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第2話「リィナのお勉強編」

第2話「リィナのお勉強編」

狭間の暁 ―After the Fall―



窓からこぼれる光が、机の上の本の文字を優しく照らしていた。

静かな午後の学院の一室…

その中で、リィナは頬杖をついたまま、ぼんやりと黒板を眺めていた。

…ざわめく教室。

友達の笑い声。

優しい先生の声。

すべてが、まるで絵に描いたような平和だった。


けれどリィナは…悩んでいた。

…心の奥では、なにかが少しだけ違っていると感じていた。

授業が終わり、教室の空気が一気に和らぐ。

皆が雑談に花を咲かせる中、リィナはそっと鞄をまとめ、学院を出た。

リィナの胸の奥で、小さな声が囁く。


「私…このままでいいのかな?」

「…ほんとに、わたし、ここにいるだけでいいのかな?」


家の近くにある小さな小屋。

青がリィナのために用意してくれた学習部屋。

扉を開けると、そこにいたのは一人の青年。

漆黒の髪に、落ち着いた瞳。

整った立ち振る舞いは、まるで物語から抜け出したような雰囲気を持っている。

オディゴスは、リィナに気づくと微かに笑みを浮かべて立ち上がった。


「…おかえりなさい、リィナ」

「今日の授業は、いかがでしたか?」


リィナは首をかしげながら笑った。


「…う…うん、面白かったよ」

「でも、なんか…」

「わたし、なにか足りてない気がするんだ」


オディゴスは彼女の言葉を静かに聞き、軽く頷いた。


「…なるほど」

「では…今日は、少しだけ高度な内容を学んでみますか」

「…共鳴の、その先のことを」


リィナは目を見開いた。

彼の言葉の奥にある何かを…無意識に感じ取っていた。


「うん!…わたし、もっとできるようになりたい」

「だから、教えて?」


オディゴスは、どこか哀しげな微笑みを浮かべると、ゆっくりと頷いた。



「もちろんですよ、リィナ」

「さあ、始めましょう…新しい心音の授業を」


花々が風に揺れ、鳥の声だけが響く特別な空間に、リィナとオディゴスは向かい合って座っていた。

リィナは目を閉じ、深く呼吸を整えていた。

オディゴスの声が、優しく彼女の意識を導く。


「…共鳴とは、心を重ねること」

「君が感じ、相手が感じたものが、ひとつの“音”として重なる」

「リィナには、それが自然とできてしまう」

「…だからこそ、制御を学ぶ必要があるのです」


リィナは目を開け、真っ直ぐに彼を見つめた。


「…制御って、どんなふうに?」

「…力を出すのを我慢すること?」


オディゴスは首を横に振った。


「…違います」

「制御とは、我慢ではありません」

「相手を思いやること…心の“音色”を丁寧に聞くことです」

「共鳴とは、奪う力ではなく…調和させる力なのです」


リィナは静かに頷いた。

胸の奥で、何かが…わずかに温かく、灯った気がした。

オディゴスは、彼女に向かってそっと手を差し出した。


「今から、私の心に触れてみてください」

「幻影ではなく、感情を伝えるだけでも構いません」

「リィナの心音で、私の記憶に触れずに共鳴することができるか」


リィナは真剣な表情で彼の手を取った。

そして、そっと目を閉じる。

自分の心を、できるだけ静かにする。

オディゴスの手のぬくもりから、彼の“音”を探るように意識を集中させていく。

そのとき

ふいに、ざらついた闇のような感覚が、リィナの中に流れ込んだ。

冷たい空気。

広がる虚無。

…長く、長く、続く孤独。

リィナは目を開けようとしたが、すでに意識はそれの中に沈んでいた。


「…やだ…」

「…オディちゃん…これ、なに…?」


彼女の心が触れてしまったのは、今のオディゴスではなく過去の、封印されていた頃の記憶だった。

冷たい。

でも、それだけじゃない。

リィナの中に広がっていくそれは、言葉にできないほど…深くて、暗くて、重いものだった。

広い、誰もいない空間。

空すらない。

何も映らない、ただ…ただ続くだけの、黒い世界。


「…やだ…ここ、なに…?」


