温泉旅行と……運命 後編
「契約を破りましたね」
涙を溢す赤い目を見つめ、冷たく言い放つ。
俺とは違い、暴れるチャルナを右手のみで制している。
レンズの細い腕のどこに、そんな力があるのか。
男として、悔しさが込み上げる。
カタナが察して、気にするなと目配せした。
俺を心配して、クックが背中に手を置いてくれた。
眼鏡の奥に、剣呑な光を湛えるレンズは別人のようだ。
「15年前の契約を言ってみなさい。チャルナ・シュヴァルツ・モルテ・ロード」
え?
ロードって、さっき聞いた最高位の称号だよな。
そういえば、死神統治者は、今は3人と言っていた。
わざわざ、今はと言ったのは、レンズに敗ける前は、最高位の1人だったという事かもしれない。
チャルナは暴れるのを止め、凛とした顔でレンズを見つめ返した。
「レンズ様の想い人には、一切の危害を加えない事を誓います。そして、子を産んだ後には、生殺与奪を委ねます」
レンズが掴んでいた手を放すと同時に、ペタンと座り込み、首を押さえて息継ぎをした。
「貴女はゲット様を傷付けました。表に出て下さい。殺してあげます」
チャルナを見下ろすレンズが、本当の意味で怖い。
それに、マジでやる気だ。
止めろと言う間もなく、2人は消えてしまった。
時去に空間移送か。
ただの人間の俺には、止めろと言う権利さえ与えられない。
息をするだけで悲鳴を上げる体を無視して、2人を探す。
カタナとクックが心配してくれるのも、今だけは余計だった。
旅館の裏手の林で見つけた。
まだ、事が始まっていない。
駆け寄って間に入る。
止める前に、レンズが耳元に顔を寄せ、来てくれると思ってましたと囁いた。
いつもの優しい声に、なにか思惑を感じて任せる事に。
「さあ、初めましょうか。存分に抵抗して下さい。契約には、抵抗するなとはありませんからね」
どこか芝居がかったセリフを、チャルナは黙って聞いていた。
「解りました。あえて乗らせてもらいますね」
スッと手を横に滑らせると、背丈くらいの鎌が手に握られた。
それを見て、レンズが急に振り返り、うぅと下唇を噛んで、浴衣の裾をたくし上げる。
おっと、凄い下着ですね。
際どいラインをフリルが飾り、後ろはヒモしかない。
頭から湯気を出しながら、たくし上げた裾を腰で括った。
戦闘開始の合図はなく、いきなり始まった。
チャルナの後ろに音もなくレンズが現れ、首を狙う右足が通り抜けたと思ったら、2人は別の場所で違う攻撃を。
レンズは一度も止まらず、攻撃の瞬間だけが、見える。
幾度も繰り返され、少しずつ、2人の動きが鈍くなっているように感じた。
俺が慣れてきたのか、疲れてきたのかは解らない。
何度かチャルナが顔を歪め、攻撃を喰らっていないはずのレンズの体から血が舞った。
レンズはわざと派手に血を散らせた。
回りには、血に濡れた透明な刃が幾つもバラ撒かれている。
ネロが使った、不可視の刃を思い出す。
これも母親から受け継いだ物だった。
だんだん均衡が崩れてきた。
チャルナの消える速度が、目に見える程に落ちている。
レンズは変わらず、攻め立てた。
「使わないのですか」
「レンズ様こそ」
なんの事かは解らないが、なんとなく楽しんでいるように見える。
そして、遂にチャルナを捉えた。
後ろに立ち、裸絞めを決める。
「私の勝ちです」
耳元に口を寄せ、自分の勝利を解らせる。
「私を相手に、止まっていても良いのですか」
レンズの勝利宣言を聞かず、下ろした手を振ると、バラ撒かれていた血に濡れた刃が、レンズの周りに現れた。
「はあ、これでは、貴女の首を落としても、相討ちですね」
そう言って、手を放した。
同時に、刃も姿を消した。
「契約を破った、暗殺者チャルナは死にました。いいですね」
「仕方ないですね。ふふ、死人になっちゃいました」
2人は笑い合った。
なんかカッコいいです。
惚れちゃいます。
レンズがキッと俺を睨み、チャルナは顔を真っ赤にする。
「私はいいですけど、チャルナはダメです」
あ、口に出してました。
気を取り直し、眼鏡に手を置きチャルナに諭すように言って聞かせた。
「仕事なら、紹介してくれる方がいます。もう捨てる命はないのですから、止めにして下さい」
でもと、迷っているチャルナに、俺もそれがいいと後押しをする。
じゃあと言って、パッと俺の目の前に現れ、ゴニョゴニョと耳打ちをした。
「それをしてくれたら、止めます」
ニコニコしながら俺を見ている。
みんなは、やってやれとか、どうぞとか、早くーって言うけどさ、きっと怒るよね。
でも、やるしかないか。
覚悟を決めて、両手でチャルナを抱き締め、押し倒す。
「愛してる」
チャルナが目を閉じて、タコさんの口をする。
マジで怖くて顔を上げられない。
