第35話「理解者」
どうしよう――思わず普通に声を発してしまった。
心の内に、広がっていく動揺――。
迂闊だった――。
軽い気持ちでやって来た結果、どこの誰とも知らない人に正体がバレてしまうだなんて、この活動をする上でそれは確実に不味いこと。
普段の生活であればバレるはずもないけれど、今彼はわたしのグッズへ手を伸ばしていたのだ。
だったらバレてしまうのも無理はなく、もっと注意する事だって出来たはず……。
でも、声を発してしまったものは仕方がない。
まだ確信には至っていないだろうし、ここで黙っていては余計不味い。
黙っているということは、わたしが本人であることを認めてしまっているようなものだから。
「あ、い、いやぁ……違いますぅ……」
わたしは咄嗟に、声を変えつつ誤魔化そうと試みる――。
――駄目だ、我ながら無理がありすぎるぅ!
ちょっと声を変えてみたけれど、発してみて自分でもよく分かる。
今のはどこまでも、怪しい以外の何物でもないと――。
ああもう、どうしてわたしってこんなにもコミュ障なのだろうかと、自分で自分が嫌になる――。
「あ、で、ですよねー! すみません、変な勘違いしちゃって」
しかし彼は、話を合わせてくれた。
そう言って、何もなかった事にしてくれたのである。
わたしのバレバレの嘘を前に、こうして空気を読んで話を合わせてくれたのだ。
そんな優しい彼に、わたしはほっとすると同時に、少しだけ気を許している自分がいることに気が付く。
先程口を滑らせたばかりだというのに、我ながら能天気過ぎる気がしなくもない。
それでも、このまま彼と離れるのは不味い気がするし、何より彼は恐らく自分のファンなのだ。
であれば、この最悪の事態だってポジティブに捉えるしかない。
そう思ったわたしは、ファンの方と直接対面で話せるこの貴重な機会。
彼の事を探る意味でも、まずは確認することにした。
「あ、あのっ! 桜きらりの、フ、ファンなんですか?」
「え? ああ、そうですね。いつも面白いんですよね彼女」
「そ、そそ、そうなんですね」
ああ、やっぱりわたしのファンなんだな――と、いざ面と向かって言葉にされると結構恥ずかしいものがあった。
幸いマスクをしていて口元が隠れているのを良いことに、わたしはつい嬉しさから口元がニヤついてしまう。
「あはは、活動初期から応援しているので、今日は是が非でもグッズ買わないとと思いましてね」
「へ、へぇ、どのぐらい前からですか?」
「それこそ、デビュー配信からですよ。たけのこって名前でコメントもしてると思うので、きっと当時のアーカイブのチャット欄見たらいると思いますよ」
「た、たけのこさん!?」
「え?」
「い、いや! な、ななな、なんでもないですっ!」
驚いて、思わず口に出してしまった――。
そう、まさかあのたけのこさんが、今目の前にいるこの人だったなんて――。
もうわたしの頭の中は、軽いパニック状態に陥ってしまう――。
でも、次第にじわじわと湧き上がってくる一つの感情――それは、喜び。
デビュー当初からわたしのことを支えてくれていた、ある意味わたしの一番の理解者とも言える大切なリスナーさんと、わたしは今こうして直接お話が出来ているのだ。
それはやっぱり、とっても嬉しいことだった。
あのたけのこさんが、実はこんな容姿をしていたんだなって知れた喜びまで湧き上がってくる。
だからわたしは、これ以上は駄目だと分かっていても、どうしても欲してしまう。
彼の――たけのこさんのことを、もっと知りたいと――。
「あー、えっと、貴女もその、きらりちゃんファンなんですね?」
「え、ええ、そうですっ!」
そんな事を考えていると、彼の方から話しかけてきた。
驚いたわたしは、また挙動不審になりつつも咄嗟に返事をする。
「じゃあ、今日は同じくグッズを買いに?」
「え? い、いえ、今日は見に来ただけです! もう全部家にあるのでっ!」
「え、凄いですね! もう家に――ってあれ? 今日が発売日ですよね?」
「あっ! えっと、それはそのっ!」
頭が追い付かなくて、またしても口を滑らせてしまう――。
いくらなんでもポンコツ過ぎるでしょ! と、自己嫌悪がどんどんと積み重なっていく。
こうして口を開けば失言をしてしまう自分が、ただただ情けなかった……。
「えーっと、じゃあ僕はお会計してきちゃいますね。どうも、さっきは勘違いしちゃってすいませんでした」
すると彼は、返答に困っているわたしに気を使ってくれたのだろうか。
そう言ってわたしのグッズを全て手にすると、そのままレジへと向かって行ってしまった。
――このままじゃ、きっと不味い!
口止めをしなければ、今後の活動に支障をきたす可能性がある。
相手はあのたけのこさんだから大丈夫だとは思うけれど、それでもこの中途半端な状態でさよならをしてしまっては、心の中のモヤモヤとした感情が残り続けてしまう――。
そう思いながら、わたしは彼の後ろ姿に声をかけようとする。
しかし、何て声をかければいいのか分からず、結局そのまま彼を引き留めることは出来なかった――。
――駄目、無理……。
情けない自分は、ここでぽっきりと心が折れる。
そして、もうここにいても失敗するだけだと思い、お店から出て行くことにした。
お店から外に出ると、綺麗に晴れ渡った青空の下、初夏を感じさせるような眩しい陽射しが降り注いでいた。
わたしは目を細めながら、一度空を見上げる。
思えば、学校以外で外に出たことなんて、何時ぶりだろうか――。
いつも学校と配信に追われ、こうしてプライベートの時間を過ごす機会なんてほとんど無くなってしまっていたことに気が付く。
――まぁ、たけのこさんならきっと大丈夫だよね。
くよくよしていても仕方がない!
