嫉妬と……もう一人 後編
少しでもクックから離れる為に、限界まで走り続け、目立つ場所を避けて、人気のない空き地に飛び込んだ。
人を抱えて走れる距離は知れているが、カタナとレンズが止めている事を考えると、十分と思える所まではきたはずだ。
まだ苦しそうなレープルを下ろし、辺りを確認して、やっと一息がつけた。
「大丈夫か。ごめんな。クックは、あんな奴じゃないんだ」
「知ってますよ……いつも……見てたから……」
腹を押さえるレープルの声は、とても小さかった。
これからどうするか、考えなければいけない。
慌てて出てきたから、携帯も持っていない。
カタナとレンズを信じて戻るか、もっと離れるべきか。
迷っていると、レンズとカタナが突然、目の前に現れた。
「見つけました。無事だったみたいですね」
「まだ、クックは来てないな」
レンズの時去で、俺達を探していたようだ。
よく見ると、2人はダメージを負っていた。
レンズは腕を押さえ、カタナの顔の半分は血で染まっている。
なにがあったか聞くと、とにかく今は、クックから離れなければという事だった。
じゃあ、レープルを連れて遠くにと言うと、それもダメらしい。
「私の攻撃が引き金となりました。完全に暴走してます」
「あれは、クックじゃない。別人だ」
クックを気絶させる為に、攻撃をすると、もういいやと言って、2人を殺そうとした。
それに、俺も殺すと言ったそうだ。
頭のどこかで、俺は大丈夫と思っていたが、それは、間違いだった。
恐怖よりも、心に穴が空いたような淋しい気持ちが溢れた。
ここでは、他人に迷惑が掛かると、どこか人気のない場所まで、全員をレンズが運ぶ事となった。
どうぞと、背を向けるレンズにおぶさる。
女の子に背負われるなんて、初めての事に、どこを掴んでいいか解らず、なにもないのを確認してから、しがみつく。
レンズは、急に顔を赤くした。
「あの……手が……胸に……」
「えっ?胸なんか触ってないよ。ほら、ないって」
もう降りて下さいと言うレンズに、全力で謝って手をずらした。
カタナは、笑うのを必死に堪えている。
そんな俺達を見て、レープルは誰にも聞こえない小さな声で、いいなと呟いた。
両腕にカタナとレープルを抱いて、両手の使えないレンズは、眼鏡が落ちないように、カタナに押さえる役を任せた。
俺は普通の人間だからと、ただ、落ちないように、しがみついている役を任される。
「用意はいいですか。いき……」
「どこ、行くの?」
不意に聞こえたクックの声を、レンズは時去で、時間と一緒に、振り切った。
なにも見えなかった。
ただ、視界が白く染まったと思ったら終わっていた。
周りを見ると、どこかの山の中にいる事が解る。
どれくらいの距離を移動したのか見当もつかなかった。
レンズは、俺達を下ろし膝をついた。
3人を抱えてでは、かなりの負担だったのか、動けずに荒い息をついている。
どうする事も出来ず、レンズの背中をさすると、不意に聞こえたクックの声を思い出して、悪寒が走った。
まるで感情が感じられない、機械のような声が甦り、あれはクックなのかと考えてしまう。
「2人とも、大丈夫か?クックにやられたみたいだけど」
「ああ。でも、次はヤバい」
カタナは、額から流れる血を面倒臭そうに拭った。
まだ息の整わないレンズは、手を振る事で答える。
どうして、こんな事になったんだ。
昨日まで、楽しくしていたのに。
「クックは、どうなったんだ。まるで別人みたいだし、2人を傷付けるなんて、絶対におかしいだろ」
やっと、息が整ってきたレンズは、たぶんと前置きをして、答えてくれた。
「人格が入れ替わったのだと思います。どちらが、本当の人格かは、解りませんが」
クックは自分の事を、私と言った。
いつもなら、僕のはずだ。
確かに、多重人格なら、あの変わりようも納得が出来る。
どちらが本当のクックか、答えの出ない俺の考えを、カタナが断ち切った。
「それを考えるのは後だ。今は、クックをどうするかを考えなきゃ、全員、殺されるぞ」
カタナの言葉に、状況を確認させられる。
でも、2人なら、クックを止める事は出来ないのだろうか。
カタナとレンズが優しいのは解っている。
絶対に手加減をするのを、計算に入れても、クックが2人より強いとは思えない。
だけど、2人の深刻な様子を見ると、解らなくなってくる。
クックは、そんなに強いのかと聞くと、強いと言うより、質が悪いと返ってきた。
付喪神を殺すのに、最も簡単な方法は、本体を壊す事。
では、どうすれば、邪魔をされずに、それが出来るか。
