街~宿屋の少女~ 2
遅くなりました
すみません
「月が綺麗ね」
夜空を見上げて、ユウが言う。僕は軽くうなずいた。
「そうだね」
「星も綺麗」
つぶやくようにそう言って、ユウが星空に手を伸ばす。塔の上から見上げる星空は、掴めそうなくらい近く見えるのに、ユウの手は何も掴めず、ゆっくりと下ろされた。
「ねえ、レム」
「なに?ユウ」
呼ばれて、ユウの顔を見る。ユウはこちらを見ず、星空を見上げたまま言った。
「私ね、今日お父様から聞いたの」
「……何を?」
「私の役目について」
「――役目?」
聞き返したが、ユウの背負った役目については知っていた。しかし、ユウにそれを教えるとは――。
もっと憤りを覚えると思っていたのに、心はあまり乱れなかった。感情が許容範囲を超えてしまった結果なのか、はたまた僕が薄情なだけなのか。
ユウも、僕がすでにその件について知っていることを察していたのだろう。僕の無意味な問い返しには、なにも返さなかった。
「でも、前から少しおかしいとは思ってたのよね。ショックじゃなかったって言えば嘘になるけど、でも今はなんだかすっきりした気分かな。腑に落ちたって言うか」
彼女の透明な声が、僕の耳を滑っていく。その時僕は、どんな顔をしていただろう。
「……大丈夫?」
それしか聞けない自分が情けない。ユウはこちらを向いて、にっこりと微笑んだ。
「大丈夫よ」
ああ、僕は二度とその顔を忘れることはないだろう。強くて儚い、彼女の表情を。
その時の僕は、必ず助けるとは言えず、ただうつむいた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
……最悪な、懐かしい夢を見た。あれはいつのことだったか、すでに記憶にはない。ただ情景とユウの表情だけが、いつまでも脳にこびりついて離れない。
あまりの気持ち悪さに、顔をぬぐう。手のひらが、尋常ではない量の汗でぬれた。寝苦しかったわけじゃない。今の夢のせいで掻いた冷や汗だ。
ちらりと隣のベッドを見る。彼女は布団にくるまり、すやすやと眠っている。僕は一度目を閉じて「ごめん」と言った。
部屋に置いてあった濡れタオルで汗をぬぐい着替え終わる頃には、部屋の窓から朝日が薄く差し込んできていた。ちょうどいい頃合いだ。
朝ご飯はとったほうが良いだろうか。いやしかし、今から行く場所が穏便に済むとは考えづらい。体が重いままじゃ、動けなくなるかも……。
そんなことを考えながら一階に下りると、悲壮な顔をしたニノさんが、すっかり外出できる格好で書置きらしきものを机の上に置くところだった。……何やってるんだか。
「ニノさん?」
「はっ、はいっ」
裏返った声を上げて振り返ったニノさんは、僕の姿を見てあわてて逃げ出そうとしたが、意味のないことだとすぐに気付いたのかうつむいた。
「えと、ニノさん?」
「……」
まいったな、これじゃ僕が虐めているみたいだ。黙ってしまったままのニノさんに、どう声をかければ良いものか。
頬を掻きつつ、ニノさんが置いた書置きに目を通す。まあ、内容はだいたい予想どうりだった。自分のことは自分でやる。僕らを巻き込むのは心苦しい、か。
少し迷った後、彼女の頭に手を乗せる。うるんだ目で見上げてくるニノさんの顔が、なぜだかユウの顔と被った。ユウの頭に手を乗せたことなんてなかったけれど。
「大丈夫です、ニノさん。昨日も言いましたが、僕が必ず何とかします。心配しないでください。僕は大丈夫ですから」
頭を撫でつつ、なるべく優しい声音を意識する。慣れないことをやるせいか、言葉が少し拙くなってしまうが、仕方ない。
ニノさんはしばらく無言で僕に撫でられていたが、やがて僕から一歩離れてうつむくと、言った。
「お願いします……ごめんなさい」
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「……ここか」
メリー通りの誰も住んでいない壊れた屋敷。間違いない。ニノさんに場所を聞いていたので迷う心配はしていなかったが、それでも無事たどりつければほっとするものだ。
しかし、やってきたはいいがどうしよう。半壊した屋敷を見上げる。
一応、玄関付近は崩れていないようなので、屋敷の中に入ることはできる。が、ここは十中八九、傭兵の大男たちが根城にしている場所だろう。勝手に入っていいものなのだろうか。
