表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

Z級召喚士は守護シャークで無双する!?

作者: 八木 羊

 空から何匹もの()()が降ってきて、武装した男たちに次々と襲い掛かる。


 鋭い(あぎと)が鎧ごと男の脇腹を食いちぎり、男はこぼれそうになる中身を必死に抑えるが、血の臭いに引き寄せられたか、瞬く間にサメたちに囲まれ右へ左への引っ張りだこ。命乞いとも悲鳴ともつかない絶叫と、関節や骨の砕ける音が聞こえてしばらく、サメたちは散開した。

 あとには肉片の一つ、血の一滴も残っていなかった。


 同胞のありさまに悲鳴を上げ逃げ惑う者もいれば、手にした武器で果敢に挑む者もいたが、結果は大差なかった。

 悲鳴ごと丸呑みにされた者はまだマシで、ある者はサメたちにお手玉のように弄ばれていた。サメが男の体を宙に放るたび、足がもげ、腕が千切れ、血まみれの肉塊と化していく。

 薔薇やチューリップが咲き乱れる庭園は、今やサメと血と死体であふれかえっていた。その横を警戒心などまるでない白孔雀が優雅に闊歩している。


 何が何やら。一体どうしてこんなことになってしまったのか。

 少女はここに至るまでの記憶を少し遡った。


***


 青ざめた肌の乙女が舞うたびに水柱が打ち上がり、砕ける飛沫(しぶき)は次々に蝶となって羽ばたいた。


「これがウンディーネの力……いえ、エメラダ様のお力ですね」


「まさに召喚術の妙技! バーネット家は安泰というもの」


 空を飛び交う水の薄翅は、初夏の鮮烈な日差しを虹色に分解してきらめく。

 庭園のあちこちから賞賛の声が上がった。声の中心には栗茶色の巻き毛の少女と、七三分けの中年男性がいた。

 今日はエメラダ・バーネットの十四歳の誕生日。召喚士の名門の一人娘である彼女のお祝いには、歳の近い似たような家柄の少年少女が三十人ばかり招かれていた。


「あのお転婆な妹からこんな俊才が生まれるとは、私もびっくりだ」


「もう伯父様ったら」


 宴の会場は、エメラダの伯父クレイン卿の屋敷。門の前には体格のいい守衛が何人もいて、傍から見れば物々しい様相であったが、中に入ってしまえば、庭園は色とりどりの花々や放し飼いの孔雀、テーブルに並ぶ宝石のような砂糖菓子など、優雅そのものといった風情だった。


 しかし、そんな華やぎとは距離を置くように木陰のベンチにポツンと座る少女がいた。

 彼女は絹糸のような淡色の髪を耳にかけると、前方に向かって両手の人差し指と親指で枠を作った。即席の小さな額縁の中で、水の蝶が生垣の薔薇に留まって、透き通る翅を休めていた。


「あら、その間抜け面、誰かと思えばアルバトロ家の問題児、マギーじゃない」


 蝶を見つめていた少女――マーガレット・アルバトロは思いがけない声掛けに、びくりと肩を震わせたが、声の主を見るなり、ふわっと顔をほころばせた。


「さすがですね、エメラダ。こんなに画になる精霊の使い方は初めてです」


 マーガレットの視線は、エメラダの傍らにふよふよと漂う精霊に向けられた。


「おい、あれ……」


「同じ召喚士の名門でも、かたや跡取りの俊才。かたや落ちこぼれの変人か」


 人々がざわめく。広い庭園の端っこにいたマーガレットに気を留める者は長らく皆無だった。だが、宴の主役たるエメラダが話しかけに行ったことで、風向きが変わった。

 名高い召喚士一族の娘二人。しかし正反対な評判の二人。どんな化学反応が起きるやら、人々は好奇の眼差しを注いでいた。


「そんなに描きたいなら、自分で召喚すればいいでしょう? ウンディーネなんて、一つ星の召喚士でも呼べる初歩の霊体なんだから。ああ、でも四大精霊の一つも呼べない、万年『星なし』の貴方には無理な話か。長子がそんなザマじゃ、アルバトロ家の行く末が不安だわ。このままじゃ王宮への仕官も厳しいでしょうしね」


 エメラダは自慢の豊かな巻毛をかき上げて言った。傍らの精霊は淡い光の粒となって消えた。薔薇に留まっていた蝶も露となり、花弁を濡らした。


「心配してくれて、ありがとう。でも、私には優秀な妹がいますから」


 エメラダの言葉には露骨すぎるほどに棘が含まれていたが、マーガレットはその棘をくすぐったい程度にしか感じないのか、はにかんだような笑みで答えた。

 エメラダはハン、と鼻を鳴らしつつ訊いた。


「ロザリーはどうしたの? いつもならこういう場所に出てくるのは彼女でしょ?」


 マーガレットの脳裏には、昨日から食あたりでトイレとベッドを行ったり来たりする二つ下の妹の青い顔が浮かんだ。人の多い場所が苦手なマーガレットとしては、パーティなどもってのほかだったのだが、可愛い妹が脂汗をかきながら「お姉ちゃん、お願い!」と懇願してきては、断りようがなかった。

 たとえ、食あたりの原因がこんな暑い季節に好物の生牡蠣をいくつも平らげた妹の自業自得であっても。


「妹は()()()を引いてしまって。ですから、妹に代わって……」


 妹の名誉を守りつつ、マーガレットはベンチからさっと立ち上がった。同い年の少女たちは、向かい合うとマーガレットの方が少し背が高かった。靴のヒールはエメラダの方が高かったが。


「エメラダ様、本日はお招きいただき誠に感謝しております。そしてお誕生日おめでとうございます。どうぞ、こちらの贈り物を」


 マーガレットがそう言って手を掲げると、何もない空間に光の粒が集まって、高さのある丸い箱と平べったい板のようなものが現れた。

 エメラダは早速箱を受け取ると、緑色のリボンをほどいて中身を取り出した。中には瑠璃色の羽根飾りのあしらわれた帽子が入っていた。


「妹からの預かり物です」


「さすがロザリー、いいセンスね。ありがとうって伝えておいて。それと一刻も早い回復を願っているともね」


 そう言うと、エメラダは箱に手をかざした。そして「中へ」と呟くなり、帽子は箱ごと光の粒になって消えた。物体を霊体化して出し入れするのは、召喚士でなくとも使える初歩的な空間魔術だった。


「それで、そっちが貴方からの贈り物?」


「ええ、お気に召していただけるといいのですが」


 エメラダは差し出された板を受け取り、表にひっくり返した。それは額装された一枚の絵だった。

 エメラダの肖像画。

 翡翠の目も、その目を縁取る栗色の睫毛も、同じ色の髪も、まるで鏡写しのように一本一本精巧に描かれている。それこそ、今にも瞬きして動き出しそうなほどに真に迫って、生々しい。

 その筆力に気圧されながらも、エメラダはもったいぶるように言った。


「ふうん、貴方は召喚士よりこっちで生計立てた方がよさそうね」


「そこまで言われると照れてしまいますね」


 マーガレットは嬉しそうにほほ笑んだ。やはり嫌味は通じないらしい。


(象の足裏並みに面の皮が厚いこと……)


 エメラダは絵を霊体化すると、「ところで」と話を向けた。


「ロザリーは先日、私と同じ二つ星に上がったと聞いたけど、貴方は一体いつになったら見習いの文字が取れるの? というか貴方、本当に召喚できるの? 見習いとはいえ、召喚士の認定を受けたからには、何かしらの霊を呼び出せるはずよね。でも、私は貴方が召喚しているところなんて見たことがないのだけど」