リィナの足元がぐらついた。

まるで心が引き裂かれるような、鋭い痛みが胸を刺す。

視界がゆらぐ。


幻影。


だけど、それはただの映像じゃない。

感情と感覚が一緒に流れ込んできた。

怒り。

悲しみ。

孤独。

痛み。

どれもが、リィナの知らないもの。

だけど、確かにオディゴズのものだった。


「…やめて…」

「…やめてよ…」


けど、止まらない。

彼の記憶は、奔流のようにリィナを飲み込んでいく。


番人になる前のオディゴス。

戦いの果てに選んだ番人という孤独な役割。

封印され、時の底に沈みながらも消えなかった想い。

リィナの手が震える。

肩が、息が、心が…壊れそうだった。


「…オディちゃん、苦しかったの…?」

「…ずっと、ひとりだったの…?」


目の前に広がるのは、かつてのオディゴスの記憶。

誰にも届かない声。

誰にも触れられない心。

彼の中で、時だけが静かに、無感情に流れていく。

その孤独を、リィナの小さな体が抱えるにはあまりにも重すぎた。


「いや…いやだよ…」

「オディちゃんのこと、そんなふうに見たくない!」


リィナの共鳴が暴走し、空間に波紋のような衝撃が走る。

周囲の景色が、ぐにゃりと歪む。

幻影の世界に亀裂が入り…光が割れた。


「リィナッ!」


遠くでオディゴスの声が聞こえた。

だけどそれは、今の彼ではない。

ずっと過去の彼の声。

でも…確かに、リィナを呼んでいた。

涙が流れる。

心の奥から、あふれ出す想いが叫びになる。


「…わたし、ひとりにしないから!」

「…ずっと、そばにいるから!」

「…オディちゃんは、もう…孤独じゃないよ!」

「でも……」

「だめ…もう、だめ…!」


リィナは必死に目を閉じた。

けれど、幻影は止まらない。

瞼の裏にも、心の奥にも、焼き付いたまま…剥がれ落ちない。


「…いや…いやぁ…!」


叫び声とともに、リィナの身体から白い光があふれた。

心音共鳴の暴走。

それは彼女の声だけではなく心そのものを周囲に解き放つ。

オディゴスの記憶が…リィナの中に…!」

知らないはずの想いが、知ってしまった痛みになる。

感じてしまった悲しみになる。

自分のものではないはずの孤独が、まるで最初から胸の奥にあったように、リィナを締めつけていく。

その想いは、もはや幻影ではなかった。

現実と記憶の境が崩れ、すべてが溶けていく。

白が黒になり、黒が光を裂く。

辺りは音を立てて歪んでいった。

何かが、崩れ落ちていく。

リィナの中で、世界が壊れていく。

彼女の小さな体では、受け止めきれなかった。

千年の記憶を、ひとつの心に収めるには…。

あまりにも残酷だった。


「…苦しい…!」

「…止められないよ、オディちゃん!」

「…わたし、こんなの…っ!」


叫びは、もう言葉にならなかった。

涙と共に、全ての境界が崩れていく。


そのときだった。


音のない世界に、一筋の声が差し込んだ。

リィナ、お下がりください。

その声は、冷静で、しかし…どこまでも優しかった。

幻影の中に、一歩…人影が現れる。

黒のローブに身を包み、光に滲む銀の髪がゆらぐ。

その人は、そっと手を差し出した。


「もう、よいのです。」

「それ以上、覗いてはなりません」


リィナの時間が止まった。

オディゴスの姿。

いつもの彼ではない。

けれど、紛れもなく、今のオディゴスだった。

その瞳に、優しい悲しみと、許しの色が宿っていた。


「あなたが、泣く必要はありません」

「それは、私が抱えてきたものですから」

「…ですが」

「今、こうして誰かに見つけてもらえたのなら…」

「それだけで、もう…十分なのです」


ゆっくりと、リィナの手に触れる。


その瞬間、暴走していた共鳴が、すっと静まった。

まるで、嵐の中心で風がやむように。


「…ごめんね…」

「…でも…わたし、知っちゃったから…」

「オディちゃんのこと…」

「…知れて、よかったって…思ってる…」


オディゴスは微笑んだ。

長い時を超えて、初めて誰かに届いた孤独が確かに、癒された瞬間だった。


