桐子の誘惑、GWにご用心!?
坂下郁己が目覚めると、もう良い時間だった。
昨夜はPCなどいじりつつ、まったりしていたら深夜になってしまっていたのだ。
ぼんやり布団に潜り込み、いつ寝たのかは覚えていない。
「最近勇太に付き合って、健康的な時間に寝起きしてたからなあ……」
何やら体が重い。
勇太と朝の稽古や運動をすることがある場合、結構な早起きになる。
すると、日付が変わる前には寝ないと体がもたない訳である。
頭がぐらんぐらんする感覚で起き上がり、ふらふらと下の階へ降りていった。
すると、何やら見覚えのあるような無いような可愛らしい女性が、玄関に立っているではないか。
彩音が振り返り、
「郁己、なんか女の子が来てるんだけど」
「は!?」
本城桐子である。
心葉の同級生で、都立高校の二年生。
ふんわりヘアにアクセを付けて、今日はなかなか女子力が高い格好。
男心というものを知っている気配がする、結構な美少女。
三月に、勇太と心葉の誕生会で初めて遭遇。何やら郁己は好かれてしまったらしい。
「こりゃまた失礼な格好を」
寝間着のジャージ姿だった郁己は、さっさと洗面所の篭もり、顔を洗いながら考えた。
「何故、彼女はここにいる……?」
郁己とて既に恋人のある身である。
いかな美少女が突然押しかけてきたとて、容易く心は揺らがない。
何せ恋人である金城勇太は非常に可愛らしく、そこらの美少女では太刀打ちできない……と郁己は思っているからだ。
チェックのシャツにジーンズに着替え、まだ肌寒いので、袖なしの黒いベストを羽織った。
ふらふら出てくると、もう家に上がり、今で寛いでいるではないか。
「お邪魔しています」
いやいや、お邪魔してるじゃねえよ。
君は一体何なんだ、と郁己は戦慄を覚える。
「今日、坂下くんはご予定がないと伺って、お誘いに来ました」
「あ、アポ無しでですか」
「私、坂下くんの電話番号知りませんし」
そう言えばそうであった。
しかし、こんな時間に完全装備でやってくるなど、大した行動力である。
綾音が面白そうなものを見る目をこちらに向ける。
「せっかくなんだし、遊びに行ったら?」
「いや、俺は、勇太……勇と遊びに……」
「金城さんのお姉さんなら、金髪のお友達が誘いに来て出かけていったようですよ?」
「レヒーナ! あの金髪めえ」
彼女が勇太に見せる執着は、もう友人関係を通り越して恋に似たものを感じる時がある。
勇太の貞操が危ないのではないか、なんて考えた。
「しゃあない、出かけるのに付き合いますよ」
その実は、勇太探しだ。
どこに遊びに行ったのかをまずは心葉に聞いてみよう。
「勇とレヒーナさんですか? なら、商店街に行きましたけど、恐らくは都心まで出るでしょうね。ちょっと待っていてください」
心葉が奥に戻っていき、スマホを持ってきた。
誰かと連絡を取っている。多分勇太だろう。
「ああ、新宿にいるようですね。こんな混みあう連休に都心とか、全く気持ちが分からないんですけど」
「分かった、ありがとう」
「じゃあね、金城さん」
「ええ。本城さんも。……あと、今までの方と一緒だと思わないほうがいいですよ」
心葉がサラッと口にした言葉で、桐子の眉がピクリと動いた。
ちょっと怖いぞ、と思う郁己であった。
都心へ向かう電車の中なのだが、困ったことに会話がない。
合う話題と言えば、互いの学校の話や勉強のことなのだが、正直連休になってまで、郁己はそんな話をしたくはなかった。
だが……無言というのも気まずすぎるだろう。
否応なく、そういう話題を口にせざるを得なくなった。
桐子は、道を歩けば十人に三人から五人が振り返るレベルの美少女である。
本人もその容姿を分かっていて、十全に活用しているように思う。
