四月末、仮進路相談
四月最後の話になります。
「それで、結局泊まっていったわけか……」
「そりゃそうだよ。遥ちゃん可愛かったよー。私が男なら放っておかないね」
「勇太の場合、そのセリフが洒落になりませんからね」
先日のお泊り会にはノータッチだった心葉が肩をすくめる。
三人はお茶など飲みつつ歓談中である。
勇太と郁己の目の前には、進路相談用紙。
城聖学園の進路相談は、春と秋の二回。
春には仮の進路相談ということで、おおまかな二年目のスケジュールを立てさせる。その上で、目指すべき着地点を曖昧にでも設定させて、目標を意識させるのだ。
なので、毎年の学園本校の卒業者で、進路未定者はゼロである。
少人数教育だからこそできる、きめ細やかな対応と言えよう。
「それで、勇太はどうするつもりですか?」
心葉は、未だ進路相談用紙が白紙の兄……いや、姉をじっと見つめる。
彼女は結構辛辣な意見も言うので、勇太が下手な進路を書いたら、何やら激しいツッコミを受けそうな気配がした。
だから勇太は、書き出していないのだろうか。
「いやあ……迷っちゃって。一応大学かなーって思ってるけど、道場を継ぐっていうのも考えてるし……」
「素直にお嫁さんって書けばいいんですよ」
心葉の一言で、郁己と勇太がカチーンと固まった。
「なななっ、ななななななな、なぁーにを言ってるんだ心葉ちゃん、まだ就職だってしてないのに」
「そぉっ、そーだよお……! まだ十八歳で結婚とか、早すぎるんじゃないかなーと私は思う訳で……」
二人の物言いに、心葉はうんうんと頷く。
「つまり二人共、嫌ではないということでしょう? なら書くだけ書いておいていいんじゃないですか。進路ってそういう選択肢もありだと思うのですけれど」
「お、おおっ、お嫁、さん……!!」
勇太の持つ鉛筆がぶるぶると震える。
そりゃあ、郁己と一緒にいる時に、意識しなかったと言えば嘘になる。
だが、そんないきなり人生の選択が来るものだろうか。
こういうものはもっと、ゆっくりと選択肢を吟味しながら……。
「あら、私が勇太と心葉を産んだのも二十歳前だったわよ」
どーん、と爆弾発言しながら現れたのは、金城家の母、律子さんである。
今日の道場での稽古が終わったらしい。
夕食の支度前に一休みと、三人が座っている卓袱台につく。
「お母さんも……!?」
「も?」
ニヤニヤ笑いながら心葉。
勇太は真っ赤になって、両手を振り上げた。
「んもーっ!! からかわないでよー!!」
「でも、私は中学生の頃に尊さんと出会って、その頃に尊さんは大学生だったわ。それで、たまにやってくるあの人と仲良くなって行って、最後はあの村を出て結婚したのよ。高校卒業と同時だったかしら」
大恋愛の末の結婚というやつだろうか。
勇太から見て、父は玄帝流とは別流派の人間である。
本家の一人娘である律子が他家に嫁ぐというのは、色々な障害があったのではなかろうか。
「そうね、結局家は分家が継ぐことになったわ。だからこの道場も、勇太と心葉が成人したら畳むつもり」
以前言っていた、尊と一緒に海外へ、と言う話だろう。
他人事ではないので、郁己も真剣な面持ちで聞いている。
彼の進路相談用紙には、しっかりと目指す大学の名前が書かれていた。
金城尊教授が在籍する一流大学である。
「私だって、子供を産んでからも、大学の聴講生をやったりして自分なりに勉強を楽しんだわよ。今から人生のレールに乗ることを考えなくても、レールの外にはたくさんの選択肢があるわ」
踏み出すのはとっても勇気がいるけどね、と、律子はウィンクした。
つまりどういうことかと言うと。
高校卒業と同時に勇太が郁己と結婚したければ、一向にかまわないという……。
「む、みゅみゅー……」
勇太が頭から煙を吹く勢いで、真っ赤を通り越して猛烈に赤面した。
髪留めをしていない頭は、ふんわり広がった髪型をしていたのだけれど、感情任せにくしゃくしゃかきむしるので爆発したみたいに広がった。
「もうだめえ……私考えられないよう」
顔を隠してさめざめと泣くフリ。
「勇太、ファイトだ。がんばれ」
「郁己も他人のふりするなあ」
