罠と……ガチャ 8
ここにしますと、レンズがホテルを決めた頃には、日が完全に落ちていた。
かなり歩かされて、みんなヘトヘトだ。
とりあえず、なんでもいいから座りたい。
早く早くと、元気なレンズに押されながらホテルに入った。
すっごく豪華で広いロビーに出迎えられ、やっぱり慣れなくて、キョロキョロしてしまう。
疲れたと、カタナとクックがソファに腰を下ろす。
俺も釣られてソファに座った。
レンズはスタスタと受付に行き、ロイヤルスイートを2部屋と言って、チェックインを済ませた。
部屋の鍵を受け取り、ニヤニヤしながら俺達の所にやって来る。
「い、いよいよです。つ、次に会う時は、大人の私です」
都合よく、約束をなかった事にしている。
ソファに身を預けていたカタナとクックが、怖い顔で、レンズを睨む。
「約束したよな、コーヒーだけだ。マジだからな」
「うん。僕も、本気だからね」
これは、かなり怖い。
レンズはどう思っているのか、妄想の世界にどっぷりで、あんまり聞いていない。
「では、また明日です」
ウキウキしながら、俺を引っ張るように部屋へ向かい、最後まで疑いの目をする2人と別れた。
部屋に入ると、キラキラした贅沢な装飾品と、天蓋付きのベッドが目に飛び込んできた。
昨日も思ったけど、スイートルームって、お金持ちになった気分にしてくれる。
現実の世界に戻ったら、1度は行ってみたいと思う。
俺がしみじみしている間に、レンズは部屋を見て回っていた。
「は、始めましょうか。えと、せ、説明します」
えーと、なんのと聞くと、ドモりまくるレンズから、細かくシチュエーションの説明を受けた。
寝ているフリをするレンズを、俺は本当に寝ていると思って、好きな所を言う。
そして、気持ちを抑えられずに、レンズに手を伸ばす。
だけど、寝ている女の子に、手を出すのはと、必死に我慢をする。
でもでも、好きな気持ちを伝えたくて、伸ばそうとする右手を、左手で押さえる。
それを、夜が明けるまで続ける。
やがて、白み始めた外を見て、ため息を吐くレンズがコーヒーを淹れる。
「コーヒーに口を付けて、待ってたのに……。と呟いて、一緒に苦笑いをして、完成です」
長いし、けっこう面倒臭い。
女の子の妄想とは、こういう物なのかと感心してしまう。
じゃあ、スタートですと言って、お姫様仕様のベッドにオズオズと入った。
始まってしまったよ。
えーと、初めは寝ていると思って、好きな所を言うだったかな。
これはお芝居の感じでやるべきか、ガチの気持ちを言った方がいいのか。
「あー、レンズ寝てる?」
すーすーと、わざとらしい寝息が返ってきた。
お芝居なんて上手く出来ないし、心を読まれてしまっては興醒めだ。
よし、ガチるかと腹を括った。
「こっちに来てからさ、ワガママで泣き虫で短気で、困ったさんの塊だけど、今のレンズの方が、俺は好き……」
最後まで言う前に、ガバッと凄い力とスピードで、ベッドに引き摺り込まれた。
え、なにが起こった。
そのまま、覆い被さられて、唇を奪われた。
眼鏡がぶつかる程に近くに、目を閉じたレンズの顔がある。
ダメだ、約束をしたじゃないか。
抵抗しても、力の差がありすぎてムダだった。
暖かい舌が押し入ってくる感触に、身を任せてしまいたくなる。
レンズ待てと強く心の中で思った。
伝わったのか、バッと顔を放し、俺を見下ろし、はぁはぁと息を吐いた。
「約束したよな。それに、シチュエーションはどうなったんだよ?」
動揺を隠して、冷静を装った。
レンズは潤んだ目で口元を拭い、ゴクリと喉を鳴らし、熱に浮かれたように、言葉を紡いだ。
「ワガママで泣き虫で、短気でヤキモチ焼きです。それに、約束も守れない悪い女です」
あーあ、開き直ったよ。
また唇を重ね、今度は遠慮を感じさせず、口の中をかき回される。
レンズは解ってない。
俺がどれだけ我慢しているか。
ワガママでも泣き虫でも、短気でヤキモチ焼きでも、なんでもいい。
そんなのは、全部、受け入れてやる。
だけどな、約束を守らないレンズは、好きじゃない。
閉じたレンズの目から涙が伝い、力が抜けた。
