ミーレス10 内覧
25/6/22。
ごちゃごちゃしていた文面を読みやすく。
ところどころ、に訂正を。
書き直しました。
翌朝。
昨夜は早い時間に離れへ戻ったため寝るのも早く、その分朝も早かった。
おかげで、初めてミーレスの寝起き姿を目にすることができた。
すでに起きて身支度をしようとしていたが、服ではなく夜着のまま髪を整えている姿を目撃できたのだ。
残念ながら、寝姿はまたしても拝めなかった。
装備の手入れは彼女がしてくれるのだが、寝る前に行うので終わるのを待つ間にこっちが寝てしまうせいだ。
今夜こそは、と気合も新たに探索を進めていく。
迷宮を歩いていても不意打ちされる心配はないと分かっているので、それほど気を張り詰めなくていい。
『天井擦り』の時の失敗から、数十メートル先にいるものにもちゃんと警戒しているから、もうあんな無様は晒さないはずだ。
「一応訊いておきたいんだけど、ミーレスはメルカトルの話、どう思う?」
「そう、ですね。建物はともかく、治癒魔法士を買えるのはめったにないことなので、買えるなら買っておいていいと思います。その人の腕前にもよりますけど」
「腕前、か」
「はい。治癒魔法士には個人差があって、使えるスキルが違うそうです。かすり傷を治せるのがせいぜいの人もいれば、切り落とされた手足を再生してしまう人までいます」
「再生? くっつけるんじゃなく?」
「再生です。文字通り、無くなった腕を戻してしまいます。もっとも、それほどの力を持つ人は、世界でも数人と言われていますが」
個人差がある、か。
それはスキルを持っていないんじゃなくて、MPが足りないんじゃないのかな。
もしそうなら、オレの能力で使えるようにできるかもしれない。
そうすれば・・・。
「奴隷を増やすことについては? なにか思うところがあったりしない?」
自分への自惚れになるだろうか、「わたし以外の奴隷がっ」、てことになるんじゃないかと心配になった。
「相手にもよりますが、そもそも奴隷に口を出す権利はありませんので」
あー、それはそうか。
多頭飼いを拒絶する犬猫なんていない。
奴隷は家畜か道具扱い、と考えれば当然だ。
「わかった。決めるのはオレってことだ」
マクリアの街で一番朝早くから店を開けるレストランの開店時間まで狩りをして、朝食をとる。
ドロップアイテムなどは離れに置いてメルカトルの商館へと向かった。
「お待ちしておりました。ハルカ様。先方との話はついております。まずは、物件をご確認ください」
そう言いながら、メルカトルは男を一人手招いた。
まだ若い男だ。
オレとほぼ同い年か、少し上。
タグを読んでまで調べる気はないが。
どうやら現場まで連れて行ってくれるらしい。
「すぐに出発してよろしいですか」
「ああ、お願いする」
冒険者ギルドに行ってそこから飛ぶ。
到着したエレフセリアの冒険者ギルドはマクリアとほとんど変わらなかった。
違いを上げるとすれば、服装が少し薄着な気がする。
マクリアよりも緯度が南なのではないだろうか。
冒険者ギルドで使用人の男とは別れた。
入れ違いにエレフセリアの騎士団から派遣されたという戦士が案内につく。
ジョブは戦士、立場は騎士見習いというところか。
それでも、この騎士見習いは見所がある。
ミーレスを目にした瞬間こそ驚いて目を見開き視姦していたが、そのすぐあとにはオレだけに視線を向けて誘惑に耐えていたのだ。
ミーレスから目を離すことがいかに難しいかを知るオレとしては、勲章の一つもあげたくなる。
「失礼ですが、物件をご案内する前に何か身元を保証するものはお持ちですか?」
身元を保証?