現実に刺さっているくらい、痛みと質量を持った視線が、背中に突き刺さってる。
「ちゅーは?はやくー」
ヤバい、人妻なのにイイです。
命をかける価値があ……
俺ごと踏み砕こうとするレンズの踵を、チャルナが空間移送で回避してくれた。
「ちゅーはなかったけど、愛されちゃいました。私、止めます」
俺を抱いたまま、喜びながら地面を転げ回る。
みんなの踵が雨のように降ってきたけど、全部かわしてくれた。
命をかけたモグラ叩きに、チャルナ以外がはぁはぁ言っている。
満足したのか、嬉しかったですと言って俺から離れた。
体の痛みも一緒に。
「さっきはすみませんでした。好きになっちゃいそうで、暴れてごまかしてました」
部屋での事を謝られ、うん、としか言えない俺は、もっとなんかセリフあるだろと自分にツッコミをいれる。
「ほんとに、殺したくなりました」
「俺もだよ」
「僕も」
きっと、俺もですよね。
ちゅーしなくて良かったです。
たぶん、半殺しで許してもらえると思うので、言い訳はしません。
「もう、堕ちる所まで堕ちました。だから、全部から逃げちゃいます」
今日1の笑顔を見せて、宣言した。
これで、終わったようだ。
みんな、ガミガミと文句を言いながら、旅館まで戻った。
チャルナは歩きながら、レンズの傷も消していた。
レンズに浴衣を直してないのを教えると、キャーと叫んで、蹴られそうになったけど、チャルナが助けてくれた。
大変な旅行になったけど、楽しく終われそうだ。
部屋に戻り、汗をかいたからと、温泉に行く事に。
混浴に行きたいが、トラブルを避ける為に、我慢した。
こっちにも、露天はある。
時間も遅いせいか、他にお客さんはいないようだ。
「よし、貸し切りだ」
「貸し切りじゃないですよ」
最初と同じように、キョロキョロと探すと、すぐ横にチャルナを見つけた。
凶悪な胸を隠そうともせず、俺と湯に晒している。
いやいや、他のお客さんが来たらと言うと、ニッコリ笑った。
「混浴があるのに、こちらに来られる殿方はいませんよ。ゲット様は例外ですけど」
なるほどです。
頷く俺に、少し話をと。
今日の全ては、仕組まれた事らしい。
レンズとのバトル辺りで、気付いたみたいだ。
幾つもの偶然が重なり、チャルナは暗殺を止めさせられた。
それは、運命操作という、殺そうとしていた相手の力だった。
運命とは、確率の重なり。
運命操作とは、その確率を操作する力。
前にレンズが、ゲーセンでコクに言っていたのを思い出した。
つまり、福引で温泉旅行が当たった所から、仕組まれていたようだ。
だったら、ペア旅行じゃなくて、4人にして欲しかった。
「愛はなかったですけど、優しい方でしたから」
チャルナは政略結婚だったみたいだ。
色々と大変ですねと返すと、急に真面目な顔で、胸を押し付けてきて、ドキッとする。
「離婚してますし、死神でもないです。子持ちでも平気ですか」
真剣な顔と胸で聞かれても、どこまでマジなのか。
「どこまでもです」
読まないで下さい。
ゆっくりと、目を閉じて、タコさんの口をする。
それ止めて下さい、2回目は耐えられる自信がないです。
あと、数ミリという所で、チャルナが目を開けた。
「あらら、みなさんが男湯に来る決心がついたみたいですね」
惜しかったじゃなくて、危なかった。
入り口の方から、みんなの声が聞こえる。
「レンズ様にお伝え下さい。15年間、1度たりとも、恨んだ事はないと」
そう言って、溶けるように消えた。
ふぅと、ため息を着いた瞬間に、ムニュンと背中に柔らかい物が。
「言い忘れました。3人の死神と私が、ゲット様の命ではなく、心を狙っていると、みなさんにお伝え下さい」
スッと背中から柔らかい感触が消えて、今度こそ、ほんとに消えたようだ。
「私の理論では大丈夫なはずです、男性は混浴に行くと思います」
「じゃあさ、なんでゲットは来ないんだよ」
「早くいこ」
チャルナと同じ考えに、至ったワケですね。
カタナは堂々と、クックは無邪気に、レンズは恥じらいを武器に、すっごく楽しく温泉を堪能させてもらいました。
あと、初めにお風呂に入った時に、みんなが青アザをこさえていたのは、レンズの下着の事でモメたからみたいです。
俺の部屋で、下着のカタログを見つけて、勇気を出して買った物らしいです。
それを見て、カタナが似合わないと言って爆笑して、クックが胸ないから巻いてるだけだねと言ったら、レンズがキレたようです。
カタナとクックは、解ってないですね。
男は自分のタメという気持ちが、とても嬉しい事に。
それに、とっても似合ってましたよ。
色々と有りましたが、いい思い出になりました。
チャルナの最後の言葉は、言わないでおこうと思ってます。