バベルの塔と……望み 8
俺とカタナは勝った喜びを噛み締めながら、緩やかに螺旋を描く階段を登っていた。
望みが叶う嬉しさが戦いの疲れを忘れさせ、早くと急かす気持ちが重い足を軽くさせている。
隣にいるカタナが笑って、寄り添うように腕を絡めてきた。
「帰ったらさ、お風呂入ってから……ったく、女に言わせんなよ。ハズいだろ」
言いかけた言葉を切り、恥ずかしさをごまかすように顔をパシパシと叩いてきた。
普通の女の子となら、なんてことはない幸せな場面だけど、やたら力が強くて足にきてしまう。
「いたたた、お風呂って、なにする気なんだ。そういえば、カタナの叶えたい望みってなに?」
これ以上、叩かれると意識が持っていかれそうで話を変えた。
言い難そうに俺と階段に視線を交互に移して、けっこうな間を取って口を開いた。
「あのな、俺の望みは……」
「ピンポンパンポーン」
やっと決心をしたカタナの言葉は、バベルのダルそうな声にストップをかけられてしまった。
いい所で水を差され、カタナが壁を蹴飛ばし後にしろと怒鳴った。
「錬金術天秤、終了のお時間です。ちっ、4チームも残りやがりました。敗者はさっさとお帰りやがって、通過者は急いで階段を登りやがれです」
もう色々と隠す気のない不機嫌な報告をされ、俺もカタナも忘れていた疲れが振り返した。
どうやら、バベルの無茶な数減らしをクリア出来たのは、俺たちだけじゃなかったようだ。
「まだ、終わりじゃないのかよ。上げて落とすとかキツいんだけど」
「ちきしょう、確実にメガネたちも残ってるな。ぬか喜びさせやがって」
勝手に終わったと思い込み、レンズたちと戦わずに済んだと思っていただけに、落ち込み方がハンパじゃない。
さっきまで軽かった足が重くなって、階段を登るのを拒否し始める。
「行くか。ゲット、信じてる」
そんなことを言われれば、なにがなんでも勝たせたくなってくる。
だから、俺はなんでもすると腹を括り決めた。
「絶対に、カタナを勝たせてやる」
「あはは、カッコいいじゃん」
照れるカタナと気合いを入れ直し、階段を登り踊り場に立ち、あと2つと声を合わせ銀色の偉そうな扉を開けた。
正方形の殺風景な部屋に迎えられ、相手の到着を待っていると、対面の壁にある扉が開き、ヨロヨロと歩くベルとスクが入ってきた。
10階では2人の姿を見なかったが、それまでに余程の激戦を越えてきたのか、服は破れが目立ち血を流す傷が幾つもある。
ベルの今の状態を示すかのように、頭のウサミミは元気がなく折れ曲がり、諦めを口にして座り込んだ。
「ここまでのようですね」
「お母さん、やる前から諦めてはダメです。勝ちにいきますよ」
励まし立たせようとするスクも、ワンちゃんのようなケモミミと尻尾が疲労とダメージを表すように震えていた。
大丈夫かと声をかけようとする前に、早口なバベルの声が天井から降ってきた。
「ピンポンパンポーン。種目は公平身体機能。付加条件は、術と武器の使用禁止。加えて身体能力を普通の人間並に落とさせて頂きます。純粋に殴り合って、すぐに終らせて下さい」
面倒そうなバベルの声が止むと、俺以外に変化が起こった。
「なんだよ、体が重くなってきた。ゲットは平気か?」
「俺はなんともないよ。そっか、普通の人間並にとか言ってたから」
「ふぅ、この条件なら意味がないですね。ゲットさま、ご心配なさらずに、私は元気ですー」
ベルがウサミミをピンと立て、元気いっぱいに抱き付いて来た。
いつもなら、俺はされるがままのハズなのに、腕から伝わってくるのは死神ではなく、普通の女の子の力だ。
それに、血のりは絵の具で、ケガはしていなかった。
「バラさないで下さい、せっかくの弱ってるフリが台無しです」
「最初からイヤだったんです。ゲットさまに心配させてまでする作戦じゃないです」
「擬態も立派な作戦です」
「どうでもいいんだよ、狡いことしやがって。ゲットから離れろ」
カタナが俺からベルを引き剥がそうと引っ張り合うが、力が拮抗していて上手くいかない。