おっと、こんなところで・・・。
もらっててよかった『侯爵夫人の認証』をリュックサックから出してみせる。
「これでいいですか?」
「っ!? 侯爵家の認証?! も、もちろんです、充分です」
おそるおそるという風に、認証を返してよこしながら騎士見習いは頭を下げた。
騎士見習いに案内されながら、街を歩いてみる。
なぜ騎士団なのかと思っていたら。
騎士見習いの話によるとエレフセリアでは、騎士団が直接的に不動産の管理をしているそうだ。
ギルドを出ると、すぐにマクリアとの違いに目が行った。
城壁・・・市壁がない。
だが、違うと言えばそれくらいで、町並みなどはそう変わらない。
むしろマクリアよりも都会に見えた。
常設の店舗もかなり多くあるし。
「最近になって領主の伯爵さまが代替わりをし、急速に発展しています。店舗の方は他国からの商人もいるので、変わった品物も手に入りやすくなりました」
発展していることが広まれば人が集まる。
だから買うのは今のうちと言っている風にも聞こえるが、騎士見習いにそんな意図はないようだ。
商人じゃないし、地価の高騰とか考えてはいないだろう。
他国の商人という言葉通り、常設の店舗の中にはマクリアどころか帝都でも見たことのないようなものを扱う店があった。
今後の発展が楽しみな町だ。
目抜き通りだろう大通りを歩き続けていると突然建物の壁が進行方向から消え、田園風景が広がった。
そのかなり向こうに市壁が見える。
ないのではなく、町が広くて遠かったのだ。
そのまま歩き続けること十分ぐらい。
騎士が細い道へと逸れた。
中心部は発展著しいが、外側はその流れから取り残されている感がある。
日本の地方にありがちな鉄道の駅を中心にした繁華街はビルが立ち並ぶが、郊外に車を五分も走らせると農地の中にポツリポツリ集落がある。そんな町だ。
地元の町もそんな町だったのでちょっと郷愁を誘われてしまった。
「広い・・・」
案内された家を見せられたオレは、思わず驚きの声をあげてしまった。
普通の家の二倍はありそうな一部二階建ての家が建っている。
道に対して直角、南に向いて正門があり、そこから道に向けて踏み固められた小道が伸びている。
「向こうが自宅、こちら側が治療院だったところです」
そんなオレに、騎士見習いが解説を始めた。
二倍の広さだと思ったのは当然で、自宅と治療院の二軒が建っているからだ。
一部二階建てではなく、二階建ての住宅と平屋建ての治療院という構成なのだ。
見えている正門は治療院のものだった。
家の正門はそこから少し左、奥まったところにあるのが見える。
建物は長辺を奥に、短辺を手前にして横倒しにして左右を反転させたL字をしていて、短辺部分が治療院であるようだ。
建物の外観はマクリアの居所とほとんど変わらない。
外壁は白いモルタル。屋根は少しくすんだエンジ色だった。
ただ、中心部から遠すぎる気がする。
なんでこんなところに治療院を建てたんだろ?
「ああ、迷宮を移動させたあとなんですね?」
周囲を見渡していたミーレスがわかったとばかりに振り向いた。
騎士見習いがうなずく。
「ここは迷宮が結構な数存在した地域でして、最盛期には一度に四つほど存在していました。それが五年前、先代の伯爵様が領主だったときに、現在の領主様が当時存在した迷宮すべての攻略を進めることができました。もちろん、完全攻略には至らないまま、迷宮は少し離れた山の中にまで後退しています。この辺りは迷宮に接していましたので、迷宮探索を生業とする者たち向けの露店が所狭しと並んでいたものです」
懐かしそうに話すところをみると、彼もこのあたりに住んでいたのかもしれない。
それはともかく、謎が一気に解消された。
迷宮は攻略が進んでいないと街を潰すべく接近してくる。
その迷宮が遠ざかったことで街道の安全が確保され、経済が活性化。
町の中心が発展していく。
一方、迷宮が遠ざかって当地を通るのが不便になったことで、このあたりにあった露店の主たちは迷宮のそばか冒険者ギルドの近くに移動、減衰していく。
