトにしているんですね」

アヤカは一之瀬さんと久保さんもこのコンサートに誘っていたのだが、

きっと取り調べやらで忙しくて来ないだろうと思っていた。

しかし、一之瀬さんは今度も見かけによらない気の使いようで、

久保刑事だけはと送り出してくれたようだ。

ミナと久保刑事は向き合って話していた。

「・・・今日はなんとなくそういう気分で・・・」

「警部補が今日はここから帰っていいそうなので・・・前に話していた・・・」

カンの鋭い一之瀬刑事のこと、ミナが久保刑事に思いを寄せているのを感づいているのかもしれない。

ちなみに久保刑事はミナのことはどう思ってるんだろう?

見たところ、悪いという雰囲気はないんだけど・・・。

今度一之瀬さんにそれとなく確かめてみよう。

「いい感じね?あの二人」

驚いて振り向くと、母がすぐ横に立っていた。

今夜の母は深いパープルのニットスーツ、黒のエナメルパンプスで決めていた。

しかも何?この高いヒールは!

もうすぐ還暦って人が履くものじゃない。

「母さんもそう思う?」

「ええ、あの二人・・・美男美女よね。背が高いミナちゃんとも釣り合ってるし。

案外すぐくっつくかもしれないわ」

ふむ。

こう言ってはなんだけど、人を見る目だけはある母がそう言うならそうなのかもしれない。

「でも、あなたまたすぐ先を越されそうね。あなたはどうなの?

ほら、あの・・・」

母が指差す方向には柏原教授、チカの夫と話す庄治准教授がいた。

今日はグレンチェックのジャケットに、ノーネクタイ、黒いシャツ、黒のパンツを履いている。

なんとなく大人の雰囲気が漂って・・・素敵。

母が言った。

「・・・センセイとは。

でもああやってみるとあの人もけっこうイケてるかもしれないわね。

いい?あなたはもう若くないんだから」

ぐさっ。

「焦らないと、他の人にとられちゃうわよ?

男性は見かけ重視で選ぶ人が多いんだから。あなたは胃袋を掴んでおくのよ。

もうそれしかないんだから」

グサグサッ!

