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狂うまでどれくらいか?

*始まりはトイレの中で


「う、おえぇええええぇ……」

 とある女子高生の平凡な日常のワンシーン。湊ほむらの一日は今日も便器との抱擁から始まる。

 吐き出す物も無く、殆ど胃酸に近いものを垂れ流す。

 口に一杯に広がる酸味が気持ち悪い。朦朧としながら手に持っていたペットボトルの中身で口を濯ぐ。

 夜中に吐いてから本日二度目の嘔吐だった。

 ここ数日数が少なかった分、胃にかかる負担が半端ない。

 頭にはボルトがキリキリと音を立てながら捻じ込まれているんじゃないかと錯覚するような痛み、

 視界はぐるりと回り続ける。

 全くもって酷い症状だが、先週に比べれば幾分かマシで、もう慣れたものになっていた。


「ほらー頑張って~ひっひっふー、ひっひっふー」


 隣に立つ女の隠す気も無い悪意に満ちた笑顔が眩しい。こいつの顔にぶちまけてやろうかと思う。

「それは止めたほうがいいと思うわね、実体の無い妖精にぶちまけても床が汚れるだけよ」

「黙れ…うェっぷ…私の妄想の産物の分際で…」

 

 私の反応に肩を震わせながら彼女は嗤う。

「独り言で妄想に罵倒かしら?ふふっ笑えるww」

「くっそが…殺してやりたい…」

「口が悪いわよ?それに私は本物の妖精さんなのだから、貴方の妄想じゃなくってよ?」

 ふふんとドヤ顔見せつけてきやがった。自称妖精さんなら素直にOPで踊ってろ……

 アマニタ・ヴィロサと名乗る自称キノコの妖精は柔らかな笑顔を浮かべ、ふふん、と笑う。

 彼女のクスクスと押し殺す声を聴きながら、私はトイレとの熱い抱擁を再開するのだった。

 おえー(ry

 

 そもそもどうして、こうなったのか。

 事の始まりは1週間前。祖父の1周忌で郊外の祖父母宅を訪れた時の事だ。

 祖母が独りで暮らす家には、祖父の死後そのままになっていた書斎があった。

 少し薄暗い書斎の中には国内外を問わずに集められた書籍と、

 キノコ・粘菌・植物の標本など文字通り山の様に積まれており、とても祖母一人ではどうこう出来る量では無かった。

 そこで家族が集まった時には少しずつ整理をしていくというのが、我が家の恒例行事になっていた。

 だが、生前は菌類・植物学者として研究職についていた祖父の所有物は素人目には到底価値判断ができるものは少なく、祖父の友人で仕事仲間だった研究者の方に価値の判断をして貰っていた。

