2・救護院にいます
俺のベッドの脇に椅子が用意されて、お爺さんが座り、お婆さんはその隣に立つ。
俺の頭のほうに一人、足元に一人、そして、お爺さんの反対側に一人と男性たちが移動する。
うわあ、俺、囲まれた。
心臓が痛いほどドキドキして、冷や汗が背中を流れる。
「ワシはこの町に住む者でワルワという。
お前さん、自分の名前は分かるかの?」
ここは正直に答えたほうが良いだろう。
「はい、差也 善郎といいます」
空気がザワリとした。
「歳はいくつかな?」
「あー、季節の一巡りを一年と数えるなら産まれてから三十二年、三十二歳です」
「ほおほお」と、お爺さんは頷く。
年齢の数え方は合ってたみたいだ。
「字は書けるか?。 よければ名前を書いてみてくれんか」
「あ、はい、いいですけど」
お婆さんが、紙を板に貼り付けた物とペンを差し出す。
紙は普通の藁半紙かな?、ちょっと黄色い。
このペン、インクはどうなってるの?。
不思議に思いながらもペンを紙に押し付けるとちゃんとインクが出る、すげえー。
普通に日本語で名前を書く。
「ううむ」
その様子を見て、ワルワさんが唸る。
な、なんなの?。
何か失敗したんだろうか、俺。
「ご領主に報告せねばならぬな」
ボソリとワルワさんが呟いて「また来る」と言って、男たちと一緒に部屋を出て行った。
三人の男性のうち、一人だけが俺の傍に残っている。
やっぱりこういう場合には町の有力者とか貴族とか、そういうのが出てくるのかな。
ヤバそうなら逃げたいけど、どこへ?、どうやって?。
今さら無理だな、と俺はため息を吐く。
そんな俺に、お婆さんが「大丈夫ですよ」と声を掛けてきた。
「誰もあなたを危険だとは思っていませんし、領主様もきっと悪いようにはなさいません」
安心させようとしてくれているのが分かるので、俺は笑って頷く。
うまく笑えたかは分からないけど感謝は伝わるといいな。
少なくとも俺を助けようとしている人たちがいる。
それを拒絶するのは違うと思う。
ベッドの足元にいる兵士らしい男性をチラッと見る。
明るい茶色の髪に、まだ少年のようなあどけない顔をしていた。
でも剣と革鎧の装備は立派な兵士だ。
俺を見張っているのは間違いない。
「それより、お腹が空いたでしょう?。 すぐに食事を用意しますね」
「すみません」
俺が頭を下げると、お婆さんは「あらあら、まあまあ」と言いながら部屋を出て行った。
それを不思議そうな顔で見送っていた若者が口を開く。
「あんた、貴族じゃねえのか?」
お婆さんに比べると少しイントネーションが方言ぽいな。
ワルワさんやお婆さんが丁寧に接している俺がペコペコするのがおかしかったらしい。
「貴族?。 さあ、どうだろう」
ここでの貴族が俺の知っている貴族とは限らない。
「でもよ。 あんたの服も、持ってた物も見たこともない上等なもんだったって聞いたで。
名前もこの辺りのもんじゃなかったしよ」
この若い兵士はお喋り好きみたいで、少し訊ねると色々答えてくれる。
彼ら三人は、ワルワさんに護衛という仕事で雇われている町の住民らしい。
俺はもう一度、ここがどこかと訊いてみる。
「ここはエテオール国の辺境地バイットだ」
やはり聞いたことのない地名だった。
全身からガクリと力が抜けていく。
これは現実なのか。
俺は、もう戻れないのか。
ここで生きていかなきゃならないのか。
頭を抱え、ベッドの上で身体を縮こませる。
「サナリ、さん?」
いつの間にか、お婆さんが戻って来ていた。
「さあさあ、お若いのにそんな顔しないで。 お口に合うか分かりませんが食べてみて下さいな」
木の器に盛られたスープが美味しそうな匂いをさせていた。
お腹が鳴る。
ああ、人間って、こんな状態でも腹が減るもんなんだな。
俺は涙を拭う。
「ありがとう、ございます」
食べられるのかな?、材料は何だろうか。
受け取ったスープをスプーンで掻き回していると、今度はパンを渡された。
少し固めのバケットみたいなもので、スープに浸して柔らかくして食べるものらしい。
ええい!、腹壊す程度なら餓死よりマシだ。
「あ、うまい……」
素朴な味というのか、空腹には何でも美味しく感じる。
ゆっくり食べたせいか、お腹も膨れた。
まだ若い護衛は、お婆さんが食器の片付けに出て行った後も興味津々でこっちを見ているので話し掛けてみる。
「俺はサナリだ。 君は?」
「名前か?、バムだ」
嫌がらずに答えてくれた。
「そうだ。 さっきの続きで色々と教えて欲しいんだけど」
ここでは一日は何時間で、一週間とか一ヶ月という概念はあるのか。
季節は春夏秋冬なのか、そのうち、今は何なのか。
お金は貨幣?、金貨?、平均的な一ヶ月の給与はいくら?。
「ちょっ、待って!、いっぺんに訊かれても」
「あ、そ、そうか、すまない」
バムくんはガサガサと部屋の隅にある棚を漁り始めた。
「こ、これに書くだで、ゆっくり話してや」
さっき見た、板に貼り付けた紙とペンだ。
「なるほど」
彼が書いてくれるなら助かる。
俺は「お願いします」と頭を下げた。
いつの間に寝てしまったのか、目を覚ますと窓の外は夕暮れ。
バムくんがベッドの横の椅子に座ったまま、コクリコクリと居眠りをしている。
俺は身体を起こしてウーンと背伸びをした。
そおっとベッドから降りて窓の外を見る。
質素な田舎の家が並んでいた。
人の往来が多いのは、どこにでもある仕事帰りや買い物の風景だ。
この世界のことはまだ何も分からないけど、俺がこの町の片隅で生活するのは可能なのかな。
元の世界に戻れるかどうか分からないけど、もしそのチャンスが来たら確実に掴めるように、心も身体も健康でいよう。
「人間って腹が満ちると気持ちも落ち着くもんだなあ」
俺は町の向こうに沈む夕日を眺めながら、そんなことを考えていた。