 エメラダは、責め立てるように言葉を繰り出した。

 彼女は、常々マーガレットに疑念を抱いていた。

 マーガレットの見習い召喚士の資格は、アルバトロ家がその家名で彼女に買い与えたものじゃないのかと。


***


 召喚士の中でも、最も初歩である見習いの条件は、一種類以上何かしらの霊を呼べること。一つ星なら、四大元素を司る精霊――サラマンダー、ウンディーネ、シルフ、ノームのうち一種類。二つ星なら四大精霊全て、もしくは神霊や幻獣のような精霊より上位の霊を一種類以上呼べること――というふうに、召喚士は勝手に名乗れるものではなく、その資格や等級については国が基準を定め、試験を課している。


 そもそも召喚術とは、物質界より高次のアストラル界と精神を繋ぎ、そこに属する超常的存在を呼び出す――空間魔術の神髄とも言うべきもの。その才能を持つ者は生まれつき限られている。

 素質ある者はアストラル界と繋がった際、呼ぶべきものの情報を幻燈の如きビジョンとして()る。すると、その本質を表すに相応しい言葉が自然と胸に浮かんで口をつく。それが召喚に必要な言霊(ことだま)であり、同じ霊を呼ぶにしても言霊は召喚士それぞれで違う。


 湖に棲まう美しい水精が、やがて人間の男と恋に落ち、悲恋の末、自滅する――同じビジョンを視ても、エメラダはウンディーネを呼ぶとき「七彩の鱗持つ水の乙女よ」と唱え、マーガレットの妹ロザリーは「水底に沈みし恋の俘囚よ」と唱えた。

 言霊は、召喚士の性格や気質が如実に表れるものであった。


 残酷なことに、天稟のない者はたとえ逆立ちしたところでビジョンを視ることもなければ、言霊が浮かぶこともない。見習いにすらなれないのだ。しかも、この才能は遺伝する。

 だから召喚士の一族は、いずれもその血統と才能の保持に躍起だ。当然、バーネット家と並ぶ召喚士の権門アルバトロ家の長女が無才など、あってはならないことだった。


***


 そういった事情に思いを馳せながら、エメラダが言う。


「減るものじゃないし、マギーの召喚術見せてよ。ヒキガエルの霊だろうがミミズの霊だろうが笑わないわ」


 エメラダがマーガレットに召喚術の実演をねだるのは初めてのことではない。幼い頃から親の付き合いで顔を合わせるたび、エメラダはマーガレットに同じ質問をしていた。昔は言葉通りの好奇心から。今は、相手を貶め傷つけようとする嗜虐心から。

 エメラダの心は時とともに変化したが、対してマーガレットの反応はずっと変わらない。


「わざわざ見せるほどのものじゃないですよ」


 マーガレットはいつだって、はにかんだような少し困った顔で笑ってみせるだけ。

 エメラダはマーガレットのこの顔を見るたびに無性に腹が立った。


「お、珍しい、アルバトロ家の出来損ないの方じゃん」


 二人を遠巻きに見ていた招待客の中でも特にエメラダと親しい数名が、頃合いを見計らったように近づいてきた。男一人に女二人。彼らは召喚士の家系ではないが、騎士団長の息子やら御用商人の娘など、いずれも錚々たる家の子女で、社交場の常連だった。


「それを言うなら、才能も性格も、良いところは全部妹に吸いつくされた、出がらしのマーガレットでしょ?」


「駄目ですよ、そんな本当のことを仰っては。ああ、でも萎れた菊花(マーガレット)らしい、地味で古ぼけたお召し物ですわね」


 商人の娘はそう言ってニヤニヤとマーガレットのドレスを見た。春空のような乳白がかった淡青色のタフタのドレスは、マーガレットの母親が、彼女のドレスを娘用に繕い直したものだった。生地はたしかに少し古いが、落ち着いた色味と滑らかな手触りは、マーガレットのお気に入りだった。


「もっと派手な色に染め直してあげよっか? ねえ、ワインレッドはいかが?」


 外交官の娘が、葡萄色の液体で満たされたグラスを掲げてみせた。

 それまで何を言われても微笑を浮かべていたマーガレットが、はじめて眉をひそめた。そして困ったとでも言うように肩を竦めた。


 直後、不可解な現象が起きた。


 外交官の娘の手から突如グラスがなくなった。と思いきや、「おや?」と後ろから声が上がった。声のした方に皆が視線を向けると、やや離れた所にいる青年の胸元に赤いシミができた。青年も、青年の隣にいたクレイン卿も驚いた顔でそのシミを見ている。


「これは一体……? いや、まずは替えのお召し物を!」


「これぐらい平気さ。よく言うだろ、水も滴るいい男って。僕ほどのいい男には水の方が吸い寄せられてしまうらしい」


 慌てふためいているクレイン卿に対し、青年は鷹揚に笑っている。


 外交官の娘は空を掴んでいる自身の手と青年の胸元とを怪訝な顔で交互に見比べていた。が、クレイン卿が一喝する。


「ソーヤ殿下に飲み物をぶちまけて、しかも謝罪もなしとは何様のつもりだ!」


 娘は雷に打たれたように体を震わし、慌ててその場に平伏した。彼女の目には青年の足元で砕け散っているグラスの破片が見えたが、気が動転してそれどころではない。しどろもどろになりながら、なんとか謝罪の言葉を口にする。


「も、申し訳ございません。王子殿下に何たるご無礼を!」


 その場にいた少年少女の誰もが背筋を正し、神妙な顔で自国の王子――ソーヤ・メリエスを見つめていた。

 社交界に疎いマーガレットでさえ、王子の尊顔は知っていた。陽の光を集めたような黄金色の髪に、中性的で柔和な面立ち、何より青と黒の左右で色違いの瞳が印象的な青年だった。


 エメラダは、地面に額をこすりつけている女友達に、ちらりと冷たい視線を送ると、すぐさま心底申し訳なさそうな顔を作って前に進み出た。


「失礼いたしました、ソーヤ王子殿下。それにクレイン伯父様。友人同士の話でつい盛り上がるうちに、手からグラスが滑ってしまったみたいで……彼女には私からも重々言い含めておきますので、何卒ご寛恕を……」


 エメラダが深々と頭を下げる。

 クレイン卿は神経質そうに髪の分け目を撫でながら、隣の青年の顔をうかがった。何せ、姪の誕生日会に自分の別邸を使わせたり、王子を招待することを勧めたのは、他でもない彼自身だ。姪っ子が可愛いのはもちろん、それ以上に王子の覚えを良くしようという打算からの申し出だった。

 しかし、このままでは思惑とは逆の効果になりかねないと、クレイン卿は内心生きた心地がしなかった。


「二人とも顔を上げて。気にしていないから」


 ソーヤは左目をつむって笑ってみせた。明るい碧眼には一点の陰りも見えない。その場にいた誰もがほっと胸を撫でおろした。


「ただ、拭くものをいただけるかな。二枚頼むよ。クレイン卿も袖が汚れているからね」


 クレイン卿が自分の袖口を見やる。たしかに、右袖にシミがついていた。土下座していた少女は「ただちに!」と弾かれたように走り出した。一緒にいた友人たちも彼女に続いた。


「改めてお久しぶりですわ、ソーヤ殿下」


 エメラダがドレスの裾を持ち上げて恭しくお辞儀をした。


「やあエメラダ。植物園の開園記念式典以来だから、半年ぶりかな。それで、こちらの女性は……」


 ソーヤはその長身を少し屈めて、マーガレットの顔をまじまじと覗き込んだ。

 マーガレットは思わず体をこわばらせた。

 相手が初対面の異性、それも殿上人だからというのもあるが、それ以上に王子の目に気圧されたのだ。

 黒い瞳というのは、あまりこの国では見かけない。青い右目と違って、その漆黒の虹彩は鏡のようにマーガレットの姿をはっきりと反射していた。


「メグ……?」


「なぜ私の名前を?」


 マーガレットは首をかしげた。

 自分をメグと呼ぶのは家族ぐらいだ。そもそも王子とは顔を合わせるのも初めてで、まだ名乗ってもいないのだが。


「ああ、これは失礼。マーガレット・アルバトロ嬢。貴方の妹君とは何度か顔を合わせていましたので、お噂はかねがね。とても優秀で、家族思いの姉君だと」


「はあ……それはどうもありがとうございます」


 人一倍社交的で誰よりも才能に恵まれた妹なのだが、少々お調子者の気があって、あることないこと平気で言う。これまたとんだデタラメを言ったものだと、内心で呆れつつマーガレットは気の抜けた返事をした。


