不安と……死神殺し 8
突然に吹き荒れた風は、指先が痺れる程に冷たく、誰の声もカタナに届けまいとしていた。
風は皮膚だけではなく、心にさえ侵入し、直に命を揺さぶってくる。
初めて味わう命を触られる感触に、ただ怖くて必死にみんなの名前を呼んだ。
声だけじゃなく、身体すらも持って行こうとする暴風の中で、俺が立っていられたのは、クックの小さな手のおかげだった。
左手に確かな温かさを感じるだけで、正気を失わないでいられる。
クックの手を握り、喉なんか知るかと、カタナの名を力の限りに叫んで、遮る風と闇に手を伸ばした。
左手の先に誰かが触れた。
次の瞬間に、手を引っ張られ、クックを道連れに倒れ込んだ。
「みんな、一緒です」
風の抵抗に負けない、レンズの優しい声が耳に染み込んできた。
みんなの温かさを確認できて、両の腕に3人を抱き締めた。
見えはしないが、真ん中にいる柔らかい大きな胸の女の子が暴れた。
その子は、嗚咽と風に途切れながら、どうしてと激しくもがいた。
それは、力を使えないと言っているように聞こえた。
カタナは知らないだけで、駄々をこねて振り回している右手はレンズのものだ。
どこまでも、虐殺者にはさせないと、レンズが守っていたと理解できた。
「力を……託します……」
レンズの声とともに、目が光を取り戻し、抱いている3人の姿が浮かんできた。
赤い涙を流すカタナと目が合い、クックが隙間を埋めようと顔を押し付けてきた。
みんな見えたのはそれだけで、すぐに闇に飲まれ風が止んだ。
それは、嵐の前の静けさに似ていた。
次に来る風は、今までより強いと思えた。
なにも出来ずに、3人を引き寄せた。
風が来るより先に、静寂を壊さないように、優しく澄んだ声が旋律を連れて流れてきた。
辛苦 常世に置いて
喜楽 現世に持って
悲寂 過去に忘れて
希願 未来に待って
永久 一緒に四界を渡り
幸夢に 眠りましょう
レンズの声は、全ての感情を持って、耳を通り抜け、胸の辺りを温かくしてくれた。
目を擦ろうとすると、抱いていたカタナから安らかな寝息が聞こえてきていた。
代わりに、息も絶え絶えなレンズが、気を持たせるように力を入れた。
「昔は、こうやって寝かし付けていました。この子守唄は……カタナの故郷の……」
そこまで喋り、レンズは口を閉じて身体を預けてきた。
刻映の力を、俺達に託したのが原因だった。
ギリギリの疲労であっても、歌声には少しも出さずにいたのは、さすがとしか言えない。
涙を拭くのに忙しいクックは、また聞きたいねとゴシゴシやっている。
おかしな話だけど、みんなが一緒なら、ここも悪くないのかもしれないと思ってしまう。
ここなら、誰にも邪魔をされはしない。
ずっと側に居られて、話も出来るし、飽きたらレンズの歌を聞けばいい。
みんなは、俺の考えに、なんて言うだろうか。
「ぜーったい、ヤダ。お兄ちゃんの顔が見れないから」
聞く前に、答えを言われてしまった。
きっと、寝ているカタナとレンズも同じ答えに決まっている。
それもそうだ、みんなの顔を見れないという事は、笑った顔を見れないんだから。
そう考えると、早く帰りたくなってきた。
誰も手放すものかと、ガッチリ抱いて静かな闇の中で待ち続けた。
2人の寝息を聞きながら、クックと一緒に、さっきの歌を思い出して口ずさんでいると、真上に僅かな光が見えた。
三日月に闇を裂き、目に眩しく光が射し込んできた。
やがて、少しずつ半月になり、満月の形を得て、ベルの声を聞かせてくれた。
「大丈夫ですかー、継扉の鍵を投げますから、取って下さいねー。次の鍵を作るのに時間かかるので、気を付けてー」
