バベルの塔と……望み 5
レンズとクックを待っていたのは、1番に警戒をしていたチャルナとノワールだった。
序盤に当たるのは歓迎できない不運な組み合わせに、どちらも固まり微妙な挨拶を交わすことになった。
ぎこちなく一礼をする2人の頭には三角のキツネミミが生え、お尻の付け根にある太い筆に似た尻尾がスカートを押し上げている。
この組み合わせは全員に因縁があり、一方のチームは差が有りすぎる胸の辺りに腹を立て、もう片方のチームは過去の汚名返上の機会であった。
「これは、運が良いのか悪いのか。どちらでしょうね」
「はい、おそらくは後者ですね」
レンズとチャルナの頭には、先に備えての被害と体力の消耗を如何に減らすかしかなかった。
「僕たちが勝つからさ、ケガする前にこうさんとかしてくれないかな?」
「いつかの雪辱を果たさせてもらいますね」
「また僕が勝っちゃうんだよ。痛いのイヤだよね。止めておこうよ」
ノワールは申し出を聞き流し、唇を舐めて垂らしていた拳を握り締めた。
クックは始めから交渉が通るとは思ってはおらず、レンズが作戦を練る時を稼いでいるに過ぎなかった。
レンズとチャルナの長引く脳内会議を、緩く楽しげな声が終わらせた。
「ピンポンパンポン。種目は最終激突場面。付加条件は、攻撃は1度きりにして回避を禁じます。死力を尽くした1撃をぶつけ合い、制したチームの勝ちとなります。死なないように頑張って下さい」
少しでも次に繋がる戦略を組み立てていた2人が首を振り、クックとノワールは決意を目に宿した。
双方ともに余力を残す考えを捨て、相手を心配するのを止め戦闘の空気に切り替わる。
部屋の造りが石造りの壁から、表面に炎のゆらめきを孕む朱色の金属に変わった。
「今こそ修行の成果を披露する時です。施せますね?」
「うん。キレイにお化粧してみせる」
眼鏡に手を置く師に、1番弟子は爪先をトントンと鳴らし、背に飛び乗り呼吸を合わせた。
「ノワール、私では役不足ではありますが、案内を任せてもらえますか?」
「はい。母さまの示す路を走らせてみせます」
光栄な言葉に頷く娘が片膝を付き、自分を超えることを望む母が背後に回り体を寄せ合い、敵に向け狙いを定めるように両手を伸ばした。
そして、互いに全力を尽くす攻撃の準備を始めた。
「身血の呼気を重ね、我が矛を彩る盾の化粧を願い欲し……」
「えっと、心と精を溶け合わ……なんだっけ? うー、覚えてない。とにかく、足にお化粧する」
レンズお気に入りの技前の詠唱を、何度も読み合わせをしたにも関わらず、クックはセリフを忘れてしまっていた。
「ここはキメる所ですよ。あれだけ練習したじゃないですか。では、もう1度です。身血の……」
始めからやり直そうとするレンズに、クックが肩を叩いて危機を伝える。
「前見て。ほら、あっちもう危ないかも」
前方の敵の様子に目をやり、詠唱を諦め術式の開始を余儀なくされた。
「終わったら、セリフ合わせしますからね」
「わかった。じゃ息を合わせるね」
クックが首に回した手に力を込め、レンズの呼吸を計り同じタイミングで息を吸い止めた。
レンズが眼鏡を押さえ、右足を下から袈裟懸けに振った。
その速度は肉眼では追えず、まるで足が消えたように映り、時と音を置き去りにする爪先が空を裂き、軌跡を辿る真空の断裂を作り出した。
紙よりも薄い空間の傷が塞がる前に同じことを幾度となく繰り返し、右足を白く荒れ狂う雷と化させ、神さえ葬り去る力を集めた。
暴発しようとする力を維持し僅かずつ速度に緩急を付け、くるぶしより下のみに集中させ、レンズの最大の攻撃である神去の仕込みを整えた。
その時を待っていたクックが、レンズを自身の一部として黒盾を発動させる。
右足を染め上げていく黒と抗う白が溶け合い、艶を持たない漆黒の雷を生成した。
「上出来です。そのまま気を抜かずに」
「大丈夫、最後までやれるよ」