「ロザリーは相変わらず、気が利くわね。跡取りでもない()()()()()の顔まで立てるなんて。それよりもソーヤ殿下、今、王立劇場で上演されている『ニーベルゲンの伝説』はもうご覧になりまして? 実は伯父上があの作品の元になった召喚口伝の写しを手に入れたというので、見せてもらう約束をしていましたの。殿下もご覧になりませんか?」


「それはいい。ぜひ、拝見させていただこう。アルバトロ嬢はどうかな?」


 そう言ってソーヤはにこやかな顔をマーガレットに向けた。そのすぐ後ろから、エメラダが氷柱のように冷たく鋭い視線でマーガレットを刺す。将来の国王陛下と目される王子と二人きりになれる絶好の機会、邪魔者などいてほしくないだろう。


「いえ、私はあまり古典には詳しくないので」


 マーガレットは首を横に振った。すでにアルバトロ家の名代として必要な挨拶は済ませている。ならば、これ以上はあまり目立たず、ひっそりと息をひそめている方が家や妹のためにもなろう。マーガレットはそんな風に思っていた。


「それは残念だ」


 ソーヤはそれ以上、しいてマーガレットを誘いはしなかったが、去り際にマーガレットの耳元で「またね」と囁いた。

 聞き間違えか、社交辞令か。王子殿下相手にこんな風に思うのも失礼だが、「なんだか変な人」というのがマーガレットのソーヤ王子に対する印象だった。


 そしてその予感は的中した。


***


「アルバトロ嬢、これからは僕もメグと呼んでいいかな?」


 木陰のベンチでしばし一人静かな時間を過ごしていたマーガレットの左隣に、ソーヤは特に何の断りもなく、ごく自然な所作で腰を下ろした。


「王子殿下がお望みであれば、どうぞお好きにお呼びください」


 マーガレットは王子の方を見てそう言うと、視線を先ほどから眺めていた生垣の白薔薇に戻した。白い花々の間をミツバチがせわしなく行き来しているのが見える。ぶぅんと耳朶をくすぐる羽音は平和そのものだった。


「ではメグ、私のことはソーヤと呼んでくれ」


「……無理ですね。ちょっと不敬が過ぎるかと」


「王子の願いを無碍にする方が不敬じゃないかな?」


「たしかに、命令ならば断るのは不敬でしょう。でも、願いと命令は違うものかと」


「まあ、命じるほどのことではないからね。なら、呼び捨ては、いずれ気が向いた時でいい」


「……王子殿下は、何故よりによって私を話し相手に選んでいるのでしょうか?」


 マーガレットはあたりを見回した。

 ソーヤとエメラダが庭を抜けていた時間は小一時間ばかりだろうか。雑談に興じていた招待客もそろそろ話のタネが尽きた頃で、となれば、この宴で一番話す価値のある賓客と一言でも言葉を交わしたいと誰もが思い始めていた。


 招待客の殆どがこちらを見ている。誰もがソーヤ王子にご挨拶し、あわよくば少しでも自分の名前を売り込みたいと願っているのだ。当然、エメラダもまだまだ機会をうかがっている。

 エメラダもマーガレットも、そろそろ王宮への仕官も考える年頃だった。

 王子との繋がりを深めれば、近衛隊や、王立の召喚術研究所など、花形の職務に就ける可能性は格段に上がる。

 さらに言えば、王妃候補となることも。

 ソーヤ王子は今年で十八。召喚士の力は王族でも重宝がられていて、ソーヤの母、現王妃も召喚士一族の出だ。エメラダが躍起になるのも当然だった。


 なのに、何故よりによってここにいる招待客の中で、最も話す価値のない落ちこぼれと口をきいているのか。そう責めるような鋭い視線をマーガレットはそこら中から肌で感じていた。

 王子だって、多少は感じているだろうに。一体、何を考えているのだろう。

 あまり他人の思惑など拘泥しないマーガレットですら、首をかしげずにはいられなかった。

 エメラダの怪訝な視線に気が付いたか、ソーヤは青い目を細めて言った。


「メグは前世というものを信じるかい?」


「前世ですか?」


「私は信じている。なにせ、私と君は前世からの知り合いだ」


 この王子様、変な占い師か錬金術師にでも唆されているんじゃないだろうか――

 マーガレットは脇のあたりが冷える気がした。怪しい勧誘でもされたらどうしよう、と。何より、これが将来の我らが王。国の未来を思うといささか憂鬱だ。


「かつて私たちは同じ学び舎で肩を並べ、同じ趣味に没頭し、同じ物語や空想に熱中した……言うなれば同志だった。しかし、不慮の事故で二人とも若くして命を落としてしまった。実に嘆かわしいことだが、捨てる神あれば拾う神あり。今生でこうして再び相まみえたというわけだ」


 そう言うなりソーヤはマーガレットの両手を自分の手で包み込むようにがしっと掴んだ。

 遠巻きに見ていた少年少女たちが目を瞠る。エメラダに至っては目を血走らせ、眼力で人を殺せるなら、マーガレットは確実に死んでいるだろう程だ。

 彼らの距離からではソーヤたちがどんな話をしているかまでは聞こえず、傍から見れば、王子がマーガレットを熱烈に口説いているように勘違いされても仕方なかった。


 周囲の受け取り方はさておき、マーガレットも手を握られながら、一体何がなんだかと混乱しきっていた。


「王子殿下、話が全く見えないのですが……」


「……なんてね。そんな前世からの繋がりを思い描いてしまうほどに、私は君に不思議な縁を感じているということだよ」


 鈍感なマーガレットでも、ここでようやく思い至る。ああ、そういう口説き文句かと。

 しかし、ソーヤ王子がプレイボーイだとかそういう噂は聞いたことがない。もし浮ついた話の一つでもあれば、もれなく妹ロザリーの耳に入り、それはマーガレットも聞くところとなっているはず。

 王子についてマーガレットが聞く評判は、むしろ品行方正で勤勉、そして彼も召喚士として優秀ということだった。


 といっても彼は召喚士としては二つ星。霊の召喚に関してはまずまずだった。

 だが、召喚士が召喚できるのは、精霊や神霊、幻獣ばかりではない。そういった存在が操っていたとされる宝剣や、雷霆といった得物を呼び出し、操るのもまた召喚術だ。ソーヤ王子はこの手の霊的兵器の召喚において秀でた力を持つともっぱらの評判だった。


 だが、そんな優秀で立派な人物であればこそ、何故、自分のような落ちこぼれを口説こうとしているのか、マーガレットはさっぱりわからなかった。

 頭が良くてユーモアに富んだ王子なりの渾身のジョークという可能性もあるが、それならそれで、今私の手を掴んで決して離そうとしない、この手はなんだろう。

 ソーヤの掌から伝わってくるじっとりとした熱と、それをおくびにも出さない爽やかな笑顔。その二つの落差に戸惑い、押し黙るマーガレットに、さらに追い打ちをかけるように王子は笑顔のまま言った。