静寂が訪れた。


リィナは深く息をついた。

もはや、何も聞こえない。

ただ、自分の心臓が打つ音だけが、優しく響いている。

オディゴスの手が、リィナの肩にそっと触れた。

その冷たくも温かい手に、リィナは目を閉じる。

心の中に、何かが変わる感覚があった。


「…オディちゃん…?」


リィナの声は震えていた。

その声に、オディゴスはうなずく。


「お疲れさまでした、リィナ」


オディゴスの言葉は、穏やかで静かだったが、その奥に秘められた強さが感じられた。

リィナの内側に流れ込んだ記憶は、オディゴスにとってはかつて自分が抱えてきた重荷だった。

それでも、今はそれを負うことができる、そう感じていた。


「…これで…おしまいじゃないよね?」


リィナは不安げに尋ねる。

彼女の言葉には、どこか切実なものが込められている。

オディゴスはゆっくりと微笑み、優しく頭を撫でた。


「…まだ、始まったばかりですよ」


その言葉は、どこか安心感を与えてくれる。

リィナの胸の中で、これから先に向けての決意が強く湧き上がった。

オディゴスは、ふと足元を見つめる。

その瞳には、やはりあの深い悲しみと、長い間耐えてきた孤独の色がある。

けれど、それはもうリィナには見えなかった。

彼女はただ、オディゴスの存在そのものに心を預けることができると感じていた。

これから、どうすればいいのか…リィナは小さな声で続けた。


「オディちゃん!わたし、もっと強くなるよ!」


オディゴスは、少しだけ驚いたような顔をした。

けれど、すぐにその表情は和らぎ、優しく頷いた。


「強くなるということは、リィナがどれほどの責任を負うことになるか、覚悟が必要です」


彼の言葉に、リィナはうなずく。

その瞳には、決して引き返せない道を歩む覚悟が見えていた。

ただ、オディゴスが見守ってくれているという安堵感が、彼女の背中を押していた。


「わたしは、やるべきことをやる」

「それが今は何なのか、はっきりとはわからないけれど…」

「守られる側から守る側になる!」


リィナはゆっくりと、力強く言った。


「でも、絶対に後悔はしない」


その言葉に、オディゴスはもう一度、静かな微笑みを浮かべた。


「それでこそ、我が主のお孫様です」


オディゴスは、リィナを見つめながら、心の中で何かを誓った。

それは言葉にはならない、ただ彼女に寄り添い続けるという強い決意のようなものだった。

静けさの中で、リィナとオディゴスの心は、静かに共鳴しあった。

リィナは、これからの道を歩むために必要なものを少しずつ理解し始めていた。

彼女は、ただの学びの段階を超え、次のステップへと進んでいく準備が整いつつあった。

オディゴスは、彼女を導く役目を果たす覚悟を新たにした。

これから、共に歩む道が険しく、困難であっても、ふたりなら乗り越えられるだろう。

どんな困難が待ち受けていようと、決して立ち止まらない。

その先に何が待っていようと、決して後悔しないと。


穏やかな午後の光が、窓から静かに差し込んでいた。

リィナとオディゴスは、いつもの小屋で過ごしていた。

外では風がそよぎ、時折木々の葉がゆらめく音が聞こえてくる。

普段なら、その静けさの中でリィナは落ち着いているはずだった。

しかし、この日のリィナは、何かしら内側で変わろうとする感覚に包まれていた。

オディゴスはいつものように、リィナに様々な教えを与えている。


「…リィナ、心を落ち着けてください」

「今はまだ、無理に進むべきではありません。」


オディゴスの穏やかな声が、リィナの心に響く。

彼の言葉には、いつも通り冷静さと深い思慮が感じられる。

彼は、リィナの心の状態を見極め、今は無理をしない方が良いとアドバイスしていた。


リィナは少し黙って考える。


「わかってる…」

「でも、なんだか…」


彼女は言葉を濁す。

自分の中で沸き上がる感情がどうしても抑えきれない。

それは、先日感じた「暴走」のような力ではない。

しかし、何かが、自分の中で、確実に変わろうとしているのだ。

オディゴスは黙って彼女を見守るだけだった。

