黄泉戸喫と……ワンちゃん 後編
砂利に体を擦りながら止まった。
苦しそうな声が聞こえる。
クックを飛ばしたのは、さっきの犬じゃなかった。
俺とレンズを睨み付け、荒い息をしながらヨダレを垂らす白い犬だった。
大きさは、黒い方と変わらず、引くほどデカイ。
2匹目の登場に、レンズも焦っている。
「いいですか、私が食い止めます。クックを連れて逃げて下さい」
あーあ、絶対にそれ言うと思ったよ。
だけど、俺には従うしかない。
男としてのプライドを圧し殺し、クックに向かいダッシュする。
同じくレンズも白い犬に攻撃を仕掛けた。
気を失っているクックを背負い、レンズを見ると、苦戦していた。
上から下からと、見えない速度で攻められている犬は、レンズを捉えようと唸り声を上げている。
その様子から、全くダメージを与えてる気がしない。
レンズのスピードが、いつもより、かなり遅い。
このままでは、いずれ捕まる。
「早く行って下さい」
ちきしょう、なにも出来ない自分がイヤになる。
歯を食い縛り、レンズに背を向けて走った。
少し走った辺りで、背中に小さな悲鳴が届いた。
振り返る必要はなかった。
走ってる俺の横を、レンズが地面と平行に滑りながら飛んで行き、砂利を散らし止まった。
倒れているレンズに駆け寄り、無事を確認すると、大丈夫ですと立ち上がった。
足から流れる血が酷い事になっている。
裸足と砂利が、レンズの能力を考えればマイナスでしかない。
このままでは、全員やられる。
考えなくても解る、カッコつける場面がやってきた。
「俺が食われてる内に、2人で逃げてくれ」
クックを下ろし、レンズの前に立った。
俺を守ろうとするから、全員がやられてしまう。
逆に言えば、俺がいなければ、逃げるだけなら出来るかもしれない。
白い犬が走ってくる。
もう覚悟は出来ている。
レンズが俺の肩に手を置いた。
「ゲット様の死は、私の死と同義です。気持ちだけで、幸せでいっぱいです」
胸に手を置いて、嬉しそうに笑った。
「ご主人様。私の最大の攻撃をご覧ください。神去を」
そう言って、メイドさんのように、恭しく頭を下げた。
犬に向き直ったと同時に、右足が消えた。
いや、消えたように見えるだけか。
瞬きする間に、右足が青白い光となっていく。
次の瞬きで、レンズが消えた。
光が帯を引き、犬に吸い込まれるように映った。
「えっ」
犬の鼻に右足を当てて、止まった。
レンズの驚きの声で、神去は失敗と解った。
鼻に乗った足を噛み砕こうとする牙を、逆の足で蹴り飛ばし、元の位置まで戻ってきた。
肉の焦げる臭いが漂っている。
レンズの足は、灰色の煙を纏わせ、火傷で爛れていた。
「すみません、失敗しました」
立っていられず、膝を着いた。
この足では、もう走れないと見なくても解る。
もう逃げる事も叶わない。
更に、絶望を深くするように、黒い犬がきた。
白い犬の横に並び、顔を舐めた。
そんなに死んで欲しいのか。
俺だけにしてくれよ。
祈る俺を嘲笑うかのように、犬がジャレ合いを始めた。
この状況で、仲の良さを見せつけて、なにがしたい。
もしかして、夫婦だったりしてと、現実から逃避しそうになる。
夢中でリア獣を見せつける犬に、イライラしてくる。
あれ?