屋敷の前で考え込んでいると、屋敷の扉が内側から開いた。中から昨日の大男が出てくる。
「なんだ坊主。なんか用か……って、お前は昨日の……」
大男の目が警戒で細くなる。とりあえず「おはようございます」と言っておいた。
「……何の用だ?」
「ニノさんの代わりに来ました」
「ニノ……って宿屋の娘か。お前、あの娘となんか関係あるのか?」
「関係……って言うほどでもないですけど、昨日泊めてもらいました。まあ、客ですね」
大男は意味が分からない、という顔をしたが、やがて首を振った。
「まあ、いい。話は後だ。入れ」
そう言って扉を開ける。僕は軽くうなずいて、屋敷に足を踏み入れた。
広がっていたのは、予想通りの光景だった。玄関から入ってすぐの空間は広い。元々は大広間とかそんな感じだったのだろう。しかし、その広い空間の半分ほどは瓦礫で埋まっていた。崩れた屋根の隙間から入り込む朝日で、照明もないのに妙に明るい。
辺りを軽く見渡していると、大男は「こっちだ」と言って、玄関のわきの薄暗い通路に入った。見失わないように、後に続く。
案内された先は、細い通路の行き止まりだった。一見何もないように見えるが、よく見ると違う。地下へとのびる階段がある。
……なるほど、いいカモフラージュだ。薄暗い通路で、この階段はわかりづらい。隠れ家にはもってこいというわけだ。
「ここに地下へ入る階段がある。分かるか?」
大男が階段を指差して言う。僕は軽くうなずいた。
「そこから下に降りてくれ」
「……分かりました」
うなずいて階段の入り口に行く。大男は僕の後ろに陣取った。……慎重なことで。
階段を降りようと足を踏み出すと同時に、大男の手が僕の背中に添えられた。突き落とされるのか、と一瞬体が強張ったが、特にそんなことはない。後ろを軽く窺うと「早くいけよ」と大男に急かされた。
階段に足を踏み入れてみると、すぐに大男の先ほどの行動の意味が分かった。
暗い。一寸先すら見えない真っ暗闇だ。確かにこの暗闇の中では視覚は意味をなさない。僕を逃がさないように、触覚で僕の動きを探っているのだろう。
手を両側の壁につけて、足先で次の段を探りながら進む。目から入り込んでくる情報がなくなると、ほかの感覚が急に鋭敏になったような錯覚にとらわれる。両手から伝わる石壁のざらざらとした触感が、妙に心をざわつかせた。沈黙が少し辛い。
「ここって、地震以前は誰が住んでいたんですか?」
後ろに問いかけると、少しの間の後、大男の声が返ってくる。
「……知らんな」
「無断で住んでるってわけですか」
「別に住んでるわけじゃねえよ。時々、間借りしてるだけだ」
大男の声が、少し怒気を帯びる。この話題は、切り上げたほうがよさそうだ。僕は口をつぐんだ。
階段はそこまで長いわけではなかった。降りきったところにあった扉を、大男の許可を取って開ける。
薄暗い部屋だ。天井についた照明の魔道具が機能していないせいだな。部屋の中心に置かれたランタンが、うすぼんやりと部屋を照らしている。淀んで溜まった生暖かい風が頬を撫でる。
部屋の中には五、六人の男たちがいて、僕を見て呆気にとられたような顔をしていた。まあそうだろうな。本来ならニノさんが来るはずだったのに、やってきたのは誰だかわからない男だったのだ。
一瞬、部屋を妙な沈黙が包む。彼らは何を言っていいのかわからないのだろう。僕から言うことは、特にない。
沈黙を破ったのは、僕の後から入ってきた大男だった。
「――みんな、聞いてくれ」
部屋にいた男たちの視線が大男の方へ向く。……ふむ、どうやらこの大男がリーダー格らしい。注がれる視線に、若干の敬意に似たものを感じる。リューの奴が、良くこんな視線を受けていた。
「こいつはどうやら、宿屋の娘の代わりに来たらしい」
大男の言葉に、男たちが軽くどよめく。それを大男は軽く手でとどめた。
「言いたいことはわかる。だが少し待とうじゃないか。この小僧も、何も考えずに来たわけじゃああるまい。少し小僧の話も聞いてみようじゃないか」
大男はそう言うと、視線をこちらに向けた。
「さて、小僧。名前は?」
「……レム」
「そうか。ではレム、お前は俺たちが、宿屋の娘――ニノとか言ったな。あいつに何を求めていたか、分かってるんだろ?」