愛してますと抱き付くベルを、カタナは後ろに回りぶん殴った。
その後ろからチャンスとばかりに、スクがカタナを殴る。
「痛いです」
「いってえ、マジで効く」
「あれ、全力でやったのに」
殴られた方は予想外の痛みに、殴った方は威力の無さに困惑した。
これが普通の人間の身体かと、みんな理解したようだ。
「上等だ、やってやる」
「こちらもです。泣くまで殴るの止めませんから」
カタナとスクがポカポカとやり合い始め、俺とベルは壁まで下がり、腰を下ろして応援の形に。
「私は、ゲットさまとは戦えません。カタナさまとスクちゃんの、勝った方が先へ進めるとしませんか?」
「どうだろ、聞いてみないと。カタナ、どうする?」
2人は手を止めずに、それでいいと返してきた。
ベルは良かったですと言って、俺の隣にピッタリと体を寄せた。
この勝負なら命の危険はないし、ある意味で安心して見ていられる。
カタナの膝がエグい角度でめり込んだり、スクの肘がキツく叩き込まれるのを、俺とベルは応援しながら観ていた。
「聞いてもいいでしょうか。ゲットさまのお願いはなんですか?」
不意にベルが質問を投げ掛けてきた。
その穏やかな顔と声に、なぜか戸惑ってしまう。
「まだ考えてないかな。ベルは?」
「そうですか。私は、お米が1年分くらい欲しいです。娘が美味しいって食べてる所が沢山みたいです」
ベルらしい優しい望みを聞かされ、どこか懐かしい気持ちに胸の内をくすぐられた。
「えへへ、他の方からすれば小さな望みですよね。でも、死神の私には大きなものなんですよ」
いつだって頑張って仕事をしているのに、報われない給金しか貰えていない。
それなのに、どうしてベルは笑っていられるか俺には不思議だった。
だから、俺は単純に思ったことを聞いた。
「ベルは、幸せ?」
「もちろんです。自慢の娘が沢山いて、今は大切な旦那さまの隣に居られますから」
食い気味に返され、ベルの気持ちと答えが知れて嬉しかった。
「娘と言えば、イグちゃんとアクちゃんを見ませんでしたか? さっきの部屋で会えなくて心配してるんです」
「ごめん、俺たちと戦ってさ。でも、ケガとかはさせてないよ」
「それは仕方ないですね。あの子たちもそうですが、スクちゃんも、すっごく張り切っていたんですよ。お願いは教えてくれませんでしたけど。なにか聞いていませんか?」
「いや、聞いてないよ。でもさ、イグもアクもメチャクチャ頑張ってた。そうだ、負けた時にお母さんごめんなさいって言ってたよ」
ほのぼのと話をしている内に、カタナとイグの戦いが佳境を迎えようとしていた。
お互いに何発もの決定打を入れたが、どちらも意志でダメージを抑え持ちこたえていた。
「いい加減にしろ、もう寝ろよ」
「こちらのセリフです。勝つまで止めません」
2人とも足がガクガクと震え、そろそろ限界が近い。
身体能力が同じなら、勝敗を分けるのはなにか。
「勝つのは、俺とゲットだ」
「お母さんのタメに」
残った力を振り絞り、思いの全てを乗せて打ち合った。
突き出した腕を交差させ、片方が前のめりに倒れた。
「俺の……勝ちだ……」
立っているのは、カタナだった。
勝ったはいいが、青あざと腫れに塞がれた目線が定まらず今にも倒れそうだ。
カタナの元に走り肩を貸し、頑張ったねと勝利を称えてあげた。
ベルが気を失っているスクを抱き、お疲れ様でしたと頬を撫でた。
「ピンポンパンポーンっと。けっこう見ごたえありましたね。じゃあ、敗者はお帰りになって、勝者は前方の扉にどうぞ」
からかうようなバベルの声が届き、今までは無かった扉が壁に現れ口を開いた。
「ゲホッ、起きたらスクに言っとけ。誰かのタメだけじゃ、俺には勝てねえってよ」
そう、勝敗を分けたのは思う人の数だ。
スクはベルの1人だけに対して、カタナは自分と好きな人の2人分だった。
敗者は必ず伝えますと静かに頷き、勝者たちは片方が肩を貸し最後の戦いへ向けて歩き出した。