012_無茶
マリアはウェザリア地下闘技場でおおよそひと月の間、専属の治療師。しかも重症専門の魔法を使った治療役として職を得ていた。
一般に混沌神の神官、というのはあまり好まれる人種ではない。この世界に混沌をもたらすことが彼ら彼女らの信仰の形なれば当然ではあるが、ごく一部には通常生活を営みを破綻させることなく市井に紛れることができるものもいる。
それは秩序の神々の神官であっても、ときおり人道を踏み外したものが出るのと同じことで、つまるところは人品によるのかもしれない。
しかし、地下闘技場という場所にまともな神官が寄り付くはずもなく、マリアはとくにこだわりなく自分の立場やできることをあけすけにした。その結果、この地下闘技場ではちょっとした人気者であった。
一般的に商売における魔法の使用というのは、歩合である。
つまり、どんな魔法を何度使ったかによってマリアへの支払額が変わってくる。マリアの回復魔法の相場は、試合に勝った下位の剣闘士に与えられるファイトマネーにほぼ等しい。
こうなると余程の瀕死でない限り、回復魔法のお世話になろうというものはいない。
無論、上位の剣闘士になればその限りではないが、彼らは緊急を要さなければいわば闇家業レートであるマリアの治療を受けずとも、比較的まっとうな神官のすじを当たることができる。
つまり、回復役としてのマリアの仕事は、それほど忙しいものではなかった。それは、闘技場に常駐することによる基本給があるので、マリアにとっても悪いことではない。
平均すると一日にひとり、骨折をしたりするようなものが担ぎ込まれてくる、といった感じであった。
たいていマリアは闘技場のバーで飲んでいるか、さもなくば自身も闘技者として戦っている。飽きっぽいマリアであったが、ウェザリアの闘技場は刺激もあり友も色もありとという具合で、長続きしているほうであった。
そんな中、マリアは槌矛や刃引きした長剣でたたき折られた骨を治療するうち、あることに気がついた。
「骨折を治すと……前よりも骨が丈夫になっている?」
このことに気がついたのは、たまたま同じ箇所を何度も骨折して担ぎ込まれてくる剣闘士がいたからだ。一度の回復魔法であればマリアもさして意識しなかっただろう。だが、二度三度と同じ場所を折って運ばれてくる患者は珍しく、普段よりも注意深く観察をしていた。
「あなた、腕の骨を何度も折っているけど、何か違和感とかはない?」
「ああ!? 何度折っても痛ェよ! 早く治してくれ!!」
回復魔法で強制的に骨折を治したとき。マリアの感覚ではどうもその場所が太く強くなっている気がした。
地下闘技場で一番多いのは裂傷だが、回復魔法を必要とする者は骨折が多い。放置してもなかなか治らないし、その間は動けないからだ。
マリアは注意深く骨折の具合と回復後の様子を観察し、ひとつの仮説を立てた。
「骨は一度骨折したところがやや盛り上がる」
これは骨折の具合によって違うこともわかった。粉々に粉砕されたような骨ではうまく骨同士が接合せず、逆に強度が下がることもある。また、亀裂ほどの骨のヒビではあまり変化がない。
「乾燥した枝をひと思いに割ったような、素直に折れた骨が一番ね」
さまざまな観察と実験の結果、マリアはそう結論した。
この結論に至るまで、何人の闘技者が悲鳴をあげたかはわからない。半端に折れた骨については、マリアの独断で完全な骨折にしてから回復をされたのだ。
ここからさらにマリアは筋肉の性質にも着目した。
筋肉は酷使することでより強く、引き締まったものとなる。では人為的に筋肉を酷使した状況を作り出し、それを回復魔法で癒したらどうなるのか?
