お菓子
まったく、騒々しい。
高雄は嫌悪感を顔に出しながら、煙草をふかした。
「あり得ないだろ!言いたい事あるんならはっきり言えっての!」
先程から怒鳴りっぱなしの圭太は、今も在学中の大学で出会った友人の一人。
この男はおそらく好奇心から―俺は人から孤立していた―話しかけてきた。
それが圭太との出会い。
そして、こいつとよく話すようになってから紹介されたのが、愛と雅だった。
「あの野郎、今回は許さねえ!」
「落ち着けよ」
高雄は煙草の煙が自分の口から出て行くのが目の端で見えた。
「なんだよ!お前はいいよな、愛さんとは順調みたいだしな」
鼻に皺を寄せる圭太を見る。
圭太は鼻を鳴らした。
愛はキッチンからお茶を盆に乗せながらこっちにきて、圭太にお茶を差し出すと、俺にもお茶を置いた。
「ありがと、愛さん」
圭太は愛に笑顔で言うと早速お茶をすすっていた。
「高雄達はなんてったって同棲まで行ってるしな。俺らはまだまだだよ……」
「そうか」
「お前……あいかわらず、無頓着というか、なんというか……でもまあ、なんだかんだいって、愛されてるよな」
あからさまな圭太のため息と、自分の吐いた煙混じりの息が重なった。
突然携帯が震え、圭太の肩が大げさに跳ねる。
どうやら雅からの電話のようで、分かりやすい彼の反応につられて愛がふわんと笑っていた。
「茶が冷たいな」
高雄は一口飲むと、机に戻した。
圭太は酷く動揺しながら、電話を切った後「ここにすぐ来るって!」と愛に言った。
直後、インターフォンの音が部屋に響き、愛は立ち上がった。
「どうしよ、どうしよ高雄!」
知らん。
高雄はとっくに短くなっていた煙草を灰皿でもみ消した。
灰皿の中の数本の煙草が視界に入る。
「ごっめん!愛ちゃん、高雄くん!圭太がお世話になって!!」
突然部屋に、明るく高い声が響いた。
愛は、雅が圭太を睨んでいるその間に入って雅に笑いかけ、ソファを示して座らせた。
「ったく優しいからっていつも愛ちゃんのとこ行くんだから!」
俯く圭太はこれ以上無い位情けない顏をして俺を見た。
自業自得。
高雄はわざと顏を反らした。
圭太の悲痛な叫びが耳に届く。
高雄は無視して天井に立ち上る煙草の煙を眺めた。
「雅さん」
愛の声がした。
雅にもお茶を出しているのか。
勝手に想像しながら、ぼうっとしていた。
それが不覚だった。
「あの、これ、食べて仲直りしてください。ね?」
えっ、いいの?やったー!
喜ぶ声に視線を机に戻すと、そこに置かれていた物に思わず視線が釘付けになってしまった。
え?……あれって…!
一瞬頭が真っ白になったが、考えるよりも先に口が動いていた。
「おい!!」
自分の声に、圭太と雅が驚いて目を見開いた。
「愛、お前これ、」
圭太と雅の目の前に置かれているクッキーを指差した。
愛を見ると、申し訳なさそうに眉を下げながら笑っていた。
「すみません、ダメでしたか……?」
「ダメもなにも……」
言葉が出て来ない。
代わりに大きくため息を吐いた。
「なんだよ高雄。いいじゃん」
「このクッキーが好きなの?」
ショックで呆然としていると、愛が代わりに二人の質問に答えるように二人のすぐ後ろのカレンダーを指で指し示した。
圭太と雅はまだ分からないようだったが、愛がふわりと笑った。
「今日は、3月14日です。ホワイトデイですよ」
途端にひらめいた顏をして何度も頷いたかと思うと、二人は勢いよく俺の顏の方を振り返った。
「笑い方がいやらしいぞ」
高雄は皮肉を込めていった。
にやにやしつつ、二人はクッキーと俺を見比べる。
「食べる権利、あるよな?」
「だって愛ちゃんからもらったし!」
はいはい。勝手にしろよ、もう。
高雄は立ち上がった愛を睨んだが、気付いていないようだった。
「持って帰りませんか?もう暗いですし、そろそろお帰りにならないと」
愛の言葉に、二人は二つ返事でYESと答えた。