「そうそう、さっきのワイングラス、あれは君の仕業だろう?」


「え?」


 ソーヤの胸元には赤いシミがいまだ大きく残っていた。

 青と黒の双眸がじっとマーガレットを見つめる。底の見えない黒い瞳には一体何が映っているのか。マーガレットが問い質そうとした、その時だ。


 キイィイイン――と甲高い金属音がマーガレットの耳を貫いた。


 それこそ、金属の細長い棒を耳穴からきりきりと押し込まれ脳内を掻きまわされるような、鋭く、逃れがたい不愉快な音だ。

 「いったい?」とマーガレットは呟いたはずだ。が、その声は一切聞こえない。全部、この不愉快な音にかき消されてしまっているようで、ソーヤも口を大きく開け閉めして、自分の声を確かめようとしていた。二人が周囲を見渡すと、他の人々も似たような様子だ。

 皆、自分たちの声がこの金属音にかき消されていることに驚いていた。どんなに大声を出しても無駄だ。

 しかし、この音はこれから始まる異常事態の前奏でしかなかった。


 音が鳴り始めると同時に、庭園に続々と剣やら弩やらで武装した黒衣の兵士たちがなだれ込んできたのだ。

 その数、十五人。招待客の半分にも満たない数だが、襲撃者たちは慣れた様子で二手に分かれると、半数が屋敷の中に突入し、半数は庭の四方に散らばり、困惑する若者たちに武器を突き付けた。そしてたちまち全員を庭の中央に集めた。マーガレットとソーヤも、兵士に剣で促されるまま、人質の輪に加わった。


 ソーヤは落ち着いている様子だったが、マーガレットの隣でエメラダは目に見えて震えていた。

 マーガレットはほんの少し迷ったのち、エメラダの手を握った。エメラダの手は氷水につけたように冷たくなっていた。

 驚いたようにエメラダはマーガレットを見た。


『だいじょうぶだから』


 伝わるかわからなかったが、マーガレットはそう口を動かした。エメラダは小さくうなずき、マーガレットの手を強く握り返した。

 見たところ、中心で指揮している襲撃者たちの頭目の手には、金属製のベルのようなものが握られていた。掌に収まるほど小さいものだが、どうもそれがこの屋敷中を騒がす金属音の発生源らしい。音は一向に鳴りやまず、誰も会話はできなかった。

 襲撃者たちも意思疎通はハンドサインで行っていた。


 マーガレット含めて集められた若者たち、そして屋敷の中から引きずり出された使用人やクレイン卿も、自分たちの身に何が起こっているかまるでわからないという顔だった。

 ただ、守衛もいる屋敷に何故兵士が侵入できたのか、その理由については大半が気づき始めていた。


(この音は召喚を阻害するためのもの?)


 戦場でもない限り、剣のように重量があったり、物騒なものは、霊体化しておくのが一般的なマナーだ。呼び出す際は「来い」なり「いでよ」なり、一言発するだけでいいのだから、普段はそれで事足りる。

 しかし、この金属音で言霊が唱えられない状況下では、守衛は丸腰同然。為すすべなく襲撃者たちに処理されたのだろう。守衛だけでなく、ここにいる日頃剣技を磨き、腕に自信のある青少年たちも、今は武器の一つも出せない。エメラダにしろ言霊をかき消されてしまう以上、精霊は呼び出せなくなっていた。

 それも襲撃者たちの計算の内なのだろう。

 金属音を発生させているベルは細い鎖で所有者の手首に括りつけられ、奪うことは容易ではなさそうだった。


 では、この周到な襲撃者たちは何者か?


 襲撃者の身に着けている、金属とも鞣革とも違う異素材の黒い胸当て。召喚を妨害する精巧な音波装置――マーガレットの頭に、絡繰技術に秀でた隣国の名前が浮かんだ。

 マーガレットの生まれる少し前まで国境線を巡り相争った国で、現在では友好条約が結ばれているとはいえ、火種はなお燻っている。

 政治に疎いマーガレットですら予測のつくことであれば、この場にいる誰もが同じ答えに辿り着いているに違いなかった。


「――!」


 それまで大人しくしていたクレイン卿が、頭目の男に向かって身振り手振りで話しかけた。

 クレイン卿は若者たちを指さし、首をぶんぶんと横に振り、次に屋敷の門を指さした。口の動きと合わせると『彼らだけでも解放してやってくれ!』と訴えているらしかった。


 頭目は首を横に振った。それでもなおクレイン卿が身振りを続けると、頭目は仲間に視線を送った。すぐさま、仲間の一人がクレイン卿に近づき、その鳩尾に拳をめり込ませた。中年男性の大きな体がゆらりと揺れる。さらに別の襲撃者が、弩の持ち手を目いっぱい振りかぶり、クレイン卿の頭に打ちつけた。クレイン卿は地面に倒れた。


 全て無音だが、視覚でも十分通じる生々しい暴力に、その場にいる少年少女たちはすくみ上った。パニックで泣きだす者もいたが、そのすすり泣きも金属音でかき消された。

 隙を見て素手で反撃しようと画策していた数名の勇敢な若者も、今ので完全に心をくじかれてしまった。金属音とは関係なしに、人々は押し黙るしかなかった。

 マーガレットはちらりと横にいるエメラダを見やった。彼女は蒼白な顔で、地面に突っ伏しピクリとも動かない伯父をじっと見つめていた。


 襲撃者の頭目はあらかじめ用意していただろう紙を掲げた。


『ソーヤ・エドウォード、エメラダ・バーネット、ロザリー・アルバトロ、前に出ろ』


 王子と召喚士二人――襲撃者の目的は要人誘拐なのだろう。とはいえ、ここにいるほとんどが要人の子息。誰もが人質として価値がある。王子は別格として、召喚士が選ばれるのは、その存在が隣国にはない恐るべき戦力だからだと、マーガレットは推察した。


 そして、前に一歩進み出た。


 すると、すかさずマーガレットの手を後ろからエメラダが掴んだ。首を横に振って口をパクパクとさせている。『貴方はロザリーじゃない、行く必要はない』といったところだろうか。


『今日は私が妹の代わりですから』


 マーガレットはにっこりと笑って、エメラダの手をそっと払いのけた。そして紙を掲げている頭目のもとへと迷いなく歩んだ。

 頭目はマーガレットを見ると、紙に書かれた『エメラダ』と『ロザリー』の文字を指で交互に指し示した。きっと、『お前はどっちだ?』と訊ねているのだろう。


 まさか久々に顔を出した社交界でテロリストに襲撃されるなんて――とマーガレットは内心で溜息をついていた。しかし、あまり驚いていない自分に気づく。

 なんとなく予感はしていたのだ。

 才能も社交性も、そして運も全て兼ね備えた妹が、今日に限って牡蠣にあたった。それはつまり、今日に限っては休んだ方がいいという天の思し召しだったのだろう。


(貧乏くじを引くのは、いつだって私の方なんですよね……)


 やれやれ、とマーガレットが肩を竦めるのと、襲撃者の一人がしびれを切らしてマーガレットにナイフを向けるのはほぼ同時だった。


 ナイフを持った男の首が()()()()なくなった。


 血が首の断面から噴水のように垂直に噴き上がり、男の体はゆっくりと後ろに倒れ込んだ。声は聞こえないが、襲撃者たちは明らかにうろたえ、そして慌てて剣を抜き、その切っ先をマーガレットに向けた。

 この間、マーガレットはただ佇んでいるだけだった。

 襲撃者たちの行動は長年の経験に基づくものだったが、彼らの誰一人、この人畜無害そうな小娘が何をしたのか、さっぱりわかっていなかった。


 だから、為すすべなどなかった。


 マーガレットに剣を向けている男の一人が突如、まるで足を掴まれたように地面に引き倒された。かと思いきや、男の下半身がなくなった。男は、はじめ自分に何が起こったかわかっていないようだった。そして、かつて自分の脚があった場所に血だまりだけがあるのを見ると、釣り上げられた鯰のように口をパクパクと開けて無言の叫びを上げた。

 だが、次の瞬間には、叫び声をあげていた残りの上半身も忽然と消えてしまった。男がいたという痕跡は、最早残された血だまりだけだった。


 恐怖に弾かれたように、頭目の男がマーガレットに斬りかかった。


「あぁあ――!」


 絶叫が庭中にこだました。


 頭目の両腕が剣ごとなくなった。その手首に括られていたベルがなくなったことで金属音も止んだ。つまり、空間に音が戻る。

 だが、音を取り戻すことは、恐怖と狂気を取り戻すことでもあった。

 悲鳴を上げる者、息を呑む者、罵倒する者、後ずさりする者、失禁する者――襲撃者も人質も、それぞれの方法で恐怖に惑い、混乱していた。


「お、お前……何をした? 一体何をしたんだ!?」


 両腕の肘から下を失った男が半狂乱で叫んだ。

 マーガレットは困ったように微笑した。


「お見せるほどのものではありませんが……これが私の召喚術です」


 マーガレットの頭上に灰色と白の巨体がぬるりと出現した。

 流線型の体に、大きなヒレ、何より特筆すべきは血にまみれた大きな口――


「さ……サメ!?」


 エメラダが素っ頓狂な声を上げた。無理もない。サメの霊を召喚するなど前代未聞だ。


(そもそも、これは本当にサメ?)


