患いと……煩い 7
ズルズルな足に注意しながら玄関に向かい、叩かれているドアを開けた。
開けた拍子に、ぐったりしたルクを抱いて、青い顔をしているベルが崩れるように入ってきた。
「ゲット……さま。お願いします。なんでもいたします、今しろというのなら……」
入るなり俺の下半身に手を伸ばしてくるベルに、一体なんのと思い、自分の格好が答えだった。
どういうワケか、俺はタオル一丁でヌルヌルではないか。
いや、ワケは解っているけどもだ。
「これ、違うから。って、どうした。ルクも、ベルも」
「私はいいんです。ルクちゃんが……ルクちゃんが」
ルクの顔は真っ青で、口の端に乾いた血が拭った跡を残している。
呼吸も浅すぎて、人形と言っても信じられるくらい生気を感じられない。
明らかに、命に危機が及んでいる状態だ。
「なにがあった。な、なんか俺に出来ることは?」
ベルも限界なのか、咳をしながらルクを下ろし、壁に寄りかかった。
「私の命を……差し上げます。お金を……恵んで下さい……」
そうか、それはいい。
お金で助かるなら安いものだ。
変な話だが、解決策があるなら、もう心配しなくても大丈夫だ。
「任せろ。で、いくらだ?」
「グッ……コホ……」
咳は押さえた手で止められたが、指の間から垂れる血はポタリと床に落ちた。
すいませんと謝り、ベルは服の袖で床を拭き、また咳をした。
「床なんかどーでもいいから。お金はいくらだ。あれだろ、薬とか買ってくればいいんだな、それとも医者か、どこだ」
吐血なんかを見たせいで、テンパり捲し立ててしまう。
これ以上は床を汚すものかと、ベルは両手で口を押さえ掠れた声を。
「30……万円……です……」
よしと、リビングに取って返すが、そんなに持ってないと足が止まる。
ほんとに困った、よくて3分の1あるかないかだ。
それに、ベルの分もとなると倍のお金が必要になる。
ちきしょう、助かる方法があるのに。
考えろ、今すぐにお金を用立てる方法を。
そうじゃない、今の俺には借りるしかないのは解っている。
考えるべきは、借りる相手だ。
「絶対になんとかするから、ちょっと待っててくれ」
けっこうな金額になる、誰に借りるにしても、交渉には時間がかかる。
とりあえず、2人をこのままにはしておけない。
ベッドまで運ぼうとするが、信じられないくらい手がヌルヌルで持てない。
どこまでも粘着質なローションにムカつきながら、全速力でタオルを取りに行き手を拭いた。
先にルクを俺の部屋のベッドまで運び、次にベルを抱こうとすると、仕事がと言って壁を支えに立ち上がった。
「ゲットさま……ルクちゃんを……私は仕事に……」
血を吐くほどの状態で、なにを言ってと、ムリヤリにお姫様だっこの形で抱き上げる。
「マジで怒るぞ。ベルの今の仕事は、俺を信じて横になることだ」
「私の旦那さま……もう……元気……いっぱいです」
苦しそうな顔で笑うベルに、それはよかったと返し、俺の部屋に向かう。
落とさないように気を付け、リビングを横切ろうとすると、ベルが俺の胸を力無く叩き足を止めさせた。
「テーブルの……まさか……神薬甘酒……ですか……」
ベルの視線の先には、グリムの服とガラスの小瓶がある。
神薬甘酒を知らない死神はいないと、グリムが言っていたことを思い出す。
「あとで飲むとか言ってたけど、美味しいらしいな。分けてもら……」
言い終わる前に、ベルがテーブルに手を伸ばし暴れ出した。
落としそうになるのを、抱いている腕に力を込めて止めさせる。
「なんだよ、危ないって」
「神薬甘酒を、ルクちゃんに。神患のお薬です」
「は、ベル達も神患なのか。まあいいや、あれ薬なのか?」
