二の舞
私は初めての門をくぐった。
校門の桜がきれいに散っている。
『私は今日からここに転校することになった、「上原雪乃」と言います。宜しくお願いします。』
新しいクラスメートに挨拶を済ませたあと、先生の用意してくれた席に座った。
「学級委員は堺と小坂に宜しく頼む。異論のある人ー」
担任の先生の声。学年初めだからか、いろいろな委員が決まっていく。
「次、保健体育委員だけど、これは深山とー」
♪キーンコーンカーンコーン♪
「よし、次の時間もこれを続けるぞー、しばらく休憩しろー」
前にも転校したことがあるので分かりますが、いつもの通り、
「ねーねー、どこから来たのー?」
「何部に入るつもりー?」
私の周りに人が集まってくる。
その中で、私は奇抜な人を見つけた。
髪の毛はツンツンで、しゃべり方はどちらかと言えば関西のしゃべり方ー。
彼と私の出会いだった。
その後、彼は私に話しかけてきて、
「おまえ―――、楓か?」
「楓…?」
私は戸惑った。
もちろん私の名前は「上原雪乃」である。
この人は何を言っているのだろうか?気が付けば頭の中ではその事ばかりに集中していた。
しかし、その考えもすぐに掻き消された。
「――って、冗談冗談。スマンかったな」
正直、返す言葉が無かった。
何の冗談?一体何のつもり?
ややこしい考えが消えたと思ったらまた新たなややこしい考え…。
「なんだ… ただの変人か」
本人に聞こえないようにボソっと呟いた。
そして間もなく、授業開始のチャイムが鳴ったのだった…
転校二日目。1限目は…と、教室右側の黒板を見る。
…見えない。
…見えてたはずなのに。
前までは、余裕で見えていたのに。
「……いつの間に目が悪くなったんだろう。」
そう呟きながら、私は不思議な感覚に陥っていた。
「次保健体育だよ。ユキちゃん、行こ!」
昨日友達になった舞花ちゃんだった。
同じ階にある更衣室に行って着替えた後、目に入ったのはあの男。
もちろん、関西人である。
「一緒にいこか?」
…。
「却下。」
背中で関西人のため息。
「ん…?」
なんだろう。
廊下が騒がしい。気になって教室の外に目を向けた。
隣のクラスの入り口あたりに、なにやら人だかりができていた。
「何あれ。」
女子が圧倒的に多かったが、中には男子も数名まじっていた。けっこうな人数だ。
一体どうしたんだろう。
こういうのに加わるのはあまり好きじゃないけれど…。
少し遠いところから人と人との隙間を覗いてみる。
あまり高くない背のせいでなかなか見えない。
関西人から借りたままの古い眼鏡をかけなおした。
ついつい夢中になって飛び跳ねたりしてみたが、人は多くなるばかりで全く見えない。
もう諦めようと思った瞬間、後ろから肩を叩かれた。
「そいや、お前は転校したばっかやし、知らないのも当然やなー。」
人だかりを見つめながら彼はそう言った。
またさっきの関西人である。
関西人って皆心眼スキルがついているのだろうか。
私が気になっていることを的確に射てくる。
「いや、飛び跳ねてたりしたら誰でも気になってるのわかるやろ。」
それだよ、それ。それを心眼って言うのだよ。
「で、この人だかりは?」
「女子の数見りゃ分かると思うけど、ようするにイケメン。」
話を聞くところによると、隣のクラスには運動神経抜群、
中学入試ではトップの成績でこの学校に入学、そしてイケメンな男子生徒がいるんだとか。
要するに、人生においての勝ち組である。
ボクシングもやってるみたいやでー、喧嘩強そうやな。
と更に棒読みで付け加えた。
って、どこまでその男子生徒のことを知ってるんだろう、この関西人。
もしや俗に言うホ・・・・・・・・
「アホなこと言うな。全部女子からの情報や。」
ですよねー。
「でも今授業中じゃあ・・・」
一限目のチャイムは先程鳴ったはずだ。
だからこうして廊下へ出ようとしている。
「俺らも移動教室やろ?移動するがてら見物ってことやね。」
なるほど。
そこまでイケメンなら見てみたい気もしたが、流石に先生が注意を促したため、各々各教室へと散っていった。
その後も完璧男子を拝見しようとあらゆる放課を使い、隣の教室の前へ行ってみたが溢れかえる女子の群れでその日は、拝見するどころかパーツでさえ見ることはできなかった。
数日後、やっぱり女子は井戸水のように溢れかえっていた。
放課後になってもその勢いは劣れることを知らない。