「そうですよ。郁己さんは男らしく勇太を迎え入れてあげればいいんですよ」
「郁己くん、勇太をよろしくね」
「ううっ」
未来の姑と小姑からの猛攻に、郁己はたじろいだ。
あとは本人の気持ち次第というやつである。
結局勇太は、文芸を学べる短期大学の名前を書いて、恥ずかしそうに、一番下に結婚と書いた。
そして、勇太と郁己は恥ずかしさで、二人揃ってのたうち回るのであった。
学校。
「ひえええええ!!」
「きゃああああ!!」
夏芽と麻耶が、勇太の用紙を見て赤面しながらのたうち回る。
「ああ、ある意味すごいわこれ」
「そ、そうよ。今時こんなはっきり書けないよう!? まあ慎み深く第三志望だけど……」
麻耶の目線が、奥で上田と下山ともう一人の生徒とで、何かくだらない談義に猛烈に盛り上がる郁己へ向いた。
最近、新生坂下組に加わった、国後という思慮深げな男だ。無口で何を考えているか分からないが、時折大時代的な言葉遣いで物を言う。脇田理恵子を好いているらしい。
郁己、ふと麻耶を見返す。
首を傾げた。分かってない。
「ねえ金城さん、これってさ、実は第一志望……」
「わーっ! わーっ!!」
「何がわーなの?」
楓がレヒーナを連れてやってきた。
レヒーナは後続の理恵子と、何やら日本語の概念が怪しくなりそうな会話をしている。
「いいところに来たよ、水森さん! うちは大変なものを見てしまったのよ……!」
麻耶がいつの間にか勇太の進路相談用紙を手にしていて、慌てる勇太を尻目に、楓はバッチリ用紙に目を通す。
そしてにっこり笑った。
「うん、素敵だと、思うよ。勇ちゃん、坂下くん、大好きだもん、ね。ずーっと一緒の二人、だから、絶対うまく行くと思う」
全面的な応援が来た。
何故かその横で、レヒーナがガーン!!という顔をしている。
「Santocielo! ユーはもうMatrimonioナノ!? 早いヨー!! イタリアでもそんなに早くないヨー!!」
「い、いやだなレヒーナ、まだ決まったわけじゃ」
言い訳しようとする勇太に、夏芽と麻耶と楓がニコニコした顔を向けている。理恵子がニコニコしているのは多分何となくああいう顔しているだけだ。
「そ、そうだ! ボクがユーをモノにしちゃえばいいんだね……!! ユー! ボクはやるよ! だからその唇をボクにちょうだい!!」
「えっ、え!? う、うきゃあああああ!? やめて、やめてレヒーナぁー!?」
突然ハッとしてから、電光石火の勢いで勇太を押し倒したレヒーナに、教室騒然である。
互いに伯仲する武道の腕の持ち主ではあるが、電撃作戦を成功させてマウントを取ったレヒーナが有利なのだ!
パワーで遥かに優るレヒーナに押し倒され、勇太は本気で貞操の危機を感じた。
「た、助けて郁己――――!!」
坂下郁己は凡人であった。
だが、やるべき時はやる男である。
やるべき時が来た時、彼は達人を凌駕する動きをする。
レヒーナが気づいた時、目の前にそいつの顔があった。
勇太とレヒーナの間に割り込むように顔を差し入れたのだ。
「勇太の唇が欲しいなら、まずは俺の唇を奪ってからにしてもらうぜ!!」
そして、んーっとタコ口になる。
レヒーナの脳裏に、去年の夏のほっぺにチュっとした事件が蘇った。
トラウマである。
「あああああっ!? ボ、ボクが悪かったよ! だからその顔で迫らないでえええ!?」
すごい勢いで飛び上がって、床に尻もちをついた。
郁己は勇太を助け起こしながら、
「恐ろしい相手だった……」
冷や汗を拭う。
まさか敵はこんな身近にいたとは……。
「ウウー……負けないゾ……!」
何故か対抗意識を燃やされているし。
勇太としては、自分がヒロインの位置にいるのが理解できずにいた。
押し倒された驚きより、この立ち位置の座りの悪さが気になって仕方なかったのである。
ちなみに勇太が提出した、仮進路相談用紙は見事に受理されたのである。
むしろ和田部教諭が必要以上に盛り上がっていたことだけを書き加えておこう。
二年目では、勇太サイドの心理描写が主になってくる予定です。
一年目では郁己の心理描写をメインにして行きましたので、今回は徐々に膨らんでいく乙女心をお楽しみいただければと。