彼には、それがどんな力であれ、リィナが向き合うべき時が来たことを感じていた。

リィナは立ち上がり、部屋の端に置かれた鏡を見つめる。


「オディちゃん、私、何か変わった気がする!」

「前と、何かが…」


彼女の言葉に、オディゴスはゆっくりと近づく。


「それは、成長です」

「リィナの力が、少しずつ形を成している証拠です」


オディゴスは、リィナの背後に立ち、鏡の中の彼女の姿を一緒に見つめる。

その時、ふとリィナの心に湧き上がったのは、幻影を見せるという力だった。

それは先日の暴走を経験した後、自然に頭の中に浮かんできたものだった。


「オディちゃん…今…私、あなたに何か見せられるかな?」


リィナの声には、少しの不安と、確信が混ざっている。

これまでの教えに従って力を使うことには、少なからず怖さがあった。

しかし、彼女はそれを乗り越えようとしている。


オディゴスは、その質問に静かに答える。


「リィナ、あなたがその力を使う時が来れば、私は全力で支えます」

「ですが、焦ることはありません」

「今は、あなた自身の心の中でその力を感じ取ることが大切です」


オディゴスの言葉を受けて、リィナは一度深呼吸をする。

その静かな部屋の中で、彼女はただひたすらに自分の内面を見つめる。

力を使いたい、という気持ちと、それに伴う責任感。

そのバランスを、彼女は無意識に取ろうとしていた。


「じゃあ、少しだけ…やってみてもいい?」


リィナはその言葉とともに、自分の手をそっと伸ばす。

オディゴスは何も言わず、ただ彼女の側に寄り添う。彼の存在が、リィナを安心させていた。

リィナは目を閉じ、静かに集中する。


「私が見せるのは、幻影…」


彼女はそう呟くと、心の中でその力を呼び起こす。

しばらくの沈黙が続いた後、部屋の空気が少しだけ変わったように感じた。

突然、リィナの目の前に一瞬の幻影が現れる。

それは、ほんの一瞬のことだったが、その光景は非常に鮮明で、リアルだった。

オディゴスが気づくと、リィナが彼の前に見せた幻影は、あの「狭間の世界」の風景。

広大な草原と、遠くに見える奇妙な形の岩山。

風に揺れる草の音が聞こえてきそうな、まるでその場所に立っているかのようなリアリティがあった。


「これが…私の力?」


リィナは驚き、目を見開いた。

オディゴスは静かにうなずく。


「そうです。リィナが感じた力、それが具現化した結果です。」


リィナは目を閉じ、しばらくその幻影を心に刻む。


「でも、なんでこんなものが見えるんだろう?」


彼女は自分の力の使い方にまだ戸惑いを覚えていた。

オディゴスは穏やかに答える。


「それは、リィナが心の中で感じているものが、外に現れるからです」

「あなたが持つ力は、あなたの心そのものなのです」


リィナはその言葉をかみしめる。

自分の力が、ただの力ではなく、心と密接に繋がっていることを実感した。


「私の心が、あんな風に見えるんだ…」


リィナは少し考え込む

。彼女はその時、ふと新たな感覚を覚えた。

それは、他の誰かに幻影を見せることができるかもしれない、という希望だった。

そして、彼女は心の中で新たな決意を固める。

自分の力を使い、他の誰かに幻影を見せ、共鳴させる。

その力を、これからどう使っていくべきなのか……

リィナはその先にある未来を少しずつ描き始めていた。


日が傾き、学院の廊下に夕焼けの光が差し込む頃。


リィナとオディゴスは、再び小屋にいた。

壁には以前のように簡易な結界が張られ、外からの干渉は遮断されている。

しかし、今のリィナの表情には、どこか確かな自信が宿っていた。


「オディちゃん。ちょっとだけ、お願いがあるの」


そう言うと、リィナは小さな手を差し出した。


「今度は、ちゃんと見せたいの…私の中にある景色を」


オディゴスは目を細めるように微笑み、わずかに頷く。


「承知しました」

「リィナが見せたいと願うなら、私はその幻を受け止めましょう」


リィナは深呼吸を一つ。

そして、目を閉じ、ゆっくりと集中する。


(あの時みたいに…でも今度は、私が意図して…)