むしろ他のクラスからも沸いてきて、その様はもやは間欠泉のようだ。
そして、私はもうその男子生徒のことは既に気にならなくなっていた。
男子生徒目当てにクラスの前に行列を連ねる・・・・・実に変人だ。
そんな変人の輪の中にわざわざ飛び込む意味がない。
私は普通な人間なんだから。
で、そんな普通な私はというとある仕事を担任から任されていたために
午前中の明るい雰囲気とは打って変わって何処か寂しげな教室へ残っていた。
隣のクラスから悲鳴にも似た歓声が聞こえてくるけども。
「はよ終わらせて帰ろうや。」
面倒くさそうな顔をして、しかしきっちりと作業をしながら彼は言った。
仕事を任された人間はもう一人いたのだ。
「まったく、よりによって何でこんなのと・・・」
その人間に聞こえないようにぼそぼそと呟いてみたが、
「こんなので悪かったな。」
やはりその人間の心眼には敵わなかった。
もし、ギャンブルとかやったら最強なんじゃないだろうか。
いや、肝心なときにスキルは発動しないんだったけ。
そんなことを考えてたらふと、転入した日のことを思い出した。
「おまえ―――、楓か?」
関西人が発した、あの意味不明な言葉。
楓・・・・・・・・・・
ずっと気になってはいたが、変人の言葉に反応するのが癪だった。
でも、何だろう。
見渡す限りの青空、それを遮るが如く点々と浮かぶ灰色の雲のようにもやもやとした感触。
その言葉の意味を考えると、とても歯がゆかった。
「そういえばさ、あんた、私が転入してきたとき言った言葉、覚えてる?」
自然と口が動いてしまった。
「え、あ、ああ」
「楓・・・って誰?」
瞬間、時が止まったかのような静寂が元々静かだった教室を更に空しくさせた。
あんなにキャーキャーワーワー騒いでいる声がどんどん遠く離れていくような、そんな気がした。
あの時と同じ、前の学校で初めて関西人(この関西人とは違うけど)と逢った時と同じ空気が流れた。
――――――――あの時と同じように関西人が静寂を破った。
無意味なものではなく、意味のあるもので。
「楓・・・楓っていうのは・・・」
「昔飼ってた犬の名前や。」
「…は?」
この関西人は今なんて言いやがったんだろうか。
結構前から気になって、気になって仕方なかった答えが…昔飼っていた犬の名前…だぁ?
「だから、昔飼ってた犬の名前やゆーてんねん」
ふざけるのも大概にしやがれ……。
ん?待てよ…?
なにかおかしいぞ…これ?
この関西人、初対面の私に向かって、「お前…楓か?」と言いやがったのだ。
いくらなんでも人間の女の子の私と昔飼っていた犬の名前を間違うわけがない。
要するに…この関西人は嘘ついてやがるのか。
「…嘘。」
「はぁ?お前なぁ…。俺の何を知ってるっていうねん。」
そう言って関西人は、私を睨みつける。
正直怖い。
嘘と言った瞬間から、彼の雰囲気が変わった。
雰囲気だけじゃない。目も変わった。
真剣に怒っているのだ。
私が嘘と言ったことに怒っているのか、嘘がばれたことに怒ってるのかはわからない。
けど怒っているのは確実だ。
これは殴られるかもしれない。
でも、そう思っても私は言うのをやめれなかった。
「あんたのことなんか何も知らない。けど、初対面の私に向かって楓
って言ったんだから…昔飼ってた犬のはずない。」
しばらく、いやな沈黙が流れた。
身動き一つできない、いやな沈黙。
それを破ったのはまた関西人だった。
関西人はいきなり、狂ったように笑い始めた。
そこで私は確かに聞いた。
普通の日常。変人が99%を占めるこの普通の日常。
この普通の日常が壊れる音を私は聞いた。
「あんたのことなんか何も知らない。
けど、初対面の私に向かって楓って言ったんだから…昔飼ってた犬のはずない。」
彼―――関西人に向かってその言葉を放つとしばらくの沈黙の後に狂ったように笑い出した。
その突然の豹変振りに思わずゾッと背筋に嫌なものが流れる。
思わず後ずさりしてしまう。
「質問に答えて……」
弱気になりながらも答えを促す。
すると彼はようやく笑いを止めてくれる。私は少しホッとした。
「そうやねえ……。今のお前にはまだ話せないわ」
「え?」
呆気なく言った彼は踵を返して帰ろうとする。
「ちょ、ちょ…そこまで焦らしといて答えは『まだ話せない』って納得できるかー!」
「しゃあないやろ…まだお前は思い出してないんやから」
……思い出して…ない? 何を? 私が思い出してない、思い出さないといけないことって?