 エメラダには信じられなかった。マーガレットが呼んだサメはあまりに大きく、口は歪に裂け、目も金色に光っている。サメというより、サメの姿をした悪魔という方がしっくりくる。しかし、この国の宗教において悪魔はサメの形をしていない。


(なら、きっとあれは()()()の悪魔……)


 エメラダは思った。

 識者たちの長年の研究で、物質界は私たちの世界も含めて無数に存在していることが判明している。そして、全ての世界はアストラル界で繋がっている。ゆえに、アストラル界にはそれぞれの世界で畏怖や信仰を集めるものの概念情報が集積されるのだ。

 それが、私たち召喚士が呼び出しているものの正体。つまり、私たちの召喚術とは、別世界の神話や伝説、そして信仰の借用なのだ。

 だからあのサメも、あんな姿ではあるが、ある世界では一定の認知と信仰を集めている存在なのだろう。それこそ神か悪魔のように――ここまではエメラダも腹落ちした。


 だが、召喚には言霊がいる。その存在を言い表すのにふさわしい適切な言葉が。

 マーガレットはいかにして、無言であのサメを呼んだのか、エメラダには見当もつかなかった。


「クソッ! 一体なんなんだ!?」


 襲撃者たちははじめこそサメに剣を向けたり、弩を放ったりしたが、分厚い鮫肌にはかすり傷の一つもつかず、敵わないことを悟り始めた。すると彼らは手にした得物を近場にいた女性や、小柄な少年に向けた。


「連れ出せるだけ連れて撤退だ!」


 取りすがり止めようとした者を足蹴にしながら、襲撃者たちは人質を担いで屋敷の門へと走った。

 その背中を見据えながらマーガレットは両の手の指で枠を作り、静かに唱えた。


「来たれ、災厄の化身たる疾風怒涛のサメの軍勢」


 すると、巨大サメは庭園の上空をぐるぐると遊泳し、その中心に風の渦が出来た。やがて渦の中から小さなサメたちが次々現れて、風の波に乗るかのように恐るべき速さで男たちに食らいついた。

 人質はもれなく放り出され、恐怖に足をもつれさせながらもその場から逃げ出した。


 そして、誰もがポカンと口を開けてこの非現実な光景を見た。


 手足を食いちぎられる者、丸呑みされる者、サメの巨体に轢かれる者――暴風のなか、文字通り血風吹きすさぶ一方的な虐殺ショーは、どう見ても惨たらしいはずなのに、現実味がまるでなく、悲壮感とは無縁だった。


 なんだこのバカバカしい光景は。

 それがエメラダはじめ、人々の頭に浮かんだ言葉だった。もちろん、マーガレットも同じ感想だ。

 何度見てもこの光景はバカバカしい。


***


 マーガレットが初めて召喚に成功したのは七歳の時だった。

 家族で森にピクニックに行き、活発な妹に引っ張られて森の奥深くまで侵入したところ、姉妹は大きなグリズリーに遭遇してしまった。そして転んで逃げ遅れた妹を助けようとマーガレットはとっさに祈った。


 (来て! グリズリーを殺せる、とんでもなく強い何か!)と。


 素質のあったマーガレットに深淵なるアストラル界は応えた。マーガレットは異世界で信仰されている、何ものかのビジョンを見た。

 鋭い牙を持ち、暗い波間から神出鬼没に現れては、人でも船でも飲み込む、血に飢えた恐るべき海妖。やがてそれは、海を離れて、何故か陸地すら自由に泳ぎ、人々を食らうに飽き足らず、高層の楼閣すら破壊し、時に地獄の悪魔や幽体、絡繰仕掛けにもなって、生きとし生ける者の血をすすり続ける。まさに破壊と暴力の化身――すなわち、人喰いサメだ。


 幼いマーガレットの脳裏に黙示録然とした血生臭いビジョンが次々に流れたが、つまるところ、サメが来たりて、全てを破壊し尽くし、台なしにするという画に、マーガレットは自然とこの言葉を発していた。


「ふざけた茶番」


 マーガレットは飽き飽きするほど長い時間この茶番を見せ続けられた気分だったが、実際にビジョンを視ていた時間は一瞬だった。

 マーガレットが呟くと同時に巨大なサメが姿を現し、今にも妹に襲い掛かろうとしていたグリズリーを頭から丸呑みにした。


 あまりのことにマーガレットは唖然としたが、妹は「かっこいい!」と目を輝かせた。それから何度か練習するうちに、マーガレットはサメを呼ぶのに言霊すら要らないことに気づいた。

 マーガレットがサメのビジョンから感じ取った本質は、『言葉にするのもバカバカしいもの』であり、それを表すには、大げさに肩を竦めて溜息一つ吐くだけで十分だった。


 誰にでもできることではない。マーガレットは召喚の天才だった。


 その後、はじめての召喚士の認定試験で、試験官たちは皆、目を丸くした。まだ十にも満たない子供が、記録にない未知の霊を召喚したこと、それを言霊なしで召喚したこと、いずれも奇跡だった。

 ある者は、このサメを海魔レヴィアタンの亜種ではないかと言ったが、レヴィアタンを召喚できる試験官は「一緒にしないでほしい」と全力で否定した。


 マーガレットのサメは強力無比だったが、霊体特有の神々しさや格式みたいなものを一切持たず、何故かわからないが、むしろ低俗で奇妙なものという印象を見る者に与えた。

 結果、サメの霊は精霊以下の低級な動物霊として扱われることになってしまった。


 ともかく無事、見習い召喚士に認定されたマーガレットだが、そこからは受難の日々だ。

 マーガレットが一般的な精霊を召喚しようとすると、ビジョンはハッキリ視えるのだが、それをどう言い表すべきか、彼女は言葉に詰まった。


 視えたもの全てを正しく言葉にしたいという欲求が、あまりに強すぎたのだ。

 

 ウンディーネなら、その肌の鱗の一つ一つまで描写しないと何だか嘘をついているみたいだと彼女は感じてしまう。そしてその鱗の輝きについても、たとえば「七色」という言葉を彼女は拒絶した。思う分にはいい。けれど「七色」と口にした途端、実際に存在する無限の色が捨てられてしまうようで、マーガレットにはしっくりこなかった。

 それは彼女が人一倍はっきり視えてしまうこと、そして記憶力が人一倍優れていることと無縁ではなかった。

 それでも何度かこだわりを捨てて、妥協の言葉で召喚を試みたこともあったが、それは結局マーガレットの言霊としては一切機能しなかった。


***


 マーガレットが記憶を遡っていたほんのわずかな時間で、サメによる蹂躙はほぼ完了していた。

 庭園の木々や生垣のあちこちに食いちぎられた襲撃者たちの手足や、関節があらぬ方向に曲がった轢死体が洗濯物よろしく引っかかっていた。

 サメたちに弄ばれた挙句、テーブルの三段ケーキの上にクリーム塗れで放置された生首もある。

 その横では孔雀がまるでミミズでも捕まえたかのように、ピンク色の臓物をついばんで引きずっていた。


 最後まで逃げまわっていた頭目の男も、巨大サメによってとうとう庭の生垣にまで追い詰められた。目の前にガバっと開かれた赤黒い深淵を前に、男は足から震えてその場にへたり込む。お手上げというには、男の両手はすでにない。