うう、胸が痛い。

わかってますよぅ!そんなこと。

でも私だってこう見えて・・・・

言い返してやろうかと思ったら、開演を告げるブザーがロビーに響いた。

扉が開かれたので、母に反論するのを諦め、全員でぞろぞろと大ホールに入った。

ショウ・ヤマテが用意してくれた席は、中央の関係者席だった。

そこにはペンギンのような燕尾服を着た冬木教授が待っていてくれた。

近づいていくと、冬木教授が笑顔で迎えてくれた。

「どうも、昨日は・・・」


あの後。

池ノ上マイの意識が戻ったという連絡を受け、

ショウ・ヤマテ、冬木教授、白井ユウコの3人が急いで病院に向かった。

ただし、深田エナだけは行かなかった。

友人の水野アイカ、恋人だった上田エイトの告白に大きなショックを受けていたのだろう。

それは当然のことだった。

彼女はまだ二十歳過ぎの若い女性だ。

このショックに耐えうるにはまだ社会経験が少なすぎる。

深田エナはそのまま店から一人タクシーで帰って行った。

心配した白井ユウコは深田エナに付き添っていこうとしていたが、

「ごめん・・・今は一人になりたい」

と断ったのだ。

結局、深田エナの様子を心配して後ろ髪を引かれつつも、白井ユウコも病院へ同行した。

病室に駆けつけると池ノ上マイは体を少し起こした状態で、母親と言葉を交わしていたという。

まだ意識ははっきりとはしていなかったので、部屋には担当医師や看護師もいたそうだ。

「マイ!」

最初にドアを開け、飛び込んだのはショウ・ヤマテだったという。

「おと・・・・山手センセイ・・・」

「マイ!大丈夫か?私のことはわかるか?」

「・・・ハイ、大丈夫です。あの・・・」

池ノ上マイは後ろにいる白井ユウコを気にしていた。

しかしショウ・ヤマテはかまわず池ノ上マイを手を握りしめた。

「・・・もういいんだ。キミが僕の娘ということは、白井クンにももうわかってる。

キミを襲った犯人も捕まったよ。もう安心だ」

「・・・ホント?本当なの?」

白井ユウコも声をかけた。

「マイ!良かった、ホント、良かった!」

「ユウコ・・・冬木センセイも・・・」

「もう大丈夫かね?池ノ上クン」

池ノ上マイの母親は目頭を押さえながら見守っていたという。

喜ぶ三人の背後から一之瀬刑事が進み出た。

「ゴホン、申し訳ありませんが少しお話を伺いたい・・・先生、よろしいでしょうか?」

少しならという医師の許可をもらい、一之瀬刑事が話し始めた。

実は一之瀬刑事がパトカーで病院まで送ってくれたのだ。

サイレンを鳴らし、信号ノンストップで。

一之瀬刑事のイキな計らいだった。

「益戸警察署の一之瀬と言います。・・・ご気分はいかがですか?」

池ノ上マイが額を抑えつつ答えた。

「まだ少し・・・ぼんやりしてます。でも大丈夫です」

「申し訳ありません。質問は少なくしますから・・・。

まずあなたを襲った人物を覚えていますか?」

「よく・・・覚えていません。後ろから急に・・・衝撃があって、口を塞がれて・・・」

池ノ上マイは一度目をぎゅっと瞑ったものの、

自分を奮い立たせるように話し続けたという。

池ノ上マイは襲われたときのことは憶えてはいたが、

誰が自分を襲ったのかは見ていなかったそうだ。

一之瀬警部補は襲った犯人、そして友人の共謀を伝えたそうだ。

冬木教授の横に座ったアヤカが聞いた。

「・・・そうですか、彼女、大丈夫でしたか?」

冬木教授がため息をついた。

「ショックを受けていました・・・当たり前ですが。

友人が・・・自分に危害を加えようとしていたとは思いもしなかったでしょう」

それはそうだろう、まさか自分がそんなに憎まれていたとは。

しかも仲がいいと思っていた友達に、信頼していたであろう先生に。

そのショックは大きく、すぐに立ち直ることは難しいだろう。

「白井くんが終始なぐさめていましたが、心の傷は深いでしょう。

まだ昏睡から目覚めたばかりだったので、刑事さんは2、3質問して部屋を出ましたが・・・・」


その夜、アヤカはその一之瀬刑事から電話を貰っていた。

「そうですか・・・それで水野アイカさん達は?」

水野アイカと上田エイトは久保刑事に連れられ、

外に待機していたパトカーに乗せられ、益戸警察署へと連行された。

今は取り調べ室にいるという。

「淡々と大人しくこちらの質問に答えています。

大体あなたの店で話したことの通りでしたな。

それと・・・やはりあなたの店の窓を壊したのは上田でした」

(やっぱり・・・)

「あなたがあちこち突ついて・・・いや、ゴホン・・・調査しているのを見て、

脅してやろうとしたそうです。

伊戸川の土手から石を運び、庭から思い切り窓に叩きつけたということです」

「それは・・・私を殺そうとして・・・ですか?」

「いや、そこまでは考えていなかったようです。

ただ、あなたを怖がらせて調査をやめてくれればいいと思ってやったことのようですね。

まあ、色々と細かいことはこれからですが・・・。

とりあえず終わりましたね。

証拠を揃えたりとこれからまだ色々ありますが・・・ありがとうございました。では」

そう言って電話が切れた。

一之瀬刑事が・・・私にお礼を言った!

嬉しさと誇らしさに一瞬胸が詰まったが、後味の悪い終わり方だった。

いや、後味のいい事件なんてないのだが。

それにしてもこの事件は、まだ大人になったばかりの彼女達に大きな傷跡を残してしまった。

愛情、友情、信頼がガラスのように儚げなことを彼女達は知ってしまった。

深田エナは愛に裏切られた・・・白井ユウコは簡単に友情が壊れることを知ってしまった・・・

池ノ上マイは信頼していた人達に傷つけられた・・・

小泉ココロはもう未来を見ることは無く・・・

水野アイカは何もかもを失い・・・残ったのはただ一人の男性。

彼女たちはこれから何かを信じることができるのだろうか。

まだ若い彼女達には辛過ぎた経験だろう。

いつかそういう・・・キレイごとだけじゃなことを知る時は来る。

しかしこれは早過ぎた。


大きな拍手の音でアヤカは我に返った。

壇上を見ると、ショウ・ヤマテが舞台の裾から登場してきたところだった。

一礼して彼がピアノの前に座ると、拍手が鳴り止んだ。

大きく息を吐いた後、偉大なるピアニストは繊細な指を鍵盤に滑らせた。

豊穣な音が大きなホールに満ち始めた。

アヤカは手元にあるプログラムを開いた。

最初の曲はショパンの幻想即興曲とある。

この調べ・・・?これは・・・違う?