いや待てと、こんな所で投げるなと言おうとしたけど遅かった。
ベルの手から離れた鍵は、光を反射ながら落ちてきて、俺とクックが慌てて手を伸ばした。
取れずに落ちて、跳ねたら探しようがない。
闇に慣れていた目は、まだ光に霞んでいて、俺とクックの手は鍵を掴めなかった。
ヤバいと思った時、下から伸びてきた手が鍵を受け止めた。
「あっぶね、つーか、ここどこよ?」
鍵を掴んだのは、目を覚ましたカタナだった。
その声も顔も、いつものカタナだ。
「あーと、確か不味いカレー食べてて、まあいいや、こっから出るか」
見事に記憶をなくしてて、ほんとによかった。
カタナが首を傾げながら鍵を回すと、視界が回り、元の俺の部屋に戻った。
部屋に戻ると、明かりに照らされた自分とみんなの姿に驚いた。
全員、血塗れで、特にカタナが酷いことになっている。
「あの、中でなにがあったんですか?」
レンズの腕を持っていたカタナは当然として、抱き付いていた俺達も、ベルが引く程の有り様だった。
側には、レンズの腕が落ちていた。
ベルに色々と答えて、土下座をして頭を上げないサガに、助かったとお礼を言った。
横には、闇閉檻の術者が縛られていた。
「本当に、申し訳ありませんでした。今すぐに、この者を処刑し、私も死んでお詫びを」
もういいよと言って、頭を上げさせた。
サガの顔は、涙で化粧を溶かして、どうやって償えばと書いてあった。
このままでは、せっかくの美人さんが台無しだ。
「お詫びなら、泣き止んでからな」
「はい、どんな事でも。では、この咎人の処刑を」
サガは、縛られている死神を、憎しみで染まった目で見つめた。
そいつは恐怖に顔を歪ませたが、抵抗の意志は見せずに、観念したかのように動かなかった。
「どうしましょうか。貴女のおかげで、死よりも辛い醜態を晒しました」
憎悪に震え、残酷な殺し方を考えている。
見ていられず、美人がそんな顔は似合わないと肩に手を置いて止めさせた。
「いいえ、死を持って償いを」
「ほんとに、いいんだ。それよりさ、レンズが心配だから、あとにしていいかな?」
思い出したように、サガは気を失っているレンズの側に屈み込んだ。
カタナが腕を持って、レンズの側に行く前に俺に目配せをした。
もちろん、クックも解っていて、サガの後ろにさりげなく移動した。
一応と、ベルに動くなよと合図をしてから、横たわっていた死神の縄を切った。
自由になった手を見て、どうしてと目で聞いてきた。
その目と顔は、どこかで見たような気がした。
耳元で早く逃げなと呟くと、顔を赤くして、唇を噛み立ち上がり、窓を割って夜に消えて行った。
逃げたことも窓の割れる音よりも、レンズが心配なサガは気にもかけなかった。
ベルがサガには聞こえないように、どうしてと口にした。
優しい誰かさんが、殺さなくていいと言っていたからと返すと、それ以上はなにも言わなかった。
すぐに、カタナがレンズの腕を切り口に合わせ包帯を巻いてあげた。
それから、血だらけの服を着替えさせる時に、サガが自分がと、しつこかった。
「お前じゃ、危ないだろ。違う意味で」
引き下がらないサガを、遠い目をするベルが宥めて、なんとか諦めさせた。
せめてと、レンズの顔の血を丁寧にハンカチで拭いて、寝顔を見ながら微笑んだ。
いつまでも見ているサガに、もういいかと聞くと、ハンカチを宝物のように懐にしまっていた。
なんとなく、微妙な空気にはなったけど、カタナが部屋に連れて行き、着替えさせて布団に寝かせた。
部屋を出る時に、なにに対してか、ありがとなと言って静かにドアを閉めた。