ニノさんの体、だろ。
「はい」
「そりゃ、結構」
大男が満足げに首を縦に振る。「だが、実際はニノの代わりにお前が来た。このままでは、俺たちは目的を達成できない。だから、あの金は返せない。分かるな」
「……感情面を別にすれば、はい」
僕がそう言うと、大男は笑った。
「はっは、素直なのは嫌いじゃない。面倒くさくないからな。――では、単刀直入に行こう。お前は俺たちに何を差し出せる?」
盗みを働いといて、よく言う。だが、それがまかり通っているのが、今の世の中だ。僕は内心、ため息をついた。
この大男は、昨日の商店の護衛をしていた。昨日のあの店主の怯えようからすると、おそらくこの男は僕のことを聞かされているだろう。その時に、あの店主が知り得る限りの僕の情報を与えたのだろう。
だとすれば――
「あなたが欲しいのは――」
言いつつ、右手をすっと前に出す。部屋の男たちは警戒するように後ずさり、大男はにやりと笑った。
「――これでしょう?」
右手に現れた砂時計を見せる。大男はますます笑みを深くした。
もちろん、大男が欲しいのは砂時計なんかじゃない。ボックスだ。周りの連中もそれを察したのか、驚き半分喜び半分の声を上げる。僕が昨日、商店で使ったのは、ボックスではなく魔法の一種だが、僕は実際にボックスを持っている。ただ、魔法で代用できるから使っていないだけだ。だから、彼らにボックスを与えることはできる。けど――
「よく分かってるじゃねえか」
大男が機嫌よく言った。
「てめえが持ってるボックス。それをここにおいてけば、ニノの金は返してやる」
そう言って大男は僕に手のひらを差し出す。僕は大男に向かって首を振った。
「ただではあげませんよ」
「あ?」
「だって考えてもみてください。どう考えたって金額が釣り合っていない。そんなことするくらいなら、僕がボックスを売って、ニノさんに金を渡しますよ」
そんなことも分からないのか、という意思を込めて見返すと、大男は不機嫌そうに唇を曲げた。
「ふん、なら貴様はなんでここに来たんだ?」
「……ゲーム、しませんか?」
にっこりと笑ってみせると、大男は警戒するように身を引いた。失礼な。
「……ゲーム?」
「ええ、ゲームです。僕が賭けるのはボックス、あなた方が賭けるのはニノさんのお金。買った方が総取りです」
そう持ちかけると、大男は迷うように視線を宙にさまよわせた。
おそらく彼は迷っているのだろう。彼はこの場合、僕の提案を蹴ることはできる。ニノさん本人が来ないと金を返す気はないと突っぱねればいい。その場合、僕個人ではどうにもできない。
しかしその場合、僕が先ほど言ったようにボックスを売って、そのうちのいくらかをニノさんに渡すことで問題は終了する。この男たちの手元にはニノさんから盗んだ金だけが残る。当初の目的であったニノさん本人も手に入らず、僕が持っているボックスも手に入らない。
安全に金だけをもらっておくべきか、多少のリスクを乗り越えて多額の富を狙うべきか。二つを天秤にかけるには、今現在の状況はあまりに情報不足だ。
とすると、次に大男がとる行動は――
「――それで、ゲームとやらの内容は?」
かかった。心の中で安堵のため息を吐く。この段階で提案を蹴られるとどうしようもなかったのだが、うまく欲に釣られてくれたようだ。正直僕の自腹を切っても、ニノさんは受け取ってくれそうになかったからな。それに、なんだか負けた気分がして嫌だ。
大男と周囲の男たちが僕の言葉を待っている。僕は軽く唇をなめて、息を吸った。
「これから一時間。その間に僕を気絶させることができたら、あなた方の勝ちです」
大真面目な顔で言い切る。男たちは呆気にとられたような顔をした。おそらく、うまく頭に内容が入ってこなかったのだろう。
数秒の沈黙の後、誰かの「ぶはっ」というふきだす声と同時に、男たちのいるあたりがわっと沸いた。
「おいおい、マジかよ坊ちゃん。意味分かって言ってんのかぁ」
「とんだ変態マゾ野郎じゃねえか!」
「ひゃひゃひゃひゃひゃっ!」
男たちの爆笑が薄暗い部屋に響く。唯一笑っていない大男が、眉根を寄せて僕に一歩近づいた。
「てめえ、意味分かってんのか?」
「ええ、分かってますよ。殴るなり蹴るなり、お好きなようにどうぞ」