アヤカが首を傾げていると、隣に座っている冬木教授が静かに教えてくれた。

「プログラムが変わってますな。これは、歓喜の歌・・・ベートーベンです」

ショウ・ヤマテはスポットライトの中で輝いていた。

その姿は喜びに満ち溢れていた。

きっと我が娘の回復を喜んでのことだろう。

それは上田エイトが憧れた姿・・・そしてもう叶うことはないだろう。

しかし、アヤカは思った。

そうか・・・彼女達にはまだ残っているものがあるかもしれない。

それは音楽。

彼女達が今残っているもの、そしてみんなを繋いでいたもの。

愛を失っても、友情を失っても、人を信じることが難しくなっても、

彼女達の人生は音楽と共に歩んできたはず。

それとも・・・こうなった原因は音楽のせいだと憎んでいるのだろうか。

もう向き合うことは難しいのだろうか。

それはわからない。

でも願わくば・・・思い出してほしい。

素直に音を楽しんでいた頃を、うまくなりたくて一生懸命頑張っていた自分を。

それが彼女達の救いになるかもしれない。


カラン。

来客を告げるベルが鳴ったのでアヤカは振り返った。

「いらっしゃいませ・・・白井さん!それと・・・深田さんも」

「こんにちわ!お久しぶりです」

白井ユウコが笑みを浮かべながら店に入ってきた。

「・・・どうも」

深田エナは目を節目がちにして入って来た。

しょうがないか、きっと私、嫌われたものね。

「・・・何になさいます?」

アヤカがカウンターに入り、注文を聞いた。

季節はもう12月。

外は冷たい風が吹き、イングリッシュガーデンはアイビーとローズマリーが主役になり、

もうすっかり冬の彩りに変わっていた。

白井ユウコは指を指で指しながら注文した。

「ん・・・と、このノエル・スコーンと、紅茶をお願いします。エナは何にする?」

「私は・・・どれがオススメです?」

急に深田エナに話しかけられ、アヤカは驚いた。

「え、そうですね・・・本日はこの新作のミニ・シナモンロールがオススメです。

珈琲とよく合いますよ」

「じゃあ、それを・・・それと珈琲で」

かしこまりました。ご用意しますので、この番号札を持ってお座りください」

ああ、びっくりした。

・・・とりあえず、口はきいてくれるみたいね。

アヤカはトレイにすべてを用意し、二人が待つテーブルへ運んだ。

「・・・お待たせしました・・・どうぞごゆっくり」

「あ!あの鈴井さん、今ちょっとお話してもいいですか?」

アヤカが立ち去ろうとすると、白井ユウコが止めた。

「え?・・・はい、大丈夫です」

ぐるりとフロアを見渡すと、2時の少し落ち着いた時間帯だったのでお客様は少なく、

チカ一人でも大丈夫そうだ。

そう思ってアヤカは空いた席にストンと座った。

白井ユウコが言った。

「・・・あれから一ヶ月経ちましたね」

「ええ・・・そうですね。池ノ上さんはどうしてますか?」

「マイはあれからしばらくして退院しました。傷はもう治っていたので大丈夫だということです。

今は自宅療養中なんです。私達も何度かお宅に」

「そうですか・・・それは良かったです」

すると、横から珈琲がすっと差し出された。

見ると、チカが気を利かせてくれてアヤカの分の珈琲を持ってきてくれたのだ。

「ごゆっくり・・・あとで聞かせてね」

最後のほうは小声だったが、チカに小さくありがとうと言った。

白井ユウコが背筋を伸ばした。

「実は報告があって・・・聖マリア女子大の海外留学の話なんですけど・・・私が行くことになったんです」

「そうですか。それは・・・」

白井ユウコの報告にアヤカは何と言っていいかわからなかった。

おめでとうと言うには彼女の表情が暗かったからだ。

気が進まないのだろうか。

そうかもしれない・・この海外留学選考から一連の事件が起きたのだから。

しかも、友人が被害者、加害者、容疑者とまるで悪夢のような出来事だったはずだ。

「マイは・・・マイの方からもまだ体調も万全じゃないからと留学を断ったそうです。

大学は時期をずらすと言ってくれたそうですが。

冬木教授とご家族とも話し合って決めたそうです。