キッチンに消えた愛を確認してから、圭太と雅は急に身を乗り出した。
「高雄!お前クッキーとか作るのかよ!」
「可愛いところあるじゃーん!」
顏を見ているだけで、むかむかしてくる。
高雄は冷めた目で圭太を睨んだ。
「作ってないのか」
「ん?俺?……どうもこういうイベントって、忘れちゃうんだよなー」
圭太が明るく笑いながら言うと、横の雅に睨まれていた。
「そういえばさ」
雅が急に、ふと思いついたような顏をした。
「高雄くんは、日頃の感謝を込めて作ったの?あのクッキー」
突然の質問に、高雄は戸惑った。
急に真面目になった雅に戸惑ったのではない。
それに、あのクッキーについて、そんなに深い考えはない。
「なぜだ?」
「え、だってさあ」
雅は圭太と顏を見合わせ、そして言った。
「高雄くんって、亭主関白?っていうのかな……愛ちゃんに文句ばっか言うし、何してもお礼言わないし、やって当然だろって感じじゃん」
「そうそう。だからそういう事を改めて言えなかった感謝の気持ちで作ったのかな、って思って、さ」
呆然。
高雄は思わずぽかんと口を開けてしまった。
慌てて口を閉じ、冷静に考えた。
いや、考えるまでもない。なにを言っているんだ?
「感謝とかそんなこと、思っていない」
「え?じゃあなんで作ったの?」
「そんなの、バレンタインのお返しに決まっているだろう?」
高雄はきょとんとしながら答えた。
圭太と雅がゆっくりと顏を見合わせていると、ちょうど愛が来て、二人に可愛い包みのクッキーを手渡した。
「また来てくださいね」
と微笑みながら言う愛の言葉に彼らはつられて笑顔になっていた。
「じゃあな!」
圭太と雅はエレベーターが閉まるギリギリまで ラッピングされた包みと一緒に手を大きく振っていた。
エレベーターが1階に降り、高雄と愛が玄関に戻ると、高雄はふと立ち止まった。
愛を見ると、玄関の扉を閉め、鍵をかけているところだった。
「どうしたんです」
愛の言葉に、我に返る。
頭の中で、彼らの言っていた言葉がぐるぐる回り続けていた。
「愛」
「はい」
「お前、いつも大変なのか?」
少しの沈黙。
高雄は目を見れず俯いていたが、急に不安になって顔を上げた。
すると、愛が自分を見ながらふわりと笑っていた。
「貴方は誰にでも飾らない、素直な人です。だからこそ、人は貴方のその的を得た言葉に驚き、離れてしまったり、反論するのだと思います。私は、貴方のぶつかってくる本音の言葉や意見が心地よくて、とても好きです。貴方の側にいれるだけで、幸せなんです。大変だなんて……」
目の奥で変な感覚がした。
高雄は目を強くしばたいた。
「愛、どうしたんだ」
「なにがですか」
「赤いぞ」
「まあ」
愛はそっと頬に手を添えた。
「本当の事を言ったのですから、恥ずかしくもなりますよ」
「そうか?」
「察してください」
「はは、すまない」
小さなやり取りに、初めて“幸せ”という言葉を意識して感じた。
玄関からリビングへ行く愛の後ろ姿を見ていると、やはりクッキーの事を思い出してしまった。
圭太のためにも作っておけばよかったか。
ジーンズの右ポケットが震える。
携帯を取り出すと、圭太からのメールが届いていた。
『おいしかったぜっ☆来年もよろしくぅ!』
添付画像に、ピースして笑顔で映る圭太と雅。
高雄が返事を思いついて返信ボタンを押すのとほぼ同時に、「夕食ですよ」と愛の声が聞こえた。
高雄は急いで本文に二文字打ち込むと、すぐに送信した。
「今行くよ」
“送信完了”の文字を見て携帯を閉じると、愛のいる、柔らかな空間へ歩き出した。
余話(in大学)
「おい高雄!」
「……」
「無視すんなよ!ってか『本文:死ね』ってどういう事!はははっ」
「……」
「た、高雄?」
「……」←ギロッ
「え、ごめん(滝汗)」
「許さん。死ね」←早歩きでスタスタスタスタ
「……どゆことー…」