右足に纏わせる禍々しくも美しい黒雷を従え、至高の一撃を放つべく敵を睨み、2人の唇に同じ笑みが浮かんだ。
「緊張してはいませんか、リラックスです。くれぐれも、宣誓の咒を違えてはなりませんよ」
「もちろんです。母さまが側に居てくれるのなら、私はなんでも出来る気がいたします」
我が子の成長を嬉しく思い、自分にはなかった才能が開く予感に胸が踊った。
いつかはこの力を1人で使えるようになり、死神として名を残すことが出来ると信じて、言の葉に咒を乗せた。
「導くは陽に忌避されし轍にして、帰結は月に愛でられし別離への断崖。我の示す終への絶望を見詰め、揺るがぬ誓いを糧に矢を疾らせよ」
「我は咎人を喰らう一縷の鏃にして、陽を拒絶し月の導きに従い終の途を疾るを誓う者なり」
想いを合わせ、ともに空間移送を発動させる。
チャルナの伸ばした両手に蒼白い光が渦を巻き、球の形を得て留まった。
それは昼を照らす温かなものではなく、孤独な夜に降り注ぐ月の冷たさを持っていた。
手のひらの大きさに収束される光の渦の回転が速く鋭くなり、楕円に細らせ先を尖らせていく。
チャルナは一瞬たりとも途切れぬ連続の空間移送を行い、両手の間に次元の狭間とこの場を行き来させ粒子を加速させるレールを作り出していた。
緻密に計算された粒子加速機というべき路は、予想もつかない方へと伸び曲がりミスを誘ってくる。
ノワールは次の次までを先読みし、チャルナが示してくれるレールから外れぬように空間移送で粒子を疾駆させ、加速させることに集中した。
やがて、光が楕円を経て細くなり一条の矢の姿を獲得するに至った。
チャルナが加速路を閉ざし、ノワールが目映く輝く蒼白い矢に手をかざした。
「よく頑張りましたね。まだ、気を抜いてはなりませんよ」
「解っております。照準は母さまが、引き金は私が弾きます」
矢の出来に満足した造り手たちは、敵を視界に収め唇の端によく似た微笑を浮かべた。
同時に必殺の武器を携え、全員が優劣を決める瞬間に備えていた。
止めるとは誰も言わず、今生の別れになる可能性に胸が締め付けられた。
微かな静寂を別れの合図に、射手を務めるレンズとノワールが技名を叫び、覚悟を決め力を解き放った。
「矛盾粧が1塗、黒布都雷刃」
「全過を貫く孤矢、蒼月光加速弓」
放たれた蒼矢を黒雷が迎え打ち交差し、熱を持たない衝撃が部屋のみならず塔そのものを揺さぶった。
急激な消耗に意識を失う娘を力の入らない腕で抱き止め、チャルナは勝利を信じて敵を見据えた。
貫かんとする矢と、切り裂こうとする剣のせめぎ合いにレンズの右足が悲鳴を上げ喚き散らした。
敵の力が予想を軽く超えていた誤算に、背にしがみつくクックの顔が険しくなる。
「この矢は重すぎ……ます。クック、更なる黒を……」
「やって……るよ」
2人で1つと信じたハズが、敵に押され自らの敗北のイメージに取り憑かれ、弱気の虫が助けを求め彷徨った。
ジリジリと後退させられていき、レンズの心に考えてはならないことが過った。
カタナとだったら、完璧なものになったのにと。
「レンズ。今は僕となんだよ」
背から伝わる思いにクックは涙を溢し、レンズの眼鏡の弦を両手で持ち哭いた。
次の瞬間、右足に纏う黒雷が勢いを増し稲妻と姿を変えレンズを驚かせた。
言葉では伝えられない感謝をクックに捧げ、レンズが叫び右足を振り切り、絶大な力を有する矢を中心から切り裂いた。
2つにされた矢が甲高い音を響かせ、背後の壁に穴を穿った。
そして、まだ足りないと蠢く黒雷が斬線を伸ばし、動けない獲物に襲いかかった。
「チャルナ、避けて」
チャルナに空間移送を操る力は残ってはおらず、迫る死から逃れる術がないと悟り、娘を抱き締め目を閉じた。
無慈悲な黒雷が敵を呑み、道連れを求め壁に亀裂を残し虚空に消えて行った。
外から吹き込んできた風にクックは前髪を触られ、滲む瞳と一緒に払った。
「2人とも……行っちゃったね」
顔を背けていたクックが降り、レンズが崩れるように膝を付いた。
