温泉旅行と……運命 中編
「うそ……だろ」
俺の最大の楽しみであった混浴の露天風呂には、誰もいなかった。
あれだ、女の子は髪を縛ったり、タオルを巻いたりして、時間がかかる。
脱ぐだけの俺とは違うと、自分に言い聞かせるのも、5分が限界だった。
「いいんだ別に。こんな大きなお風呂を貸し切りなんて、幸せだな」
もう強がり以外のなんでもない。
寂しい俺を神様は、見捨てなかった。
「貸し切りじゃないですよ」
透き通るような声が聞こえ、キョロキョロと探すと、頬を赤く染めた、綺麗なお姉さんを見つけた。
いつからそこにいたのか、混浴が目的の俺が、女の人を見逃すなんて、絶対にあり得ない。
それより、ほんとに綺麗な人だ。
輝く銀色の髪をまとめ、夜に妖しく輝く赤月のような目が、雪のように白い肌を際立たせ、八重歯というには少し長い歯が、口元の左端を飾っている。
それに、凶悪と言ってもいいほどの大きな胸を、隠そうともせずに湯船に浮かべている。
ほんとに、来て良かったです。
「ゲット様ですね。娘がお世話になったみたいで、本当にありがとうございました」
ああ、娘さんがいるんですか。
若いお母さんですね、俺とあんまり変わらない年齢に見えます。
きっと、娘さんも美人なんでしょうね。
あれ、なんで俺のことを。
「失礼ですが、会った事ありましたっけ」
俺のバカ。
こんな綺麗な人を忘れるなんて、男として最低だ。
「いいえ、娘から聞きました」
困っている俺に、口元に手を置いて上品に微笑んで教えてくれた。
その仕草の色っぽさに、ドキリとする。
ダメだ、頭が働いてくれない。
失礼とは思いつつ、名前を聞こうとすると、入り口の方から、聞き馴れた声が。
勢いよくガラっと戸を開けたカタナは、何故か顔に青アザを作っていた。
後ろに続くクックも同じだった。
これは、脱衣場でなにかトラブルがあったと解る。
躊躇いなく大胆にタオルを取って、俺の横に腰を下ろす。
反対にはクックが来た。
2人とも、恥ずかしくないのかな。
「あとでさ、背中を流してやっからな」
ピッタリと肩を寄せるカタナにゾクゾクする。
「僕もだからね」
クックの気持ちが素直に嬉しい。
そんな俺達を見て、またあの人が笑っていた。
カタナもクックも、知らないみたいだ。
2人の体が丸見えの湯船から、少し視線を反らしながら、レンズはと聞くと、カタナが舌打ちして、今、来るんじゃねえのと、ぶっきらぼうに返された。
レンズはタオルをどうするだろうか。
反応が期待できる。
待っていると、ゆっくりと戸を開けるレンズが見えた。
やっぱり、顔には青アザがある。
なにがあったんだ。
レンズが俺達を確認して、小走りでやって来る。
そして、躊躇いながら、タオルに手をかけて、あっと声を出した。
「チャルナ、どうしてここに」
あれ、どこかで聞いた事がある。
確か、死神の3姉妹の母親の名前だ。
カタナとクックも驚いている。
「久し振りですね、死神殺し」
みんなの目が鋭くなり、敵を見る目に変わる。
「そんな怖い目をしないで下さい。私はもう、死神ではないですから」
穏やかな口調に、レンズが肩の力を抜いた。
俺の目を気にしながらタオル取り、湯船に浸かった。
レンズもとっても綺麗だ。
胸は薄いけど、女の子らしく華奢な体が、抱き締めたくなる。
そんなに見ないで下さいと、俺の目を気にする恥じらいが、ザワザワと背中をくすぐる。
なごやかムードに変わり、良かったと話をする事に。
「では、改めて、チャルナと申します」
俺達も自己紹介をしようとすると、人差し指を口に当てて、知ってますよと返された。
そして1人ずつ、人差し指を優雅に滑らせる。
とても頼りになる、胸の大きなお姉さん、カタナ様。
怖いけど、いつか勝つべき好敵手、レンズ様。
仲良くしてくれた親友、クック様。
とっても優しい男の方、ゲット様。
「何度も写真を見せて、聞かされましたよ」
あれと、みんなが顔に手を当てている。
よく見ると、顔の青アザが消えていた。
ノワールが使った、空間移送で、アザを消してくれたようだ。
いや、こっちが本家か。
ノワールやネロにコクの事が頭に浮かぶ。
やっぱり似てるなと感じる。
あの3人も、いつかチャルナのようになるのかと考えていると、みんなが怖い目で見ていた。
慌てて、違う話題を振ってごまかした。
「3人は元気にしてますか、あと、今日は一緒じゃないんですか」
少しだけ間を開けて、元気ですよと言った。
寂しそうな言い方が気になり、聞こうとすると、カタナが先に口を開いた。
「あいつらは、俺の妹みたいなもんなんだよ。なんか、困った事でもあるのか」