これって、逃げるチャンスだったりして。
そーっとレンズを背負い、クックを抱いて音がしないように、後ろに離れる。
黒い方と目が合ったが、ジャレ合いを続けた。
走ってもいいかなとダッシュ。
追っては来なかった。
2人を抱えてでも、ギリギリの状況では、なんとか走れる物だと思った。
せっかくの、奇跡みたいなチャンスだ。
ここは、このビッグウェーブに乗るしかない。
俺にすがる希望があるとすれば、カタナの言葉だけだ。
「り、り、り。りの付く物。レンズ、なんかないか」
俺の背中で、揺られているレンズが首を振る。
この奇跡の時間切れが、いつなのか考えるのもイヤだ。
りってなんだよ。
砂利は痛いし、お腹が減った。
夕飯は1口しか食べてない。
どうせ死ぬなら、たくさん食べれば良かった。
ひたすら、りの付く言葉を考えながら、走っていると、砂利の上に、白い物が見えた。
足を止めずに、近付いて見てみると、皿に置かれたご飯だった。
なにこれ、なんでここに。
足を止めて考える時間が惜しい。
背中のレンズに持たせて、また走り出す。
「これ、なんですか?」
俺が聞きたいよ。
足の痛みが、無視できないレベルにきてる。
どうすればと思った時に、レンズのお腹が、くぅと鳴いた。
レンズも、夕飯を1口だけだった事を思い出して、笑ってしまう。
そこで、ある考えが閃いた。
「レンズ、その皿のご飯さ、3つに分けられてないか?」
ああ、はいと答えが返ってくる。
形がメチャクチャで、解らなかっただけで、あれだ。
「おにぎり。カタナが最後に言ったのは、おにぎりを探せだったんだ」
てっきり、り、が最初の言葉だと思い込んでた。
最後なんて、誰が思うか。
「これを、どうするのですか?」
ああ、それは聞いてない。
食べるのか、あの犬達に食べさせるのか。
おにぎりの使い方って、他にあるのか。
「まえ……」
レンズが言い終わる前に、俺の首に、黒いなにかが当たり、ラリアットを食らった形で背中から倒れる。
背中のレンズが咳き込んだ。
俺も息が止まりそうだ。
今度はなにと、顔を上げると、なにもない空中に、黒い腕が浮いていた。
その上には、目玉が浮いている。
怖すぎる。
幽霊と思ったレンズが震えた。
浮いている手が、皿のおにぎりを指差し、何度も振った。
そして、俺の口を指差し止まった。
「レンズ、おにぎり食べろ。早く」
気を失っているクックの口に、おにぎりを押し込んだ。
ガタガタ震えるレンズに、おにぎりを渡すが、幽霊は信用できないと食べてくれない。
もう実力行使だ。
おにぎりを口に放り込む。
これは罠だと騒ぐレンズを、口づけで黙らせた。
そのまま、口移しで、ご飯を食べさせる。
放心したように、力を抜いた。
絶対に信用できると俺には、解っていた。
黒い手の薬指には、俺が選んだ指輪があったから。
急いで、残りのおにぎりを口に入れた。
眠気がと思う間もなく、意識が飛んだ。
目を覚ますと、カタナが見えた。
左目と左腕が、墨のように黒く染まっている。
それに、胸元が赤くなっていた。
「良かったぁ。マジで心配したよ」
涙目で、俺の顔に胸を押し付けてくる。
レンズとクックも、目を覚ました。
よく解らないけど、戻ってこれたようだ。
クックがおはようと言い、レンズが口を押さえて真っ赤になった。
ホッと息をつくと、ドンと部屋が揺れて、白い犬が現れた。
追って来やがった。
「ヤバい。このリア獣、追いかけてきた」
「え、リア充って、これ人間なのか?」
そうじゃなくて、このワンワンは、ペアなんだとカタナに説明をした。
うん?
なんかこの犬、フラフラしてる気がする。
焦点の合わない目で近付いてくる犬の上に、ドンと音と一緒に、ペアの黒い犬が落ちてきた。
まいった、揃ったよ。
カタナ以外が、絶望のムードに。
なぜか黒い犬は、白い犬の首に噛みつき、ゴキリと音を響かせた。
白い犬は、苦鳴を残し消えてしまった。
は?
