episode1:ペンギンさん。
これは私の友達からもらったペンギンのぬいぐるみが元になった話です。
オモチャ屋などで売ってるペンギンのぬいぐるみを想像しながら読んでもらえると嬉しいです。
「・・・ん・・・・・・」
暗い路地裏で何かが動いた。
「どこだここは・・・?」
「ママー。あれ何ぃ?」
子供がこちらを指差している。
(何? 何、だと? お前こそなんなんだよ。俺は人間・・・・・・)
自分の体を見て、動きが止まった。
つぶらな瞳、短い灰色の手、手よりも更に短く黄色い足。どこからどうみてもそれはペンギンだった。
「なんじゃこりゃぁぁっ!!?」
しかもぬいぐるみだ。
「ちょっと待て!! 何なんだこりゃ!? ちょっ・・・えぇ!?」
頭を抱えようにも手が短くて抱えられない。せいぜい頬の辺りまで届くくらいだ。無性に泣きたくなった。だがツルンとした真っ黒な瞳から涙が流れることは無い。
ぬいぐるみが口をパクパクしていると、何者かが近づいてきた。
(むっ。何か来た。・・・ここは普通のぬいぐるみのフリを・・・・・・)
「・・・ペンギン、か。まぁいいや」
来たのは成人男性だった。ぬいぐるみの頭をむんずと掴むと、そのまま歩き出した。
(なんだコイツ!? 人様の頭簡単に掴みやがって!)
今はペンギン様のぬいぐるみがそんな事を思っているとも知らず、男は一軒の家へ入った。恐らくは彼の家だろう。
新築なのだろうか。入った瞬間、木の香りが鼻をくすぐった。
(つってもぬいぐるみだから鼻なんてねぇけどな)
男は靴を脱ぐと、台所を通り過ぎ、風呂場の脱衣所に入った。そこには洗濯機が置いてあった。彼の行動はまさか、と緊張するぬいぐるみを裏切らなかった。
予想通りぬいぐるみを洗濯機の中に放り投げると洗剤を入れた。そしていよいよ洗濯機を動かす。
「おいコラ!! 俺は生きてるぞ!? 生き物を洗濯機の中に入れていいのか!? なぁいいのか!? ちょっ・・・・・・」
そう言ってる間に洗剤と水が責めてきた。ぬいぐるみは一瞬にして水に埋もれた。違う意味で泡を吹きながら激しく回転する。
(ヤベェ! 死ぬ! 死ぬぞこれ!! っつか泡不味ぃ! どうせなら美味い泡にしろよ!!)
そんな無茶苦茶な事を考えている間に洗濯機が止まり始めた。ガコン、と音を立てて完全に止まる。蓋が開き、男が顔を覗かせた。びしょ濡れのぬいぐるみの頭を再度掴む。
男は階段を上がって2階へ行くと、ベランダに出た。そしてポケットから何かを取り出した。洗濯バサミだ。
(・・・ちょっと待て・・・。それはマズイだろう。それはやっぱちょっと・・・な? ヤメロ? ヤメロよ?)
しかし男はぬいぐるみの考えを裏切らなかった。洗濯バサミはぬいぐるみの手を捕らえ、そのままぶら下げた。
(・・・・・・あんの野郎・・・。ぬいぐるみだと思って好き勝手やりがって・・・)
だが長時間挟まれているうちに段々と麻痺してきて痛みはなくなった。それどころか、なんだか気持ち良く感じる。運良く今日は快晴で、ぬいぐるみはすぐに乾いた。
ポカポカ陽気の中でそよ風に吹かれながらぬいぐるみは「悪くないな」と思い始めていた。
(あー。こうしてると子猫のミャンちゃんと一緒にペリーさん&黒船見てた事を思い出すぜ・・・)
お前何歳だよ、とツッコミたくなる事を考えてるうちに、ドアを開けてさっきの男が出てきた。
「よし。乾いたな」
男はぬいぐるみを洗濯バサミから奪い取った。
(・・・アイター・・・)
さすがにそれは痛かった。しかしここで声を出してしまったら、この男は即座に焼却炉へと向かうだろう。そうなったらお終いだ。必死に声を出すのを堪えた。
中に入り、男が持ってきたのは真っ白の箱と真っピンクのリボンだった。ぬいるぐみを箱の中に入れるとリボンで箱を縛る。器用に、綺麗な蝶々結びを見せた。
(真っ白な箱なら中も真っ白にしとけってんだ)
真っ暗な箱の中で、ぬいぐるみは生意気にもそんな事を考えていた。
そしてその箱の中で一晩過ごした。
朝、微かに聞こえるスズメの泣き声で目を覚ます。だが真っ暗な箱の中では、目を開けてても閉じてても変わりは無かった。
しばらく箱の中でじっと待っていると誰かが部屋に入ってきた。
「よっ・・・と」
昨日の男のようだ。ぬいぐるみの入った箱を持ち上げ、歩き出した。
自分は歩いていないのに歩く振動が伝わってくる。
(面白ぇ・・・!)