 価値の無いものから処分していこうという方針をとり、そんな家族行事の中での私の仕事は明らかに貴重そうなものを選別していくことだった。


 昼も少し過ぎた頃、私が担当していた標本棚の奥から怪しげな木箱が見つかった。

 白や赤のキノコの標本に興味をそそられ、その内の一つを取り出して眺めていた時、

 持ち上げた標本の下に隠すように置かれていた木箱を見つけたのだった。

「何だろこれ?」

 手に持っていた標本のガラスケースを床に置き、隠されていた木箱を取り上げる。

 箱は随分と古く、確かめようと開けてみると、出てきたのは厳重に包装された薬瓶だった。

 意外だったのは瓶自体は新しく、それが逆に怪しげな雰囲気を醸し出している。

「爺ちゃんの部屋は本当に変な物ばっかだな、価値があるのかも分からないし…どうしよこれ」

 箱についた古いラベルはボロボロに風化している。

 ラベル自体の書体も古くかすれてしまっていたが、かろうじて読み取れたのは部分もあった。

 それによると用法が1回1粒である事と、怪しげな薬の名称。

「魔女の丸薬?って書いてあるのかな。うん、怪しさもここまでくると逆に面白いわ」

 瓶に貼られていたであろう封は既に開いていたので、瓶の中身を手の上に開けてみる。

 すると中から何粒かの毒々しい赤色をした、光沢を持った飴玉の様な丸薬が出てきた。

 くすんではいるが、赤い輝きを放っている。

 うん、これは飲んじゃいけないやつだ。

 そう思いながら一粒を手に取って、窓際で太陽に翳す。

 赤色の丸薬が古い物なのか分からないが、きっと爺ちゃんが手に入れた時にはもっと赤かったに違いない。


 怪しげな丸薬をまじまじと眺めていたその時、後ろから声をかけられた。

「お姉ちゃん?な~に見つけたのー?私にもみーせてー」

 まだ小学生の妹は掃除には参加せず、古い家の中で遊んでいたが暇になったのだろう、

 私の所にやってきた。

「何もってるの?飴玉?」

 暇を持て余していた妹には、この際どんなものだろうと興味を引いたに違いない。

 そして、目敏い妹は私が手に持つそれに、その暇つぶしを見出したのだろう。

 自分にもよこせと抗議の声をあげる。

「飴玉いいなぁ、ずるい私も食べたいー」

「ダメだって!これは食べちゃ駄目!」

「やだ!お姉ちゃんが独り占めするんでしょ!」

 抗議のつもりか、妹はタックルに近い勢いで抱き着かれる。愛い奴め、後でしばいてやるとしよう。

「いい加減にしなー、こんなの食べたらおなか壊すよ?」

「嘘つけー赤色で美味しそうじゃん!」

 いちご味(賞味期限と内容物不明)に見える丸薬を手に入れようと妹は手を伸ばし、

 私の手から丸薬を掠め取ろうとするが、身長差でそれはかなわない。

 暫くの間、二人の間では「寄越せ」「ならぬ」と問答を続けていたが、

 妹はこのままでは埒が明かないと知ると、まさかの全体重を乗せての飛びつきを見せた。

 これにはさすがに勢いを殺しきれず、私はその勢いのまま床に倒れこむ。

 手からは丸薬が滑り落ちた。

「もーらい!」

 丸薬をくすねた妹が赤く光るそれを口に運ぼうとする。 

「駄目!!」

 寸前のところで妹の口に入る前の腕を制止するが、諦めのつかない妹が必至の抵抗を続けようとする。

「あーもう!駄目だって言ってんのに!!」

 仕方ないと緊急避難のつもりだったのだが、そのまま咄嗟に自分の口に運んでしまう。

 薬臭い甘ったるさが口の中に広がる。やっぱり止めればよかったなぁ……。

「お姉ちゃんの馬鹿!ママー!お姉ちゃんが飴玉独り占めするー!」

「馬鹿はあんただよ、いいから母さんの所でお手伝いしてきなさい」

 ぶつぶつと文句を垂れながら、妹は母が作業する部屋へと走り去ってしまう。

「ったくもう…後でしっかり言い聞かせないと……っと、あれ?」

 急に視界が歪む。目に映る物全ての輪郭が波打ち形を失っていく。何でだろう?