マイはお父さんと一緒にいられる今の時間を大切にしたいって言ってます。

音楽はどこでも出来るから、今はいいって。

まだココロの整理もつかないんだと思います。

でもそれだったらエナが行くべきだと思うんです。

何しろ私よりすごい実力を持っているんですから・・・でも・・・」

「私、辞退したんです」

深田エナが遮った。

その表情はまだ硬いままだが、ぽつりぽつりと話し出した。

「私・・・自分のことを何もわかっていませんでした。

自分のせいで・・・私の自己中な言動のせいで、

マイが危険な目にあい・・・人が一人死んだんです。

・・・アイカだって、上田センセイだって、私があんなことを言わなきゃ、

あんなことはしなかったのかもしれない」

「深田さん、それは違う。そんなことは・・・」

アヤカが言いかけたが、深田エナは首を横に振った。

「いえ、全部、全部じゃないかもしれませんが、責任の一旦は私にあります。

私は行くべきじゃないんです、そんな資格、私にはない。

・・・だから、私、心からユウコに行って欲しいと思ってるんです」

なんと言えばいいのだろう。

当事者でもない私が何を言っても上っ面だけの言葉になってしまう。

辛い経験をしたこの二人にはきっと届かない。

でも・・・。

「私は・・・素人の私が言えることではありませんが・・・」

アヤカは静かに切り出した。

「音楽って、テクニックだけじゃなく、その人の心が表現されたものだと思っています。

この前のショウ・ヤマテのコンサートを拝見してそう思いました。

きっとお嬢さんの、マイさんの意識が戻ってその気持ちが現れたんでしょうね。

あの方の心の叫びがうわーっと私のココロに入り込んできました。

それは喜びに溢れていました。

凄い方ですね・・・あの人は。

一人であんな大きなホールの観客をトリコにしてしまう。

以前、こばと・・・いえ、白井さんの演奏を一度聞かせて頂いたとき、

専門のビオラではなく、バイオリンでしたけど、とても・・・とても良かったです。

優しさに溢れて、情緒豊かな・・・ごめんなさい、表現が乏しくて。

でもあれは・・・あなたの心が表れたものだったと思います」

すると白井ユウコが笑みを浮かべた。

「ふふ・・・鈴井さん大丈夫です。

もうエナにもマイにも話したんです。私が孤児だったってことは・・ねえ?」

深田エナがコクンと頷いた。

「うん・・・びっくりした。

でもそんな大変なことを、ユウコがずっと秘密にしていたことを話してくれて、

私、嬉しかった。

でも、私もずっと引っかかってたの。

ユウコは元々優しくて控えめな性格なんだろうけど、

どうしてあんなに人目を気にするのかってずっと思ってた。

私はワガママ過ぎるのかもしれないけど・・・実はちょっとユウコのこと、もどかしかったんだ。

なんでもっと自分の意見をハッキリ言わないのって。

・・・私が言い過ぎなんだろうけど・・・」

「そんなことない・・・私はエナのハッキリした性格がずっと羨ましかった」

二人は恥ずかしそうに顔を見合わせた。

白井ユウコが言った。

「このことを話したら、エナは一緒に『こばとの家』に行ってくれたんです。

私はバイオリン、エナはピアノで演奏しました。

やっぱり二人でやると音域も広がるし、素晴らしいものになったわ。

子供たち、エナにも懐いて、エナってばとまどっちゃって・・ふふ。

あんなエナ見たことなかったなぁ」

白井ユウコが小さく笑うと、深田エナが慌てた。

「だ、だって、私、一人っ子だし、どうしたらいいかわかんなくて・・・」

「ふふ、あ、そうだ!鈴井さん、こばとの家に時々お菓子を持ってきてくれているんですってね。

ありがとうございます!

あの子たち、すっごい美味しいって言って喜んでます。

園長先生も手づくりのお菓子を頂けるのはありがたいっておっしゃってました!」

アヤカは顔の前で手を振った。

「ううん、そんな・・・時々だし・・・喜んでくれるているのなら良かった。

あの、聞いていいかしら?

もしかして、白井さんが留学を渋っているのはこばとの家のことがあって?