答えは、相手に気付かせなければいい。
気が付いた時には、もう、事が終わっている。
クックの力とは、そういう物だった。
「例え、目の前にいたとしても、見えないのではなく、認識が出来ないのです」
完全に意識の外からの攻撃は、クックの力でも、恐ろしいほどに、ダメージがあると続けた。
1つ疑問が浮かぶ。
どうして、レンズとカタナは、クックの力を知っているのだろうか。
それを知った者は、死んでいるはずなのに。
消えかけている付喪神に会った事があると2人は教えてくれた。
2人にクックの力を教えて、可哀想な、あの子を助けてあげてと、言い残し消えてしまった。
クックの力の本質は、付喪神の存在理由とは真逆の物だった。
想い人と共に、在り続けたいと願うはずが、自分の邪魔となる者を、殺す為だけに、消えたいと望んでしまう。
力を使う度に存在を削られ、最後は誰にも解らなくなる。
付喪神にとって、忌むべき力として、終孤独と、名付けられた。
クックの気持ちは、俺には解らない。
だけど、これ以上、力を使わせてはいけないのだけは解った。
「昔話はここまでです。どうやって殺すか、考えなければなりません」
「ああ、どうするか」
なぜ、クックを救うとは言わないのか。
俺の心を読んだ2人は、俺の命の方が大事だからだと答えた。
胸の辺りに、ズキンと痛みが走った。
そして、思った事がそのまま、口から零れた。
「気持ちは嬉しいけど、クックを殺す相談をしてる、カタナとレンズはキライだよ」
2人は動きを止めた。
顔が絶望に染められて行く。
絶望を洗い流そうと、涙が頬を伝った。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
「なんでもしますから。嫌いにならないで下さい」
2人は俺に抱き付き、子供みたいに泣き出してしまった。
こんな2人を初めて見た。
なんとなく、付喪神の弱点が解ったような気がした。
「ごめん、冗談だっ……」
最後まで言う前に、カタナとレンズは悲鳴を上げた。
「カタナもレンズも、嫌われちゃったね」
クックが笑っていた。
2人は足を押さえて、呻いている。
「もう、逃げられないね。お兄ちゃんもだよ」
顔を殴られ、後ろにぶっ倒れた。
飛びそうな意識を、なんとか手繰りよせる。
動けない2人を、蹴り続けるクックが見えた。
必死に立ち上がり、止めろと叫びながら、クックを掴もうした手が、空を掴んだ。
「どこ見てるの?私はこっちだよ」
背中に衝撃が来て、地面に頭から突っ込んだ。
「お兄ちゃんは最後だよ。大人しくしてて」
なにをされたのか、吹っ飛ばされ、木にぶつかり止まった。
咳き込む事すら出来ない痛みに、呼吸が出来なかった。
「ずーっと、羨ましかった。カタナもレンズも、私が持ってない物が沢山あって。どうやって我慢してたか解る?いつでも殺せると思ってたからだよ」
狂ったように笑いながら、レンズとカタナを蹴り続ける。
カタナは泣き続け、レンズは嫌いにならないでと繰り返していた。
俺のせいだ。
俺の言った言葉に縛られて動けないんだ。
見ている事しか出来ない自分を呪った。
やがて、飽きたのか、それとも気が済んだのか、クックは2人を引き摺り、俺の隣に並べた。
ご丁寧に、レープルも連れて来た。
「誰から殺そうか?お兄ちゃん、決めていいよ」
恐ろしい事を楽しげに口にする。
決められる訳がなかった。
「ダーメ。お兄ちゃんは、最後って言ったでしょ」
俺の考えは、お見通しだった。
「私ね、考えたの。どうしたら、嫉妬しないでよくなるか。お兄ちゃんを殺しちゃえば、誰かに、羨ましいって思わなくなるよね」
こんなに喋るクックは初めてだった。
いつも、少し引いて、羨ましそうにしているクックが頭に浮かぶ。
そういえば、クックはよく、僕もとか、僕は、と言っていた。
誰かを羨ましく思っての事だったと、今になって気が付いた。
「お兄ちゃんが生まれ変わっても、また殺しに行ってあげるからね。さ、決めて。カタナにする?それともレンズ?やっぱりレープルかな?」
クックの声は、俺の耳を素通りしていく。
順番なんて、どうでも良かった。
ごめんな、気付いてあげられなくて。
だから、次は…………
「クック。俺は、お前がキライだ」
クックの動きが止まった。
みるみる悲しみが塗られて行く。
俺は畳み掛けた。
「カタナが、メチャクチャ好きだ」
クックの目に涙が浮かび、カタナの泣き声が止んだ。
「レンズが、超好きだ」
クックの唇から血が滲み、レンズが俺を見た。
「レープルの事が、すっげー好きだ」