その時、頭に痛みが走る。だけど、そんなことは気にならなかった。
それと同時に脳内にあるイメージが湧いてきたからだった。
――― 「僕、変人になっちゃった…」
―――「せやから、アンタは今日から女として生きるんや」
―――「僕さ、告られちゃったんだ…男だと思ってたのに…」
「う…あああぁぁぁあああああああ」
何!? 何なんだこのイメージは!? わからない。私にはわからない。
―――「短い間やったな、変人女さん。」
校門の前で「僕」を見送っている関西人がはっきりと口にした。
「はぁ…はぁ…」
そのフラッシュバックを終えると、私は長距離走を走りきったような苦しみに襲われ、地面に手をつき呼吸を荒げていた。
関西人はそんな私をただただ見ているだけだ。
これは…どういうことだ?
私は「僕」…? いや、「私」は「私」だ。でも、「僕」じゃない。
ならこの人物はいったい…?
そして、フラッシュバックに出てきた「僕」を見送っていた関西人。
それは目の前にいる彼だ―――。
「私と貴方は会ったことがある……?」
でもそれはおかしい。私はそもそも彼と会った記憶なんてないし、第一「雪乃」と「楓」は違う名前だ。
それでも、なぜだかそれだけははっきりと言えた。何でだかはわからない。
関西人は私を一瞥すると再び踵を返して歩いていった。
数歩進んだ後、一度だけ止まって首だけこちらに向けると、
「大丈夫や。雪解けまでには全てがわかるから」
ニコッと笑って再び足を動かし始めた。
「はぁ~…」
私は自分の部屋に入ると、真っ先にベッドに身を投げ出した。
今日は……なんだか疲れたな……。
やはり関西人との一件が原因だろう。
瞼が重い。このまま寝てしまおうか。
……寝るなら、その前にやっておかねばならないことがある。
私は鉛のように重い体を無理やり動かしてベッドから降りる。
部屋を出て、下にある仏壇に向かう。
その仏壇に飾られている写真の人物は私の父だ。
父は突然倒れて入院したが、それからしばらく後に亡くなってしまった「らしい」。
いつ、なんで、亡くなったのは覚えていない。私が覚えてないのは父が死んだショックだと誰かが言っていた。
この事実は今引き取られている父方の実家……つまりおばあちゃんに聞いたのだ。
「あらまあ、雪乃ちゃん帰ってたの」
「うん、ただいま、おばあちゃん」
「……今日も律儀だねえ」
それは当然だ。実の父だもの。
「この子も…楓さんもこんないい子を残して」
ん? 今おばあちゃんは何と言った? 「楓さん」?
それはもしかしたら全然関係ないことかもしれないのに―――あの男のせいで妙にその名前が気になった。
「おばあちゃん、その楓さんて?」
「貴女のお母さんよ。貴女が小さい頃に亡くなったから覚えてないんでしょうね」
私はとてもつもない衝撃を受けた。頭がグラリと揺れて思わず意識を失いそうになる。
「楓さん」は私の母? つまりあの関西人が言ってたのは彼女のこと?
いや、でもそんなことあるわけ―――
「ねえ、おばあちゃん」
「ん? なんだい?」
「……私さ、最近何か変わったかな? あ、おばあちゃんから見てね。別に変な意味じゃ…」
おばあちゃんは小さく笑う。
「雪乃は面白い子だねえ。んー…ここ最近明るくなった感じがするわ。
親が亡くなったんだもの。暗くなってて当然よ」
「うん、そう。ありがと、おばあちゃん……」
違う。おかしい。
私は前からずっと明るかったはずだ。なのに、最近明るくなったって?
もしかしたら。
今日彼に言われたことは父さんの死が何か関係してるのかもしれない。
私は父さんのことを思い出してみる。優しくて頼もしい…でもちょっと間抜けなお父さん。
私はそんなお父さんが大好きだった。
だから、父さんが死んだ時は…狂ったように毎晩ないていたなあ。
でも、父さんが死ぬ直前に私は何をやっていた?
思い出そうとしても何も思い出せない。
いや、思い出せないというよりも…そこだけぽっかりと穴を開けられたような、そんな感じ。
でも待って。私は転校を何度も繰り返してきたという。
前の学校のことは思い出せる。あの時は友達がいなかったらきっと潰れていただろうな。
でも、それよりも前の学校のことはまったく思い出せない。
…おかしい。どいういうことだ。なんで、なんで―――何も思い出せないの。
死ぬ直前だけ穴がぽっかり開けられていた? 違う。
お父さんが死ぬ前よりも昔の記憶ごと穴を開けられているんだ。
なんで、今頃私はそれに気づいた。なんでこんな重要なことに今まで気づかなかった?