しばらく行けなくなるから?」

アヤカが聞くと、白井ユウコが曖昧に頷いた。

「そう・・・ですね。

そうかもしれません・・・子供たちと離れるのもイヤだし・・・。

それに両親ともやっと本音を言いあえるようになったんです。

私、今とても幸せなんです。

でもそれは言い訳かもしれません・・・怖いんです」

「怖い?」

アヤカが聞くと白井ユウコが顔を曇らせた。

「私が・・・私みたいなまだ実力もないのに、選ばれて留学していいのかって。

もっと私以上にふさわしい人がいるのに。

オーストリアに行っても私、きっと他の人に負けちゃう。

一人で海外で頑張っていけるのかって・・・色々考えちゃって」

すると深田エナが言った。

「それはそうかもしれないけど・・・ユウコの演奏、前とは変わったんです。

・・・ショウ・ヤマテも言ってたじゃない、何かつかえていたものが取れたようだって。

音が鎖から放たれたように生き生きし出したって。

それはやっぱりユウコ自身が変わったってことじゃない?」

「そんな・・・自分じゃわからないよ・・・」

「そうよ!きっと・・・自分が出せるようになったからよ。

何か・・・殻を破るみたいに、きっとユウコから新しいモノが出てきているのよ。

・・・ねえ、自分がいる世界から新しい世界へ行くのは怖いよ、きっと。

でも、もっともっと上を目指すべきよ!

センセイ達もそう思ったからユウコを推したのよ。

ユウコならきっともっと上手くなれる!

・・・大丈夫、任せて!こばとの家には私が行く!

マイが復帰したら、二人で行くから。だから安心してオーストリアに行ってきてよ」

なんだ・・・私が何も言わなくても全然大丈夫じゃない。

アヤカはソファの背に体をあずけた。

それに・・・白井ユウコは本当に変わったと思う。

オドオドした態度はもうない。

控えめな性格は本来のものだろう。

それと自分では気づいていないけど、深田エナも変わってきている。

少しトゲトゲしかった態度が、いいほうに、友人を心から励ましてあげらる

明るさと強さに変化している。

さらに深田エナが言った。

「それにね、私もマイも後からきっと追っていくんだから!

音楽は、人生はずっと続くのよ?これからも。

今行けなくたって、自分を磨いて私も世界へきっと行く!

それに・・・アイカだって・・・きっと戻ってきてくれる」

深田エナが涙ぐんだ。

「エナさん・・・」

アヤカは何と言っていいかわからなかった。

けど、深田エナは顔を上げて言った。

「私、甘いのかな?

私まだ・・・上田センセイは許せないし、アイカに会う勇気は出ないけど、

いつかもう一度4人でカルテットをやりたいと思ってる。

だって私たちも・・・アイカも音楽を愛しているはず。

それは変わらないでしょ?

それに私たちのカルテットって最高だったじゃない。

もっと自分を磨いてもっと最高のカルテットが作りたい・・・いつの日かそのためにも」


「そう・・・なんかみんな変わったわね」

ミナが言った。

閉店後、アヤカとミナは店の片付けをしながらさっきの話をしていた。

ミナは厨房の床を掃除し、アヤカはカウンターを拭いていた。

「そうみたい・・・しかもいい方になってる気がする」

「白井ユウコさんは留学するのかしら?」

「そうね・・・そうなってほしいわね」

アフタヌーンティから始まった事件は様々な結果を生んだ。

いいことも、悪いことも。

そうだ、私達にも。

ミナを見ると楽しそうな様子でモップで床を磨いている。

あのコンサートの夜からミナも変わったみたいだ。

久保さんとはどうなったのかしら?

聞いてみたいけど、どうせ話をはぐらかせられるに決まってる。

ミナが恋愛に関して秘密主義というのは以前からわかっているし。

でもミナの様子を見ると・・・どうやらこっちもいい方向にいっているらしい。

そして私も・・・。

チラッと庄治准教授の顔を思い浮かべながら複雑な気持ちになった。

デートもしたし・・・あれはデートよね?

なんだかいい雰囲気だった・・・きっと、たぶん。

やっと少しは准教授のことがわかったことだし・・・ただ。

頭のスミにはあのラテン系美女のショウコさんがチラつく。

そうまだ考えなきゃいけないことはあるけどね。

ふむ・・・でも、とりあえず少し、ほんの少しだけ前進した気がする。

母の言葉が頭をよぎる。

焦るべき?・・・いや焦ってもいいことはあまりない。

それはそれで今は良しとしよう。

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