これは、仲間割れなのか。
黒い犬がカタナとにらみ合い、キュウンと鳴いて、お腹を見せた。
「あ、お前、あの時のワンコか。でかくなったな」
懐かしそうな顔で、お腹をモフモフした。
なにこれ。
言葉にならない俺達に、カタナとワンコは楽しそうにジャレ合っている。
モフモフがまだ足りなそうな犬を、カタナがお座りをさせて、話を聞かせてくれた。
昔、黄泉戸喫をした、幼い女の子を助けた事があった。
今回と同じように、常世の扉をこじ開け、現世の食べ物を届けた。
死神の作った扉をこじ開けた力は、カタナの三盾の使い方の1つ、黒盾と言った。
このワンコは、番人じゃなくて、番犬らしい。
カタナが会った時は、普通のサイズだったみたいだけど。
「こいつ、死神に苛められててな、ついでだから助けてやったんだ。覚えててくれてたんだな」
またモフモフを開始する。
そういえば、こいつは、死神をやっつけたりしてくれた。
白い犬とは、ジャレてたんじゃなくて、止めてくれていたんだと、今なら解る。
きっと、俺達からカタナの匂いを感じたからかな。
モフモフに満足したワンコは、カタナを名残惜しそうに見つめながら、消えて行った。
もちろん、お礼を言うのは忘れなかった。
その後、泣きたくなるくらい痛い治療を受ける事に。
カタナがお風呂に水を張って、黒い左腕を入れた。
特に変化は見られず、水は揺れているだけだ。
この水から、死の力を奪ったと説明を受ける。
なんでも、清い水で、常世の穢れを落とさないと、怪我は治らないらしい。
見ていた俺に、早く入れと言われて、恐る恐る入ると、体が裂けるような痛みに襲われて、我慢できずに叫んでしまった。
痛みが収まるまで、出る事を許してもらえず、地獄の痛みが引いた頃には、気絶寸前だった。
「はい、禊おわり。次どっち行く?」
震えて怯えるレンズとクック。
俺より、ずっと怪我をしている。
考えるだけで、怖い。
当然のように、2人は絶叫して気絶した。
カタナがやれやれと、2人を寝室に運んだ。
みんな、怪我は治っていた。
感謝の気持ちを伝えると、悪いのはレンズだからと返された。
空っぽの冷蔵庫を開けて、解っていながら、お酒を探してる。
「こんな時は、日本酒が飲みたいんだけどな」
ほんとは、お疲れ様と買って来てあげたいけど、今の経済状況ではムリと申し訳なくなる。
ゴソゴソと2人で探すと、誕生日パーティーの時の、シャンパンを見つけた。
このシャンパンも、考えなしに、たくさん買ってしまった物だ。
これでいいかと栓を開けるカタナの、左腕と左目は元に戻っていた。
どうしてか、胸の赤みは消えてなかった。
それも黒盾のなにかだと思っていた。
「それ、胸の火傷みたいのは、どうしたの」
ああ、これかと、シャンパンをグラスに注ぎながら苦笑いをした。
「俺の左腕は、扉をこじ開けてたろ。右手は本体を持ってた。じゃあさ、どうやって、おにぎりを握ったと思う?」
え、まさか、胸で握ったとか。
カタナが作ったにしては、形が悪かったなと思い出す。
くそ、もっと味わって食べれば良かった。
「あはは、レンズじゃなくてよかったな。あいつの胸じゃ握れないもんな」
気が済むまで笑って、黄泉戸喫の事を教えてくれた。
同じ釜の飯を食うのは、家族という考え方がある。
つまり、黄泉の国の食べ物を口にすれば、そちらの住人と認められる。
逆に、黄泉で、現世の食べ物を口にすれば、戻れるという事だった。
まあ、カタナがいなければ成立しないけど。
「ただの飯じゃダメだ。心を込めた物じゃないとな」
グラスの縁を指で撫で、ウインクをくれる。
色っぽい仕草にドキッとした。
「なあ、レンズの事だけどさ、許してやってな」
俺は全く気にしてないと伝えると、カッコいいじゃんと、からかわれる。
なんか、恥ずかしくて、話題を反らした。
「でもさ、最近のレンズって、なんか変じゃないか。ミスが多いって言うか、抜けてる感じでさ」
カタナが解ってねえなと言って、シャンパンを舐めた。
「お前は知らないと思うけどさ、あれが、ほんとのレンズだよ。今までは、猫被ってただけで」
あ、そうなのか。
なんか、意外だ。
でも、なんで急にと聞くと、ほんと解ってないと首を振った。
「女が猫を被るのを止める時はな、素の自分を見て欲しい時だよ」
なんか、今日のカタナは、すっげーカッコいい。
ドキドキして、自分が抑えられず、カタナに手を伸ばす。
肩に手が届く前に、スッとかわされた。
「ダメだぜ、ゲット。酒が入ってる女に手を出すのは、カッコいい男のやる事じゃない」
マジで、どこまでもカッコいい。
いや、これはどうなのか、さっき学んだ事を聞いてみる。
「カタナは、猫を被ってるのか?」
解ってきたじゃんと、意味深に笑い、メチャクチャにカッコよく、グラス越しに俺を見て言った。
「さぁな」
心臓が壊れたように鼓動を打った。
顔を見てられなくて、自分の部屋に逃げました。
カタナの顔が、頭から離れなくて、眠れずにいると、声が聞こえて来ました。
「くっそー、チャンスだったのに。カッコつけすぎたー」
誰かの、酔っ払った声が聞こえて来ましたが、聞かなかった事にします。
きっと、カッコつけのネコさんが、逃げちゃったのかもしれませんね。
今日は、貴重な体験ができました。
カッコいい誰かさんに感謝しながら、寝るとします。