きっと彼女に泣かされた男たちは、片手では数えきれまい。後で彼女の詳しいキャラを、心葉に聞いておかねばならない。
だが、郁己は知っている。
道を歩けば、十人に七人が振り返るレベルの美少女が身近にいる。
勇太である。最近彼女と知り合った、彦根麻耶もそうか。さらに、十人に九人強が振り返る、脇田理恵子というモンスターもいるが、あれは別格なので数えない。普通に芸能人よりも可愛いとかおかしい。
ともかく、魅力とは外見だけではない。
内から溢れ出てくる性格だとか、眼に見えない人間性があって、それがまた本人を輝かせるものである。
その点、桐子は外見のパワーだけで乗り切っているように、郁己には見えていた。
「坂下くんは、普段どんなお店に行くんですか?」
「お店って? 食べる所?」
「ブティックとかですよ。私は~……」
彼女のペースで話が続く。
郁己としては面倒くさいので、話に合わせて、肯定と同意を繰り返すわけである。
だが、なんだかその反応が、桐子からの好印象を引き出してきているようで空恐ろしい。
生返事絶対許さないガールの勇太に慣れていると、感覚が違ってどうも調子が狂う。
どうも居心地の悪い時間を数十分味わいながら、都心へ。
ちなみに電車は混んでいたので、郁己は桐子を座らせて、自分は向かい側に立っていた。
こういう時、勇太なら一緒に並んで立ってるなー、なんて思いつつ。
新宿である。
いやになるくらい人が多い。
東口から、歌舞伎町を横目に見つつ、彼女が好きそうな店を冷やかして歩く。
新宿二丁目辺りは、割りといい感じの店もちらほらあるのだ。
ちなみにこっちに来ているのは、歌舞伎町のラーメン屋に勇太が入ったという続報が心葉から寄せられたからだ。
あの年頃の娘さん二人は、堂々とそういうところに入るのだ。
桐子と他愛もないお喋りをしつつ、ウィンドウショッピングをしながら時折周囲を伺う。
周りから見ると、カップルに見られているんだろうな、とか意識はしてしまう。
これだけ人通りが多い街だと、かなりの人数が桐子をチラチラっと見て行くのだ。
もしも彼氏だったら、ちょっと自慢気になってしまうところだろう。
この中に理恵子を放り込んだら……と郁己は考え、モーセの十戒の光景を想像して考えるのをやめた。
勇太が男たちに注目されるのは、考えるのも不愉快なので考えない。
「どうしたんですか? 坂下くん、なんだか楽しくないみたい」
楽しくはないよ!? とは思っても、口にしないのが郁己である。ジェントルマンである。
「いやあ、普段は都心までこないからさ。流石にGWになると、すごい人混みだよねって思って」
「ああ。そうですよね。ほんとうに人が多くて、男の人も振り返ってくるから嫌になっちゃう」
うわー、と郁己は内心で引いた。
意識するくらいには美人だから仕方ないけどなあ。
店から出て、並んで二人で歩く、
腕は絶対に組まない。そんな関係ではないからだ。だが、虎視眈々とそれを狙われている気配がして、背筋が寒くなる。
辿り着いた横断歩道。
ごちゃごちゃ並んでいる人々の中に、ふと、郁己は見知った顔を見つけた。
まさかこれだけの人間がいて、会えるとは。
「いーくみー!!」
でかい声がした。
おいばか、やめろ。郁己は焦る。
「なにしてんのさー!」
注目される。彼女が。
桐子の目が丸くなり、細められた。あ、ちょっと悔しそう。
大声を出して、肩を怒らせている勇太に、周囲の人々は最初は奇異な視線を向けて、すぐにそれは、目を離せなくなった類の注目へ変わる。
たった今、プロにスカウトされかけた可愛らしい少女がそこにいる。
隣りにいるのも、スラリとした日本人ウケしそうな、金髪の美少女である。
一気に、雑多な交差点が華やいだように思えた。
だが、郁己の内心は違う。
彼は小さくつぶやいた。
「勘弁してくれえ……」
修羅場の香りだ……!!