露店ならば、移動もできるが、こんな立派な建物を持っていくことはできない。
売って別の町に移ろうにもそんな状況では買い手がつくはずがない。
そうやって取り残されたのが、この物件というわけだ。
「木の杭で囲われていますけど。あそこまでが敷地ですか?」
ミーレスの言葉で顔をめぐらすと、建物からかなり離れた位置に地面から五十センチほど木の杭が出ている。
それが70センチ間隔くらいで並び、建物を中心にして楕円形を形作っていた。
楕円は建物から狭い所で三メートル、広い所で五十メートルほど離れた位置を囲っている。
つまり建物の両脇にサーカー場が一面ずつ作れると言ってもいい広さがあることになる。
ただし、建物の前面から見て左側の奥には大きな木が立っていて、その周囲には加工された石がいくつか並んでいる。
墓だ。説明されるまでもなくわかる。
この家の家族と治療院で命を落とし、引き取り手のないまま葬られた人たちの、慰霊碑。
手放すのに忍びなかった気持ちがわかってきた。
「そうです。ただ、きっちりとしたものではなく、隣地の地権者に対して主張するためのもののようで少し曖昧になってますね。楕円形なのはそのためです」
敷地ギリギリに打ち込まれた境界の杭というわけではないということだ。
昔は境界をめぐって諍いでもあったのかもしれない。
見たところ、今は隣地に人が住んでいる形跡がないので、オレには関係ないだろう。
それよりも。
「これ全部庭なんですか?」
かなり広いので聞いてみた。
庭というには広すぎるし何もない。
「庭というより薬草園ですね。治癒魔法をかけるほどではない、または利きにくい病に使うために薬草を育てていましたよ。放置されて二、三年が経ってますから、ただの藪になってしまっていますが」
薬草園か、それならわかる。
日本でも江戸時代に小石川療養所とかあったが、やはり薬草園付きだった。
「建物の方は、つい最近まで人が住んでいたわけですから、状態に問題はありません。ただ・・・持ち出せる家具はほぼ売られてしまってなくなっています」
それはしかたないだろう。
家を売るよりは、と家族の思い出もあるだろう家具を切り売りするしかなかった持ち主が哀れだ。
騎士見習いが鍵を開け、中に招いてくれる。
住宅側の玄関からだ。
中はそれなりにきれいだった。
玄関ホールも広く取られていて、多少大勢でも、例えば六人くらいが同時に出かけようとしても大丈夫そうな空間が確保されていた。
難を言えば暗いこと。
ガラス戸ではなく、板戸そのものなのだ。
明り取りがまったくされていない。
横には、支度部屋か物置だろう。
四畳ほどの部屋が玄関の左右に一つずつあった。
壁や床はすべて黒い。
腐食防止ということなのか焼いた板を使っているようだ。
ワックスとか漆喰といったものは高価なのだろう。
右と左は壁になっていて正面にだけ扉が付いている。
そのまま進むと、正面の扉は大きなダイニングに通じていた。
20畳はあるだろうか。
かなり広いのに窓がなかった。
天井付近の壁にわずかなスリットがあって、そこから光が入ってきているのが唯一の光源となっている。
隙間の切られた板どうしをスライドさせることで、隙間を開けたり閉じたりする仕組みだ。
窓ガラスなんてものがないのだろう。
または恐ろしく高価なのに違いあるまい。
とはいえ、明り取りのための板戸なんかをつけると、冬に寒くて大変だ。
こういう作りにもなる。
「あー。ということは、この街は緯度的に少し北なのだな」
オレの地元と同じくらい。
つまりは、日本の東北辺りの気候だと思っていいのだと予想した。
マクリアは青森、エレフセリアは山形ぐらいなのだろう。
なんにしても明るさを求める前に、まずは防寒なのだ。
ダイニングの奥は対面式のキッチン。
キッチンの右側に小部屋があるのは食材の保存庫のようだ。
玄関ホールから入って右手に扉があって、その向こうにはトイレと洗濯場兼風呂場があった。
洗濯場というのはようするに浅めの浴槽だ。