わからない。わからないわからない。わからないわからないわからないわからないわからない。
考えれば考えるほど――線は複雑になっていく。
「秀夫もそうだったんだよ」
おばあちゃんが唐突に言った。秀夫とは父さんのことだ。
「楓さんが亡くなってからね、秀夫もこの前までの貴女みたいだったの」
そうだったんだ…。
「ねえ、おばあちゃん」
「なあに?」
「楓さん――お母さんはどんな人だったの?」
おばあちゃんは首をかしげて少し考え、
「楓さんは…冷静な方だったわ。でもどこか暖かいの。隣にいるとなんだかほんわかしてくるの。
あ、そうそう。楓さんは貴女に元気な子になってほしい、って言ってたわ。
もうすっかり忘れているでしょうけど」
おばあちゃんはほほ、と笑う。
「楓さんが好きだった秀夫は長い間苦しんでたのよ。そんな時ね、貴女が秀夫にこう言ったのよ
『私がお母さんの代わりになる』って」
「あ……」
ふっとそのときの記憶がよみがえる。
あれは夜。トイレに行きたくなった私は起きちゃって、リビングで泣いてる父を見たんだ。
それで、私の小さい手でお父さんを撫でて―――その言葉をお父さんに…。
「秀夫はそれで目を覚ましてねえ。貴女をここまで必死に育てたのよ。
楓さんが言っていた元気な子になるようにねえ。
元気すぎて男の子みたいに『僕』って一人称きになっちゃってるって苦笑しながら話してたわ」
複雑に絡み合っていた線が全て繋がった気がした―――。
「そうなんだ……」
「そうよ。それが今はこんなに女の子らしくなっちゃってねえ」
おばあちゃんは私のことを見てくる。
その視線が優しくて、なんだかくすぐったかった。
「うん、ありがとう…。もうひとつだけ訊いていい?」
「いいわよ」
「私が今通ってる学校あるでしょ? なんであの学校にしたの?」
「秀夫の希望よ。あの子が倒れちゃったから転校しちゃったけど…。
あの子は貴女に『もう1度あの学校に通わしてほしいって』。
それで貴方が1年前に通っていた学校に転校させたのよ」
ああ、お父さん。
そんな…そんな私のために…。
今にも泣きそうだった。
お父さんの想い。初めて知った楓さんの―――お母さんの気持ち。それを見守り続けていたおばあちゃん。
周りにはいい人たちが溢れている。その優しさに涙腺が緩くなってしまう。
私は多分、全て思い出した。
私は1年前まで自分のことを「楓」と名乗っていた。お父さんに言った言葉の通りに。
1人称は「僕」だった。それはお母さんの願い。それが少し行き過ぎちゃっただけ。
記憶がないのは、今まで「楓」だったから。二重人格みたいなものだろう。
そしてそれはお父さんの死によって私は「上原雪乃」に戻った。
関西人とは私が「楓」だった頃に1年前に出会っていたのだろう。
あのフラッシュバックはきっとその「楓」の時の光景。
全て思い出したせいか…「楓」だったときの記憶も戻り始めていた。穴が塞がれていく。
…… でも、まだだ。全ての謎が明かされたわけじゃない。
―――「まだお前は思い出してないんやから」
なぜ彼は私が思い出してないないことを知っていた?
そもそも、なんで「楓」と「雪乃」の両方を知っていた?
「楓」しか知らないはずならこんな言葉を言う必要ないんだから。
―――「雪解けまでには全てがわかるから」
これは一体どういう意味なんだろう。
彼は私が思い出すことを知っていた?
彼は…「全て」知っていた?
わからない…。またわからないだ…。でも、さっきまでのわからないとは、違う。
私は真実を知りたくて。知りたくて。
いても立ってもいられない。
行こう。どこに? わからない。けど、どこかに。
私の中ではすでに「どこにも行かない」という選択肢はなかった。
―――そうだ。学校だ。学校に向かおう。そこに向かえば、きっと何かがあるはずだ。
私は何故かそう確信していた。
「… おばあちゃん」
「なんだい?」
「私…ちょっと出かけてくるね」
「いいけど、晩御飯までには帰ってきなさいね」
「うん!」
力強く返事をして私は立ち上がり、部屋を出た。
そして私は家から飛び出した ―――――




