【外伝】亡国の剣4
洞窟は下に通路が伸びている。岩をくり抜いて作られた石の洞窟は、おそらく魔法で掘られたものだろう。壁にはところどころ魔法の光が輝いている。
「魔術師の相手をしたことはあったか?」
「魔獣が使ってきたことならあります。《微睡霧/スリープミスト》でしたけど」
ウォルスタの自警団は特殊な武闘集団だ。街の治安維持も手掛けてはいるが、もっとも重要なことは外敵の排除にある。
ユルセール王国も管理を放棄し自治区とした、化け物のような怪物がひしめく土地。そんな場所にウォルスタという街はある。冒険者であった『流れ星』が、冒険で得た財産の大半を吐き出して作った街。それがウォルスタだ。
街のぐるりを取り囲む防壁と迎撃設備。週に一度は北にある『魔の大森林』から魔獣や怪物がやってきて、自警団が退治するという異常な日常をこなしている。
大抵はオーガやトロールといった巨人族の一群がやってくるのだが、極稀に魔法を操るマンティコアなどの魔獣がやってくる。そのため、魔法を使って襲いかかってくる相手の対策も、自警団ではきっちり教育されている。
魔法に抵抗する心構えや、どのような魔法があるか。どんな魔法を使ってくるとどれくらいの危険があるか。そうしたことはノアも一通り知悉している。
しかし洞窟を隠すために《幻覚/イリュージョン》の魔法を使ったり、《蠢く家具/イミテーター》で扉を作るというのは、そうしたマニュアルにはなかったためノアは驚くばかりだった。
「自警団の仕事だとこんな搦め手には出会わないからな。戦いになったら基本、魔法の抵抗に専念しておけ。全体を警戒して手を出せるようなら自分の判断で援護だ」
「了解です」
ある一点を中心として広がる広範囲の魔法がある。街の防衛のさいにはそれを警戒して、あまり固まるなと教わった。しかしこんな狭いところでは離れるほうが危険ではないのか。冒険者ではないノアにはなかなか判断が難しいところだ。
警戒しながら進んでいくと、大きな広間にたどり着いた。そこはちょっとした武器庫のようだった。机やイスや寝床などもあるが、人の気配はまったくない。
「バリスタの設備や武具一式がありますね。やっぱりここが野盗のアジトで間違いないですね」
「そうだな」
洞窟のどん詰まりにまで来てみればもぬけの殻。
ノアは拍子抜けだといわんばかりに、借り物の剣を鞘に納めようとしたその時。わずかに刀身が輝いていた。
そして同時に大気が爆発し、圧縮されて逃げ場を失った炎と風と爆音がふたりを襲った。
「ぐっ!」
「こっちだ! 風が抜けている!!」
完全に油断したところに《火球/ファイアボール》が打ち込まれた。
ノアは吹き飛ばされ岸壁に叩きつけられたところに、灼熱の空気を吸い込んだ。血混じりに激しく咳き込む。
(ハムさんは)
意識が切れかけそうになったが、耳に届いたハムの言葉が視線を生かした。今まさにハムが壁に向かって疾走しており、壁をすり抜けていったところを目にすることができた。
(幻影の偽壁――)
洞窟の扉を隠すために使われていた幻影の魔法。
少し考えれば同じ方法でどこにだって隠れられるとわかったのに。
軋む身体に動けと念じ、口元の血を手の甲でぬぐって立ち上がる。
いける。もう一発、今度は油断せずに受ければあの《火球/ファイアボール》はもう一度くらい耐えられだろう。
ハムに遅れて幻影の壁に飛び込むと、そこは先程よりもさらに広い大広間があった。その半分ほどに動く死者と骨人で埋め尽くされていた。
「ハムさ――ぐがっ!!」
すでにハムは動く死者と骨人の波に飛び込んでいた。加勢をしようと近づくと、またしても《火球/ファイアボール》が打ち込まれ、ノアの歩みを止めた。今度は火球の効果範囲外だったせいか、ダメージらしい傷を負っていない。
しかしハムは《火球/ファイアボール》の中心にいて、今なおアンデッドの壁を舞うように切りつけている。魔法によるダメージも、アンデッドたちによる打撃もすべて躱している。
「アンデッドの攻撃はともかく、あの魔法で無傷ってどういうことだよ……」
レベルが違いすぎる。この鯨波のようなアンデッドはもちろん、その向こうで魔法を使っている者とも。そして自分ともだ。