浅いかわりにかなり広くなっている。
治療院で使うシーツなんかも洗うためだろう。
何人かで一気に洗っていたのではないだろうか。
部屋は広さにして八畳ほど、洗濯場は六畳ほどだ。
患者の体を洗うこともあったのだろうと推測できる。
介護老人ホームでも事故防止という理由から深い浴槽ではないことが多い。
感染症とか、身体を不潔にしておけない理由ならいくらでもあるしな。
治療院の方に作った方がよかったんじゃないのか? と疑問に思ったが、排水溝に目が行って理解した。
現代日本のように蛇口をひねれば水が出るわけではないし、使った水はドブに垂れ流しだ。排水溝を二か所使うのを避けたのだろう。
井戸から汲んだ水を、運ぶためだろうと思える扉が奥に見えている。
あとは治療院から排出する水は汚染されている可能性があるから、垂れ流さずため込むようにしてあるのかもしれない。
「あれ?」
浴槽の横に蛇口がついていた。
ごく普通の水道用の蛇口。
「給湯用です。水を汲んでおけば、魔力でお湯にしてくれる設備がついています」
「湯を沸かしてくれるのか?!」
それはすごく助かるぞ。
「この家を売りに出さなくてはならなくなった理由の一つが、この設備のローン返済に行き詰ったせいだと聞きました。ご両親が健在の時に発注したものだとか、結局完成を見る前に亡くなったそうですが」
「う、なるほど。そういう理由もあったのか」
それは確かに大変だったことだろう。
「お湯にはなりますがそんなに熱くはなりません。あと水は普通に人力で汲む必要があります」
「わかった」
それは仕方がない。
ダイニングの左側にも扉があって、その向こうはやはり八畳ほどの広さの部屋になっていた。
右側に二階に行くための階段があって、左側にも六畳ほどの部屋がある。
「ここをリビングにして、左側の部屋は物置にするといいかもしれないな」
「それがいいと思います。ダイニングは広すぎて落ち着きません」
ここでの生活をイメージしながら、二階へ進む。
二階は、何もない空間が広がっていた。
四十畳はあるだろう。
自宅用の建物、その二階分がそのままなにもない空間として広がっている。
必要に応じて間仕切る前提のようだ。
階段の横に扉があったので開いてみると、そのために使うらしい板や板を固定するための溝が彫られた木の棒が収納されていた。
「ここが寝室だな」
一階は寝室に向く部屋がなかったから、当然そうなる。
二階はただ広いわけではなく間仕切りが前提ということは、ここに部屋がずらりと並ぶことになるわけだ。
何部屋並ぶのかな。
ここに住むとしたら・・・。
「空っぽ、ですね」
「そ、そうだな」
なにか微妙な顔で、ミーレスがオレを見ていた。
やべ・・・にやけていたか?
それにしても、本当に家具が一つもなくなっている。
見事に空だ。
「では、次に治療院の方も見ていただきます」
騎士見習いに促されて、治療院のある棟へと移動した。
なんと、二階の奥に出入り口があった。
風呂場などがある部屋の裏に通じる階段があるのだ。
緩やかな階段を下りていくと、四畳ほどの空間。
後ろと左、正面に扉があった。
後ろの扉を開ける。
いきなり生活感のある部屋に出た。
八畳ほどのスペースに家具がびっしりと並べられたなかに、小柄なベッドが置いてある。
物が散乱していたりはしないが、何もない部屋ばかり見てきたせいか、家具が並んでいるだけで異様なほど生活の気配が感じられた。
階段の下スペースを利用した部屋のせいで、天井が斜めだし、入り口付近は背丈擦れ擦れまで迫っているから狭く感じるのも、その要因になっているだろう。
どうやら、ここの持ち主はここで生活していたようだ。
階段のある小部屋に戻って左の扉を開けると外だった。
通用口というところか。
正面の扉を開けた向こうは廊下が続いていた。
左側に小さな給湯室。
右側にトイレがある。
そこから先は病室だろうベッドが置かれた四畳ぐらいの部屋が二つと、六畳ほどの部屋が一つずつ両側に並んでいて、また扉。