微笑んでみせると、大男は胡散臭い物を見るように目を細めた。そのまま、僕の体つきを観察するように見る。
何も特別なものはない。平均的な体つきのはずだ。どちらかといえば、むしろ華奢な部類に入るくらいだ。
大男は念入りに確認した後、獰猛に笑った。
「条件を確認させろ」
「はい」
「俺たちは一時間以内にお前を気絶させれば勝ち。気絶しなければ、お前の勝ちだな」
「そうです」
「一時間はどうやって計る?」
「これを――」
そう言って、先ほどから持ったままだった砂時計を掲げる。
「これが落ち切れば終了です」
大男は砂時計を軽く眺めた後、一つ頷いた。
「分かった。そのゲーム、乗ろうじゃないか」
「では……」
僕は砂時計をひっくり返すと、少し離れた位置に置いた。砂が落ち始めたのを確認して、元の位置に戻る。
大男がこちらに近づいてくる。ほかの男たちも、笑みを浮かべながら立ち上がるのが分かる。
すぐそばまで来た大男を見上げ、僕は言った。
「いつでもどうぞ」
「じゃあ、遠慮なく――っ」
次の瞬間、大男のこぶしが脳天にめり込んだ。
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「っ!」
迫ってきた木剣を、首をひねることでかわす。合わせるように体を半身にひねり、そのまま体を低くして相手の懐に潜り込む。
「――おっ」
相手があわてて体を離そうとするが、遅い。木剣を握っていないほうの手で相手の胸ぐらをつかんで動きを止めると同時に、木剣を相手の首元に突き付けた。
「……参った」
相手が諦めたようにそう言ったのを確認して、僕は相手から体を離した。
騎士団は現在、訓練の一環として城内に設けられた広場で木剣を使った模擬戦を行っている。なれ合いを失くすために、対戦相手は毎回ランダムに決められるのだが、僕はここしばらく、ずっと同じ相手としか模擬戦をやっていない。言っちゃなんだが、僕の相手をできるのがそいつしかいないのだ。
僕の前で軽く息を整えていた相手――リューは、膝に手をついたまま顔を上げた。
「いやあ、レムには勝てないな」
……よく言う。
渋い顔をした僕にリューは「本心だよ」と微笑んだ後、軽くあたりを見回した。ほかの連中の模擬戦も、あらかた勝負がついている。
「――そこまで!」
リューが大きく声を発すると、周りの連中は表情を引き締めてリューの方に体を向ける。僕も居住まいを正した。
「今日の訓練はこれまでとする。各自、休憩の後は与えられた任につけ」
「はっ」
「では以上。解散」
リューのその言葉とともに、広場は急に騒々しくなった。仲のいい者とこれからの予定を話し合いながら、次々と広場から出ていく騎士たちを見送ったリューは、最後に僕の元へ寄ってきた。
「お疲れ」
そう声をかけると、リューは苦笑した。
「ありがとう。……こんな役目は、柄じゃないんだけどね」
「そんなことないさ。リューは上手くまとめているじゃないか」
王国騎士団団長。その肩書はとても重いはずだ。貴族でもないリューが背負うには特に。
だけど、リューは貴族ばかりの騎士団をうまくまとめている。なめられぬよう胸を張り、へりくだるべきところはへりくだる。自分の立場と相手の立場、相手の心情と今現在の状況。それらを把握したうえで、その場その相手に合った対応をする。字面にすると簡単だが、なかなかできるもんじゃない。少なくとも僕には無理だ。
リューは僕の賛辞に「ありがとう」と答えた後、視線を軽く落とした。
「でも、俺には実力が足りない」
自嘲気味な声音。悔しげに強く握られた腰の剣が、カチャリと音を立てる。僕は何も言えずに黙り込んだ。
リューは決して弱くない。魔法を使った実戦では、騎士団でリューに勝てる者などいない。もちろん、僕も含めて。
だが、リューのそれは努力の結晶だ。努力というものの結晶がリューという存在であり、凡人の極致ともいえるのがリューだ。血反吐を吐くような思いをし、何度も生死の境をさまよいながら、やっと手の届いた強さ。それはとても尊く、美しいものだ。
しかし世界には、持つ者と持たざる者というのが存在する。才能というやつだ。適正と言ってもいい。
リューには剣の才能がなかった。――いや、この言い方には語弊がある。正確には、圧倒的な才能がなかったというべきか。
