患いと……煩い 6
うっすらと湯気の立ち込める浴室には、くぐもった粘着質な音が反響している。
グリムがかき混ぜている洗面器のローションは、ゆるい糊のように手にまとわりついては、太い筋を引いていた。
さすが、レンズこだわりのローションだ。
見ているだけで、おかしな気分になってくる。
粘度が増していくにつれて、なにを考えているのか、グリムの顔は赤くなっていく。
やがて、満足のいく粘度になったのか、切なげに俺を求めてきた。
「ゲット、こっちきて。ヌルヌル……しよ……」
頼むから、そんな顔で誘わないでくれ。
色んな意味で、湯船から出られないから。
一向に動かない俺に、グリムは頬を膨らませ、ねっとりとしたローションを頭から被った。
詳しくは知らないけど、そういう使い方をするのだろうか。
せっかく、苦労して髪を洗ったのに。
「頭からいくの、それ?」
「しらない。メガネの人は髪までヌルヌルだったよ」
「ごめん、あの人ちょっと特別だから」
グリムに説明なんて出来ないが、普通な俺達とは、かなり使い方が違うと思われる。
レンズは、かけている眼鏡をメインにヌルヌルにするタメに、上から行かざるを得ないからだ。
「くふふ、ヌルヌル面白いよ。はやくきて」
自分の体に手を滑らせ、粘度を確かめ伝えてくる。
これだけはと、なにをするのか聞くと、早くとだけ。
もうダメだ、断り切れそうにない。
最高の、いや最悪な状況になったら、俺が止めればいいんだ。
気合いを入れて、腰のタオルを巻き直す。
そして、ガマンだぞと決めてバスタブを出て、グリムに背を向けてバスチェアに腰を下ろす。
なにをされるのかと、口の中がカラカラで聞くこともできない。
すぐに、ヌルヌルなグリムが後ろから抱き付いてきた。
初めて触れるローションの粘つきに、自然と背筋が伸びてしまう。
これは想像していたよりも、かなりイイなんて考えていると、文字通り滑るように耳に口を付けられた。
「ね、動いていいよね」
内側に忍び込んでくる声は、聞いているのではなく宣言だ。
そのまま、耳から口を離さずに、背中をグリムの体がローションの滑りを味方に擦り出す。
浴室内には、重く湿り気を帯びた粘ばつく音と、やたらと荒い息遣いがこだましている。
どれだけ興奮しているのか、とてもグリム1人のものとは思えないほどに。
「ゲット……もっと……」
いや、それはダメだと、タオルに伸ばされる手を慌てて掴む。
だが、ヌルリと抜けられ掴めず、代わりにタオルの結び目を掴まれた。
いいよねと、言葉ではなく僅かな間で問いかけてくる。
なんなんだ、この熟練者みたいな高等技術は。
どう答えれば……
「いいワケねーだろ」
「死に値します」
「お兄ちゃんのバカー」
バタバタと3人が雪崩れ込んできて、ローションに足を取られすっ転ぶ。
頭でもぶつけたのか、レンズとクックはピクリとも動かない。
驚いた俺も、息が止まり固まってしまう。
前に倒れたカタナは無事なようで、ヌメリを利用し這ってくる。
前髪を汗とローションで張り付かせ、顔は全く見えず、今の状況と罪悪感が相まって、ただただ怖い。
首を両手で掴まれても、恐怖の虜になっていて抵抗どころか身動き1つできない。
「てめえ、ケホッ。どこで止めるか……待ってたのに」
「す、すいません。どこから見てたんでしょうか?」
髪の隙間から覗く目は、怒りと嫉妬に濡れてギラついている。
怖すぎて、言い訳すら出来ない。
俺から目は離さず、ローションのせいで首を掴んでいられないのか、何度も持ち直された。
「見てるのはしってたけど、ジャマは面白くない」
カタナが、不機嫌そうなグリムを睨み付けた。
その前に、グリムは気付いてたのか。
よく見られながらできるなと、ある意味で感心してしまう。
「見てていいから、出て行って。続きしたいの」
グリムは怯まずに睨み返し、浴室のドアに向け指を差す。
「キレ……たぜ……」
俺から手を放し、グリムに飛び掛かる。
弱っているカタナにスピードはなく、グリムは余裕を持ってかわそうとしたが、足首を掴むレンズの手に血の気が引き青くなった。
「覚悟なさい」
放してとヌメリに頼り足を抜こうとするが、ローションの扱いに慣れているレンズの手は、決して許しはしない。
どうすることもできず、カタナに首を持っていかれ、壁に後頭部を叩き付けられた。
くくぅと鳴き声を上げ、壁に背を擦りながら座り込むグリム。
ズルズルのタイルに踏ん張りが効かず、倒れているレンズの後頭部に頭から突っ込むカタナ。
倒れ際に腰のタオルを引っ張られ、全裸で突っ立っている俺。
あっという間に4人がノビてしまった惨劇に、俺は立ち尽くして、見ていることしか出来なかった。
立ち尽くしている俺を我に返させたのは、玄関の方から聞こえてきたドアを叩く音だった。
頭を振り、気を取り直す。
時間的に考えて、恐らく嬉しくないお客さんだ。
このまま、居留守をするのが得策だけど、インターホンではなく、ドアを叩いていることが妙に気になる。
今までに、俺を狙いに来た死神で、インターホンを鳴らさなかった者はいない。
気にはなるものの、誰も戦えそうもなく悩んでいると、ドアを叩く音に弱々しい声が足され、速攻で出ることを決めた。
「お願い……します……ルクちゃんが……ゲット様……助けて……」
絞り出すような掠れた声はベルのものだ。
娘のルクに、なにかがあったのかも知れない。
急いでタオルを巻き、二次災害はゴメンだと、ズルズルなタイルとみんなに気を付けながら、ダッシュで玄関に向かった。