クックはなにかを耐えるように、目を閉じ、レープルが頷いた。
「ぼ………………」
言えよ。
言ってくれたら、全力で教えてやる。
ポロポロと涙を流して、いつものクックの顔と声で口を開いた。
「ぼく……は?」
悲鳴を上げる体を無視して、クックにダッシュをかけて抱き締め、テイクダウンを決める。
そして、おでこをつけて、言ってやった。
「大好きだ」
抑えていた感情が吹き上がり、クックは大声で泣いた。
首に腕を回し、腰に足を絡め、とんでもない力でしがみついてくる。
体は痛みを訴えたが、せっかくの、だいしゅきホールドだ。
男なら受け入れてやるのが仕事だと思った辺りで、気を失った。
目が覚めると、俺の部屋のベッドの上だった。
みんなの声が聞こえる。
「メチャクチャ好きだってよ、結局は、俺が1番なんだよ」
「好きの上に超がついてました。私が1番に決まってます」
「すっげー好きって言われました。きっと、私の事が1番なんです」
「僕なんか、押し倒されちゃった。こーんな近くで、大好きだ、だって」
クックの言葉に、3人が言い返す。
「押し倒されるより、押し倒す方がいいし」
「げ、下品です。私は壁ドンの方がいいです」
「私も、壁ドン派です」
顔には、大きく羨ましいと書いてあった。
「羨ましい?僕だけだもんね」
クックは、得意気な顔で笑っていた。
俺の恥ずかしいセリフ談義に、穴があったら入りたい気持ちでいっぱいです。
起きるタイミングを探していると、誰が1番だと聞かれて、起きているのがバレバレでした。
ごまかす為に、どうやって帰ってきたかを聞きました。
カタナが胸で車をヒッチハイクして、ボロボロの俺達を怪しむのを、脚線美で黙らせて、俺の家まで送って貰ったそうです。
「俺には、色んな武器があるからな」
だそうです。
レンズさん、そんなに噛んだら、爪なくなっちゃいますよ。
みんなは、急に真面目な顔をして、もうキライとは言わないでくれと、お願いされた。
本当に辛かったらしい。
冗談だと返すと、首を振った。
「冗談でも、マジで効くんだよ」
「ゲット様の言葉は、気持ちと直結してます」
「死んじゃうかと思ったよ」
「私は、言われてないですけど、見てて辛かったです」
真剣な顔で言う4人に、本当にごめんと謝り、なにがあっても、絶対に言わないと約束をして、いつもの楽しい日常に戻った。
そういえばと、クックは大丈夫なのか聞く事に。
クックは、寂しそうな顔で教えてくれた。
クックは、悲しみや嫉妬の感情を、もう一人の自分を作り、押し付けて生きてきた。
もう一人というのが、俺達を殺そうとしたクックだった。
でも、もう出て来る事はないらしい。
「お兄ちゃんにね、キライって言われて、泣きながら、どっか行っちゃった」
そして、もう力は使わないと約束をしてくれた。
カタナが本当の付喪神殺しは、俺だと言った。
笑えない冗談に、もう一人のクックに、いつか、謝りたいと思った。
そんなやり取りをしていると、レープルが薄くなっているように見えた。
「もう、時間切れみたいですね」
少しずつ、体が空気に溶け出しているように見える。
「少しだけど、みんなの一員になれた気がして、嬉しかったです」
無理をして、体を作ったレープルの限界が来たみたいだ。
カタナとレンズは、またいつかと言い、クックは謝り、またねと手を振った。
澄んだ音を立てて、小さなスプーンが床に落ちた。
もう、レープルの姿は見えなかった。
俺は、優しくスプーンを拾い、待ってるからなと呟いた。
その後、なにがきっかけで、クックが暴走したかの話になりました。
「お兄ちゃんが、スプーンでココアの粉を、楽しそうに舐めてるのを見てたら、すっごく嫌な気持ちになったの」
えっ?
見られてたんですか。
「ココアが舐めたいのか、スプーンを舐めたいのかって、考えてたら、もう一人の僕が出てきたの」
カタナとレンズは、変態を見るように引いてます。
「あっそう。ゲットには、スプーンを舐める趣味があったんだ」
「ココアは口実で、スプーンをメインに舐めていたんですね。そのせいで、大変な目に合いました」
詰め寄ってくる2人に、なにをされるか怖いので、正直に言って疑いを晴らします。
「ただのスプーンを舐める訳ないだろ。妹が使った後って設定のスプーンだよ」
2人は首を傾げて、少し考えた後、激怒しました。
「もっと嫌だわ」
「ふざけないで下さい」
結局、殴られました。
とっても大変な1日でした。
スプーンを舐めるのは、禁止になりましたが、いつか会う、レープルの事を思って、大切に使っていこうと思います。