リューは確かに強い。だが、それは完成された強さだ。言ってしまえば、伸びしろがない。上限に達してしまっているのだ。
僕はまだリューより弱い。先ほどの模擬戦のように、純粋な剣術だけの勝負なら負けないのだが、魔法の交えた実戦形式になると、まだまだリューには勝てない。
だがいずれ、きっと僕はリューを追い越す。そんな確信にも似た予感があるのだ。
僕の剣は、まだまだ発展途上だ。剣を振るたびに、いつももどかしさに駆られる。もっと早く、鋭く、強く振れるはずだ、と。そして訓練を重ねるごとに、自分の剣が自分の理想に近づいてきているのを感じる。
僕には魔法の才能が全くない。だが、それと引き換えに剣の才能はあったみたいだ。それこそ、今まで国で一番強かったリューを追い越してしまうくらいには。
リューがそのことで僕に劣等感にも似た感情を覚えているのには、僕も気づいていた。だが、だからと言ってリューに遠慮して自分の成長を止める気はない。僕にも、強くなりたい理由があるのだ。
リューはしばらく地面に視線を落としていたが、やがてふっと力を抜くと、情けない顔で僕を見た。
「なあ、レム。俺の代わりに団長やらないか?」
「……悪いけど、無理だ。僕にはリューほどうまく騎士団をまとめる力も自信もない」
正直に言うと、リューは笑った。
「確かに、実務関係はレムにはきつそうだよなあ」
「分かってるなら言うなよ」
「いや、でもその辺はおいおい学んでいけばいいんじゃないかな。俺だって、最初から今みたいにできたわけじゃないんだし」
冗談交じりの声音。だが、目が笑ってない。
「……それでも、やらないよ」
「そっかあ……」
先ほどより強く言うと、リューは息を吐いた。
「……まあ、そうだよな。確かにレムが集団を引っ張っていくのは、想像しづらいしなあ。どっちかっていうと、一人で剣を振ってる方が似合う」
「それは知り合いが少ない俺への嫌味か?」
僕の言葉に答えず、リューは微笑んだ。
「その剣が、レムが望んだように振るわれることを願ってるよ」
「……」
真顔でこっぱずかしいことを言うリューに、思わず声が詰まる。
やっぱり、こいつには勝てない。
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果たしてどのくらいの時間が過ぎたのか。大男たちの暴力はやむことなく続いていた。
長時間の暴力にさらされ、全身は燃えるような熱を持っているのに、思考は微睡の中にあるかのように薄ぼんやりとしている。すでに痛覚が麻痺してきているせいで、痛みによって意識が明瞭になることもない。このままいけば、おそらく眠るように気絶す(おち)るだろう。
しかし、砂時計を自分の後ろに置いたのは失敗だった。大男たちが事故を装って砂時計を壊すことを懸念していたのだが、これでは自分で時間を確認することができない。体感では一時間くらいはとっくの昔に経っていると思うのだが、それを主張したところで大男たちがまともに取り合うとは思えなかった。
「――っ!――っ!?」
大男たちが何か叫んでいる。おそらく僕に対する罵声か何かだろう。耳に異常はないと思うが、うまく聞き取れない。心が聞き取りを拒否しているのだろう。
……心、ねえ。僕の中にそんなもんが残っているのだろうか。――いや、残っているんだろうな。心なんて面倒なものが残っているから、僕はこうやってぼろぼろになるまで殴られているのだろう。
しかし、僕はどうするつもりだったんだろうな。ニノさんの境遇と彼女の表情に、つい心を動かされて衝動的に行動してしまっていたけど、そもそもこの件の落としどころが見えない。解決法も何も考えないで、成り行き任せで行動した結果がこの様だ。このままでは、ただ大男たちに殴られに来たみたいにしか見えない。
大男たちがこのままおとなしくなるとは思えない。彼らはここで僕をぼろ雑巾のごとくぼこぼこにした後、ボックスを奪ってから、もう一度ニノさんを脅しに行くだろう。その頃僕は――おそらく死んでるだろうな。大男たちが僕を生かすメリットがどこにもない。このご時世だ。身元のない死体なんて腐るほどある。一つ増えたところで、誰も気にしないだろう。