ベルは何度も頷き、テーブルに手を伸ばす。
これは、相当ツイている。
死ぬ生きるの時に、丁度よく薬があるなんて、グリムに感謝するしかない。
勝手に他人のものをと気が引けたが、土下座でもなんでもしてやる覚悟は出来ている。
テーブルから神薬甘酒を取り、ベルに渡すと、震える手で握り締め、ルクの元へと俺の部屋のドアを見つめた。
ベッドの側に行くと、ベルは俺から飛び降りてルクを抱え起こした。
ルクの口には真新しい血が垂れ、死んだように動かなかった。
「ルクちゃん、お薬ですよ。死んでは……しん……では……」
血に濡れた口に瓶を付け、ゆっくりと傾ける。
頼むと祈るが、血の塊とともに吐いてしまった。
これならと、神薬甘酒を口に含もうとして、ベルは咳き込んだ。
「口移しで……ルクちゃんに」
了解だと瓶を受け取り、中身を口にすると、甘く懐かしい味がして、優しい気持ちを満たしてくれた。
そして、ルクに口づけを。
触れた唇は、冷たく血の匂いがして、体温と命が僅かしか感じられなかった。
死ぬなと祈りながら、舐める程度の量を流し込む。
ベルがルクの背中を擦り、歯を食い縛って見守っている。
やがて、ルクの喉が小さくコクリと動いてくれた。
やったと、安心して力が抜けそうなベルが、そのままと目で合図をする。
解ってると、ベルの手を握って答え、時間をかけて神薬甘酒を全て飲ませた。
口を離すと、ルクの頬に赤みが差していた。
呼吸は正常に戻っているように見えて、安らかな顔で寝息を聞かせてくれる。
「ゲットさまー」
飛び付いてきたベルに押し倒されそうになるが、倒れ込むには力が弱すぎて、頑張ったなと背中に手を回すことで伝えた。
「死んじゃうかと……思って……」
ほんとに、ベルはいいお母さんだ。
自分もかなり辛いハズなのに、こんなに娘を思えるのだから。
「よし、次はベルだな。お金はなんとかするから、横になっててな」
口元を拭い、手に付いた血をタオルに擦り、ベルを横にさせた。
「私は大丈夫です。それより……お仕事に。他の子も心配ですから」
命が危なかったのはルクだけで、他の子も神患にかかっているようだ。
うちの3人の分も絶対に欲しいし、お金がいくらかかるやら。
考えている俺を見ながら、ベルは継扉の鍵を取り出した。
「では、少しでも稼いできますね……コホ」
まだ言うか、カッコいい男なら、今はどうするだろうか。
まず、鍵を取り上げて、ルクの隣に寝かせてから、こう言うんだ。
「ベルの仕事は、俺がルクのファーストキスを黙ってもらったことの、言い訳を考えておくことだよ」
頭で考えていたよりも、ずっと長くなってしまったセリフに、ベルがダメ出しと誉め言葉と笑顔をくれた。
「長いです……けど……カッコいいです」
セリフの微妙さは自分でも解っているから、わざわざ言わなくてもよろしい。
目をウルウルさせるベルに、いいなと言って毛布をかけると、信じて待つのも妻の役目です、なんて呟きルクを抱き目を閉じた。
やはり、ベルも限界だったようだ。
自分だけじゃなく、娘達をまとめて心配していたのだから当然だ。
静かにドアを閉め、リビングに戻って携帯を取ると、またも玄関からドアを叩く音が。
今度は誰だろうかと玄関に行くと、ドアの向こうから、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「ゲット様……娘が……コホコホ」
この声は考えるまでもなく、絶対にチャルナだ。
娘がいる死神の知り合いは、もう他にいない。
それに、あんなにキレイな人の声を、掠れているとはいえ忘れるハズがない。
チャルナ達も神患かと、増えていく人数分のお金を計算しながらドアを開けた。