「ええ、もう会えないと思うと……。いえ、さよならです……」
「言い難いのですが、生きてますよ」
背後からの不意の答えに、レンズもクックも唖然として振り返った。
そこには、ぐったりとしたチャルナとノワールの姿が。
「死に損ないました。前にも死んでいるので、2度はムリみたいですね」
「え、どうやって……。まあいいです。しぶといですね」
「よかったね。うん、ほんとよかったよ」
「ふふ、私には勿体ないくらい自慢の娘で助かりました。死の間際にノワールが空間移送で避けてくれました」
ぐっすりと寝ているノワールの頬を撫で、チャルナは娘の自慢を口にした。
誰も死なずに済み笑い合う中に、唐突に現れたバベルが加わった。
「いつつ、緋々色金の壁を壊すなんて」
苦しそうに腹を押さえ、壁に開いた亀裂と2つの穴に恨めしそうな視線を送った。
それから、如何にこの部屋がお気に入りで、壁の金属が希少かを文句を交えて捲し立て、勝敗の審判を決した。
「レンズさんとクックさんの勝ちですね。部屋を壊されたのは計算外ですが、いいものを見れたので、特別に許してあげちゃいます。勝者は右の扉へ、敗者は左の扉へどうぞ。休憩とかはナシなんですぐに行って下さいね」
そう言い残し、バベルは手を叩きながら消えた。
まだ序盤だというのに、死力を尽くした攻撃にレンズもクックも体力の消耗が激しく、息が整ってはいなかった。
「休む間は与えられないようで安心しました。この先、私の最も強い娘と当たると思いますので、削る役は果たせて本望です。それと、クックさま、ファルクスが宜しくと言っておりました」
レンズはこの2人より強いと称されるのは誰かと残る姉妹に思いを馳せ、クックは前に出会ったマスクを着けた死神を思い出した。
「そっか、ファルは元気かな」
「はい、未だに恥ずかしがってマスクは取りませんが、とても元気ですよ。それでは、お気を付けて」
まだ立てそうにない敗者が手を振り、勝者たちは震える足を前へ進め、次なる戦いに続く扉を開けた。
「まだ冷たくて痛いな、ゲットは?」
「冷た過ぎて感覚ないよ。でもさ、さっきの地震なかったらヤバかったな」
2戦目を運だけで乗り越え、俺とカタナは階段を登りながらお尻を擦っていた。
戦いで負ったダメージが抜けず、尻尾の有り難みといらなさを噛み締め、先程の苦しみを思い返す。
俺たちがやっていた種目は、凍獄寒ドミノ。
氷よりも冷たい床にお尻をピッタリと着けて、より多くのドミノを立てた方が勝ちという、罰ゲームのようなことをさせられた。
「尻尾ありがとな。俺の方がお尻が大きいからよ、マジでまいったわ」
「いやいや、新しい楽しみをありがとう。犬で良かったワン」
材質は解らないが、冷たく体温を奪いに来る床に、スカートのカタナと尻尾のせいで腰パンの俺は不利すぎて泣きそうだった。
それに引き換え、相手の死神たちは寒がりだったらしく、ズルいことにパンツスタイルな上にタイツを履いていた。
冷たいを通り越して痛い床に10秒と座っていられず、咄嗟に立てた作戦が、俺の尻尾を座布団の代わりにしてカタナがドミノを立てるというものだった。
いくらかはマシなカタナと、幸せな重みを尻尾に感じ我慢するしかない俺は、寒さで凍えながら必死に頑張ったが、相手の方が遥かに速かった。
制限時間が迫り敗けを覚悟させられ、もういいやと投げやりになり待っていた。
だが、あと数秒という所で幸運なことに地震が起こり、お互いの成果をゼロまで戻してくれた。
努力の結果をぶち壊された死神たちは放心状態になり、俺とカタナが時間ギリギリに1つのドミノを立て勝つことが出来た。
「やっぱりよ、俺たちはツイてるな。この調子で行こうぜ」
「何度もこんな上手く行かないって。それより、レンズとクックはどうしてるかな」
あの2人が負ける所が想像すらできなく、凍えの抜けない体で階段を登り切り、次はどんな罰ゲームをさせられるかを考えながら扉に手をかけた。