……死ぬ、のか。思ったよりも恐怖感がわいてこないな。まあ、僕は一度死んだみたいなものだからな。死んだのに、何かの間違いで生き残った。そんな、矛盾したようなわけのわからない存在が僕だ。
もとより生への執着は薄い。諦めさえあれば、いつでも死ねる。未練はない。
――いや、違うな。未練はある。彼女のことだ。
僕が死んだら、彼女はどうなるんだろう。……まあ、考えるまでもないな。『彼ら』に連れて行かれることが容易に想像できる。彼女が迎えに来た『彼ら』に素直に従うことも。
それはそれでいいのかもしれない。彼女は僕と旅していたころよりも裕福な生活ができる。毎日寝床を探す必要もなく、固いベッドに寝苦しさを感じることもない。三食おやつに昼寝付きの生活だ。ベッドだって最高級品が使われるだろう。
そこで彼女が笑顔になれるのかは知らないけど、僕と一緒に旅している間だって、笑顔を見せたことはなかった。
彼女が僕と一緒にいなくてはならない理由なんて、特にない。僕と彼女の旅は、言ってしまえば僕の自分勝手な感傷に彼女を巻き込んでいただけなのだから。
ただ、出来るなら彼女ともう少し一緒にいたかった。彼女の笑顔を見れなかったのが、ほんの少しだけ、取るに足らない程度に――未練だ。
ああ、ダメだ。意識がもうろうとしてきた。小難しいことは考えたくない。このまま眠ってしまったら、きっと楽だろう。だから、最期に――
「……さよなら」
「レム」
――……
「……え?」
気が付けば、大男たちの暴力はやんでいた。軽く目線を上げれば、驚いたような顔で僕の後ろを見ている大男の顔が見える。
先ほど僕の名前を読んだ声の主を探して振り向――こうとする前に、後ろから体を支えられた。薄暗い中、場違いなほどに綺麗な金髪が視界に映る。
「レム」
「……」
「どうして?」
「……」
彼女の問いに答えられず目をそらすと、彼女は呆れたようにため息を吐いた。そして、突然僕に足払いをかけてきた。馬鹿みたいに簡単に、僕は尻餅をついた。
「……」
彼女は無言で、僕と大男たちの間に入る。まるで僕を守るような立ち位置に、やっと再起動を果たした大男が口を開いた。
「おいおい、嬢ちゃんはそこの坊主のお友達かな?――って言うか、昨日一緒にいたフードかぶってたのが、嬢ちゃんだったのかな?」
おどけるような声音で、それでも警戒を途切れさせてない。対する彼女は、そもそも問答に付き合うつもりもないようだった。絞り出すように、低く声を発する。
「貴様ら、生きて出られると思うなよ」
会話になっていない返しに、大男が眉尻を下げる。
「おいおい、嬢ちゃん。そうはいってもな、これはそもそも――げはっ」
残念ながら、大男は弁明させてもらえなかったようだ。冗談みたいに吹き飛ぶ大男を、ぼんやりした視界で見送る。
大男を吹き飛ばした彼女は、壁に激突して首を妙な方向に曲げた大男を一瞥すると、無言のまま床を蹴った。
そこからは、一方的な蹂躙だった。金色の髪がなびくたびに、男たちが吹き飛ぶ。戸惑う者も、あわてて臨戦態勢を取る者も、等しく宙を舞う。そりゃそうだ。たかが傭兵に、彼女の動きを目で追えるはずがない。
数分もしない内に、その戦闘ともいえない戦いは幕を閉じた。荒事に慣れた男たちを瞬く間に全滅させた彼女は、息一つ乱さずに僕に目を向けた。冷たい視線が、僕を射抜く。
「なんで?」
彼女がそう問う。ここで「ごめん」と答えれば、昨日の夜の焼き直しだろう。僕は口を開いた。口の中にたまっていた血を吐き出して、声を発する。
「……嫌、だったから」
彼女はしばらく僕をじっと見ていたが、僕が目をそらさずにいると、やがて呆れたように、諦めたように息を吐いた。そしてもう一度、僕に冷たい目線を向ける。
「私を一人にしないで、レム」
……ははっ、なるほど。僕も少しは、彼女に必要とされていたわけだ。だったら、まだ死ねないんだろうな。
僕は彼女の言葉に頷いた。いまならなんだってできそうな気がする。
床に手をついて立ち上がる――が、力が入らなくてすぐにまた尻餅をついてしまった。気分は良くても、体はそうではないようだ。瞼が重くて仕方がない。
彼女はすたすたとこちらに歩み寄ると、僕の額に優しく手を添えた。ひんやりとした手が心地良い。
彼女はやがて、少し――そう、ほんの少しだけ微笑んだ。
「おやすみ、レム」
僕は今度こそ「ごめん」と呟いて、目を閉じた。