禁句と……ゴリ押し 中編
このまま行くしかないと、逃げる体勢で餅をひっくり返そうとして杵が振り下ろされた。
顔のスレスレを通った杵に、こいつワザとやってと、カタナを見ると好奇の目でレンズを見ていた。
「遅いよー、ほら、ペッタンペッタンしよ」
もうペッタンという言葉を聞きたくはなく、今の1振りにより、更にメガネをずらされた。
もはや、メガネはかけているのではなく、顔に引っ掛かっている状態にされている。
位置を直したい、だけど汚れた手で触りたくないと、迷うレンズに不運な風が吹く。
不意の突風に背中を押され、臼を覗き込む形になり、メガネが餅の上に落ちた。
温かく柔らかな感触に晒された本体は、恍惚の世界への手招きを兼ねて、レンズの動きを止めて置くには十分な快楽を用意していた。
初めて味わう感覚に身を任せる寸前に、死の恐怖が待ったをかける。
「ちょっと待っ……」
当たるワケがないと思っているカタナが、全力で杵を振り下ろす。
レンズはスローモーションの世界に足を踏み込み、どうすると考えた。
ここで体を引けば、確実に本体を壊される。
かといって守ろうにも、今の体勢では後頭部を差し出すくらいしか策がない。
こうなればと、お餅の弾力によるクッション性能を信じて賭けに出た。
迫る杵と走馬灯の中、レンズはメガネをお餅でくるみ覆い被せ、さっき中指を立てた神様に祈った。
賭けの結果はどうなったのか、臓腑を揺さぶる音を響かせ、杵は真っ赤な花を咲かせた。
「え、レンちゃん?」
どうしてと呆然とするカタナに、レンズの頭は噴水のようにケチらずに血を浴びせた。
黙って見ていた観客達が騒然となり、辺りに血の匂いが充ち、風がお裾分けの役を買って出る。
ドン引きの空気にカタナは困り、なにか言わなくてはと口を開いた。
「ええと、紅白餅とか……ダメ?」
雪のように白かった餅は、レンズの命に染められ朱を纏ってはいるが、めでたさの欠片もなく禍々しいだけだった。
最前列の客が、カタナ渾身のボケと濃密な鮮血と匂いに嘔吐で答えた。
「オモチって……キモチイイ……モチだけに……」
レンズは大輪の血染め花を大盤振る舞いし、うわ言のように繰り返していた。
完全にレンズが壊れたと思い、カタナは混乱し杵をぶん投げた。
それは回転しながら神社の本殿に飛び、扉をぶち破り派手な土煙を上げてくれた。
観客達がカタナを狂った破壊者と認識して、恐れのままに逃げてゆく。
誰かが呼んだのか、救急車のサイレンが聞こえ、恐怖を増幅された子供が泣き叫び、大人達が吐きながら逃げ惑う地獄絵図の様相に陥った。
自分のせいだと、この場を治めようと努めて明るい声で、精一杯の機転を利かせる。
「あはは。おっぱいペッタンコのレンちゃんが、頭までペッタンコになっちゃった」
反応を伺うカタナに、あいつ狂ってると声が次々と上がる。
頑張ったが洒落で乗り切れるような惨状ではなく、ごめんなさいと大声で泣き出した。
サイレンに混じるカタナの泣き声に、レンズが正気を取り戻した。
「カタナ、私は平気。行くよ」
ここで救急車に乗せられるのは、人間なら問題はないが、レンズは付喪神で大問題でしかない。
「急げ、私を担いでここから離れろ」
うんうんと頷き、動けないレンズを担ぎ上げて、カタナは一目散に逃げ出した。
それからというもの、2人はペッタンという言葉がトラウマとなり、お餅を見るだけで震えるようになった。
「でな、そん時にレンズの頭のネジを飛ばしちまったみたいで、潔癖症だったのにメガネを自分から汚すようになったんだ」
「カタナの馬鹿力のせいで、頭から流れた血と一緒に、大きかった私の胸が小さくなったんです」
2人の思い出を聞き終わり、メガネをかけている方の締めの言葉を聞き流した。
俺とクックは、途中までキレイなお話だったのにと、惜しいというのが素直な感想だった。
それに、今でこそレンズはメガネをズルズルにするのが好きだが、間接キスは相当にイヤがる特殊な性癖のルーツを知れて、俺は得したような気分だ。
もういいよなと、カタナがクックのご機嫌を伺い、レンズもそれに続いた。
「うーん、じゃ仕方ないね。僕とお兄ちゃんだけで食べに行ってくるね」
なんでそうなると、2人が怒りだす。
「絶対にオモチを食べたいの。着いてきてなんて言わないから、お留守番してて」
「それならさ、学校の近くに美味しいって評判の甘味屋があるんだ。お汁粉がオススメだって」
余計なことを言いやがってと、尖った視線がキッチリ2人分やってくる。
すぐ行こうねと笑顔のクックに、ズルいと待ったが入り、いつもの乱闘へ。
「モチを食いに行くならな、俺を倒していけ」
「外には行かせません。ここで、慎ましくゲットさまと2人で昼食を摂るんです」
「ヤダ、オモチ行くの。お兄ちゃんと僕だけの思い出を作るんだもん」