思いつきとしては面白かったが、それ以上踏み込むほどの興味はなかった。
だが、今のマリアは違った。
「ねえ、イルじい」
「なんじゃ」
試合が終わり、営業が終わったあとの闘技場にふたりは立っていた。
昨夜、正式ではないにせよ師弟ということになり、初代闘技場王者の技術を継承することとなった。営業終了後の闘技場は場所として申し分なく、マリアはそこで格闘術の指導を受けることになった。
「あなたの格闘術で関節を外すことはできるのはわかったけど、骨をへし折ることや筋肉を引きちぎることはできるの?」
「なんじゃその物騒な技は」
初代王者イルグリムを紹介した闇エルフのアストリアであるが、マリアがほんの一言つぶやいた『骨の折り方』だけでこの老人を紹介するに至ったのは慧眼だった。
長くバーテンダーなどをやっているせいだろう。何気のない一言が、どれだけ重要なことであるかということを知っている者にしかできない気の利かせ方だった。
だが、一般に“骨を折る技術”という言葉から導き出されるものは、いわゆる関節を外したり腱や靭帯をねじ切るようなものを指した。結果的にそれがファインプレイであったが、マリアの求めていたものとは違っていた。
「ワシの技術はいわゆる接骨医のすることの逆。関節を外したり靭帯を伸ばして断ち切ったりすることじゃ。何も知らんものが見ると“折った”ようにも見える。だが、骨を物理的に折る、そういう無粋なものは刃引きの剣や槌矛の仕事じゃよ」
「そう……」
「混沌神の教えで骨を折らにゃならんことでもあるのか」
「いえ、違うのよ。実はね――」
イルじいは自分の技術が求められているものと違うのか? という拗ねた顔をしたが、マリアは慌てて否定をした。そして、自らの体験で知り得た骨や筋肉についての知見をひととおり語る。
「なんと、驚いた。接骨医の中でも一度折れた骨が以前と違うというのは、なかなか知らんものだぞ」
「何だ、知っている人は知っているのね。残念」
「いや、骨はともかく筋肉は知らんかったわ。少なくともワシの知る範囲では、そんな無茶な考えはお前さんだけじゃ」
イルじいによれば、一度折れた骨もうまく接合しないと妙な具合に接合してしまうらしい。そのため接骨の技術は重要で、素人が適当に骨を継ぐと回復後は動きにくくなったり、ひどいと激痛でそのまま寝たきりになってしまうこともあるという。
「お前さんのいうとおり、きれいに折れた骨ほど治りやすく、ごくごく僅かではあるが丈夫になるようじゃ。とはいえ、折れて盛り上がった骨はバランスが悪くなるからの。そこ以外が折れやすくなるかもしれんが……」
そこまでいってイルじいは皺だらけで埋もれた眼を見開いて、信じられないといった顔でマリアを見た。
「お前さん――まさかと思うが」
「秘密にしてね、お師匠様」
「えい、師匠はやめんかい。それはともかく無茶じゃ。人間は魔法の作り物のゴーレムとは違う。折れれば痛いし心も疲弊する。傷つくのは身体だけじゃない。あげくワシの技を受けてまでなど正気の沙汰ではないわ」
「あくまでアイデアのひとつ。無茶はしないわ」
そんなイルじいに向けて、マリアはふんわりと笑ってみせた。
「……とんでもない弟子を持ったかもしれんの。ワシ」
「教えを受ける前に弟子と認められて光栄だわ」
イルじいはため息をつくと、かぶりを振ってマリアの手首を取った。
あれっと思う間もなくマリアの身体は宙に浮かび上がり、肩口から闘技場の砂地に激突した。
「あいにくワシは誰かにものを教えるのが苦手での。すべてその身体で覚えてもらうぞ。もちろんワシを攻撃することは許さん。全部受けきるのじゃ」
皺だらけの小さな老人が一回り大きく見えた。
ウェザリア地下闘技場初代王者、イルグリム・グライストン。
体格に恵まれてもおらず、武器を操ることも攻撃を避けることもできない男。
一方女としては体格に恵まれ、何よりも文武に優れた才能を持つマリアだが、この小さな老人の持つ技に大きな希望を見出したのだ。
「ほれ、冒険者上がりはそれくらいじゃ壊れんじゃろ。すぐ立ち上がらんかい」
その言葉がマリアの頭に血をのぼらせた。
身体のバネを使って跳ね起きると、口に入った砂を唾とともに吐き出し、懐から出した革紐で金髪をざっくり後ろに束ねた。そして軽口すら漏らさずイルグリムに近寄った。
「ホッホ。ワシにしごかれてなお、お前さんが考えているような無茶ができるかな」
小さな老人の身体がさらに小さくなったかと思うと、マリアは闘技場に転がされていた。
たとえこれが教えであり技の伝授であろうと、一方的に攻撃を受けるのはマリアらしくなかった。マリアも全身の毛先に至るまで感覚を鋭くし、何が起こっても体制を崩さないよう身構えていた。
だがイルグリムが動き、マリアの身体のどこかに触れた途端、マリアは関節を取られて全身が麻痺したように硬直し、気がつけば地面に転がされた。
「……どれ、そろそろかの」
ブツッ。
どこでどうされたものか。
マリアの膝の中から、何かが千切れたような音がした。
「――――――ッ!!」
「ほれ、治さんか」
マリアを見下ろすイルグリムの顔からは、表情が消えていた。
長らく離れていた闘技場の砂が、空気が。かつての王者の血潮を蘇らせたかのように。
表情ひとつ変えず、相手の打撃をもらいつつも全身の関節や靭帯をバラバラにしていた王者イルグリム。
もはや、マリアには皺だらけの好々爺は見えていなかった。
小兵ながらも闘技場の王者として君臨した、若き日のイルグリムをすかし見ていた。
これが更新されているとき、わたしはお仕事の帰りで東名高速を爆走していると思います。
とどいてわたしのこの想い…