扉の向こうが診察室だった。
こればかりは異世界であっても変わらないらしい。
病院、という雰囲気が醸し出されている。
真正面に扉があって、待合室らしく木製のベンチが並んだ部屋が見える。
そのさらに奥は治療院の正門だろう。
そちらはあとまわしにして、右側に白い布の衝立があって向こうに扉がある。
そちらに案内された。
細長い通路が続いて左側に扉、六畳ほどの部屋があった。
突当たりにも扉。
だが、その扉を開ける気にはなれなかった。
「ここは・・・」
「出よう」
ミーレスの手を引いて引き返す。
騎士見習いも一つ頷いてついてくる。
気のせいだとは思うが、背中が寒い。
「これですべての確認が済みました。あとのことは、こちらに」
待合室に出たところで、騎士見習いがそう告げた。
こちらに、というのは初老に差し掛かった男性だ。
ジョブは奴隷商人。
この物件に付属しているという奴隷の管理者というわけだ。
そして・・・。
買いだ。
断言する。
もう買うしかないだろう、これ。
奴隷商人の横に立っているのは、腰まで伸びた金髪に深い青色の瞳。
ミーレスとも張り合えるほどの豊満な胸を、前面に突き出す美少女だった。
【メティス。奴隷。女。18歳。治癒魔法士Lv8】
白と黒の修道服が素晴らしく似合っている。
聖女なんじゃないかな?!
「どうですかな、なかなかお得な商品だと思いますが?」
お得すぎて思わず詐欺を疑いそうだ。
タグが読めなければ、真実だと受け入れるのが困難なほどの幸運だ。
「金額は?」
余計な問答など必要ない。
ただそれだけを訊いた。
「おほほほほ。メルカトルに聞いていた通り、豪気なお方ですな。金額は建物も込み込みで、380万ダラダ。ビタ1ダラダまかりません」
ひくっ・・・唇の端が揺れた。
ひくっひくひくくっ・・・ひきつっているように口角が上がる。
大金だ。
昨日の利益で換算して、五、六年休まず迷宮に入り続けてようやく手に入る金額。
物価十分の一説で考えれば、三千八百万円。
そんな、そんな金額・・・・・・でいいのか。
「買ったぁー!!」
ビシッ、とメティスを指さして叫ぶ。
昨日早めに迷宮を出たのには理由がある。
あの金蔵の金がいくらあるかを調べたかったのだ。
奴隷用装身具の店に行っていたので全部は無理だったが、金貨だけは袋に詰めて確認してある。
金貨が五十枚ずつ入れた袋が九つと端数八枚。
しめて、458万ダラダ。
即金で買っても78万ダラダ残る。
見習い騎士が泡を吹きそうな顔で後ずさり、メティスがかわいそうな子を見るような目を向けてきているが、そんなことはどうでもいい。
さすがのミーレスも少し驚いた顔をしているが、それもどうでもいい。
「いま金を取ってくる。380万ダラダ、忘れんなよ!」
「もちろんでございますとも」
一人冷静な奴隷商人が力強く請け合った。
その場から全力で走り出す。
エレフセリアの冒険者ギルドに駆け戻り、マクリアの冒険者ギルドからメルカトルの商館に。
離れに飛び込んで硬い筒を『移動のタペストリー』に戻して飛び込み、金貨の入った袋をひっつかんでリュックへ詰込んで外へ、『移動のタペストリー』を再び硬い筒にし、離れを飛び出してマクリアの冒険者ギルドへ、エレフセリアの冒険者ギルドを経て治療院へと駆け戻る。
こんなことなら、『移動のタペストリー』の筒を持ってくればよかった。
そうしていれば、別部屋に移動して『移動のタペストリー』を使うだけで済んだのに。
気の利かない自分に罵声を浴びせながらともかく走る。
心臓は破裂寸前、気分はメロスだ。
倒れそうになりながら治療院に駆けこむ。
ミーレスもメティスもいてくれた。
診察台に座っている姿が、そそる。
いや、まずは支払いだ、確実にオレのモノにしなくてはならない。
奴隷商人もいる。
騎士見習いはもう用済みだ。
「お早いお戻りで」
ホクホク顔の奴隷商人が笑う傍ら、診察台を飛び降りたメティスが駆けつけてきて、何かを囁いた。
息苦しさが消えた。
素晴らしい、天使じゃないだろうか?