勝手に2人きりになろうとするレンズに、仲間割れまで足して、終わるまでの間は正座で待つしかなかった。
いつもなら、戦闘に特化したレンズが有利だが、今日のクックは譲らないのと武器を持っていた。
「もー怒った。ペッタンペッタンペッタン」
クックの連呼する禁句に掴み合う手を引っ込め、カタナもレンズも座り込み耳を塞いだ。
やりすぎに思い止めに入ると、クックの目は完全に据わっている。
「みんな、そこに座って。お兄ちゃんもだよ」
あまりにも怖くて、誰も逆らえずに素直にクックの前に正座を。
「もう僕はね、ガマンしない。いっつも2人の楽しそうな思い出を聞いて羨ましくてイヤだ。お兄ちゃんも、カタナの胸とか、レンズの洗浄器ではぁはぁ言って気持ちワルいし」
これは相当だと、すいませんでしたと謝るが、クックの怒りは治まらず、ついでとばかりに日頃の不満を1人ずつ指摘されることに。
「カタナは少し変。洗い物をしてる時に、お兄ちゃんのお箸をくわえたりしてる。あれやめて」
驚愕の事実に俺は嬉しいけど、レンズの顔から表情が消え、隣に座るカタナを睨み付ける。
「どーいうことですか、変態さん。あれほど間接キスはイヤだと言いましたよね」
「ち、ちげーし、間違えただけだよ。箸なんかに興味ねえよ」
苦し紛れの言い訳に、レンズがこめかみを抑え深い息をついた。
思えばカタナがマイ箸がどうのと言って、それぞれ違う箸を用意していた。
あれは、誰の箸かを識別するタメだったようだ。
「信じてくれよ、俺はそんなことしてない。ゲット……頼むよ」
辛そうな顔で俺に助けを求めるカタナに、クックがウソつきと遮った。
「レンズのお箸もやってるの知ってるんだからね。たまに、こっちもオツだよなーとか言ってた。オツってなにかわかんないけど」
クックがカタナの口調を真似して、トドメを差してあげた。
「どーいうことですか、どーいうことですか。オツってなんですか」
レンズがテンパり、カタナの襟を掴んで前後に激しく振り問い質す。
されるがままのカタナは、もう殺してくれと言っているように見える。
「ゲットさま、この変態になにか言ってやって下さい」
「変態、乙」
カタナが虚ろな顔で立ち上がり、部屋の隅に行き膝を抱えてしまった。
言い過ぎたかなと慰めに行く前に、次はレンズだよとクックに手で制された。
「洗浄器を使うのはいいけど、お兄ちゃんのお部屋ではやめて。バレないようにお掃除するの大変なんだから」
なんだってと隣を見ると、メガネに光が反射していて表情が読めない。
レンズは下を向いたまま首を振るが、耳まで真っ赤になっていて全く意味がない。
「あとね、ベッドの下にある本を入れ替えたりするのズルい。メガネさんのメイドさんがアレされるのも、たまにはオツでいいですよねって言ってた。だから、オツってなに?」
買った覚えのない本があるのはそのせいかと、レンズに感謝の気持ちが湧く。
ジャンルはもちろん、メガネさんやメイドさんが出てくるやつだ。
「言いたくないけど、こういうズルいのは大キライ。お兄ちゃん、レンズになにか言ってあげて」
「ありがとう。だけど、卑怯者、乙」
さっき誰かも見せた虚ろな顔で立ち上がり、レンズはカタナの隣に膝を抱えて座り込んだ。
2人には悪いけど、ここはクックとオモチを食べに行くことになりそうだ。
行こうかと立ち上がりかけ、お兄ちゃんもあるんだよという冷たい目に、正座の続行をやむなくされる。
「お兄ちゃん、前にあれだけ言ったのに、ココアの粉を舐めてるよね。あの時のスプーンで」
ウソだ、見られてるワケがない。
絶対に周りを確認しているし、なにより偽装工作は完璧だったハズだ。
「違うって、俺はココアの粉が好きなんだ。スプーンはなんでもいいんだ」
落ち着けよ俺、この言い訳のタメに頭を悩ませて考えたんだ。
「ふーん、スプーンは関係ないの?」
大丈夫、俺はこの場面すら予測して、ココアと言い訳を練っている。
「ほら、ココアの粉さ色んな種類あったろ。メーカーによって味が違って楽しめるんだ」
俺はこのタメだけに、数種類のココアの粉を買っていた。
うっかりバレても、利きココアをやっていたことにすれば乗り切れると信じて。
「ふーん、じゃ聞くよ。前にさ、たくさんあったココアの粉がさ、ぜんぶなくなってた時なかった?」
そういえば、あの時は不思議だった。
前の日に消費しすぎたと少しだけ反省して、スプーンだけもオツだな、とか思ったんだ。
「ココア美味しかったなー。捨てるのはイヤだったから、おなかがいっぱいになったよ。お兄ちゃん、言い訳とココアごちそうさま」
なにか言うことはあると、冷たすぎる目に晒され耐えられなかった。
「俺、言い訳、乙」
フラフラしながら、隣いいですかと言って、カタナとレンズの側に体育座りをした。
支えを失ったように虚ろな俺達を、クックは歪んだ笑みを浮かべて見ていた。