箱の中で、ぬいぐるみは楽しそうにしていた。だが面白いと感じ始めたところで男は止まった。
(なんだよ。もっと歩けよなぁ、青二才! つまんねぇじゃ・・・)
「沙希。起きてるか?」
(お・・・?)
部屋をノックする音が聞こえる。中から女の声がした。
「お兄ちゃん・・・。何?」
「ほら! 誕生日おめでとう」
彼女は妹のようだ。男は妹にぬいぐるみの入った箱を渡した。
「え? あ、そっかぁ・・・。ありがとう、お兄ちゃん!」
(そっかぁ・・・。って待てよ、おい! 勝手に納得してんじゃねぇよ! 次から次へと持ち主に替わられる俺の身にもなれよ! 疲れるんだぞ、これ!)
見えない相手に向かってガンを飛ばす。しかし次の瞬間には相手が見えるようになった。同時に眩しい光が目に飛び込んでくる。
(眩し・・・)
「やっだ! ちょっとお兄ちゃん! あたしもう子供じゃないのよ!? なんでこんなペンギンのぬいぐるみなんか・・・」
「なんだよ! 人からもらったプレゼントにケチ付けるもんじゃねぇぞ!」
「だってこのペンギン見てよ! ぬいぐるみのくせにヨダレ垂らして・・・」
「え?」
「あれ?」
兄妹揃ってぬいぐるみを見た。
(! ヤバイ! ヨダレ垂れてたかっ!?)
「気持ち悪い!」
沙希はぬいぐるみを投げ捨てた。壁に当たってポトリと落ちた。
「いでっ・・・」
「・・・しゃ・・・喋・・・!?」
「沙希!」
兄の腕の中に倒れ込んだ。妹の体を揺らしながら、「なんでぬいぐるみが喋れんだよ!?」と怒鳴ってきたが、そんなこと本人にも分からない。
よく見ると兄の足も微かに震えている。
「お、俺は決して怪しいもんじゃねぇぞ!?」
顔の前で短い手をしきりに振った。
「ぬいぐるみが喋ってどこが怪しくねぇんだ!」
「知るかそんなもん!」
「っつかそんな顔でなんで声が太いんだ!」
「うるせぇな! 俺は48歳なんだよ!」
自信満々に言うペンギンを見て、兄は固まった。
「・・・よ・・・よ、よんじゅう・・・はち・・・・・・?」
「・・・・・・しまったな。・・・とにかく! 俺はただのぬいぐるみだ。いいな? お前は何も見ていない。お前の妹も何も見ていない。俺はただのぬいぐるみ! 無視して生活してくれ」
「出来るか、んなこと!」
「するんだよ。お前も男ならな!」
「だから出来ねぇよ! 犬が喋るよりアンビリーバボーなんだぞ!!」
「さらばだ」
「おい!!」
ぬいぐるみはぬいぐるみらしくそのまま動かなくなった。
「・・・マジで動かねぇな・・・。もしかして夢・・・だったのか?」
全く動く気配は無い。しかしよく見ると手がプルプル揺れている。
(早く部屋出てけよ。ずっと止まったままって辛いんだよ!)