リュックサックを床に置いて、金貨の入った袋を取り出す。
八袋あれば足りる。
端数も入っている袋は寄せておいて、それ以外を床に置いた。
袋の一つにだけ金貨を20枚残して・・・。
ほかの金貨はすべて10枚ずつ山にする。
その数、38。
「380万ダラダだ。確認してくれ」
「ほうほうほう、いや、お見事」
奴隷商人が恵比須顔で笑った。
カードの書き換えがなされる。
【メティス。奴隷。女。18歳。治癒魔法士。所有者ハルカ・カワベ】
【ハルカ・カワベ。異世界人。男。冒険者。15歳。所有奴隷ミーレス、メティス。所有不動産エレフセリア迷宮街一丁目十一番地「メティス治療院及び自宅及び庭」】
「はい。これで奴隷の売買は済みましたので、こちらにサインを」
奴隷商人が言うと、騎士見習いが横から羊皮紙を出してよこした。
・・・羊皮紙だよな。
現物は初めて見た。
「契約書類を作りますが、字が書けますか」
字の書けない人はやはり多いのだな。
「代筆でかまわないか」
たぶん書けるとは思うが、脳内変換が誤変換などしていたら困る。
こういう書類で、間違いはしたくない。
「もちろんです」
「では、ミーレス、頼む」
「かしこまりました」
騎士見習いとミーレスが書類を準備している間、治療院を見回した。
ここは以前のままで営業させておいてもいいな。
「失礼、ハルカ様。お支払いがまだ済んでございません」
奴隷商人が言ってくる。
なにを言っているんだ、こいつは?
思わず剣を抜きかけた。
「先ほど、メティスが治癒魔法を使いましたな? あの段階ではメティスはわたくしのもの、治癒魔法もわたくしのモノにございます。治療代400ダラダをいただきたい」
ああ。
リュックサックに入れていたジャラジャラとうるさい袋を出す。
銀貨と銅貨を分けて入れておいたものだ。
そこから銀貨を四枚、奴隷商人に渡した。
「はい。結構でございます。いや、気持ちの良い取引をさせていただきました。では、わたくしはこれで」
奴隷商人が去ると、見習騎士も街の方へ帰って行った。
残ったのは、オレと奴隷たちだ。
「あ―、メティス? オレが君とここを買い取ったハルカだ。こっちは、ミーレス、よろしくな」
「筆頭奴隷のミーレスです。よろしくお願いします」
筆頭奴隷って・・・そんなんになるのか。
「あなたが・・・で、でもっ・・・あなた・・・そんなお金っ・・・っ!」
混乱しまくったメティスが呆然とオレを見ている。
なんだか悔しさに身を震わせているような、そんな雰囲気だ。
押し殺したような、震えた声。
自分の服をぎゅっと掴み、俯くメティス。
えっと・・・まぁ、奴隷として買われたのだしな。
そりゃ、ショックか。
・・・いや、たぶん違う。
「ごめんなさい、私っ・・・」
これはきっと、メティスがどれだけ努力しても手放さざるを得なかった治療院を、オレみたいなのが簡単に手に入れてしまったからだ。
だからこそ、あんなに悔しそうなんだろう。
きっと自分を買うのは金持ちの年寄り、そう予想していたのだ。
それがまさか、自分より年下とは・・・。
予想していた展開が崩れてしまい、混乱の極みにある。
確かに、今のメティスには気持ちの整理が必要なのかもしれない。
そう思ったから。
「あの・・・わかっています。わたしは・・・奴隷になったのだし、ここも私もあなたの所有物。それは理解しています。だけど・・・少し時間をもらえないかしら・・・」
目を潤ませながら、オレを見つめてくる眼差しに抵抗できなくなりそうだった。
「そのような半端な覚悟だから、ここを守れなかったのではないですか」
でも、そんなわがままを許すわけにはいかない。
主としての示しがつかない。
「え・・・」
そんなことをオレが考えているうちに、ミーレスが爆弾を投下していた。
み、ミーレスさん? なにを言っちゃうの?!