そう思い、今日はせっかく外に出てきたことだし、もう少し外の世界を楽しんでから帰ることにした。
……とは言っても、行く当ては何もない。
配信をすること以外無趣味なわたしは、特に行きたい場所など何もないことに気が付く。
「――もう少し、たけのこさんとお話してみたかったなぁ……」
ぽつりと口から出た、わたしの本音。
今のわたしがしたいことと言えば、もう少したけのこさんとお話がしてみたいだった。
彼の目から見たわたしはどう映っているのか、ずっと支えてくれている彼にだからこそ聞いてみたいことが沢山あった。
そして、そんな彼はまだこの店内にいる――。
そう思ったら、わたしはお店の前から立ち去ることが出来なくなる。
――やっぱり、もう少しだけ彼と話しをしてみたい。
もう二度と訪れることがないかもしれない、この奇跡的な出会い。
このままこの機会を逃してしまっては、きっとあとで後悔するに違いないから。
そして、丁度お店から彼が出てくる。
だからわたしは、勇気を振り絞って自分から彼に声をかけたのであった――。
◇
無事、彼に声をかける事に成功したわたしは、彼と一緒に近くにあった喫茶店へとやってきた。
最初こそ緊張したけれど、たけのこさんは思っていた通りとても話しやすくて、それでいて優しい人だった。
質問されたこともあって、わたしは自分の身の上話を彼に話していた。
活動を始めるキッカケや、わたしが聖女様だなんて呼ばれて困っている話。
そんな他人からしたらどうでもいいかもしれない自分語りを、彼は――風見さんは、しっかりと全て聞いてくれた。
自分の一番の理解者である風見さんに、こうして話を聞いて貰えること。
そして何より、これまで自分の中で溜め込んできた思いを言葉にして誰かに打ち明けられることが、わたしの心をどんどんと軽くしていくようだった――。
そんな風見さんと過ごす時間は、何とも言い難い安心感のようなものが感じられる。
それもきっと、風見さんの持つ魅力の一つなのだろう。
これまでは、文章だけでわたしを支えてくれた彼。
でもこうして実際に話してみても、やっぱり彼はたけのこさんそのものだった。
「でも、やっぱりたけのこ――いえ、風見さんは不思議な方ですね。正直に申しまして、こんなに自然に面と向かって会話が出来る男性は貴方は初めてなんです。だからこうして――」
だからだろうか、わたしは、もう一つ感じていた気持ちを口にする。
わたしはこれまでの人生において、こうして面と向かって同世代の男の子と話が出来た経験なんて、ほとんど無かったから――。
これまでわたしは、異性の人との会話や触れ合いをずっと避けて生きてきた。
必要なこと以外で唯一会話をする事があるとすれば、それは呼び出されて告白を受ける時ぐらい――。
だからこそ、こうして普通に会話が出来ていることがとても不思議だった。
こうして同世代の男の子と普通に接することが出来ていることに、どうしても喜びを感じずにはいられなかった。
「え? ああ、それはきっとあれですよ。俺には星野さんと同じ妹がいるからです」
「同じ妹?」
しかし、風見さんから返ってきた返答は、よく分からないものだった。
同じ妹とは、一体何の事だろうか?
意味は分からないけれど、どうやら風見さんには妹さんがいらっしゃるようだ。
自分にも、こんな優しい兄がいたらいいななんて、ついぼんやりと考えてしまう。
しかし、その「同じ妹」という言葉の意味は、わたしの想像を遥かに超える意味が込められていた――。
「ああ、ごめん、言葉が足りてないね。うちの妹もさ、星野さんと同じく、世間では四大美女なんて呼ばれてるんですよ」
「――え?」
「妹の名前は、風見楓花。『西中の大天使様』なんて呼ばれてるようです」
「えっ!? ええええー!?」
その言葉に、驚いたわたしは思わず声を上げてしまう――。
まさかあのたけのこさんの妹さんが、わたしと同じ境遇にある人だなんて……。
自分が、世間では四大美女なんて呼ばれ方をされている事は当然知っていた。
それでも、わたしはこれまで他の方に会ったことがなかったし、そもそもわたしなんかが四大美女と呼ばれることに対して、ずっと不相応だと思っていたのだ。
しかし、いざこうして身近に同じ四大美女という存在がいるのであれば、それはやっぱり気になってくる。
その妹さんは一体どんな方なのだろうかと、一度会ってみたい気持ちがどうしても湧き上がってきてしまうのであった。
「ごめん、驚かせちゃったかな?」
「い、いえ……。でも、そうなんですね。確かに風見さんの妹さんなら、納得です」
「あー、えっと……そう言って貰えるのは嬉しいんだけど、妹とは血は繋がっていないんだ」
「え? 義理――なんですか?」
「うん、まだ俺達が幼い頃に親が再婚してね、母さんの連れ子なんだ」
「そう、だったんですね――」
どうやら風見さんのご家庭は、色々あったようだ――。
でも何故だろう……。わたしの心の中で、少しだけモヤっとする感情が生まれていることに気が付く……。
血の繋がらない妹さんで、しかも四大美女と呼ばれる美少女が、風見さんと一緒に暮らしているのが、嫌だったから? でも、何故――?
そんな、これまで感じたことのない僅かな動揺が、わたしの中でじわじわと広がっていく。
わたし自身、これまでの人生で感じた事のないこの動揺、どう処理していいのか分からなかった。
それから風見さんとは、Vtuberについての話とか、他愛の無い話をさせて頂き、本当にとても楽しい時間を過ごすことが出来た。
けれど、先程感じた知らない胸のしこりだけは、ずっと心の中に残ったままなのであった――。