チャルナは嬉しそうに微笑み、私の娘でもあるのですねと言って、話を聞かせてくれた。
チャルナは仕事でここに来ていた。
レンズに敗れた日から、人間の世界での仕事では、娘達を生む事も養うのも難しく、死神から仕事をもらい生きてきた。
それは、死神の暗殺。
僅かな金銭で、同族を殺す汚れ仕事。
そして、今日が最後だから、少しだけ贅沢をと。
「娘達には内緒ですよ。あら、カタナ様も娘でしたね。忘れてくださいね」
儚げに笑って、目を閉じた。
最後という言葉が引っ掛かり、どういう意味だと聞く前に、チャルナは声だけを残し消えてしまった。
娘達と、仲良くして下さると、嬉しいです……
意味深な言葉に、俺達は考えすぎて、茹でダコになるまで、温泉に浸かっていた。
従業員さんに、部屋まで運んでもらうという恥を頂く事に。
夕食を食べながら、チャルナの事を話すと、俺が言うまでもなく、気持ちは一緒のようだ。
急いで料理を詰め込み、チャルナを探した。
フロントでは教えてもらえず、1部屋ずつ聞いて回る。
偶然にも、俺達の隣の部屋にチャルナはいた。
ビールを片手に、なにかご用ですかと、おとっとりした口調でドアから顔を見せた。
また消えられても困るから、カタナが手を握って空間移送を阻止する。
困った方達ですねと、部屋に入れてくれた。
「カタナ様、手を握ってくれるのは、嬉しいですけど、意味ないですよ」
俺達の作戦は、お見通しだった。
だけど、3姉妹は話さなかったのか、カタナの力は知らないようだ。
カタナはいいからと言いながら、空いた手は腰の後ろに括られた刀を握り締めていた。
そのまま、俺達がいくら助けになりたいと言っても、首を振るだけだった。
お互いに譲らず、困っていると、チャルナが首を傾げ、1つ質問をした。
「どうして、恩も義理もない、私を助けたいのですか」
こんな質問を前に、ノワールにもされた事を思い出す。
俺はもちろん、あの時と同じ答えを。
「イイ女の前で、カッコつけたいからかな」
俺の答えに、顔を真っ赤にする。
やっぱり、そっくりだ。
カタナが良く言ったと、ウインクをくれた。
娘達の言っていた通りですねと、深く息を吐いた。
「尚更、巻き込めませんね」
小さく呟き、人差し指をゆっくりと振った。
なにも起きず、あれあれとキョドりだす。
やはり、カタナの力は知らないみたいだ。
「悪いな、俺は死神の力を無効にするんだ。逃げられないぜ」
もう一度、繰り返し、諦めたように、死なず、ですかとカタナを見つめた。
観念したのか、もう逃げませんよと言うのを信じて、カタナが握っていた手を放した。
上目遣いに俺を見て、少しだけモジモジするチャルナに、詳しく話を聞く事に。
俺達が思った通り、最後の仕事は困難な物だった。
暗殺のターゲットは、今では3人しかいない死神統治者と呼ばれる最高位の死神。
どう足掻いても勝てる相手ではないが、ある理由で任された。
依頼主は、チャルナの実力ではなく、その理由に期待している。
それは……
「標的は、私の旦那様です」
あー、そうきましたか。
力を合わせて、倒して終わりエンドには、簡単には行かなそうだ。
どちらが死んでもバッドエンドだ。
3姉妹の悲しむ顔は、絶対に見たくない。
断れないのかと言っても、首を振るだけ。
3姉妹の悲しい顔は見たくないと言うと、解りやすく動揺した。
やはり、娘が突破口だ。
財布から、3姉妹と一緒に撮ったプリクラを出して、チャルナの前に置いた。
横目でプリクラを見て、涙を浮かべ俺達を黙らせた。
「私がこれまで、何人の同胞を手にかけてきたと思いますか。これは罰です。覚悟を決めたのに……顔が見たく……」
両手で顔を覆って泣き崩れてしまった。
ミスったかもしれないと、次の言葉を探していると、恨みを込めた目で俺を睨み、大声でバカと言って暴れ出した。
こんな時、カッコいい男ならどうするか。
みんなに殴られるのを覚悟の上で、抱き締めるしかないだろ。
暴れるチャルナの首に腕を回し、引き寄せる。
思い出させやがってとか、恨んでやると騒ぐ口を胸に押し付け黙らせる。
手や肘が当たり、体が軋む。
死神の腕力に、俺はどこまで頑張れるか。
そんなの決まってる、泣き止むまでだ。
「優しくしないで」
涙声と一緒に、ミシッと鈍い音をあばらが聞かせてくれる。
反対も同じ音を出して、突き飛ばされた。
放すつもりはなかったのに、力負けしてしまった。
赤い目で涙を溢すチャルナに、伸ばした手を払われ、痛みに目が眩んだ。
痛みに負けないように、歯を食い縛る。
まだだと手を伸ばそうとするより早く、レンズがチャルナの首に手をかけ、壁に押し付けた。