 男は頭からバリバリと噛み砕かれていった。


「すごいな。さながら、シャークハリケーンだ」


 生垣の薔薇が鮮血で染められていくのをぼんやりと眺めていたマーガレットに、ソーヤ王子が声をかけた。


「なんですか、それ?」


「さっき君が召喚した、風と共に現れたサメたち。もし名前を付けるなら、そんなところかなって」


「なんの捻りもないですね」


「こういうのは伝わりやすさが大事だ」


 誰に何を伝えるというのか、と疑問には思いつつ、マーガレットも悪くない名前のように感じた。ありていに言えばダサいのだが、妙にしっくりくる。懐かしい気さえするのだ。


「他にはどんなサメを召喚できる?」


「口から火を噴くサメ、全身から放電するサメ、地割れを起こすサメ、目から光線を出すサメ、隕石のように空から降り注ぐサメ……挙げればキリがありませんよ」


 基礎的な精霊の一つもロクに召喚できないマーガレットだが、サメのバリエーションだけでたいていの属性は網羅していた。ただし、これらの属性サメは、設定が込み入っているためマーガレットといえど召喚には言霊が必要ではあったが。


 視えるもの全て詳らかにしないと気が済まないマーガレットでも、サメのビジョンのバカバカしさを前にすると肩の力が抜けるのか、言霊がすっと出るのだった。

 だって、竜巻の中から無数のサメが現れて人々を襲うなんて話、真面目に語るほどのものじゃないだろう。


「王子殿下は驚かないのですね」


 人々は今、畏怖と驚愕の目でマーガレットを見ていた。

 無理もない。前代未聞のサメ召喚術だ。むしろそれが当然の反応だった。

 なのに、目の前の王子はこの光景を見ても、終始、平然としていた。それどころか、面白がっているようにさえ見える。

 それにさっきの口ぶりからして、王子はマーガレットがサメを何種類も召喚できることを知っていた。そもそも、ワイングラスを弾いたのがサメだということにも、最初から気づいているらしかった。


「貴方は一体……」


 マーガレットが疑念を口にしようとしたその時、庭園の中央から「伯父様!」と悲痛な声が上がった。

 振り向くとエメラダが倒れているクレイン卿の体を強くゆすっていた。マーガレットたちはエメラダの方に駆け寄った。


「誰か治癒魔術が得意な者は?」


 ソーヤが周囲の人々に声をかける。マーガレットはエメラダを手伝って、クレイン卿の体を起こそうとした。

 気を失っているだけだろうが、万が一、喉でも詰まっていたら大変だ。そんなふうに思いつつ、マーガレットは違和感を覚えた。


(……こんな髪型だった?)


 殴られたことでクレイン卿の七三分けは少し乱れていた。それ自体は不自然ではないはずなのだが――


「起きて!」


 エメラダの声に反応するように、クレイン卿の左手の指先がピクリと動いた。その袖は汚れている。マーガレットはハッとした。


「エメラダ!」


 目を覚ました男が飛び掛かるのと、マーガレットがエメラダを突き飛ばすのはほぼ同時だった。

 男は一番近くにいたマーガレットに掴みかかり、右手に隠し持っていたナイフを彼女の首筋に突き付けた。


「伯父様!?」


「違う! クレイン卿じゃない!」


 混乱するエメラダにマーガレットは叫んだ。

 そう、シャツについたシミも、髪の毛の分け目も、この人物は初めて対面した時のクレイン卿と左右が綺麗に反転していた。

 髪を整えるにしろ、着替えるにしろ、左右だけが反転するのは不自然だった。


「ほう、召喚士ってのは、目も記憶力もいいんだな」


 クレイン卿の姿をした男はマーガレットに刃を突き付けたまま、懐からきらりと光る何かを取り出した。手鏡だ。そしてそれを地面に叩きつけて、割った。

 途端、男の体にも亀裂が入った。

 その表層はまるで硝子でできているかのように、クレイン卿の姿かたちは破片となって剥がれ、崩れていき、中からは見知らぬ男が出現した。

 その黒衣は襲撃者たちと同じものだった。


 エメラダもマーガレットも思わず言葉を失ったが、ソーヤは感嘆の声を上げた。


「転写魔術か。なるほど。人質の一人として盛大に殴られてみせることで、僕らの抵抗する気を削いだと。それで、本物のクレイン卿はどうした?」


「屋敷の中に転がってるよ。安心しろ。殺しちゃいない。お前らと違って、俺らは野蛮なことは好かん」


 そう言って男はマーガレットを絞めあげる腕に力を込めた。男にとってこの少女は同胞たちを惨たらしく鏖殺した恐るべき仇だった。


「とんだ番狂わせだよ、まったく。だが、死んだ奴らのためにも、当初の目的は達成させてもらおう。王子、ゆっくりとこっちに来い。くれぐれも変な気は起こすなよ。お前らが何かするより、俺がこの女の首を掻き切る方が早いからな」


 たしかにこれは分が悪い。マーガレットは男の横顔を睨んだ。

 サメが食らいついて、この男を呑み込むのに少なくとも数秒はかかる。それだけの時間があれば、男は死に物狂いで私の首を掻き切るだろう。


「わかったから、彼女に手荒な真似はしないでほしい」


 そう言ってソーヤは武器など持っていないとでも言うように両手を挙げて、男に一歩ずつ近づいた。


「しかし、君たちの国の技術力には驚かされる。さっきの音波装置といい、その鏡といい、絡繰に魔術を組み込むことかけては一流だね」


「あいにく、俺らはお前たちのように化け物を呼ぶ力は持ち合わせてないもんで。でも、お前たちを持ち帰れば、その力の再現も叶うかもしれん。まあ、お前たちは体を隅々まで切り刻まれるだろうが」


「興味深い話だ。切り刻むということはつまり解剖だろ? どんな道具を使うんだい? ()()()()()()()? それとも()()()()()()()?」


「何を寝ぼけたことを……」


 マーガレットは不思議な光景を目の当たりにした。

 ソーヤが目の前まで歩いてきたかと思うと、その手をゆっくりと下ろした。まるで指揮棒を振るような優雅なしぐさだったが、それと同時に自分の首に突き付けられていたナイフが、それを掴んでいる手ごと地面にぼとっと落ちた。


「離れろ!」


 ソーヤがマーガレットの目を見て叫んだ。非力な少女でも、手を失い混乱している男を突き飛ばして逃げることは容易だった。


「その手は……」


 マーガレットは王子の手を見て、思わず眉をひそめた。その指先は鋏のように鋭い刃物になっていた。それだけではない。その刃物のような手で、彼はさらに巨大な刃物を持っていた。

 橙色の持ち手に、高速で回転する鎖刃――

 一般的な鋸とは似ても似つかないのに、マーガレットには直感的にそれが鋸だとわかった。そして、それは低くおぞましいうなり声をあげていた。


「どちらも僕の召喚術だ。君のサメ同様、ある世界では一部の人々から熱狂的に支持されている怪物たちの得物。少々刺激が強いから、繊細なお嬢さん方は向こうを向いていてくれ!」


 そう言うとソーヤはその大鋸で、男の首から腹にかけて袈裟斬りにした。高速回転する刃は硬い胸当てもなんのその、傷口からは斬ったそばから血と肉片が盛大に噴き上がった。


 血しぶきを浴びながら、回転する大鋸を振り回す、鋏の手を持つ美しい王子様。


 なんともまあ荒唐無稽な光景だった。

 でも、目が離せない。サメもそうだが、私はこのバカバカしいものたちが、案外好きなのかもしれない。マーガレットはそんな風に思いながら、この鮮血と戦慄の解体現場を瞬きもせず眺めた。