ノアは先程の《火球/ファイアボール》によって灼かれた喉に唾が落ちるのを感じた。その痛みが現実的な意識を呼び戻した。
「今飛び込んでも魔法に対する防御が弱い俺は、ハムさんの力になれない。やることは退路の確保だ」
かつて教え込まれた範囲魔法の対策を頭の中で繰り返した。
(広範囲の攻撃魔法を使うやつだと思ったら、だいたい半径5メートル以上を目安に散れ。あとは接近するか離れるかだ。近寄れば範囲魔法は術者を巻き込むから使えなくなる。離れるんだったら術者から思い切り離れるか、できなければ射線が通らない、視認されない場所に隠れろ)
洞窟の通路まで下がったところで三度の炸裂が起こった。このたびの狙いは、動く死者と骨人を巻き込んでのハム狙いだ。
「すげえ…… ハムさん《火球/ファイアボール》でほとんど怪我をしてない」
《火球/ファイアボール》を三発も叩き込まれたハムであるが、そのつど幅広の『ザンジバル』と腕で顔のみをガードし、魔法の炎と爆風についてはほとんどダメージを受けていない。
距離を開けたことによってハムの動きをつぶさに観察することができる。ただ、アンデッドの群れに飛び込んだわけではなく、なるべく密度の多いところをこじ開けるように身を投じている。
今の《火球/ファイアボール》でも爆風でアンデッドが吹き飛ばされたと思ったら、また次のアンデッドのコロニーに飛び込んでいった。
「相手は広範囲魔法を選んで使っているわけじゃなく、ハムさんに使わされている……のか?」
やはりハムに教わったことによれば、魔法というのは相手が見えていないと対象にすることができないものと、見えなくとも放てるものがあるという。
《火球/ファイアボール》は発生地点を認識さえしていれば撃てるが、《魔弾/エネルギーボルト》や《麻痺/パラライズ》といった単体に作用するものは、相手が見えていなければならないと。
(魔法攻撃でもダメージを与えるものと、睡眠や麻痺を与えるものがある。“通って”しまうと一撃で行動不能になる魔法には気をつけろ。具体的には相手から離れる、素早く近づく、見えないところにいるという原則を忘れるな)
「いや。同士討ちまで狙いながら相手に魔法を使わせるなんて教わってないすよ」
ただ戦っているだけでなく、背後にも目があるのではという細やかな位置取りだった。これは並んで戦っているとわからない。
そうこうしている間にハムはアンデッドの間から弓矢が放たれたかの如く飛び出し、一息で囲みを抜けた。
不死の壁の向こうには黒いローブと魔法使い杖を持った男がいた。
ハムの突進に仰天しながらも魔法語の呪文を唱えて杖を向ける。
「おおおおッ!!」
何か透明な紐のようなものがハムにまとわりつこうとしていたが、手にした『ザンジバル』で一刀のもとに切り裂いた。
杖で伸び切った男の右腕が、血の糸を引いて洞窟の空に舞った。
「片腕では魔法を使えなかろう。大人しく――」
「御身に血と魂を捧げる――《呪い/カース》」
ローブの男が右腕の断面からほとばしる血を浴びせかけて、禍々しい呪いの言葉を口にした。離れてその様子を窺っているノアの耳にすら、何か災いがもたらされるのでは、というほどの呪いの響きだ。
「ハムさん!!」
「問題ない」
ハムは大きく身を沈めて飛散する血液をすり抜けた。そのまま『ザンジバル』が男の右足に触れた刹那、ハムの左腕によって峰を後押しされて膝上から脚を断ち切った。
「魔法使いにして混沌神の神官だったか。こっちに来て見てみろ。これが混沌神にすべてを捧げた呪いの末路だ」
「うわ」
ノアが駆け寄りその姿を見た。
固く絞った雑巾のようなものがはだけたローブからあらわになっていた。
そばに落ちている、切り飛ばされた右手と右足だけが弱々しく血を流している。もとはこの雑巾のようなものに付いていたとは思えなかった。
気がつけば動く死者と骨人は歩みを止めて、すべてその場に崩折れていた。
混沌神は肉体と魂とともにアンデッドに使われた魔力をも回収したのだろう。
「よかったな。せめて現世に手足だけでも残って」
切り飛ばされて混沌神から難を逃れた手足を見て、ノアは思わずそう呟いた。