慌てるが雰囲気にのまれて、オレは沈黙を守った―――つまり成り行きを見守った=なにもしなかったということだ。
「治癒魔法士にも、奴隷にもなりきれない。あなたは、一体何なのですか?」
ミーレスだって好きで奴隷になったわけではない。
それでも、奴隷として生きることを自分に課して、オレに仕えている。
そんな彼女の目に、メティスがどう映るか。
「わ・・・わ、わたしは・・・」
目を泳がせながら、メティスが必死に言葉を探している。
「あ―、待て。ミーレス」
ここは主のオレが間に入らなくてはならない。
「ミーレスは奴隷になってから売られるまで、どのくらい時間があった?」
「八十日です」
「メティスは?」
「奴隷身分になってから、18日目よ・・・いえ、18日目です」
普段通りに言いかけて、メティスは慌てて言葉遣いを修正した。
「なら、あと62日間は猶予をあげるよ。それまではこれまで通り、この治療院で仕事をしているといい。オレたちは自宅の方を使わせてもらう。いいかな?」
「・・・ぁ・・・」
メティスは嬉しそうな、でも、どことなく悲しそうな表情を浮かべた。
そんな中、オレはミーレスの手から契約書を受け取り、メティスに持たせた。
「・・・・・・」
メティスは目を潤ませながら、契約書を撫でる。
その優しい手つきには、確かな慈しみの感情が感じられる。
「無理矢理はオレの流儀じゃない。・・・待つよ」
「っ・・・! ごめんなさい、私、あなたに買われた身なのにっ」
契約書を握るオレの手を、そっと両手で包み込むメティス。
その眦からは一筋の涙がこぼれている。
「・・・ありがとう」
メティスが、オレの胸にコツンと頭を当てる。
前傾姿勢だというのに感じる、豊かな胸の感触。
サラサラと揺れる、柔らかそうな金髪。
鼻腔をくすぐる、甘い匂い。
うん。これで我慢しろというのは無理だ。
さりげなく、メティスの腰に手を回してみる。
「っ・・・あ・・・」
メティスはピクッと震えて、オレの目をうかがうように見る。
だが、抵抗はしない。
「しょうがないわね」というような態度である。
・・・奴隷の態度ではないが、まあ62日間は猶予期間としたのだから、それまではこういう態度が許されるわけだ。
それでも着実に、好感度と奴隷の立場への覚悟が急上昇しているようだ。
奴隷でなかったら、腰に回した手をパシッと払ってから射殺すような視線で睨みつけるぐらいのことはしてきたに違いない。
そんなキツめの性格をした女の子が、それ以上のことをされても受け入れる覚悟をしなくてはならない。
いま改めて認識して、現実を噛み締めているのがわかる。
背中にゾクゾクっと走るものを感じた。
「はぁ、わたし、ダメね。・・・でも、本当にありがとう。こんなことしたら立場ないわよね? ・・・ちゃんとわかっているから」
ちゃんとわかっているから・・・そう繰り返すメティスを診察室に置き去りにして、オレたちは寝室予定地である自宅二階に移動した。
メティスには62日間分の生活費として金貨二枚を手渡して。
「甘いと思うかい、ミーレス?
二人きりとなったところで聞いてみた。
「いいえ。ご主人様も甘いとは思っていないのではないですか」
さすが現実に奴隷をやっている人は違う。
「よくわかっていらっしゃる」
オレは少し黒い笑みを浮かべた。
猶予期間は優しさではない。
オレはメティスを客観的には解放した。
しかしメティスの主観では完全に囚われてしまっている。
オレに理不尽な、または強引なことをされたなら自分の無能とオレの非道を怨むことができた。
なのに、甘めに譲歩されたことで怨みようはなくなった。
だけではない。
譲歩を勝ち取った自分に対する自己嫌悪が増幅される。
これからの日々は、メティスにとって苦しいものになるだろう。