 男だったものが赤黒い肉のパズルピースと化したところで大鋸の回転が止まった。鋸が光の粒になって消える。ソーヤの手も元通りになった。


「誰か屋敷の中からクレイン卿を見つけてきてくれ」


 ソーヤはなんでもないように、屋敷の使用人たちに声をかけた。皆、魂が抜けたように呆けていたが、ソーヤに言われた途端、正気を取り戻して駆け出した。


「エメラダ、大丈夫ですか? それに皆さんも」


 マーガレットも周囲の人々に声をかけた。誰も目立って怪我をしている様子はない。目元を泣き腫らしていた子はいたが。それは先刻、マーガレットにグラスを投げつけようとした外交官の娘だった。彼女は充血しきった赤い目で、マーガレットをじっと見つめ、そして叫んだ。


「ご、ごめんなさい! 殺さないで!」


「お願いだから食わないでくれ!」


 マーガレットに絡んできた少年少女たちが、口々に叫んだ。彼ら以外も、皆、マーガレットに複雑な色の目を向けている。恐怖、疑念、不安、嫌悪――混沌とした色だ。

 脅威は去ったというのに、庭園は相変わらず重い空気に支配されていた。


(まあ、仕方ないですよね)


 サメはもう引っ込んでいたが、彼らにとっては怪物を召喚した私も怪物に見えるのだろう。マーガレットは決して驚かなかった。


「ありがとう!」


「え?」


 エメラダが走り寄って、マーガレットに抱きついた。思わぬことにマーガレットは目を白黒させた。


「マギーのおかげよ。今、みんなが生きてるのは。本当に、本当にありがとう……!」


 そして、仲のいい子女たちに向かって叫んだ。


「貴方たち! 命の恩人にお礼の一つも出来ないの!?」


 一喝された彼らは慌てて「ありがとうございます、マーガレット様!」と何度も地面に額をつけた。


「何もそこまでは……」


「ブラボー。今日一番の大手柄だよ、メグ」


 ソーヤ王子がそう言って手を叩いた。すると人々も徐々にそれにならい、しばらくすると庭園中が割れんばかりの拍手で包まれた。

 畏怖は一転、熱狂に変わった。

 万雷の喝采を浴びながら、ふとマーガレットの心にある言葉が思い浮かんだ。が、彼女はその言葉を呑んだ。

 思うのはいい。自分のうちに秘めるのだから。だが、口にしてはならない、決して――


「クレイン卿も見つかったし、めでたしめでたしってね」


 ソーヤが言う。その背後には、使用人に抱きかかえられたクレイン卿がいた。エメラダはマーガレットから離れ、伯父に駆け寄った。

 その様子を眺めつつ、マーガレットは満足そうに笑っているソーヤに質問の続きをした。


「……貴方は何者ですか?」


「前に話した通りさ。かつて僕らはこことは別の、同じ世界にいた。そこでは、君のサメやら今僕が使っていた凶器やらが出てくる()()()()()()()()()が一部の人間から熱狂的に支持を受けていた。そして君も僕も、まあまあ熱心な信者だったのさ」


「あんなものを信仰してたんですか」


「むしろ発端は君の方だったよ。君が僕を引きこんだ」


 ソーヤは血に濡れた前髪を手でかき上げると、遠くを眺めるような目で、目の前のマーガレットを見た。

 マーガレットはその黒い瞳の中に、二人の男女の姿を見た。

 年齢は今の自分と同じぐらいか、もう少し上か。しかし、顔は見覚えなどまるでない。二人とも似たような服を着て、夕暮れの道を並んで歩いている。声は聞こえないけれど、他愛もない話でもして笑っている気がした。


(これも、ビジョン?)


 束の間に見えた現実ならざる光景に、マーガレットは思わず目を抑える。

 目を閉じても、視界は夕焼けの色に染まったまま。真っ赤だ。あたり一面の赤。まるでサメの虐殺跡みたいに、バカみたいな量の血と、そこに沈む白い手足、黒い髪――


 マーガレットの足元がぐらりと揺れる。そのまま、その場に崩れる彼女の体を、ソーヤがすかさず抱き留めた。


「マギー!? どうしたの!? ねえ!」


 エメラダの声が間近に聞こえる。

 「だいじょうぶです」と言おうとしたのに、上手く声が出せない。

 急速に暗くなる視界の向こうで、血まみれの青年が寂しげな眼差しで私を見下ろしている。

 マーガレットは意識が遠のくのを感じた。


***


「娘はまだ寝ています。申し訳ないのですが、お見舞いは、また時間を改めて……!」


 部屋の外から聞こえる大声の応酬で、マーガレットは目が覚めた。

 しばらくはベッドの中でぼんやりとそのやり取りに耳を澄ましたが、扉の向こうで必死に叫ぶ母親の顔が浮かんで、マーガレットは体を起こし、目をこすった。

 流石に、目やにがついたままの顔を見せるのは少し気が引けた。


「お母さま、大丈夫だからお通しして」


 マーガレットがそう言うなり、勢いよく部屋の扉が開いた。

 声でわかっていたが、ソーヤ王子とエメラダだった。

 エメラダがおずおずと訊く。


「お、おはよう。その……体の具合はいかが?」


「もうすっかり何ともありません。その節はご心配をおかけしました」


 ベッドの上から、マーガレットは二人に頭を下げた。

 クレイン邸襲撃事件から、はや二日。襲撃があったことを知る者は、あの日あの場所にいた者と選ばれた少数の者だけ。事件は二国間の微妙な関係性を揺るがしかねないとして、緘口令が敷かれ、早急に隠匿された。

 クレイン卿をはじめ怪我人たちは早急に医師の診療を受け、その結果、屋敷の敷地内にいた人に限っては重傷者は一人もいなかった。あの場で倒れたマーガレットもただの貧血だと判断された。


「お見舞いの品だ」


 ソーヤがそう言うと、空間から薔薇の花束が甘い匂いとともに現れた。


「私のお見舞いは水菓子よ。さっきおばさまに預けたから、あとで召し上がれ」


 花束を受け取るマーガレットにエメラダが言った。

 マーガレットは微笑を浮かべてうなずいた。


「二人ともありがとうございます。それで本日のご用は? 王子殿下直々に、これを渡しに来ただけとも思えないのですが」


「察しが良くて助かるよ。単刀直入に言おう。メグ、仕官して、僕の近衛になってほしい」


「無理ですね」


「はあ!? こんな名誉なお話、断る理由がある!?」


 エメラダはあり得ないというように声を荒げたが、ソーヤの方は苦笑しているだけだった。マーガレットは淡々と言う。


「召喚士として仕官するには、最低でも一つ星以上の資格が必要のはずです。でも、ご存じの通り、私は未だに星を持たない見習いですから」


「それなら心配いらない。君には近いうち、二つ星の資格が交付される。君のサメは、明らかに精霊以上の力だ。当時の試験官は見抜けなかったようだが、証人は多数いる。ここにいるバーネット嬢もその一人だ」