「・・・・・・? あ、そうだ。沙希大丈夫か?」
兄はそれに気付かないまま、妹を連れて部屋を出た。
「・・・ふぅ。危ねぇ危ねぇ・・・」
ぬいぐるみは出るはずの無い想像上の汗を拭った。
(これからどーすっかなぁ・・・)
ぬいぐるみは、とりあえずこの部屋を探ってみる事にした。どこかに隠れられる場所があるかもしれない。
「ほーう。ナルホド、ナルホド。ココに布団があって・・・。でもベッドの上には布団が敷いてあって・・・。この布団は意味無くて・・・。て事は布団の間に隠れられるかもしれないな」
しばらく悩んだ末、止める事にした。
(もしもあの沙希って女が上に乗ってきたら苦しいじゃねーかよ)
「・・・お!」
(あそこなら・・・)
ぬいぐるみが考えた隠れる場所。それは、部屋の片隅に寂しく置かれてる犬小屋だった。
「でもなんで犬小屋があるんだ・・・? さてはあの沙希って奴、相当な変わりモンだな?」
トコトコと短い足を一生懸命動かして犬小屋の前まで行く。ぬいぐるみから見れば結構な大きさだ。
「犬小屋、住人がいねぇなら俺がなってやる。いいな?」
答えるはずの無い犬小屋に向かって言葉を投げかける。
「ばう」
答えるはずの無い犬小屋が答えてしまった。
「これぞ摩訶不思議」
そう言ってぬいぐるみは変な犬小屋の中に入った。中にはたれ耳の犬のぬいぐるみのオモチャが転がっていた。押すとプープー音の鳴るオモチャだ。ぬいぐるみはそれに気付かず踏んでしまい、心臓が飛び出るほどに驚いた様子だ。
「プピッ・・・! お前・・・うわ・・・。ココに住んでた犬は共食い野郎か!?」
48歳と威張っていた割には、今の世の中を全く理解していないようだ。ぬいぐるみがぬいぐるみで遊んでいると、部屋のドアが開く音がした。
(ヤベ!)
息を殺して部屋の方を見る。居たのは沙希だ。
「もう! お兄ちゃんってば子供扱いして・・・。しかもあんなヨダレ垂らしてる汚いぬいぐるみまで・・・・・・あれ?」
キョロキョロと部屋の中を見回す。ぬいぐるみが居ないことに気付いたようだ。
「お兄ちゃんが片付けたのかな・・・?」
(俺はココにいるんだぜ、お譲ちゃん)
犬小屋の中でぬいぐるみはニヤリとした。
「・・・ま、いっか。着替えよ」
そう言えば沙希はまだパジャマ姿だった。それを聞いた途端、ぬいぐるみの顔つきが変わった。
(着替え・・・。そうか。女の部屋に住み付けばそんな特典が付いていたんだ・・・! やったぞ、俺はなんてぇ幸運の持ち主なんだ!)
見えないギリギリのところで、ぬいぐるみは「ぐへへ」と笑った。
48歳、ペンギンのぬいぐるみ。可愛い顔してとんでもないエロ親父だ。
犬小屋の中から目を凝らして見た。目の開きすぎで充血しそうなくらいだ。
(・・・・・・さぁ脱げ・・・。早く脱ぐのだ・・・!)
「あ、そうだ!」
(おい・・・!!)
「朝ご飯食べ忘れてた」
(食い忘れんなよ!)
「食べてこよーっと」
(あぁ、そうだな。朝飯食わねぇと太るからな・・・、ってそうじゃねぇよ! 早く脱げってのに・・・・・・!)
そんなぬいぐるみの思いをよそに、沙希はスタコラサッサと下に降りていってしまった。
(チクショウ・・・)
10分後、沙希が帰ってきた。
(おぉ! 待ってました!!)
すると彼女はもう着替え終わっていた。
(・・・・・・あれ? もしかして・・・もう終わった・・・? なんで? どして?)
ぬいぐるみのテンションは一気に撃沈した。
(なんでだ・・・。なんでだチクショウ・・・! ・・・・・・お?)
しかしそう沈んだものでもなかった。沙希は高校の制服を着ていた。スカートは短い。
少し回るだけでもスカートが捲くりあがりそうだった。
(・・・よっしゃ・・・いいぞ、いいぞ! 回れ! 上がれ!!)
48歳、ペンギンのぬいぐるみ。本当にどこまでもエロ親父だ。
だがぬいぐるみの期待は裏切られ、全く回る事もなく沙希は学校へと行ってしまった。ポツンと取り残されたぬいぐるみは、犬小屋の中で「・・・・・・ヒデェぜ・・・」と呟いた。更に寂しくその声が犬小屋内に木霊した。
その日は沙希が帰ってくるまで一人寂しく「プーピーぬいぐるみ」と遊んでいた。