彼女の意識が深く沈む。

心の奥底にある記憶へと触れた時、その世界はゆっくりと開かれていった。

草原、風、空の青さ。誰かの笑い声。

リィナが覚えていた狭間の世界の、ほんの一瞬の平和な情景だった。

彼女はその記憶に色をつけ、形を整え、静かに放つ。

オディゴスの瞳が、わずかに揺れた。


「これは…!?」


彼の前に、まるで夢のような光景が浮かび上がる。

視界の中に、広がる草原。

風が吹き抜け、リィナの笑い声が、どこか遠くから聞こえてくる。

かつて彼が、番人として孤独の中に身を置いていたあの時、唯一心を許した小さな存在…その記憶が呼び起こされる。

幻影は、ただの映像ではなかった。

記憶の感情までをも、そっと重ねてくる。

そこにあるものに触れられる程、具現化している。


「リィナ…これは…あなたが、私に?」


その声に、リィナは目を開け、そっと微笑んだ。


「うん。オディちゃんが、あの時、どんな気持ちでいてくれたのか…私、ずっと知りたかったから」


幻影はゆっくりと消えていく。

だが、その余韻は、確かにオディゴスの胸に残った。

彼はしばし目を閉じ、言葉を選ぶように口を開いた。


「素晴らしいですね……」

「しかし…その力は、危うさも孕みます」

「優しさに満ちていれば、きっと誰かの支えとなるでしょう」


リィナは静かに頷いた。


「ありがとう、オディちゃん」

「私…少しずつだけど、前に進みたい」


彼女の目は、もうただの少女ではなかった。

心の奥に触れ、共鳴し、伝える力。

その始まりが、確かに芽吹いていた。


小屋を出た頃には、空は茜に染まりきっていた。

そこには、リィナとオディゴスの影が、夕陽の中で、長くのびる。


「ふわぁぁぁぁ〜っ! がんばったーっ!」


跳ねるように両腕を広げて回るリィナ。

くるくるとスカートが揺れ、光の粒が踊る。

オディゴスはその様子を見て、ふっと口元を緩めた。


「実に見事でしたよ、リィナ」


「えへへっ~私、えらい?」


「とても」

「あの暴走も含めて、実に全力でした」


「うぅっ…それはちょっと恥ずかしい…」


リィナは頬を染めて、きゅっと拳を握った。

そして少しだけ声を落とす。


「ねぇ、オディちゃん」


「なんでしょう?」


「私ね、まだ…ちょっと怖いの」

「あのときみたいになったらって思うと、胸がギュッてなる」


「……」


「でもね、やっぱり見たいんだ」

「みんなのこと」

「気持ちも、ちゃんと伝えたいの」

「だから…これからも一緒に、がんばってくれる?」


彼女は手を差し出した。

小さな手。

けれど、確かな決意の笑顔が添えられていた。

オディゴスは丁寧にその手を取る。


「もちろんですよ、リィナ」

「あなたの願いが続く限り、私はあなたの傍に」


「うんっ!」


そのとき、遠くから声が響いた。


「お〜い、リィナ〜!」


レオの声だった。

その後ろには、エレナと青の姿も見える。


「パパーっ!」

「 今日のリィナ、すっごかったんだよ!」


オディゴスが皆に訓練の成果を話す。

駆け寄るリィナに、レオはしゃがんで目線を合わせ、にこっと笑った。


「うん、すごいね!」

「幻影が使えるようになってきたって? 」

「それはもう、すごいことだよ、リィナ」


「えへへっ。暴走もしたけどね…!」


「失敗も大きな一歩さ」

「ちゃんと自分の力で戻ってこれたんだ!」

「それが一番偉い」


レオの手が、ぽん、とリィナの頭を優しく撫でる。

その様子を見ながら、青が目を細めて笑った。


「まったく…あの小さかったリィナが、こんなに立派になるとはなあ…」