 マーガレットが思わずエメラダを見ると、彼女は少し視線を逸らして言った。


「貴方の力には私も家族も助けられたし、実際あのサメはそこらの精霊よりよっぽど強力じゃない。正しく評価されるべきだわ」


「エメラダ……」


「だから貴方も私と一緒に仕官するのよ。それで約束を果たしなさい」


「……約束?」


 マーガレットが首をかしげると、エメラダは少しの間、口をポカンと開けていた。そして見る見るうちにその顔は真っ赤になった。


「うそ! 忘れてたの!? 最低! 信じられない!」


 罵倒されても何がなんやら。助けを求めるようにマーガレットがソーヤ王子に視線を送ると、彼は言った。


「バーネット嬢曰く、君と彼女はかつて一緒に王宮に仕官しようと誓い合ったそうだ。君に二つ星の資格を与えるよう熱心に推薦したのも、彼女だよ」


 言われてみれば、初めてエメラダに会った時、そんな話をした気がする。約束というよりは一方的に宣言されたという感じだったが。

 お互い、召喚士を目指す同じ年頃の子供と出会うのは初めてで、何だかそれだけで親近感がわいたのだ。


「貴方って本当にデリカシーがないのね。あの気の利く妹の爪の垢でも煎じて飲みなさいよ」


「返す言葉もありません」


 マーガレットの記憶はだいぶ視覚情報に偏っていた。


「私はそろそろ乗馬のお稽古の時間だから、行くわ。せいぜい前向きに検討なさい」


 エメラダはそう言って、部屋を出て行った。エメラダの去った方を見ながらソーヤが言う。


「サメほどじゃないが、嵐のように賑やかな人だ。少々ひねくれてもいるが、友達思いでもある」


「ええ、そうですね」


「僕としても、君にはぜひ僕の近衛として仕官してほしい。というのも、例の事件以降、何でもいいから護衛をつけろと周囲がうるさくてね。それなら気心の知れた者がいい。君なら実力も確かだ」


「買い被りすぎですよ」


 気心というが、王子が語った前世云々の話は、マーガレットにとっては眉唾ものだった。召喚術の仕組みを考えれば、二人とも別世界から来たというのもない話ではないのかもしれないが。


「前世の話なら信じなくても結構さ。でも、あのサメが呼べるってことは、きっと君と僕は似たものが視えているのだと思う。僕はただそれが嬉しくてね」


 まるでマーガレットの心を見透かすように、ソーヤは目を細めた。青い瞳は寂しげな光を湛えている。たしかに、自分にしか視えない、人と分かち合えない世界があるというのは、孤独だ。ともすれば、私たちはようやく出会った同志。このめぐり逢いは喜ぶべきことなのだろう。


(同類……ろくなものじゃないでしょうね)


 マーガレットは深々と息をついた。濃密な薔薇の香りが胸を満たす。見舞いの花にしては、匂いが強く、色も血を彷彿とさせる暗紅色の花束にマーガレットは視線を落とした。


 『ふざけた茶番』――それが襲撃直後、態度を豹変させ拍手喝采を送った人々に対し、マーガレットが思った言葉だった。口にしていたら、きっとみんなサメの餌食になっていただろう。

 いけないこととと知りながら、心はつい、そんな血みどろの画に惹かれてしまう。


 ただ、私は()()()()()であっても、()()()()ではない――とマーガレットは思う。


 血は空想で十分。地獄絵図はキャンバスの中でこそ美しく、惨劇は舞台の上でこそ愉快なもの。

 だからこそ現実は平和であれかし――それがマーガレットの信条だった。滅多なことでサメに人を襲わせる気はなかった。

 その平和を脅かす者は別として。


(貴方はどっち?)


 マーガレットは顔を上げ、花束の贈り主を見た。

 ただの茶番好きのろくでなしか、それとも一線を越える人でなしか。まるで恋人とダンスでも踊るかのように愉しげに大鋸を振り回していたこの人は――


 ソーヤの黒い瞳を見つめながら、マーガレットは肩を竦めた。


「近衛になったからと言って、四六時中僕の面倒を見ろなんて言わない。君について来てほしいのは、僕が遠出する時ぐらいだ。それ以外は、これまで通り、好きに絵を描いていればいいさ」


 そう言って、ソーヤはマーガレットのベッドの脇に積まれていたキャンバスに手を伸ばした。そこには、これまでにマーガレットが視た数々のビジョンが描かれている。いずれも、かなり精巧で写実的だ。


(まるで映画のポスターだな)


 大口を開けて迫りくるサメの絵を眺めながらソーヤは思った。マーガレットが描いた絵は、どれもソーヤには心当たりのあるものだった。

 そしてある一枚が彼の目に留まった。

 一面が真っ赤に塗られたキャンバス。中央に少しだけ、黒い靄のようなものが描かれている。他は精密な写実なのに、これだけ、まるで抽象画のようだった。

 画材の脂の臭いがソーヤの鼻をつく。まだ描いて間もないものだろう。


「その絵がどうかしましたか?」


「どこかで見た光景だと思ってね。多分これは、君と僕がかつて最後に熱中した空想のワンシーンだ」


「どんな内容でしょう?」


「……あまり覚えていないな。でも、これまで見た中でもっとも退屈でくだらない話だよ。なんせ、サメも怪物も出てこないのだから」


 ソーヤは笑った。真っ赤なウソだった。

 今でもはっきりと思いだせる。狭い浴槽にあふれんばかりの真っ赤な血。そこに浮かび上がる、解体された少女の白い手足、そして長い黒髪――

 それはショッキングな画ばかりを売りにしたような、チープでくだらない、それでいてちょっとサブカルを気取った感じの、破滅的な物語だった。


 変わった趣味で繋がった少年と少女。少年は少女が好きだったが、趣味が合うからといって、少女は少年を愛しはしなかった。しかし、少年はそれを受け入れられず、少女に手をかけ、彼もまた彼女を追った。

 それが、二人で見た最後の物語だ。


「それじゃあ、僕もそろそろお暇しよう。色よい返事を待っているよ」


 ソーヤは右目をつぶってウインクしてみせた。

 左目には、ベッドに腰かける黒髪の少女と彼女の頭上を漂うサメが見えた。サメはソーヤを警戒するように牙を剥いていた。


(いくらサメ映画好きだからって、異世界にまで召喚するとは……あれじゃまるで守護霊だ)


 ソーヤが右目を開くとサメは消えた。ベッドの上の少女の髪も淡い色に戻っていた。

 彼の黒い瞳は、しばしばこの世ならざるものを映した。


「朝から騒がせてしまって、すまない」


 ソーヤは扉のそばにいたマーガレットの両親に軽く会釈した。二人とも、終始心配そうに部屋の様子を見守っていたのだ。会話中も、マーガレットの視線はたびたび両親の方に向いていた。

 平身低頭で恐縮しきっている二人を横目に、ソーヤは部屋を後にした。


***


 門を出て、屋敷を振り返ると、二階の窓に人影が見えた。マーガレットだ。血のように赤い花束を抱えた彼女がじっとこちらを見つめている。

 ソーヤは両手の親指と人差し指で枠を作って、その中心にマーガレットを収めた。美大志望だったあの子の癖だ。姿かたちはまるで変われど、相変わらず、彼女には真紅が似合った。


 今の自分には、地位も力もある。手順さえ間違えなければ、欲しいものを手に入れるのは決して難しくはないだろう。


 名家に生まれながら、才能を開花させない変わり者の娘。それをこれまで責めることもなく見守ってきた両親の愛情深さを、マーガレットはよく知っている。

 近衛として仕官できれば、そんな両親も報われるというもの。いささか暢気ではあるが、家族思いの彼女がそんな機会を無駄にすることはないだろう。ソーヤの口元は自然とほころんだ。


 ただ一つ懸念を挙げるとすれば、それは()()だ。


 サメが出てくる作品なんて、大抵サメが暴れて、全てをぶち壊して終わりだ。駆け引きも伏線もあったものじゃない。

 さっきも、もう少し強引に話を進めていたら、彼女の逆鱗に触れて、その(あぎと)の餌食になっていたかもしれない。

 そうでなくとも、サメとラブロマンスの相性は最悪なのだ。


(せっかくのアンコール、一度目より酷いオチはごめんだな)


 ソーヤの指の隙間の端で、黒く大きな尾ひれが揺れた。

 マーガレットがカーテンを引いた。彼女の姿はもう見えない。


【了】


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