 視界に映る天地が逆になったことで、私はようやく自分が倒れていることに気がついた。

「あ、あああああああああああああああああああああああああああああ」

 私の思考と身体が分離しているような浮遊感。口から発せらているのは言葉にならない音のみだ。

 身体のコントロールを失っていく感覚が加速度的に進んでいく。

 倒れた私の目に先ほど片付けた白いキノコの標本が転がっているのが見える。

 その白さがやけに病的だなぁなんて考えていると、そこで私の意識は途切れた。



 どれくらいたったのだろうか。気がついた時、私は見慣れぬ天井を見上げていた。

 寝間着に着替え、知らぬベットに寝かされていた。

 何があったのだろう。身体が上手く機能していないような、

 そんな言い得ぬ感覚が全身を包んでいる。

 部屋の様子を伺っても。ここが何処なのか解らない。

「頭痛い……」

 ここは何処だろうか。見たことがあるような、無いような。

 そんな曖昧さを残したまま、何があったのかを徐々に思い出していく。

 妹が飛びついて、変な薬を口にして。それで……

「こんにちは、御身体の調子はどうかしら?」

 彼女いつからそこにいたのだろう。

 印象は上から下まで「白」だった。

 白いドレスを身に纏い、つばの広い白い帽子を被っている。

 肩で切りそろえられた髪も透き通るような白色であり、眼だけが赤い。

 まるで白蛇を思わせるような、ぞっとする美しさを纏う美女は姿だけは人間のように見えた。

 ただ一つ、腰の辺りから羽が生えている以外は。

 ほんの一瞬前まで周りには誰も居なかったはずなのに、

 気付いたら羽を生やした美女に見下ろされているという不自然な現実に、

 ピントがずれたままの頭は上手く適応できていない。

 頭が空転するのを感じている。

 私には「誰ですか?」そう尋ねるのが精一杯だった。

「そうね、色々話したい事はあるのだけど、先ずは挨拶から始めましょうか」

 芝居がかってはいるが、とても美しい所作でスカートの端を掴み頭を下げる。

「私はアマニタ・ヴィロサ、森の住人の末席に名を連ねる者です。以後、宜しくお願いするわね」

 挨拶の仕草だけでも絵画になるような美女の姿に、空転した頭は返事をするだけで精一杯だ。

「どうも……、湊ほむらと言います。あの、森の住人?とかよく解らないのですが、ここは何処なんでしょう?」

 記憶の断絶と、意識の混濁の回答を得ようと、美女に対し疑問を尋ねる。

「ここは貴方の夢です。事故とはいえ貴方が口にしたのは貴方の常識の外側にある物、魔女の精製物だったのよ」

「……はあ?」

「まあ、貴方が知らずとはいえ、まだ生きているということは成功したのかしらね。おめでとう」

「ええと、事態が呑み込めていないんですが?これが夢だとか、魔女がどうこう……とか、私にも解るように言って貰えますか?」

 はぁ…と顔に手を当てて溜息をつく美女はいちいち仕草が絵になっていたけれど、

 なんだか馬鹿にされているようで腹が立つ。

「いえ、馬鹿にはしていませんが、ただ、少々面倒くさいなと思っただけよ」

 口にせずにいたのに返答を返されてしまった事に驚く。

 そんなに不満が表情に出ていたのだろうか。

「表情には出ていないわ。こう考えてはいかがかしら?ここは夢なのだし、貴方の思考を夢の登場人物が把握していても、何も不自然では無いと。私としては間違いであれ、話を先に進めたいので、そういう設定で行きたいのですが」

「まあ、とりあえず話だけでも聞きますよ」

 馬鹿にされている感は消えないが、とりあえず流すことにする。

「助かるわ、それでは貴方にも分かるように説明すると、貴方が口にした物は精霊と会話するために魔女が作った丸薬ということです」

「はぁ……?何それ?」

「こういう物語を聞いたことが無い訳でもないでしょう?魔女が森に自生するキノコや薬草を用いて魔法の力を行使する薬を作り出す」

「まあ、でっかい鍋をぐるぐるかき混ぜてるイメージはあるけど」

「それね、そして貴方が口にしたのは実際に魔女が作り出した数少ない本物でした。そしてその効力も本物だったという事よ」

 何だろう、夢なら凄く面白い。

 こんなファンタジーを生み出す脳みそが私に詰まっていたとは……。

「本題はまだよ?ここからが真面目に聞いて欲しい所なのだけれど」

「はいはい、何でしょう」

 少し楽しくなって来ていた。

「……とりあえず過程を端折って説明すると、貴方は暫くの間耐え難い苦痛と、突発的な激しい感情の起伏を経験します」

「それって、ただの薬物使用者じゃん……」

「まあ、死なない程度ね。劇薬だからその程度の副作用はあるわよ」

「夢にしては夢がないなあ私……」

「貴方が妹に食べさせまいとしたのは正解だったわね。あの年齢の人間の仔が飲めば余程の幸運が無ければ即死よ」

「怖ぇっすねその設定、何で生きてんだろう私」

「適性があったのね。貴方ぐらいの年なら成功率は高いけれど、それでも死ぬ者もいるわ」

「へぇー運が良くて助かったんですね、私」

「それはどうかしらね?」

 ここに来て初めて見せる表情だ、なんというか悪意のある顔というか……

「あら、何か言いたそうね?まぁ遠からずといったところかしら。それよりそろそろ目が覚めるわ。とりあえず私が貴方に言えるのは……」

 頑張ってねと、まるで少女のような笑顔を向けて私にエールを送る。

 そこで意識はまた、プツンと電気を消すように途切れるのだった。


 目が覚めると病院のベッドの上だった。

 腕に刺された点滴のチューブが何だか痒くて腕を掻こうとすると、腕が拘束されていることに気付く。

 何だこれは、どうしてこんな所に居るのだろうか、それともまだ、夢の中に居るのだろうか。

 一瞬、思考が現状を掴もうと辺りに視線を巡らせた時、電撃のような痛みが走る。

「あ、ぅ……あ、がぁ!うあッッ!!がぁッッ!」

 私は激痛と吐き気の地獄の中でのたうち回った。

 吐きながら、

 意識を刈り取っていくような激痛を感じながら、

 その中で快感と言葉に出来ない高揚感が身体を支配する。

 もはや自分が痛いのか気持ちいいのか、嬉しいのか悲しいのか。

 感情の垣根が溶けてしまった様な最高で最悪の気分を味わった。

「そうそう、言い忘れていたけれど」

 夢の中だけだったはずの美女が傍に立ち天使のような微笑みで私を見下ろす。

「この副作用は個人差があってね?1週間から最長で1年程度は続くから覚悟だけは決めておく事ね」 


 1時間に及ぶ激痛の中、ふと思った。

 結局のところ夢だろうが、幻覚だろうが、

 自分は相当イカレてしまったのだなぁと、他人事の様な事を考えていた。


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