自分から口を離し、俺に身を預けるように倒れ込んだ。
「ごめっ……んなさい」
嗚咽しながら、何度も繰り返した。
レンズが泣き止むまで、背に回した腕を離さなかった。
どれくらい、そうしていたかは解らない。
落ち着いたのか、大丈夫ですと言った。
起き上がり、胸に両手を置き、真面目な顔をした。
「この世界は、私の大好きな物で溢れています。ゲームにガチャ、大切な仲間。大好きな人。この先、こんな夢の世界には来れないと思うと、もっと、と考えてしまって」
少し間を空けて、舞い上がってしまいましたと、少しだけ舌を出した。
それは今まで見た、どの顔よりも大好きだと言えるくらい、イイ顔だった。
目が離せず、今度は俺が我慢をする番だ。
勝手にレンズを求める右手を、左手で押さえる。
ああ、これかと、台本の通りになってる。
こんな時、カッコいい男ならどうするか。
もう、約束は破ってしまった。
だったら、女の子の方から、力ずくでキスをした、なんてダサい事は言わせない。
それでは女の子の顔が立たないから。
だから、俺は決めた。
左手が抵抗を止めた。
レンズが静かに、目を閉じた。
右手が気持ちのままに、レンズを引き寄せる。
そっと唇を合わせ、直ぐに離れた。
「謝りに行こうか」
「はい」
2人で、苦笑いをした。
いつの間にか、外は白み始めていた。
カタナとクックの部屋に行くと、2人は起きていた。
ジットリとした目のカタナの周りには、お酒の缶が沢山ある。
機嫌の悪そうなクックは、お菓子をバリバリ食べていた。
ここに来る前に、レンズとは打ち合わせをしている。
約束を破ったのは、俺だと。
「すいませんでした。あのですね、ちゅーしました」
2人で、心を込めて土下座をする。
クックがお菓子を食べる手を止めた。
グシャと、お酒の缶を握り潰す音が響き渡った。
「正直に言えよ。どっちからした?」
カタナの顔は真剣そのものだ。
床に額を擦るレンズの、動揺が伝わってくる。
クックも怖い顔で耳を傾けている。
「俺だよ。レンズのイイ顔を見たら、我慢が出来なかったんだ」
少しの沈黙のあと、カタナが立ち上がり、仕方ねえかとルームサービスを頼んだ。
あれ、怒らないのか。
レンズも不思議そうにしてる。
「男がカッコつけてんだ、それをムダにするような、野暮は言わねえよ」
やっぱり、バレバレだ。
それにしても、カタナさんは、メチャクチャにカッコいいです。
「代わりにな、クックがこれからする事を許してやれよ」
レンズは意味が解らず、はいと素直に答えた。
クックが、ふーふーと可愛らしく、何度も深呼吸をして、正座をする俺の膝に、抱っこの形で乗ってきた。
「あのね、あの時は、ごめんね。たーくさん、心を込めるから」
ちゅっと、ほっぺに、ちゅーをしてくれた。
恥ずかしそうに、だいしゅきホールドで、足をバタバタさせる。
嬉しいけど、なんの事だと考えると、カタナが首を指差していた。
ああ、あれだ。
ラヴィの力にかかって、俺の首を締めたのを謝りたかったんだ。
これは、お詫びの印という事になるのかな。
やっぱり、気にしていたんだ。
ここは、お返しをしなければと、俺もクックのほっぺに、沢山の気持ちを込めてキスをした。
わーと顔を真っ赤にして、喜んで転げ回る。
もちろん、俺ごとだ。
「てめぇ、それは聞いてねぇぞ」
「ズルいです。そんな、純真なキスなんて、お話の中だけの物なのに」
ガッチリ掴まって離れないクックを、力ずくで剥がそうと、4人で取っ組み合いになる。
本気になる前に、部屋のブザーが鳴り、なんとか無事に終われた。
怪我をする前に終わらせてくれたのは、さっきカタナが頼んだルームサービスだった。
運ばれてきたのは、忘れていたコーヒーだ。
ほんとに、カタナはどこまでも気が利く。
レンズとクックは、砂糖とミルクをたっぷり入れて、俺とカタナはブラックで飲んだ。
寝不足の顔で、当然のように、みんな苦笑いを浮かべている。
寝直すかと提案すると、レンズ以外が、そうしようと同意してくれた。
「ダメです。ログインボーナスが来てます。ガチャ行きますよ」
窓から差し込む光を、嬉しそうに見るレンズは、幸せそうな顔で笑っていた。