「まだまだだよ、おじぃちゃん……」

「でもね、今日はちょっとだけ、自分を褒めてあげたい気分!」


「ふふっ、それなら今日は特別にケーキでも用意しようか!」


エレナが柔らかく微笑むと、リィナは目を輝かせて跳ねた。


「やったーっ! オディちゃん、パパ、ママ、おじぃちゃん!」

「 今日はみんなでおやつだね!」


笑い声が、夕暮れの学院の廊下に響いた。

その背に落ちる陽の光は、明日を信じて差し出した、小さな掌に温かく降り注いでいた。

リィナの「共鳴」は、静かに、しかし確かに広がっていく。




その夜、リィナはひとり、窓辺に腰かけていた。

窓の外には、月がぽっかりと浮かび、風が木々を揺らしている。

訓練の疲れは残っているはずなのに、胸の奥がざわついて眠れない。


「…なんだろう、この感じ」


言葉にできない重み。

優しい光の下にあるはずの心に、ふと…ひびのような影がよぎった。

と、その瞬間。

視界の端に何かが、立っていた。

いや、立っていたというより…染み出してきた。

闇の中に、黒い何かがいる。

人ではない、けれど形は人に近い。

目も口もない。

だが、そこには…意志のような何かがあった。

リィナの心が、勝手にそれを感じ取る。


(共鳴…してる…? こんなの、知らない…)


思考が飲み込まれそうになる。

頭の奥が冷たくなる感覚。

それでもリィナは、立ち上がった。


「……誰?」


影は答えない。

けれど、わずかに…まるで理解されたような気配を残して、霧のように消えていった。

彼女の中には、確かな予感だけが残った。

その瞬間、静かに部屋の扉がノックされた。


「…リィナ?」


エレナの声。


続けて、少し低く優しい青の声が続いた。


「起きてるか、リィナ」

「何か、胸騒ぎがしてな」


リィナはゆっくりと扉に近づき、開けた。

そこに立っていたのは、心配そうに覗き込むエレナと青。

顔を見た瞬間、リィナの中で何かがほどけたように、力が抜けた。


「…ママ、おじぃちゃん……来てくれて、ありがと」


エレナは何も言わず、そっとリィナを抱きしめた。

青は小さく頷くと、部屋に入り、静かに窓辺に立つ。


「何が見えた?」


「……黒い影。形ははっきりしないけど、確かに…何かが、わたしを見てた」


リィナの言葉に、エレナは目を細めた。

青も静かに頷く。


「リィナの力は、きっともう…届いてしまったんだな」


「それは危険なこと?」


エレナの問いに、青は迷わず答えた。


「だからこそ、守っていかなきゃ」

「大丈夫!みんないる!」


エレナも微笑んで、リィナの頬を両手で包んだ。


「リィナ…」

「あなたは強くなった」

「でもね、強いってことは…誰かに頼っていいってことでもあるの」


リィナの瞳が、にじんだ光で潤む。

彼女はこくりと頷くと、両手を握りしめて言った。


「うん…ちゃんと向き合うよ!」

「でも……」

「私も戦う!」

「ママと、おじぃちゃんと、一緒に進みたい」


エレナと青が揃って笑った。


「もちろん!」


「当然だ!」


三人は並んで、夜明け前の空を見上げた。

それぞれに、不安も、希望も抱えながら。

だけどその背中には、共鳴する確かな光があった。

小さな少女は、もう誰かに守られるだけの存在ではない。

新たな力を得た彼女の物語は、ここから…本当の夜明けを迎えようとしていた。




狭間の暁 ―After the Fall―

「リィナのお勉強編」完

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